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2017年10月16日 (月)

選挙雑感

そもそも政治というのは、「折り合い」で、Aという主張とBという主張があって、議論が始まる。その議論の中で、Aの側の人はBの人がなぜBという主張をしているのかを学び、Bを少しずつ理解する。Bの側人もAの...

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2017年10月14日 (土)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(3)

 「Omnipotence/無限のちから」という作品です。ほとんど同じパターンの形を「Avanti/さきがけ」に見ることができます。そこでは、書の勢いや墨の濃淡やにじみやかすれといった、結果としてあら...

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2017年10月13日 (金)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(2)

 「Mounment/いしぶみ」という作品は、展覧会のパンフレットでフィーチャーされている作品です。無造作に左から右に水平に幅広い横帯が引かれています。おそらく、筆で引かれた面で、墨がにじんだり、かす...

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2017年10月12日 (木)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(1)

2017年5月 菊池寛実記念 智美術館  欧米と違って、日本人のコレクションは公的な政府や美術館のような団体に寄付されるのではなくて、財団法人を設立して個人美術館をつくることが多いという。東京には、そ...

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2017年10月11日 (水)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(22)

5.擬人化される脳 この幼児を不自由と見なしうるのは、幼児からすれば超越的な位置にいる自由の担い手、すなわち大人です。幼児を客体と見なす主な理由はその知的能力の低さということなるでしょうが、かといって...

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2017年10月10日 (火)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(21)

4.なぜ道徳的であるべきか 一般に倫理は一人称的観点から基礎付けられている。この私が倫理的でなければならない理由の探求から、すべての人々が倫理的であるべき理由を得ようとしている。現実問題として、私以外...

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2017年10月 9日 (月)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(20)

3.二人称の自由 決定論内部で峻別可能な「できる」「できない」の区別があったとしても、その区別をただちに「自由」「不自由」の区別に置き換える議論には、他者への反応的態度に導くものが介在しなければ成立し...

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2017年10月 8日 (日)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(19)

2.ストローソンとデネット ストローソンの「自由と怒り」について、雪や金魚や文房具などに対してわれわれは反応的態度をとらず、客体への態度─処置や管理や回避といった─をとります。たとえそれらの事物によっ...

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2017年10月 7日 (土)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(18)

第4章 無自由世界 1.他我問題の反転 心理学と神経科学の側面から、人間の意思決定においては、自覚的な決断の意識に先立ち、潜在的心理過程や脳神経活動が生じており、それらが実際の選択をひき起こしているこ...

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2017年10月 6日 (金)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(17)

7.過去可能性 前節での考察は、過去が諸可能性もつことを前提としていました。しかし、可能性とは実現可能性のことであるなら、過去はすでに決定されていることだから、あてはまらないという議論があります。この...

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