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2010年8月28日 (土)

中島みゆき「EAST ASIA」

中島みゆき「EAST ASIA」。デビューの頃の印象しかなかった(「時代」とか)が、ヤマハ出身のニューミュージックとか、失恋の歌を暗く歌うとかいうイメージを持っていたが、このアルバムを聴けば、本格的なボーカリストだということが分かった。下腹からしっかり声を出して、歌いきっている。喉で歌う若い歌手には出ない迫力。下腹から声を出していると、ドスの利いた声がでる、またフォルテでも余裕が出る。それを喉のテクニックで歌いまわしている。だから小手先で表面的な感じがしない(例えば、Bzのボーカルのように喉でビブラートをかけて歌うと、歌詞が聞き取れないし、声の伸びがなく、ボーカルの存在感が感じられない。)。圧倒的な説得力で迫ってくるのだ。かつての美空ひばりを思い出してしまった。きっと、実際のライブはもっと凄いと思う(アンプを介さないで、小さなライブハウスか何かで生の声で聴くのが一番凄いと思う)。とくに、このアルバムは大仰に歌いきる曲とアレンジが多く、このような彼女の唱法に合っている。いまの日本では、他の歌手では真似ができないだろう。面白いことに、演歌に近いのだ。彼女のファンに言うと叱られるかもしれないが、私はこれをとてもいいことだと思っている。彼女がこれを自覚してやっているのなら、素晴らしいことだ。若いロック系の人で、これを無自覚にやっている人が多い。私は音楽的な知性と歴史感覚の欠如と思っている。

彼女の曲の場合、以前は歌詞の内容のことがよく論じられていたように思う。(私は彼女のファンではないが、メディアを終始追いかけているわけではないので、思い違いもあるかもしれない)しかし、このアルバムを聴く限り、彼女の圧倒的な存在感のある声と、それを載せる歌がメインなのではないかと思う。以前比較されることが多かったユーミンには、こういう必殺の武器がない。そのかわりに、歌詞でストーリーをつくって聞く者をそのストーリーの中に招き入れ、彼女の歌が良質な効果音の役目をはたすようなところがある。だから、かえって声の存在感は邪魔になる。ユーミンのそういう声だからそうなったのか、曲作りがそうだから、そのような歌い方になったのは、ニワトリが先か玉子が先かと同じだ。ユーミンの曲は、具体的な場所や小道具が散りばめてあり、歌詞がストリーとして辻褄が合っていて、歌詞を曲と切り離しても、ひとつの文章として何とか追い掛けることができる。こうこいう曲、歌詞つくりをする人は多いのではないか。メッセージ系?の歌をつくるひととか、さだまさしのような人とか。

で、中島みゆきの曲というと、彼女の曲にも、ユーミンと同じようなストーリーもある。…もあるのだ。しかし、ユーミンにあるような具体的な場面が浮かぶということはない。もっと抽象性が高い。どちらかというと、人の感情の動きがそのままストーリーになったような感じだ。そこで、こころの動きを託したことばが、中島みゆきの圧倒的な声に乗ることで、活き活きとして生命感を与えられる。別の言い方をすれば、抽象的な言葉が中島みゆきの声で歌われることで生身の人間のこころとなって聴く者に迫ってくる。それが、彼女の曲を他の歌手がカバーしても面白くないのは、かろうじて演歌~歌謡曲の歌手で聴くのが面白いのは、そのためではないか。もしかしたら、長唄のような邦楽の人に演ってもらうと面白いのかもしれない。

でも、今、書いてきたことって、26日や27日に書いたことと矛盾しているかもしれない。言行不一致でした。

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