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2010年8月25日 (水)

中島みゆき「ファイト」

yutubeで偶然、中島みゆきの「ファイト」のライブ音源を聴いた。

http://www.youtube.com/watch?v=MfeRPIIqHBc&feature=related

背筋に寒気が走った。フリーズしてしまった。歌詞がどうだとか、曲がどうだかということは、いくらでも言えるが、憑かれたような彼女の声の凄みに圧倒される。巫女という言葉がそのまま当てはまるような。曲や歌詞がある種の怒りや思いを載せ易いものであるし、それだけに誤解を受けやすいものでもある。実際、私自身もこの類の歌には乗せられやすい、感傷的な面も多分にある。しかし、この彼女はそんなものも吹き飛ばすような凄みがあった。吉田卓郎のカバーがいかにも表層的に言葉の響きからイメージの詩と同じように歌っているのと、いかに違うことか。今まで、中島みゆきの良さが分からなかった。これを聴くと、そんじょそこらの歌手とは次元が違う。

中島みゆき「歌旅」。yutubeの音源が圧倒的だったので、ライブアルバムを急いで手に入れた。さすがに、あの神憑りのような凄みはなかったが、その代わりに録音がいいのと、曲数が多いのでバラエティを楽しめた。同じ曲「ファイト」もここで歌っているが、アレンジで盛り上げ、彼女も曲の後半で乗ってきた感はあるが、演技的というのか、技巧が鼻についた。最後近くに“男にうまれたかった”のフレーズで声を荒げ、それなりの迫力は出ていた。しかし、曲全体の演技構成上のお約束みたいな感じで、あの音源の吐き捨てるような自分の性を呪うような、しかしそのような自分を嫌悪するような、まさに“私の敵は私です”を体現するような、曲と自分が重なる“研いだ爪を自分に突き刺す”を地で行く迫力は出なかった。あの音源では、声の存在感がすごく、圧倒的な声の説得力が彼女の存在を引っ張っていく感があった。ライブを通しで聞かせてくれないため、それぞれの演奏が1曲ごとに切られてしまっているのは残念だが、彼女の巧さが良く分かる。ときどき、一時だけだが声の存在が光るときがある、それが通しではないのが残念。ずっと通しで光っているなんてことは、絶対にありえないが。それができたら、まともな生活はできないだろう。このアルバムを通して聴くと、彼女の方向性として、絶対的な声の可能性を持ちながら、この気まぐれな声に頼ることから、演技的な構成への傾き、指向が強く感じられた。うまくいけば、安定的に毎回のライブで一定の水準で説得力を及ぼすことができるだろう。しかし、これがアザとさとなれば、単にクサいだけになる。彼女のファンを対象としてだけなら、この方向性はベストかもしれない。それ以外に感じたことでは、とくに後半では日常で生活している大人の男女向けの応援歌を歌おうとしていること。彼女のことだから、拳を振り上げろとか、頑張れを県こするような単純なものではないし、また、大人ともなれば、そんな単純なものでは相手にできないだろう。そのてんでは、ある程度の複雑な背景や、諦念のようなものも理解しながらということだ。しかし、「地上の星座」のようなノスタルジックな方向は私には逃げに感じられる。彼女なりに模索していることには好感が持てた。

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