「メイド・イン・ジャパンは終わるのか」(1)
暑い。休日のため会社の中は冷房が入っていない。なんで、こんな日まで会社に来るのか、とも思う。目一杯仕事を抱えてさばききれないというのでもないだろう。家に居場所がなくて、会社に逃げてきているというのでもない。あまり考えたくはないが、仕事が好きなのだろうと思う。机に座って、色々なことを考える。日々動く目前の処理では、考える暇もないようなことをじっくり考えてみる。そういうことを、このところ、とても大切なことと思うようになってきた。
青島矢一、武石彰、マイケル・クスマノ「メイド・イン・ジャパンは終わるのか」。80年代には“ジャパン・アズ・ナンバーワン”などと賞賛され、奇跡と呼ばれた日本経済が、現在では終焉したともいわれ、この短期間の評価の毀誉褒貶はどうしてなのかを問うている本。まず、評価に対しては、80年代の賞賛に対しては、欧米の経営学者や評論家の一部が、当時の欧米企業の経営戦略に大きな疑問を感じ、ちょうど、当時の代表的な企業の業績が停滞していたときに、成長していた日本の企業に仮託して自己の理論を展開したということ。つまり、彼らの理論展開のために日本企業の経営に対する評価が利用された点が大きいと言う。その証拠に、彼らの取り上げた日本の企業は極端な偏りを示している。そして、現在の日本企業に対する酷い評価はその裏返しということだ。つまり、アングロサクソン系の市場経済重視のエコノミストや批評家が業績好調なアメリカ企業を評価するために日本企業を時代遅れとしてくさすと言うことだ。
では、実際はどうなのか、分析が恣意的にならないように、日本経済を牽引してきたエレクトロニクスや自動車に絞りを変遷を分析していく。その結果、大雑把にいえば80年代の日本的経営は高度経済成長の増産経営に対して有効に働き、洗練されてきたもので、増産が鈍った80年代から矛盾が出てきていたのを、日本企業は根本的な対応を後回しにし、その場しのぎを続けてきたために、世界経済の環境の激変についていけず、矛盾を増大させ、体力を消耗させたというのだ。それは、日本のメーカーのシンボルともいえる技術開発にも言える。
例えば、携帯電話ではアナログ電話ではアメリカのシェアを独占し、技術的にも優位に立っていたのに、モトローラの共通プラットフォームをベースにローエンドで格安とすることでシェアを稼ぎ、ハイエンドで利益を回収するという物量戦略に、生産工程でのカイゼンでは追いつかず、シェアを奪われ、デジタル化では尚更物量戦略が有効となるのに、対応が進まず市場から撤退し、欧州では既に負けてしまっていた規模の差の不利を解消できず、世代交代に時期に生産工程のプラットフォーム化でノキア等の後塵を配し、品質とコストで遅れをとったため起死回生のチャンスを逃し、日本でしか通用しないガラパゴスとなってしまった。今日はここまで
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