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2010年8月31日 (火)

休憩~ちょっとだけ音楽のことを

昨日は、久しぶりに、映画やまんがの話をしながら酒を酌み交わすという至福の時間を過ごしました。何十年振りかのこと。酒がすすみ、気が付いたら終電近い時間ということで、昨日は書き込みができませんでした。

で、いままで、通勤の行き帰りで聴いた音楽や読んだ本のことを感想を交えて、ここに書いてきたのですが、昨日は、酒が入っていたので音楽も本もOUTの状態でした。それで、今日は、音楽全般に対する私の好みについてまとめて書いてみることにします。個々の感想から、 “この人はこんな好みなのか”と類推してもらえるのが、一番いいのですが、そうしてもらえるには筆力が及びません。

私が、主に聴くのはCDショップの棚ではクラシック音楽に置かれているような音楽です。しかし、クラシック専門というわけでもなく、今まで、ここに感想を書いてきたようにロックやポップスも聴きます。そこに底流している共通項と言えるようなものは、思うに、クラシック音楽に特徴的なことを要素として強く持っていることです。それを一言で、「非人間的」とでも言えるでしょうか。音楽は普遍的にこうだと言えないでしょうが、本来的に、人が歌ったり、楽器を演奏したりというのは、歌うのは自分の声で自分の身体を共鳴体とするし、楽器も身体の一部のようにして、これまた身体を共鳴させ、音楽を奏でるものではないでしょうか。身体は個人により、それぞれ違うはずで、同じように歌っても、楽器を奏でても、響きはその人によって違ってくるでしょぅ。それだけでなく、そのような響く音楽の節だったり、拍子だったりも違って響くはずです。そのため、音楽は歌ったり奏でたりする特定の個人とは切っても切れない、抜き差しならない関係にあるはずです。例えば、邦楽や舞踊のある流派では、その伝承は、個人から個人にパーソナルに口移しというような身体上の方法で伝えられる。

さらに、専用の場で、音楽だけが単独で演奏されて、それを聴く人がいるというものよりも、踊りながらだったり、酒を飲みながらだったり、作業をしながらだったり、その音楽に合わせて身体を動かしたり、というような他の何か、しかも身体を動かすような行為と不可分一体であったのではないか思います。また、このような場では、そこにいる人が交互に、または一緒に歌ったりで、奏でながら聴いたり、その逆だったりと役割は固定されず、絶えず流動的だったのでないか。

そういう要素を強く残しているのが、いわゆるワールドミュージックというジャンル(民族音楽?)?だったり、また、ヒップ&ホップやソウル、R&Bなどといった黒人音楽もそうでしょう。民謡、島唄、お祭りのお囃子、みんなそうではないか。ここに共通しているのは、楽譜を必要としない、即興的にその場で音楽が作られる性格が強いことです。

さて、この辺でクラシックの特徴として、私が言いたいことが想像できるのではないでしょうか。具体的に言うと、クラシック音楽に特徴的な楽器にオルガンというのがあります。オルガンは古い言葉でいうと「オルガノン」で、その意味は宇宙とか世界の構造とかしくみとかいう意味で、そこから派生して機構とか機械という意味が出てきます。実際に、オルガンは鍵盤という操作する部分と音を出す部分が別で、他の打楽器や管楽器、弦楽器とも違って、機械に近い。そして、奏でる人の身体に音を共鳴させて響かせない。オルガンを奏でる人は、奏でるというよりはオペレーターに近いイメージです。そして、主にオルガンが演奏される教会では、踊るということは厳重に禁じられていたそうです。音楽に乗るというようなこと、音楽に酔うというような感覚に流されること、楽しむということは、快楽に溺れることとされて、禁じられていたらしい。では何故音楽が奏でられていたかと言うと、神様の完全な世界を表現し、信者にそれを言葉以外の方法で理解させるためだったそうです。中世のポリフォニー音楽。今に残された巨匠と言われる人たちの楽譜に基づいて演奏されたCD(例えば、ジョカスカン・デュ・プレ、オルランド・ラッスス、パレストリーナ、トマス・ルイス・ビクトリア…)を聴くと、これを聴いて自然と身体が乗って動きだすということは想像できません。これらは、教会でオルガン奏者や合唱隊が奏でるのを、ミサの出席者が謹んで聴くというように奏でる人と聴く人が分化していたでしょう。また、神の完全な世界を表わすためには、個々の人間の個性が入り込むのは厳禁です。不完全な人間の要素が入り込めば、神の完全は崩れてしまいます。完全な世界を毎度再現するために、訓練をつんだものなら誰でも厳密に再現できるようなシステムが必要です。それが楽譜です。そして、それが後のクラシック音楽に続きます。

さて、このように音楽の響きだけを他の要素と切り離して純粋に取り出して、演奏する人の要素も消して、ただひたすらに抽象化された音の響きだけを聴くということ、時代を現代に跳びますが、これって、録音した音だけを聴くことと似ていませんか。音の響きを録音してレコードというものを作り出したのはクラシック音楽の本場である欧米です。議論が飛躍しているかもしれませんが、クラシック音楽で音楽はこういうものだと考えると、響きだけを取り出して単独で聴いて楽しむという発想が出てくると思います。

だって、例えば踊ることと奏でることが切り離せないなら、自分の身体を共鳴させることが切り離せないから、ヘッドフォンで聴くのは音楽とは言えないでしょう。その意味で、さっきワールド・ミージックに?をつけたのは、そのように括ること自体が、実はクラシック音楽による音楽というものの考え方をベースにしたものに変質してきていると言えるのです。

さて、そこで私の好んで聴く音楽です。それは、ここまで延々と述べてきたクラシック音楽の特徴が強い音楽です。響きの要素である、メロディやハーモニー、あるいは響きそのものという言葉からきたサウンドを重視した音楽。リズムという要素はちょっと後退してもらいますが。ちょっと長くなって、読むのに疲れるかもしれません。(すいません。)で、私が音楽を語るときには、このような好みゆえに、響きの要素を中心にして語ることがくせのようになっているようです。

明日からは、また、その日聴いた音楽や読んだ本のことを、書きます。

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