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2010年9月 6日 (月)

アンドラーシュ・シフ「バッハのパルティータ

Shiff アンドラーシュ・シフというピアニストの実演を聴いたのは20年も前になる。このCDの録音は、それより前になるが、CDで聴くのと、ピアノの音があまりに違うので驚いた記憶がある。録音の音は残響が豊か過ぎてピアノの音の芯が隠れてフワフワな感じだった。しかし、実際に聴いた音はデッドで輪郭のはっきりした音だったような気がする。

とはいえ、CDで録音されたものは、それはそれでひとつの作品(商品)として聴いているので、この音で、演奏が録音されたのは、それなりの理由があるはずで、その意図が明らかであれば、それはそれで尊重すべきことと思う。

さて、この録音で感じられる演奏の特徴はシフというピアニストの装飾の捉え方だ。バッハの時代には、現在のようなピアノという楽器はなかった。鍵盤楽器でピアノに近いものとしてはクラヴィコードとかチェンバロというような楽器が主流だったらしい。それらとピアノとの大きな違いは、それらがピアノのような豊穣な響きを持っていなかったことだ。ピアノもそうだが、鍵盤楽器は弦をはじくか、叩くかして音をだすので、その音は単発的になる。弦楽器や管楽器のような連続した音は出せない。だから、メロディを弾いても音の連続で歌わせるようなことはできない。それでもピアノは音の残響が豊かなため、前の音の残響が残るうちに次の音を響かすことにより、あたかも音が続いているかのように響かすことができる。しかし、チェンバロのような弦を引っ掛けて音を出す、しかも残響をあまり響かせられない楽器では、それができない。そこで、ピアノならば残響で響かすようなところで、より多くの数の音を出すことでその穴を埋めようとする。その埋め方が装飾音という手法をとることになる。だから、バッハの鍵盤楽器のための曲をピアノで弾こうとするとき、このようなピアノとチェンバロとの基本的な音の出方の違いがあるため、これをピアノでそのまま弾くことについては、難しい点がある。

例えば、グレン・グールドはピアノの残響を抑えてピッチカートでひとつひとつの音を軽快に、そして独立性を持たせて、あたかもチェンバロで弾いているかのような弾き方をする。

ここで、シフの特徴に戻る。このバッハのパルティータも、チェンバロで弾かれることを前提にして装飾音が沢山ある。それを例えば、グレン・グールドが弾くようにチェンバロのようにピアノを弾くようなことをしない。シフはピアノの豊穣な響きをもって弾く。それでは響かない穴を埋めるための装飾は必要ないのではないか、と思うかもしれない。実際、グレン・グールドはメインとなるメロディの部分と響かない穴を埋めるための装飾の部分をはっきり分けて弾く。メロディの部分を際立たせて、装飾の部分をメロディの部分に従属させる。このような役割分担をはっきりさせる。これに対して、シフはこのような主従の明確な区分をしない。メロディと装飾の区別をシフはしない。そうすると、どうなるのか。演奏全体が装飾的なものとなるのだ。そのとき、CDで録音された芯のないフワフワした軽快な音が意味を持ってくるのだ。芯のある音で弾かれれば音の形であるメロディが重要になるのだが、軽快でフワフワした音でパラパラと細かな音が装飾ともメロディともとられず動きまわる。これが、シフのパルティータの醍醐味といえる。元来が舞曲の集まりであるパルティータでは、メロディを聴き込むというよりは、細かな音が軽快に動くことで生み出される複雑なリズムが演奏に軽快な躍動感を与えている。さらに、全部が装飾的に演奏されることで、聴く者がメロディやリズムを自由に捕らえられるという闊達さを生み出している。演奏のどの部分がメロディの主部でどの部分が装飾なのかは聴く人が自由に解釈できるというわけ。

また、さらに、ここからがシフの真骨頂であるが、ここで様々な工夫をこらす。その典型的な例が、第1番の終曲のジーグ。くるくると回るように音形を繰り返していくリズミカルな小曲だが、二つの音が上下の動きを繰り返すのだが、まるで左手と右手が交互に掛け合いをするかのように、アクセントの動きをずらしたり、タッチを変えてみせたりして効果を多種多様に聴かせることによって、単純な繰り返しがポリフォニックにすら聴こえるし、リズムが単純に拍子を刻むのではなく、生き生きと動きまわる様に聴こえてくる。このような軽快な生き生きとしたところがシフのパルティータの最大の魅力ではないだろうか。

ただし、シフのこのようなアプローチには向き不向きがある。このバッハのパルティータは成功した事例だけれど、反対にスカルラッティのソナタ集では、装飾音とメロディの区別がないことが、逆に装飾音がメロディの片棒をかつがされることになり、本来なら軽快であるべきはずの装飾音にメロディのような意味づけが為されることになり、重苦しくなってしまって、スカルラッティのソナタの魅力であるダイナミックな動きが止まってしまっていた。

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