マリア・ジョアオ・ピリス「モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番」
以前は、クラシック音楽好きの友人とブラインドテストをよくやった。音楽は感性で聴くべきとかいう人がいるけれど、特にクラシック音楽の場合、誰が演奏しているとか、伝記的な事実である事情のもとで演奏されたとかいうような、言葉の情報から一種の先入観を作って音楽を聴いている。たぶん、こっちのほうが日常的だ。人間の感覚とは、もともとそういうところがある。そこで、あらかじめ何を聴くかを伏せたうえでCDをかけて、その演奏の印象を語るという遊びだ。演奏者を当てるクイズにしてもいい。それで、その異様さに気がついたのだった。
モーツァルトのトルコ行進曲はポピュラーな名曲として、耳にしたことのある人も多いと思う。マリア・ジョアオ・ピリスが1970年に録音したモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番の第3楽章。有名なトルコ行進曲。後年、1990年に再録音しているが、その時の演奏時間は役3分半、それを、このときは約5分半と2分ちかく遅く弾いている。他のピアニストも、おおむね3分半前後で弾いているので、いかにテンポが遅いかが分かるだろう。テンポが異常に遅いと、行進曲というような感じはしなくなる。しかも、若いピリスは淡々と弾いていく。他のピアニストは軽快なテンポで疾走し、いくつかの盛り上がりの場で高揚した気分にもって行き、最後に大団円というかたちで盛り上がりの中で壮快に終わる。しかし、ピリスは淡々として強弱を抑制する。盛り上げることをしない。それを、意図的に抑えているのが分かるような弾き方をしているから、じっと盛り上がりを抑えているようにかんじるため、いつか爆発させるのではないだろうかという期待を抱かせられるのだが、最後まで、それは裏切られる。しかも、異常に遅いテンポで弾かれるのを追いかけていくうちに、だんだん重苦しさがつのってくる。
これは、ピリスが感じたモーツァルトなのかもしれないが、一般に軽快な名曲と思われているこの曲に、このような重苦しい要素もあるという特異な演奏だと思う。
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