クララ・ハスキルのピアノ、イーゴリ・マルケヴィチ指揮コンール・ラ・ムルー「モーツァルトのピアノ協奏曲第20番」
吉田秀和の「世界のピアニスト」なんかを読んで、ハスキルというピアニストは、センスがよくて優美で繊細な演奏をするような印象がありました。で、この録音は「レコード芸術」のような雑誌が何年かごとに繰り返す名盤のリストアップで常連になっているので…、ある種の先入観をもって聴きましたが。
吉田秀和や評論家の先生がたと私とでは、耳が違うようですね。このハスキルという人、バリバリ弾ききってます。優美なモーツァルト?全力でキーを叩いてます。伴奏も負けていません。で、モーツァルトでバトルしてます。
とにかく第一楽章のノッケから緊張感ビンビンです。オケが煽ってます。出だしの弦楽器の低音のうごきがくっきりと聞こえて、不気味な何者か(おぞましいもの)が近づいてくる足音のようです。その低音の動きを断ち切るように弦楽のトゥッティが剃刀のような切れ味で、それらがだんだん音量が増してきて、オケのトゥッティで最初のクライマックスは爆発するようです。何か切羽詰った尋常でないものが始まったという感じです。血も涙もない恐ろしさのようなもの、ベートーヴェンの運命交響曲の冒頭(といっても第二主題に救いの兆候があるのですが、ここにはそれもない)そこで一旦音量が減退し、ピアノが入ってきてテーマを歌わせると、転調するように曲調がかわり速度があがり、冒頭の緊張しきったテーマをオケとピアノが競うように演る。ここで、ハスキルのピアノは最初の入りとは打って変わってバリバリに弾きまくりで思いっ切り打鍵してます。優美さとは正反対の尖った音で。それは憑かれたような弾きぶりです。そこから聴こえてくるのは、この曲が後のベートーヴェンでもロマン派で作れなかったデモーニッシユな世界です。モーツァルトだって、他に短調のピアノ協奏曲や交響曲を作っていますが、これほど救いようもないというか、異常な緊張感の高い曲はないと思います。それを、この人たちはそのように演奏している。
だから第二楽章も、有名なメロディが歌われますが、その後の第三楽章の影が近づいてくるのにおびえる時間でしかないように聴こえます。そして、第三楽章で、他のピアノ協奏曲なら舞曲や能天気にロンドで明るく終わるようなことをせず、第一楽章に輪をかけて、しかもスピードアップして競い合うように、まるで奈落に向かってまっしぐらに駆け落ちるように弾いてます。オケと相俟ってあたかも阿鼻叫喚のような。
最後に注意というか希望です。このようにこの曲を聴きたいと思った方は、なるべく安いステレオ装置でボリュームを上げて聴いてください。それか、携帯プレーヤーのような貧弱な再生装置でガンガンボリュームを上げて聴いてみてください。できるだけ尖った音で聴くと、突き刺さってくるような迫力が感じることができます。
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