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2010年9月 1日 (水)

イーヴォ・ポゴレリチ「ショパン・リサイタル」

Chopin_2 何十年も前の若いころのポゴレリチの実演をサントリーホールで聴いたことがある。手垢のついた言葉になってしまったが、衝撃的だった。息を呑むというか、知らず知らずのうちに、一音たりとも聴き逃すまいというような異様な緊張感にホール全体が包まれてしまって、曲がピアニッシモで消え入るように終わっても、しばらくの間、客席の緊張感が解かれず、誰かがプログラムを落とした“バサッ!”という物音が静寂のホールに響き渡り、その音で漸く我に返り、気がついたように拍手が散発的に起こる。というようなコンサートでした。そのとき弾かれたようなピアノの響きはCDの録音には収まりきれない。

比較的、実演の響きを彷彿とさせるもののひとつが、この録音。

例えば、最初の曲、第2番のピアノ・ソナタ、いわゆる葬送行進曲つきのソナタ。冒頭の和音から始まるところ。他のピアニストなら一気呵成にバァーン!と鍵盤を強打するのだが、彼は和音がひとつひとつの音に分解されたように弾く。いくつかの鍵盤を一気に弾くと複数の鍵盤の音が混ざり合ってハーモニーを作り出すのだが、この冒頭を彼はその和音のひとつひとつが分かるように弾く。そして、その後の展開で、それぞれの音が別々の音色、ニュアンスで別々に響いていくように聞かせる。それは、あたかも線香花火が一つの火の玉から四方八方に様々なかたちの花火の火花が枝葉のように広がる様を思わせる。実は、一緒に弾けば交じり合ってしまうようなものを、別々に響くように弾くというのは大変難しいことなのだ。そのためには、ひとつひとつの音の響きを完璧にコントロールしなければならない。そのあと、タタン、タタン、という節のテーマが出てくる。実は、このテーマは2つの音で構成されているため、メロディとしてなかなか歌わせにくい。それで、多くのピアニストは何とか歌わせようと音がつながるように工夫をこらすのだが、彼は即物的に弾いてしまう。聴く人は節が歌わないので、感情移入とかがしにくく、宙ぶらりんにされてしまうのだが…。実は、これは、このソナタの終楽章の不定形の通常のメロディの形を為さない音の連続としか言いようのない短い楽章に、遥かにつながっている、というのを彼の演奏で初めて分かったのだが…、ということは、葬送行進曲で有名なこの曲の底流には一般的に感情移入を拒むようなメロディともいえないような音の繋がりがベースとなっていることになる。この意味不明な2つの音のつながりを、ひとつひとつの音があたかも繋がりを欠いたかのように、それぞれの音を独立の存在のように、そして、それぞれの響きを多彩のバリエィションをかけて弾く。そして、以降、このテーマが繰り返されるたびに、絶対に同じ響きでは繰り返さない。そうなると、この演奏を聴く者は、後から後から繰り返されるテーマの響きに耳を澄ますことなしにはいられなくなる。2音という数少ない音で構成されているから、一音たりとも聴き逃せない、と我知らず集中を高めざるをえない。この曲は30分弱の長さだけれど、このような緊張感をもって、30分も付き合わされることになるのだ。いや、彼の演奏にはまってしまうと、これほど魅き込まれるような演奏はないということになってしまう。

典型的な例は、夜想曲op55-2の演奏で、極端に遅いテンポで弾かれるノクターンだが、他のピアニストのようにメロディを情緒纏綿と歌わせることはしない。しかし、このテンポでなければ、この曲が対位法てきな構造をしていることや、さらに独立した音の響きを耳が追いかけられない。そして、最後に、メロディとはいえない、単独の音が同じ高さで5音弾かれるのを聴いてほしい。そこで弾かれる5つの音の異なった響きにポゴレリチのショパンの魅力が集約されている。

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