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2010年9月 5日 (日)

小川紘一「国際標準化と事業戦略」(2)

国際標準化とは多くの国の人人々が低コストで自由に自由に利用できるようにすることを目的としている。デジタルとは誰でも簡単にコピーすることを意味する。また、デジタル技術の介在とは製品のアーキテクチャーが瞬時にモジュールに転換することを意味し、技術蓄積の少ない新興諸国企業であっても短期間で市場参入が可能になる。いわゆる取引コストの非常に低い市場が、国際標準化とデジタル化の重畳によって21世紀のグローバル市場に出現した。これは1980年代には全く想像できなかった10~50倍の巨大市場が国際標準化によって瞬時に生まれることになった。本書は、これをパソコン、デジタルカメラ、DVD、携帯電話で実証してみせる。

例えば、デジタルカメラは銀塩フィルム・カメラが70年以上の歳月をかけて作った市場を、わずか7年で追い越してしまったのは、国際標準化の作用であるという。そのプロセスは、もともと、製品開発や設計とは、個別の要素技術を製造システム1つひとつの工程に分散カプセルする一連の行為であるが、同時に複雑に絡み合った技術の相互依存性を排除して基幹部品相互の結合公差を拡大させ、技術モジュール(部品や材料)の単純組み合わせだけで完成品(セット)を量産できるにする一連の行為と言える。相互依存性を可能な限り少なくする技術の開発によって、組立工程のそれぞれが守るべき製造公差が決められる。たとえ複雑な製造工程であっても決められた公差さえ守れば他の工程のことを全く考える必要はなくなるという意味で、オープン化が可能になる。工程操作に必要な擦り合わせノウハウが製造公差として実現されれば、複雑な製造工程が公差の範囲で組み合わせ型となるためである。

銀塩フィルム・カメラのようなアナログ型の製品なら公差を広く取れないので熟練の工員が必要となる。一般にこの公差は企業の内部に封じ込められた社内規格であり、たとえばノウハウが擦り込まれた作業手順書などとなって厳格に企業内で管理され、決して公開されることはない。一方、国際標準化とは、製品を校正する基幹部品インターフェイスとその結合公差をすべてグローバル市場へオープン化することである。公差が非常に狭いアナログ型なら、たとえオープン化されても強力な生産技術部門と熟練の作業員が必須であると言う意味で、設計者が同じ場所にいて自由に情報共有のできる垂直統合型の企業だけが、歩留まりよく低コストで量産できた。このケースで日本企業が圧倒的に強かったのである。

一方、デジタルカメラ、カメラつき携帯電話やDVDなどのデジタル型の製品なら技術モジュール相互の結合公差が非常に広いので、公差が国際標準化によってオープン化されるのであれば、熟練の工員を全く必要とせずに誰でも完成品のビジネスに参加することができる。これが設計と製造の分離であり、フルセット垂直統合型か経済合理性を失う。グローバル市場に巨大な分業構造としてのオープン・サプライ・チェーンが生まれる背景がここにあった。

このように国際標準化が進めば、それぞれの部品で設計情報の擦り合わせ調整コストや製造コスト、調達コストなどがすべて劇的に下がる。これに伴い低価格の製品が大量に市場に供給されることにより、新興国を中心に新たな市場が開拓され、市場規模が10~50倍に広がる。そうなると、水平分業化の方が規模の経済の恩恵を遥かに大きく享受する。しかも、国際標準化の時代を象徴するパテント・プールやクロス・ライセンスが特許の持つ力を非常に弱める知財環境を生み出したと言う意味で、国際標準化は取引コストが極めて低い規模の経済をグローバルな巨大市場へ拡大するのと同義語となった。

もしも、この場合でもフルセット垂直統合型をとるのであれば、規模の経済が社内だけに留まるのでコストが相対的に高くなって価格競争に勝てない。その上でさらに内部調達コストとしてのオーバーヘッドが相対的に大きくなって高コスト構造から逃れられないので、ここからフルセット垂直統合型の企業形態が経済合理性を失う。圧倒的な技術力を持って国際標準化を主導しても大量普及のステージになると日本企業が勝てない理由がここにあったのである。

この項、つづく。

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