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2010年9月 2日 (木)

グレン・グールド「ブラームス間奏曲集」

Gould 右のレコードジャケット(もう死語となっているのだろうけれど、時代としてはLPレコードでこれを聴いた世代は、CDなどと比べて大判のジャケットを見ながら聴いたものだ)が、この演奏の印象を端的に表現している。これは、音楽の内容とジャケットが連動してイメージを補い合うというレコードそのものを独立した作品として成り立たしめている稀有の例だと思う。この画像のセピア色がかったくすんだ中にノスタルジックな感傷が垣間見えて、白皙の若い男性(演奏者であるグレン・グールド本人)が俯きがちに目を落として憂いの表情で佇んでいる。ほんの少し不健康な頽廃の臭いが漂っている。

ブラームス晩年のピアノ小品集からグレン・グールドがとくに選んだ曲を作品番号によらず、並べて聴かせる。実は、ブラームスという作曲家の作品は交響曲や協奏曲、室内楽、歌曲、そしてピアノ曲と多岐に亘っているが、がっちりと作られていて、クソ真面目、いかにも教養あるクラシック音楽というような第一印象を受け易い。だから、ポピュラー名曲には恵まれていないが、真面目なクラシックファン(以前はゴリゴリのドイツ音楽マニアで高級な音楽とか言い出す御仁)の支持が高かった。そのブラームスが、伝記的には、晩年近く、ほとんどの作品を作り尽くし創作力の衰えを自覚しながら、老境の寂寥感の中で、コツコツとつくった曲集ということになる。トーマス・マンの「ベニスに死す」のモデルが晩年のブラームスと言われているが、まさにそのような条件のなかで、もはや他人のためでなく自分のことを綴るようにつくった曲だといわれている。

その特徴として、規模が小さく、曲が短く、声部も少なく、ブラームスにしてはメロディがむき出しでシンプルに作られているとかCDの解説などには書かれている。

で、実際に聴いてみる。最初の曲、変ホ長調作品117-1。のっけから右手でメロディが弾かれる、どちらかと言うと素朴な感じだ。音の数が少なく、どこかたどたどしい感じがする。これを左手の和音だけで伴奏しているというきわめて単純な曲。これをグールドを極めてゆっくりと弾く。思いっ切りレガートをかけて。そして、左手の和音の音を少しずらして弾く。沢山ずらすと分散和音(いわゆるアルペジオだ)になってしまうが、そこまでは派手にやらない。そうすると、和音の中の音が分けて聞こえる。通常は和音で溶け合って聞こえない音が聞こえてくる。そこで聞こえてくる音は、実はブラームスはコード進行が独特で3つの音で構成される和音の進行で、3つの音のうち上と下の音を動かさずに真中の音だけを動かすことをよくやる。それはなぜか。上と下の音が同じ高さで弾かれると和音が変ったことがはっきり分からない。しかし、真中の音が変っているので、微妙に変ったか変らないか分からないように聞こえる。その微妙な感じがする効果をブラームスはよく、隠し味のように使う。これは、ロマンチックと言われるような心の微妙な移ろいを音楽でも表現するできるように考えたもののようだ。それが、グールドの演奏では露わになって浮き上がる。何かブラームスの内心を覗き込みかのようなのだが、それがジャケット写真に映るピアニストの若さ故なのだろう。それは、ブラームスが表現者としての止むに止まれぬ表現衝動を、細心の技法を駆使して隠してきたのを白日に曝すわけだ。そこには隠されたものを暴露するタブーに触れるような背徳の味もある。

そして、さらに、和音を崩すことによって、他のピアニストはきっちり和音を弾いているので比べて欲しいが、和音が演奏のリズムを形成し、シンプルな曲ではあるけれど、キッチリつくってある堅牢な感じを形作っている。さすが、ブラームス、小品といえど手を抜かず、真面目なクラシック作品だというわけだ。しかし、グールドは和音を崩す。これによって、さっき言ったように隠された内心の動きを明らかにする。そして、さらに、和音により刻まれるリズムが崩れだす。するとどうだろう。真面目で堅牢だった曲のつくりが崩れだす。そう、聴く者に崩壊感覚を与えるのだ。隠された内心が明らかにされ、曲が崩壊しだす。逆算すると、ブラームスの表現者としての衝動は実は曲という枠組みの中に押えきれないほど強烈で、それを無理やり押さえ込むため堅牢な形式で固めたのではないかと思えてくる。シューマンやシューベルトといった他のロマン派がそうだったようにブラームスも自らのうちにデーモンを抱え込んで、それに振り回されていたのではないか。ご存知ないかもしれないが、彼らの音楽には交響曲とかいうような形式に収まりきれない過剰さがある。ブラームスにも、実はそれがあった。それも、死を間近に控えた時に。それが、グールドのたった数分の演奏で表われてくるのだ。そう、崩壊感覚が作曲家の心の鎧を崩壊させていくようなのだ。それは、一面では甘美であり、一面ではいけないこと。最初に戻るが、それがジャケットの写真のどこか感傷的で退廃的な感じに通じている。

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