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2010年10月16日 (土)

イム・ドンヒュク「バッハのゴルドベルク変奏曲」

Hyek この人の演奏の印象は、ショパンのようにバッハを弾いている、というように思いました。例えば、第1変奏。アリアの次に出てくる曲です。(毎回、この第1変装を取り上げていますね。別に意識しているわけではないのですが、結果的に偏愛しているのが、分りました)アリアから変奏の冒頭の節が斬り込むように入ってきて、ひと通り演奏されたあと、その節が繰り返されるときに、この人はタッチを変えて柔らかく演奏されます。これは、まるで、ショパンが切り詰めたような凝縮したような小さな曲で、単純な構造の中で、同じ節を絶対に同じ形のままでは繰り返させないのを想い起こさせます。ショパンの曲をピアニストは、それに沿うように多彩なタッチや音色を駆使して、節を繰り返すときの違わせ方を引き立たせます。このような繰り返しのバリエーションというやり方で、この人は第1変奏を演奏して見せます。グールドの場合は、同じ変奏の中での変化を際立たせるようなことはしません。これは、二人のアプローチの方向性が全く異なっているからと思います。この人の場合には、ゴルドベルク変奏曲の各変奏のひとつひとつ単独に完結してようです。まるで、それはショパンの小曲のようです。だから、ひとつの変奏の中で変化をつけるし、ひとつの変奏のなかで強弱をつけ、時にはうねりを与えます。これに対して、グールドの場合にはゴルドベルク変奏曲の全体の構成が第一で、各変奏はアリアに対しての変奏という関係で、その変奏の順番まで熟慮された末で構成されていると言えます。各変奏はあくまで全体を構成するパーツと言えます。だから、人によってはグールドの新盤は作為が目立つとかあそびがないという印象を持つ人もいます。しかし、グールドの演奏には推進力というか活き活きとしたリズムに支えられているため、息が詰まるようなことにはなっていないと思います。これに対して、この人の場合は、各変奏が独立し、完結した世界をかたちづくっているといえます。しかし、グールドに比べて全体を見渡す視線は薄く、相前後する、変奏のつながりは考慮されているようですが、どこか散漫な印象は拭えません。グールドの演奏を聴いていると、全体がなんとなく記憶に残っていて、演奏にあわせて口すさむことも可能です。しかし、この人の演奏は、そのように覚えてしまうことはできません。だから、あまりそういうことを考えないで、次から次へと表れてくる変奏をその都度楽しむという聴き方をすると、即興性もあるし、楽しいと思います。

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