無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(13) | トップページ | 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(15) »

2010年10月 4日 (月)

楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(14)

前回に続いて、第四章です。第三章に比べて、短いと思われるかもしれませんが、原則として一番いいところは実際に読んでもらうこととしているので、あえて触れていません。この章と次の章が核心部分で、実際に読んでもらいたい部分がたくさんあります。それでは、お楽しみください。

コンセプトは、顧客の喜ぶ姿が映画のシーンのように浮かび上がってくるような言葉でなくてはならなりません。そのためには、そもそも誰を喜ばせるか、価値を提供するターゲットをはっきりさせる必要があります。ここまでなら、戦略やマーケッティングの教科書で繰り返し指摘されていることですしか、ストーリーの起爆剤となるようなユニークなコンセプトを構想するためには、もう一歩踏み込むことが大切です。「誰に嫌われるか」をはっきりさせる、これがコンセプトの構想にとって大切なことの二つ目です。ターゲット顧客から徹頭徹尾喜ばれるということは、ターゲットから外れる顧客にはっきりと嫌われるということです。人間でも同じです。誰かに非常に愛されている人は、誰かから嫌われているものです。誰からも好かれている人というのは、本当のところは誰からも好かれていないのかもしれません。誰に嫌われるかを意図する。これが筋の良いコンセプトを描くための最も効果的な入り口であるというのが私の考えです。

ビジネスであれば「誰に嫌われたいか」をこちら側で定義できます。誰からも愛されようと思うと、ストーリーに無理が生じて、筋の良い因果論理が損なわれ、一貫性が失われます。それを聞いたとたんに「えっ?そんなの僕はいやだね…」と言いそうな人々がはっきりと思い浮かぶ言葉のほうが、コンセプトとしてはむしろ筋が良いといえます。(もちろん、全員が嫌いそうなコンセプトは論外ですが)。そもそも、本当に全員からこのうえなく愛されてしまうと、独占禁止法に抵触してしまいます。これは半ば冗談ですが、コンセプトの構想にとって八方美人は禁物だということです。八方美人に陥らず、誰かにきちんと嫌われるためには、あからさまに肯定的な形容詞をなるべく使わずにコンセプトを表現することが大切です。顧客価値を定義するというと、どうしても「最高の品質」とか「顧客満足の追求」とか、それ自体で肯定的な意味合いを持つ形容詞を使いたくなります。しかし、そういってしまうと、誰かに嫌われるかがはっきりしなくなります。「最高の品質」はそれ自体であからさまに「良いこと」なので、よっぽどのひねくれ者でない限り、誰にとっても好ましいことでしょう。ということは、本当のところ誰が喜ぶかがぼやけてしまうということです。しかも肯定的な形容詞でコンセプトを片づけてしまうと、そのとたんに思考停止に陥りがちです。結果的に品質が最高になったり、サービスがきめ細かくなったりするのは、もちろん良いことです。しかし、ストーリーを語り起こす起点にいきなり肯定的な形容詞が出てきてしまうと、それに続くストーリーが「よし、頑張ろう…」という短い話で終わってしまいます。

これまで繰り返し強調してきたように、戦略ストーリーは「長い話」でなくてはなりません。ひとたびストーリーを固めれば、未来永劫とはいきませんが、向こう10年、15年、できたら20年ぐらいは、同じストーリーで長期利益を獲得できるというのが理想です。ストーリーは時流に合わせてころころ変えるものではありません。ストーリーの寿命は、外的な機会が機会として存続する期間よりも、ずっと長くなければいけないのです。できるだけ長いストーリーをつくるためにも、人間の変わらない本性を捉えたコンセプトが大切になります。事業を取り巻く環境や機会は常に変化するものです。絶えず変化していく環境や機会の表層を追いかけ回してしまうと、結局のところ目が回るだけで、筋の良いストーリーは生まれません。だから、「変わらないもの」としての人間の本性を捉えたコンセプトが必要なのです。

人間の本性を見つめる。それは「マーケティング調査をして顧客のニーズを知りましょう」という話とはまるで異なります。顧客のことを知悉しなければコンセプトは生まれませんが、だからといって顧客の声をいくら聞いても、人間の本性を捉えたコンセプトにはなりません。顧客はそもそも「消費すること」「買うこと」にしか責任がないからです。責任のない人に過剰な期待を寄せるのは禁物です。

要するにコンセプトは、自分の頭で深くじっくりと考えるしかないのです。どんなに投資をしても、自分の頭を使わなければコンセプトは構想できません。流行の画期的な技術やそのとき華々しく成長している市場セグメント、今そこにいる顧客の声、こうした「外部の事情」に惑わされてはなりません。人間の変わらない本性を見つめるためには、そのような表面的な誘惑や情報の洪水を意識的に遮断することがむしろ大切です。人間の本性を捉えた骨太のコンセプトをつくるためには、その製品やサービスを本当に必要とするのは誰か、どのように利用し、なぜ喜び、なぜ満足を感じるのか、こうした顧客価値の細部についてのリアリティを突き詰めることが何よりも大切です。繰り返しお話してきたように、特に大切なのは「なぜ」についてのリアリティです。グーグルで広範な情報を検索し、引っかかった情報をいくら深掘りしたところで、顧客価値についてのリアリティのある「なぜ」を手に入れることはできません。およそあらゆる人にとって、一番リアリティのある「なぜ」は自分自身の生活や仕事の中にあるはずです。自分自身ほどリアリティを持って理解できる「顧客」は他にはありません。皆さんもご自身でモノやサービスを消費する状況を思い浮かべてください。なぜそれにお金を払うのか、なぜ自分がそれに価値を感じるのか、無理して肩肘張らなくても、改めて振り返ってみればきわめてリアリティに満ちた「なぜ」が自然と思い当たるはずです。消費財ではなくても話は同じです。ちょっとした便利さや価値、不便や不満は仕事の中で毎日のように感じたり、発見しているはずです。ごく日常の生活や仕事の中で、嬉しかったこと、面白いと思ったこと、不便を感じたこと、頭にきたこと、疑問に思ったこと、そうしたちょっとした引っかかりをやり過ごさず、その背後にある「なぜ」を考えることを習慣にする。回り道のように見えて、これがコンセプトを構想するための最上にして最短の道だというのが私の意見です。どんなに画期的なコンセプトも、発想の初めの一歩はそうした日々の習慣の積み重ねの中から生まれるものだと私は思っています。

« 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(13) | トップページ | 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(15) »

ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(14):

« 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(13) | トップページ | 楠木建「ストーリーとしての競争戦略」(15) »