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2010年10月13日 (水)

松宮秀治「ミュージアムの思想」(2)

第1章 コレクションの制度化

さて、さっそくコレクションです。著者は、ミュージアムに先立つものとして、16~17世紀の皇帝王侯たちのコレクション「クンストカンマー」とミュージアムには連続性が見られるといいます。それについては議論がありますが、まずは、なぜクンストカンマーなるものが始まったかを考えていきます。

西欧の王侯たちの起源は中世まで遡ることができます。中世初期には王権の正統性は教皇に保障されていました。そのため、絶えず教皇からの介入を受けていたため、王権の教皇からの独立が求められていきました。著者は触れていませんが、中世以降のヨーロッパは統一的な帝国というものが出現しませんでした。古代には、ローマ帝国によるパクスロマーナによる統一的な支配がありました。そしてローマ教会はそのローマ帝国の皇帝の庇護の下で、ヨーロッパ世界で普遍宗教であったわけです。しかし、ローマ帝国によるヨーロッパの支配は終焉を迎え、中世は諸侯の林立した、バラバラな地域支配の時代となりました。しかし、キリスト教会はローマ帝国の庇護を離れてヨーロッパ世界に広がっていました。そこで、キリスト教会によるヨーロッパ全体への精神的な支配と諸侯による地域ごとの政治的支配の二元的な支配体制が出現したわけです。形式的には、諸侯はヨーロッパ全体を精神的に、諸侯が現われる以前から支配していた教会から認められることにより、諸侯は王としての正統性を得ていたわけです。神聖ローマ帝国という中世の歴史に現われる「帝国」はそういう諸侯の集まりだったといえます。ここで神聖ローマ帝国と古代のローマ帝国とは実体が全く違います。神聖ローマ帝国の「帝国」は古代ローマのような実体的支配はなく、教会による精神的な支配に裏打ちされたものだったのです。だから、ここでの「帝国」は理念のようなものだったと言えます。実体としての支配は、神聖ローマ皇帝は選帝侯による選挙で決められ、実際には選帝侯たち相互の牽制により、名目的な皇帝の域を出ない弱小で影響力の少ない領主が選ばれていたとうわけです。そこで、選ばれていたのがハプスブルク家の君主でした。したがって、彼らは実体的に支配をする実力は持ち合わすことができず、皇帝としての地位は安定なものだったと考えられます。そこで、彼らは、プロパガンダにより人々の意識を変化させるためプロパガンダに力を注ぎます。その際、「帝国」としての理念が持ち出され、皇帝像による視覚的イメージを広げたり、祝祭により皇帝の権威を宣伝したりするわけです。いわば「政治の視覚化」です。その際の皇帝のイメージは、中世初期の領主たちがキリスト教のために“戦う”というイメージから、“戦わない王”を経て“文芸を愛する王”へと変容していきます。強大な武力をもたず、いわば理念の「帝国」の支配者である皇帝には観念上の支配者、“戦わない”というイメージが当てはまります。一方で、弱小なハプスプルグ家にとって財力を高め、力をつけていくためには、有力な家門との婚姻が最も有効な手段だったといえます。そのためにも、家系を捏造し、この捏造された家系の裏付けとなるための歴史物を主としたコレクションを盛んに進めました。

そして、カール5世のときに、度重なる婚姻政策の結果、ヨーロッパの各君主の財産を相続したことにより、イギリス、フランスを除いた大半の領土を所有することとなりました。それまで観念にすぎなかった「帝国」が出現してしまったというわけです。そこで、「帝国」の理念が変容しはじめます。それまで、有力ではあるが地域の君主であったフランスやイギリスが、王権の権力基盤や経済の伸長というような実体的な力を蓄えるだけでなく、王権の権威を高めるというようなハプスブルグ家の君主と同じような政策を取り始めます。このことにより、かれらは封建領主から絶対主義的君主への変容を始めることになります。一方、当のハプスブルグ家の方でも、王権の正当な継承者から世界の支配者へと求めるイメージが変容していきます。これに伴って、コレクションの内容が歴史的物品蒐集から全世界の自然物、人工物の蒐集へと対象を広げ、より攻撃的に「帝国主義」的になっていくのです。

話は変わって、著者はコレクションには根底に「攻撃性」「破壊性」があると言います。元来、蒐集という行為には、一種の狂気を含んだものであり、欲望、快楽、制服、支配の情熱を内包していると言います。これを制度化して社会化していったのがミュージアムという制度なのだといいます。とりわけ、蒐集を社会化してコレクション化することにより大きな威力を発するのは、単にものを集める行為から、ものに意味を与える行為となる。いいかえれば新しい象徴体系の構築、新しい神話の創出につながるのです。

以上が第1章ということになりますが、ここまでなら、日本にも同じようなことがあったのではないか、思ってしまいます。例えば、南北朝時代の後醍醐天皇は財力、武力よりも権威に頼ったのではなかったのか、その成果として北畠親房の神皇正統記が生まれたのではなかったのか。そして、戦国を終わらせ全国を統一した豊臣秀吉の政治行為のスペクタクル化といもいうべき北野の大茶会や大規模な建築工事などは、ほとんど同じようなものではないかと思う。ヨーロッパに特有なのかというと少しだけ、茶々を入れたくなります。

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