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2010年10月18日 (月)

松宮秀治「ミュージアムの思想」(7)

4.保存の思想・排除の思想

新しい「芸術」の思想に裏打ちされた「美術館」は芸術の殿堂として、それに値する作品を選別することになります。ところが、ヴィンケルマンの次の世代となるヘルダー等のロマン派はこの「選別」を逆転させてしまいます。この逆転とは、美術館に収めるべき作品の選別でなく、そこに入館するひとを「選別」せよという、いうならば「俗物」排除論である。当時のドイツの政治的状況下では、彼らの期待した「美術館」とは、君主を「啓蒙」し、その恩恵に浴すというものであって、ルーブル美術館のような一足飛びの革命型のものでなかった、著者は言います。

そこで、ルーブル美術館に話題が移ります。いまのルーブル美術館はフランス革命の中化から生まれてきたものなのです。フランス革命のプロセスはブルボン王朝によるアンシャンレジームの政治的枠組みを破壊し、新しい政治的権威、政治文化を構築していく過程といえます。その新しい中心が「国民」であり、政治文化が「国民の歴史」だったと著者はいいます。つまり、“「国民」とは、まさしくフランス革命が創出した政治的産物であって、それまでのヨーロッパのいかなる政治伝統も知らなかったものである。「国民」を創出するとは、王政の政治伝統の中で「臣民」と位置づけられていたものを新たな政治文化の枠組みの中で「主権者」として、教会の政治文化の枠組みの中で「信徒」として位置づけられていたものを「自由民」として再鋳造していくことである。”具体的に政治的制度の面では、憲法、議会、司法、選挙、貨幣、度量衡などの新制度の導入になり、文化的には同一の政治言語、儀式、図像などを通じて新しい「伝統」を創出していくことつまり「国民の歴史」を新たに打ち立てていくことになります。この新しい伝統の創出とは、新しい象徴体系の創出であるが、フランス革命ほど徹底して、この象徴的枠組みの形成に熱意を示した時代や国民は他になかったといえる。それはフランス革命が、「芸術」を教化的な機能として社会化する政治手手法に最も敏感であったことに原因があり、これは政治手法として、アンシャンレジームのとった視覚の政治化と同種のものです。その大きな違いは次の点にあると言えます。“それは絶対主義王政が「宮廷祝祭」と「クンストカンマー」「ヴァンダーカンマー」によって、王権の神話的な権威創出していったのに対して、フランス革命は「革命祭典」と「ミュージアム」によって、王権の神話的な権威を破壊し、新しい「国民の歴史」の神話を創出したということである。現在では「一国史」のナショナリズムのイデオロギー性は十分に自覚されているのであるが、フランス革命のミュージアムの思想と政策が、ナショナリズム思想だけでなく、帝国主義的な思想も同時に発展させていることにも注意がはらわれなくてはならない。”

さて、このような中でルーブル美術館はルノワールという人物を中心に革命のミュージアムとして成立するわけです。ここでの歴史的記念物の蒐集は、「文化財」という新しい思想の出発点をなすもので、さらに「保存」という思想の出発点にもなったと筆者はいいます。少し前のドイツの芸術思想に基づくコレクションでの保存は、対象その物の価値よりも主観的な「教養財」としての価値と一種のエリート主義からきて俗物を排除するものでありました。これに対して、フランス革命の結果をふまえた文化財は、「国民」化されたものなら誰もが、そこに自己のアイデンティティを発見しうるような象徴的財となり、またその象徴的枠組み自体が「国民」を形成していくための「客観的」で具体的なものになっていくものでした。つまり、「文化財」とは、観念ではなく、具体的なものによって、ある一定範囲の人間のアイデンティティの確認を保証するものとして、必要期間「保存」されることが第一命題となる「もの」なのです。このような文化財が自律的価値をもってくると、文化財と芸術との区分が困難となり、さらに「文化遺産」「芸術遺産」および「自然遺産」もすべてミュージアムという思想の文脈に取り込まれていくことになるのです。

この後、最終章で結論が語られていますが。例によって、実際に読んでください、ということになるわけです。ただ、この本は読んでいて予断のように挟まれているところが、とても面白いのですが、本筋の結論はついていけないほど、往ってしまっているとかんじられるところがあります。

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