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2010年10月13日 (水)

シモーヌ・ディナースタイン「バッハのゴルドベルク変奏曲」

Dinner 一回、道草を食いましたが、また、ゴルドベルク変奏曲に戻ります。飽きずお付き合い下されば、幸いです。

最初のアリアのテンポは、グレン・グールドの新盤に近く、装飾の付け方などもよく似ている気がする。しかし、グールドのときに感じた“長い”という感じはしないで(これは、あくまでも私の感覚の上でのことなので、正確に時間を量ったりしたことではないです)す。アリアを聴く限りで、この人とグールドの違いとして感じられるのは(絶対グールドの演奏を参考にしているに違いないはずだと思いますが)、ピアノの特性を生かした音色の変化を活用していることと、右手での旋律の強調ということでしょうか。この人は、グールドにも増して声部の整理がすっきりしているので、右手による旋律を浮き上がらせながらも、対位法的な線の絡みもはっきりと分かるように演奏してくれます。

そして、グールドとの違いは次の第1変奏に入るとよく聴き取れます。グールドの時に書きましたように、私の個人的な好みですがアリアから第1変奏に入るときの衝撃が特徴と思っています。この人は第1変奏のテンポはグールドと同じような取り方をしていますが、グールドのような強烈な強弱を与えて、変奏に入るときの衝撃を強調するようなことはしません。むしろ、強弱を抑えて滑らかに次の変奏に移行するような行き方をとっています。ただし、テンポはかなり変化していたり、音色やタッチを変えていたりするので、聴いていて退屈することはありません。グールドの場合は、次の変奏に代わるたびに「来た!来た!」とワクワクするようなところがありますが、この人のは、いつの間にか次の変奏に移行し、中身が変わってきたことに後で気づくのが楽しい、というようなところがあります。

そして、終始、右手での旋律線が浮き上がり、流れているので、これを追いかけていると、しぜんと周囲の対旋律や装飾が次から次へと現われては消えていくような、列車に乗っていて車窓に景色が現われては消えるのを、名残惜しげに眺めているような感覚でしょうか。

指回りは達者なようで、早いパッセージも破綻なく意外とテンポを緩めることなく弾いているので、79分という長い割りには弛緩した印象もなく、長さを感じさせません。

さて、ここまで書いていて、やはり、と思いましたが、グールドと比較してしまうのですね。どうしても、私にはグレン・グールドの新盤が基準となってしまっているようです。

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