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2010年11月

2010年11月30日 (火)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(10)

株主総会

我々の最大の推測は、昨年の年次総会に35,000人が出席したということです。我々の株主数は非常に拡大しているので、今年はより多くの人手を予想しています。したがって、今回は、普通のルーチンの2、3に変更を行わなくてはなりません。しかしながら、皆さんの出席していただくための熱意は全く変っていません。チャーリーと私は、皆さんに会って、質問に答え、我々のビジネスの多くの商品を皆さんに買わせるのが大好きです。

今年の総会は、5月1日土曜日に開催されます。いつものように、クエストセンターのドアは午前7時に開けられます。そして、新しいバークシャーの映画は8時30分から始まります。9時30分に我々は、直接質疑応答に向かいます。それはクエストのスタンドでの昼食の中断を挟み3時30分まで続きます。短い休憩の後、チャーリーと私は年次総会を招集します。日中の質疑応答の時間に席をたちならば、チャーリーが話す間がいいです。

もちろん、会場を出る最高の理由は、買い物をすることです。我々は、何十ものバークシャーの子会社の製品で、会議場となりの194,300平方フィートの敷地を一杯にして待っています。昨年、皆さんは、その本分を尽くしてくれました。おかげで、大部分の場所は記録的な売上を達成しました。しかし、今年は、もっと良くなるでしょう。

ブックワームは必ず訪ねてみて下さい。そこで、提供されている30以上の本やDVDの中に私の息子の2冊の新刊本があります。… 家族の三部作を完成させたのは、私の姉妹のデビュー作になります。また、私のパートナーであるチャーリーの物語は未だ在庫があります。(皆さんがこれらの本を購入する場合、近くの船便での利用をお勧めします)

気前がいい人、またさらに好奇心の強い人は、土曜日の正午から午後5時の間オマハ空港の東よりに行ってみて下さい。そこで、ドキドキするほどのネットジェッツの全機を見ることができるはすです。

このレボートに同封されている議決権行使の説明書は、皆さんが会議やその他のイベントに入場するための証明書を得るための方法が記されています。飛行機、ホテル、及び自動車の予約に関しては、我々は皆さんの便宜をはかるためにアメリカン・エキスプレスに再加入しました。このような件の担当であるキャロル・ペーターゼンは、毎年、我々のために素晴らしい仕事をします。そして、私、彼女に感謝しています。ホテルの予約を確保するのが難しい場合には、キャロルの相談して下さい、1部屋は確保できると思います。

ドッジと太平洋の間に72番街の77エーカーの敷地にネブラスカ・ファニチャー・マートでは、「バークシャーの週末」に合わせて値引を行います。この値引を受けるためには、4月29日の木曜日から5月3日の月曜日の間に、まとめて買い物を行い、この会議の入場のたるの証明書を提示してください。期間を限った特別な価格設定は、通常、規則に則って行われますが、今回は株主の皆さんを対象として特別に名門メーカーの製品も割引されています。我々は、メーカーの協力に感謝しています。NFMは、日曜日の午前10時~午後6時、月曜から土曜日の午前10時~午後9時の間、開いています。今年は、土曜日の午後5時30分から午後8時までの間、NFMはBerkyville BBQに皆さん全員を招待します。

Borsheimsでは、我々は株主の皆さんだけのためのイベントを2回行います。最初は、4月30日金曜日の午後6時から午後10時の間の、カクテル・レセプションです。次に、メイン・イベントは土曜日の午前9時から午後4時まで、5月2日の日曜日は6時までとなります。

我々は週末を通してBorsheimsで皆さんとともにするでしょう。したがって、株主価格は4月26日月曜日から5月8日土曜日までの間、利用可能となります。その期間、皆さんはバークシャー株主であることを証明する書類を提示してください。…

日曜日は、ショッピングセンターでは、Borsheimsの外に、目隠しされたパトリック・ウォルフ、2度全米チェス王者と6人の挑戦者グループとの対戦。その近くでは、ダラスの注目すべき手品ノーマン・ベックが皆さんを楽しませるでしょう。

株主の皆さんにとっての特別な楽しみとして、アリエル・ヒューイング、トップランクの国内最年少の卓球選手の復帰です。現在14歳のアリエルは、4年前の総会で私を含むすべての挑戦者を、木端微塵に叩きのめしました。(ユーチューブでその模様を見ることができます)

当然、私は、リベンジをこころざし日曜日の午後1時にBorsheimsで彼女に挑戦します。3ポイント・マッチです。そして、私が彼女の筋肉をほぐした後で、同じように3ポイント・マッチで株主の皆さんからの挑戦を受けます。勝者にはseeのキャンディ1箱が贈られます。用具は十分なものを用意していますが、ご自分のラケットを持参しても結構です。

残念なことに、今年は、国際的な訪問者のためのレセプションを開くことができません。訪問者数は、昨年およそ800人に達しました。そして、私が1人1人のアイテムにサインするのに21~2時間かかってしまいました。そのため、我々は、国際的な訪問者がさらに増えることが予想されるため、これをとりやめることにしました。しかし、確かなことは、我々が国際的な訪問者を歓迎していることだけは変っていません。

昨年、我々は会場での質疑応答のやり方を変えました。これについてたくさんの賛同の手紙をいただきました。それで、我々は、3人のフィナンシャル関係のジャーナリストに期間中に皆さんから電子メールで送られた質問を選んでもらい、チャーリーと私がそれに答えます。

ジャーナリストと彼らのアドレスは次の通りです。キャロル・ルーミス、アンドリュー・ロスソーキン、ベッキー・クィック。各ジャーナリストが選ぶ質問は、皆さんから送られてきた中から最も面白いもの、重要なものを選んでもらいます。ジャーナリスト達は、簡潔で2つ未満に絞った場合には選ばれる可能性が高いといっていました。(メールには質問者の氏名を出していいかどうかの希望も書き添えて下さい)

チャーリーも私も、何が選ばれるかについては答えることができません。ジャーナリスト達が、いくつかの手厳しい質問を選ぶことは想像できますし、そういうやり方を我々は好んでいます。

我々は、自身で質問したい株主のために13のマイクを用意しています。会議では、交替でジャーナリストたちが選ばれた質問をするでしょう。我々は30分を質問時間に追加して、多分各々から、およそ30の質問に答えることになるでしょう。

86歳と79歳になったチャーリーと私は、夢を越えて幸運でした。我々はアメリカで生まれ、両親は我々に素晴らしい教育を受けさせてくれ、我々は素晴らしい家族と健康に恵まれました。さらに、我々は愛する仕事に長く就くことができました。そこでは、多くの陽気で優秀な同僚に助けられています。本当に、長年にわたって、我々の仕事は魅力的でした。我々が働くためにタップダンスをするのは不思議ではありません。押されるなら、我々は、この仕事が続くためには相当の金額でも快く負担するでしょう。

しかし、バークシャーの年次総会で株主の皆さんとお会いできる以上の楽しみはありません。それで、5月1日資本主義経済のために、我々の1年のウッドストックのために、お集まり下さい。お待ちしています。

2010年2月26日

ウォーレン・バフェット

長いお付き合い、ありがとうございました。今回のバフェットの手紙はこれで終わりです。来年の2月末に新たな手紙が発表になりますので、それをまた辞書引き引き日本語にして、載せたいと思います。

小林敏明「廣松渉─近代の超克」(3)

さて、ここからが本題に入ります。『〈近代の超克〉論』を足掛かりにして、廣松を日本近現代思想史の流れの中に位置づけるというのが、筆者の意図です。

日本思想との直接的対決はほとんどない中で、この著作は異彩を放っていると言えます。あえてその廣松が取り上げたのは、近代の超克というテーマゆえで、そもそも廣松にとってマルクス主義を標榜することは、そのまま資本主義社会及びそれと表裏をなす近代的世界観そのものへの根本的な挑戦であったからだ、と著者はいいます。戦時における近代の超克は「文学界」グループ、「日本浪漫派」そして「京都学派」の三つのグループを中心に展開されました。しかし、廣松は、このうち京都学派に特に目を向けています。廣松の関心は何よりも京都学派のもつ「近代」観にありました。京都学派の歴史観はヘーゲルやランケなどのプロイセン系の歴史観をベースにして、当時の皇国史観とは真っ向から対立していました。この、例えばランケの歴史観の大きな特徴は、古代、中世、近代という時代区分をそれぞれのパラダイムとしてとらえようという態度です。また、高山岩男の「世界史的世界観」はそれまでのヨーロッパ中心主義の枠にはおさまりきれないような多様性が生まれ、これに見合ったヨーロッパ中心ではない歴史観がひつようになったという認識です。高山によれば、このような歴史は、マルクス主義のような経済的下部構造ではなく、「文化」、一定の類型を備えた民族文化、が機動力となって動かされていることになります。そこにも世界史的世界を支える多元性の根拠があり、また「世界史の哲学」「哲学的人間学」と結ぶ理由がある。このような基本的歴史認識の上に立って、彼らは同時代を「近代」、しかも内的な爛熟を経て今や衰退の危機に直面している近代とみなします。

では、廣松はというと、このような京都学派に対する容赦ない批判は『〈近代の超克〉論』の中で一貫して行われていますが、どこかで京都学派に対する敬意が感じられるのも確かだと著者は言います。その理由は、廣松が京都学派の近代観をそれなりに認めたうえで、その「超克」の仕方において彼らとの決定的な決別点を見出すという姿勢をとっているためです。

明治以降の近代思想史を考える上で重要な問題のひとつは、日本は既に近代化されているのか、それとも未だ近代以前なのかという現状認識の問題です。『〈近代の超克〉論』の中の議論をみれば、廣松は日本が近代化されているか否かにかかわらず、すでにわれわれが「世界史の時代に生きる」かぎり、近代の超克はどこから出てきてもよいと考えていると考えられます。つまり、「外来思想の単なる翻訳紹介に終始することなく」自分の頭で近代という巨大なパダイムに立ち向かおうとした、その姿勢において廣松は京都学派に共感を覚えているようだ著者は言います。廣松にとって重要なことは、日本の近代化云々ではなく、世界をグローバルに見れば、近代は明確な姿を現し、すでにその限界さえも示しており、とこからであれ、根本的克服の道を探らねばならない時期にきているということです。つまり、近代を限界をもったひとつのパラダイムとして捉えているということです。

廣松と比較する意味で、近代の超克に対してもっとも厳しい批判を行った戦後民主主義良識派を見ていきます。ここでは、その代表者の一人として丸山真男の「近代」観を見ていきます。丸山にとって、日本は近代を獲得していないといいますが、彼のいう「近代」とは、西洋近代とも違います。それは、ヨーロッパとか出生の地の特殊性に還元することのできない普遍的理念としての「近代」で、地球上のどこかですでに存在しているような既存の体制や制度ではなく、今ある現実を不断に改良することを通して目指される目標となります。具体的に当時の政治に見られる基本的な動向として、丸山が1953年の講演で述べているのは、テクノロジーの飛躍的発達、大衆の勃興、アジアの覚醒という三点です。これは廣松や京都学派の近代観とかなり重なり合う、これには、丸山の思想形成にヘーゲル主義の強いバイアスがかかっているためだと筆者は言います。しかし、丸山は三点を「それ自体は必ずしも価値を内包していない」「社会的現実」として捉えています。これは京都学派や廣松では考えられないことで、彼らにとっては丸山の言う「社会的現実」は丸山が言うようなイデオロギーから自由な代物などではなく、むしろ近代イデオロギーと直結した現象だからです。丸山の、イデオロギーから自由な「社会的現実」から出発して、それをコントロールするイデオロギーを求めるというのは、彼がリアル・ポリティクスから離れていないことを意味しています。丸山の認識において「近代」は閉じたパラダイムではなく、あくまでイデオロギーから自由な「開かれたシステム」ないし「未完のプロジェクト」なのです。だから、まとまった全体として対象化されることはない。京都学派からみれば、それは近代の内部に取り込まれることを意味するけれど、「開かれたシステム」であるならば、そもそも内部など成立しなくなる。丸山のような近代主義者は、このような「社会的現実」を与件として、その都度現実的問題を克服しながら、そこに何らかのバランスを見出していくということになります。だから、実際には資本主義の体制を全面的に批判し、転覆させるという発想は出て来ることはなく、資本主義がその都度発生させる問題や矛盾を、ひとつひとつ克服しながら、その資本主義に不断の修正改良を加えていくというものです。

2010年11月29日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(9)

投資の真実(加熱している会議室)

我々の子会社は、昨年、現金の必要からわずかな小さな“bolt-on”を取得しました。しかし、BNSFとの超大型買収により、我々はバークシャー株式を発行済総数の6.1%にも達する約9000株を出することが必要になりました。チャーリーと私は結腸鏡検査に備えるのと同じくらい、バークシャー株式を出すのを楽しみにしています。

我々が嫌っている理由は簡単です。我々がバークシャーを実勢価格で売却することなど夢にも思わないのに、いったいなぜ、合併において我々の株式を出すことによって、不十分な価格で会社のかなりの部分を「売らなければならないのか?」ということです。

資本金のための株式申込みを評価する際に、全く当然のように、標的会社の株主は与えられることになる買収者の株価相場に焦点を合わせます。しかし、彼らはこの取引が自身の株式、彼らが手放さなければならないもの、の価格に影響すると予想します。将来の買収者の株式が実勢価格を下回る価格で売られているならば、買い手は全株引き受けにおいて分別のある取引をすることは不可能です。株主を傷つけることなく、評価された株式と過小評価された株式を交換することはできません。

もしできるなら、A社とB社、両方とも同じように本質的に1株当たり100ドルの価値のある、同じような大きさの2つの会社を想像してみて下さい。しかし、彼らの株式は、両方とも、1株当たり80ドルで売買されています。A社のCEO、信用できる人ですが知恵に欠ける人、がA社の株式11分4をB社の株式に当てはめ、取締役に対してはB社が1株当たり100ドルの価値を有することを正しく説明します。しかし、株主に対して、この取引が実態価値で125ドルのコストを強いることを説明するのを怠ります。また、取締役が同じように数学的な難題を克服する、つまり、取引が完了すると、B社の株主はB社とA社の合併による資産の55.6%を所有し、A社の株主は44.4%を所有することになるでしょう。しかし、A社の誰もが、この無意味な取引による敗者であるというわけではないことに注意して下さい。CEOは、規模が威信と補償の両方の領域で互いに関連する傾向のある世界で、現在、元のドメインの2倍の規模の会社を経営しています。

買収者の株式が過大評価されるならば、それは別の話です。通過として使用することは、買収者にとって利点として働きます。そういうわけで、株式市場の色々な領域で発生するバブルは、ずるいプロモーターによる株式の度重なる発行を常に呼び起こしました。彼らの株式の市場価格を超えるという実質的な偽金を使っているので、彼らは(買収の際に)余分に払える余裕をもつことができるのです。定期的に、多くの、空っぽな買収が行われました。とくに1960年代後半には、そのようなごまかしが頻繁に行われていたような乱れた期間でした。本当に、特定の大企業は、このようにして築かれたのです。(たくさんの個人的な忍び笑いがありましたが、公的には、関係した人は起こっていることを認めないでしょう)

我々のBNSF買収において、売却株主は1株当たり100ドルで、我々の申し込みを適切に評価しました。しかし、100ドルにつき40%が我々の株式で賄われたので、それが市場価格よりも価値があるとチャーリーも私も思っていたので、我々のコストは、いく分か割高となりました。幸いにも、我々は長い期間をかけて現金で市場で購入したかなりの量のBNSF株式を所有していました。したがって、全部で、我々のコストの僅かに30%相当をバークシャー株式で支払われました。

結局、チャーリーと私は、株式をもって買収価格の30%に充当させる不都合と、買収によって我々が長年やりたいと思っていた事業で220億ドルの現金を展開する機会を与えられることとで相殺させることに決めました。それはまた、マットローズによって運営されるという利点もあります。我々は、彼を信頼し賞賛に値すると主っています。また、我々は、妥当な利益率で長年、さらに数十億ドルを投資するような見通しを立てるのが好きです。しかし、最終的な決定は、それに近いものになりました。我々が買収のために、より多くの株式を使う必要があったならば、それは意味をなさなかったでしょう。我々は得ていた以上に諦めなくてはならなかったでしょう。

私は何十もの取締役会に出席します。そこでは、しばしば高価な投資銀行出身の取締役によって買収について熟慮されています。常に、銀行員たちは買収される会社の詳細な査定を、市場価格よりはるかに価値がある理由を強調して、取締役会に提出します。しかしながら、50以上にわたる取締役の経験の中で、私は投資銀行員(あるいは経営者)たちから提出された正確な数値に対して議論が行われたことを聞いたことがありませんでした。取引が買収者の株式を必要とした時、彼らは、単にコストを評価するために市場価格を用いました。買収者の株価が不十分だったと主張しても、「その通り、その本当の価値ではない」、公開買付を議論のテーマとして取り上げたでしょう。

株式が買収の際に熟考のうえ通貨として使用されるとき、取締役がアドバイザーのヒヤリングを実施しているとき、合理的でバランスの取れた議論をえるには1つの方法しかないように思います。取締役たちは、取引に料金を使い果たしていない状態のうちに、提案された買収に関して弁護するために第2のアドバイザーを雇うべきです。このような荒療治がなければ、アドバイザーの利用に関する次のようなアドバイスは有効です。「散髪を必要とするか否かを床屋に尋ねるべきではない」

私は、昔、実際にあった話をお話する誘惑に抵抗することはできません。我々は、何十年もの間、買収を法律で規制されていた大銀行の株式を持っていました。結局、法律は変わり、我々の銀行はすぐに買収可能な物件を探し始めました。マネージャー達は、立派な人々で有能な銀行家ですが、不意に、ちょうど女の子を発見した十代の少年にように振舞い始めたのです。

彼らは、非常の規模の小さい銀行で、上手く行っていて、株主資本利益率、利息差益、ローン品質等のような領域での共通の財政的な特徴をもっている銀行に注目しました。我々の銀行は、帳簿価格付近でふらふらし、非常に低い株価収益率を示していたのに見合った価格で売られました。もっとも、小さな銀行のオーナーは州内の大きな銀行からも、他に提案を受けていて、帳簿価格の3倍の価格を強く要求していました。その上、彼は、現金ではなく、株式を求めました。

我々の仲間は、当然、屈服して、この価値を破壊した取引に同意しました。「我々は、ハント中であることを示す必要があります。そのうえ、それは僅かな取引のみにすぎません」と、まるで株主に対する大きな危害だけがためらう正当な理由であったかのように、彼らは言いました。チャーリーの、そのときの反応は「我々の芝生を汚す犬が、セントバーナードよりむしろチワワであるので、拍手喝采をすると思うか?」

より小さな銀行の売り手、彼は馬鹿ではない、は交渉において一つの最終的な要求を提示しました。「合併の後」と、おそらくこれより外交的な表現を用いて、実質的には次のようなことを言いました。「私は、貴行の大株主になります。それは私の自己資本の大部分を占めるでしょう。従って、あなた方は、二度とこのような馬鹿げた取引をしないと、私に約束しなければなりません」

はい。合併は承認されました。小規模の銀行のオーナーはより裕福になりました。我々はより貧しくなりました。そして、大銀行のマネージャーは、新しくて、より大きい銀行と取引を始め、ずっと幸せに暮らしました。

小林敏明「廣松渉─近代の超克」(2)

廣松の思想は基本的に「マルクス主義」とともに始まり、その基本姿勢は終始変わることはありませんでした。廣松

は1960年代後半の当時の流行であった疎外論を批判します。疎外論とは、現代の人間は機械やシステムの歯車として自主的な主体性を失った存在に成り下がってしまっている、だから、今こそその失われた人間性を取り戻さなければならないという議論です。これは『経済学哲学草稿』が遅まきながら出版され脚光を浴びたことにより現われてきたものです。これに対して、廣松は疎外という議論が成立するためには、まず主体としての人間がいて、それが労働という行為を通して自分の本質を対象に外化するというプロセスが前提となっています。これは、マルクス主義が克服したとされるヘーゲルの理論装置そのもので、実は疎外論を支えているのは近代的ブルジョア・イデオロギー以外の何ものでもないというのが廣松の批判です。廣松によれば、マルクスは自己批判的にそうした発想を超えていくところに思想上の転換点があるといいます。その契機となったのが『ドイツ・イデオロギー』にあると言います。廣松によれば、ここでは人間は初めからアプリオリに「主体」として存在するものとは捉えられておらず、「社会的関係」としての人間をとらえているのです。ここでの「個体」は論議の出発点ではなく、反対に関係的行為ないと行為的連関の所産であり、結果と言えます。ここでは「実践」という概念が人間存在のベースをなす哲学的行為概念にまで鋳造し直されています。この『ドイツ・イデオロギー』はマルクス主義思想の真の出発点があると廣松はみなしているように考えられます。では、廣松はこのような新たな発想を実際にマルクスのどのような議論に見出し、近代を超える内実があるとみなしたのでしょうか。この意味で重要なのが「物象化」という概念です。発端は『資本論』に出てくる「物化」という言葉です。商品が労働の産物であることは、当時の経済学の常識でした。しかし、その商品の価値は他の商品と交換される際の「交換価値」がそうです。それは食べられるとか、見て楽しむなどという直接消費者の欲求に奉仕する使用価値とは全く異次元のところに成立する価値なのです。それでは、それまでの経済学の常識であった人間の労働が価値の源泉というのは、フィクションにすぎない。これは、逆の方向で考えて見れば、一人の人間が汗水たらして作った米を売って得た金額と、別の人間がわずか数分の電話取引で得た株売買の利益との間に、理不尽なほどの差が生ずることは、「価値」が決して単純な人間の労働量などで決まっているのではないことは明白です。一個の人間の主体的行為としての労働ではなく、はじめからシステムという関係の網の目に組み込まれた人間たちの総労働から逆算して個々の労働の価値が決められている。マルクスは、これが取り違えられて、あたかも「抽象的労働」が「凝結」するように見えてくると言います。これが物象化です。

廣松は『資本論』の再解釈を通じて得られた商品の価値的性格を他の価値一般にまで広げていきます。経済的価値を超えて、あらゆる文化的社会的価値は多かれ少なかれ「感性的・超感性的」の二重性格を帯びているのです。これを認識論の場面に適用してみせたのが、初期の主著『世界の共同主観的存在構造』です。われわれは一般に物事をそのまま知覚し、認識していると思い込んでいるふしがあるけれど、よく見てみると、そこに二重構造がある。例えばいま聞こえている音はたしかに物理的に発せられた音、その意味で感性的に近くされたものには違いないが、普通にはそれを自動車のクラクションの音「として」聞いている。つまり、そこには初めから何らかの「意味付け」が働いている。このような文化的社会的に与えられた意味は明らかに感性的次元に成立するものではなく、そもそも「意味」という存在自体が超感性的といえる。廣松は、このような認識される側の二重構造とは別に、知覚認識する側の二重構造を持ち出してくるのです。われわれがふだん、物事を見たり聞いたりする時に、その都度異なった「誰々として」立ち現われていると言います。これは言い換えれば、認識の実践化、行為論化とでも呼ぶべきものです。その都度の状況を超越して初めから「主観」なるものが存在しているわけではなく、主観はむしろその認識というひとつの「行為」が置かれる、その都度の状況ごとに規定されるものと考えられます。こうした対象面と主体面のそれぞれの二重性から入れ子型の四肢構造なるものが導き出されます。これが最も見易い形で現われるのが言語ないし言語認識の場面です。さらには相対性理論解釈にもこれか広がります。これらの議論を踏まえた廣松の「唯物論」は「物」を動態的な関係や函数の所産として捉えるものとなるのです。

廣松の認識存在論とも言うべき四肢構造論は、社会的行為論にまで進みます。認識論は主に「者と物」の関係を取り上げましたが「者と者」の関係はたんに認識にとどまらず、相互の行為となることが普通だからです。ここでは認識論と実践行為論がつながっていると言えます。例えば、今、通りを歩いていて目の前に怪我をして助けを求めている他者に遭遇したとします。私はこの助けを求める「当事他者」の期待に応えなければならないような状況に置かれています。つまり、私の行為はさしあたりこの期待の理解とそれへの呼応として発生します。そして、他の通行人たちは「環視的第三者」として私におおいかぶさってきます。私はこの人たちの期待にも応えなければならない。仮に誰もいなくても私自身の良心の呵責ということもあります。ここには「ひと」という見えない抽象的な匿名の他者が顔を出してくるのです。このように、われわれはその都度に応じて何らかの役割を演じながら日常生活を営んでいると廣松は言います。私の自己同一性はされらの役割群の束として保たれているのです。さらに役割とはその都度の状況に応じて発生するものですが、これに他者の反応を呼び起こすという「他者」との「共軛」関係において成り立つものです。しかし、問題はその後です。廣松にとって役割とは本来的にその都度の状況に制約された行動ですが、類似の状況が繰り返されるとルーティン化が起こり、さらにはルール化されと、その裏面としてルールに従わない場合のサンクション(罰)が生じます。まさに役割の物象化です。こうした態勢ができると、こんどは役割の「脱人化」が起こる。つまり、大工さんは人が替っても大工さんです。つまり地位の既成化です。こうして役割や地位が協働連関の度合いを増すと一定のまとまりをもった「機構」を形成するまでに至ります。この機構がひとり歩きをし始めると、人を拘束するような転倒した事態が生じるわけです。

2010年11月28日 (日)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(8)

投資

下で、我々は年末現在の10億ドル以上の市場価格をつけていた一般の株式投資を示しています。

その上、我々は211億ドルの費用と260億ドルの繰越価格があるダウケミカル、ジェネラル・エクトリック、ゴールドマンサックス、スイスのReとリグレイの非売買の証券でポジションを持っています。我々は、この18ヶ月でこれら5つのポジションを購入しました。これらが我々に提供する重要な資産の可能性を傍らにおいても、これらの株式は我々に毎年21億ドルもの配当による利益を届けてくれます。最終的に、我々は年末でBNSFの76,777,029株の株主(22.5%)になりました。我々は1株当たり85.78ドルで購入しましたが、その後会社全部の購入において一緒になりました。

2009年の我々の最大の売上は、コノコフィリップス、ムーディーズ、フロクター&ギャンブル、そしてジョンソン&ジョンソンによるもの(我々は年初にポジションを作り、後で売却しました。)でした。チャーリーと私は、これらの株式すべてが、将来、より高い値で取引されると信じています。我々は2009年に、ダウとスイスのReの購入のために、現金をもとめて、このうちいくらかの株式の売却を早めました。そして、残りは年内にBNSFの購入のために売却しました。

我々は、昨年、社債や地方債の市場が米国債に比べて途方もなく価格が暴落し、普通でない状態であると説明しました。我々は、何件かの債権の購入により、その言明を裏付けましたが、もっと多く買っておくべきでした。絶好の機会は、まれに来ます。金が雨のように降り注いで来るときには、指貫などではなく、バケツを差し出すだけでいいのです。

我々は、443億ドルの現金を保有して2008年を迎え、以来170億ドルの営業利益を得ました。それでも、2009年末には、我々の現金は、BNSF買収のための80億ドルを含めて、306億ドルまで落ち込みました。我々は、この混沌とした2年間、多くの現金を運用に回してきました。それは、投資家には理想的な期間で、おそれの風潮は投資家にとって親友なのです。解説者が上向きだと言っているときしか投資しないような人々は、結局、意味のない安心に高い代償を支払っているのです。結局、投資で重要なことは、株式市場でのその小さな一部を購入することを通して、企業に資金を提供することです。そして、10年か20年後までその企業が成功して収益を得るのです。

昨年、私は、デリバティブについて広範囲に説明しました。それからというもの、私は論争と誤解の対象となってしまいました。その議論については、www.berkshirehathaway.comをご覧下さい。

我々は、以来、ポジションをほんの少し変えました。いくつかのクレジットを失いました。我々の資産にかけられた契約の10%は条件が変わりました。満期を短くし、これに伴って満期の金額は具体的に減少しました。このような変化で、現金の持ち手は変わりませんでした。

昨年の議論のうち、何点かは繰り返す価値があります。

(1)      確実なものとは言えませんが、投資収益が我々に提供されるフロートの莫大な総額が帳簿の計上から除外された場合ですら、私は一生を通じて我々に利益を供給するという契約を考えます。我々のデリバティブ・フロートは、私が、さきほど説明しました保険フロートの620億ドルには含まれていませんが、年末には約63億ドルになりました。

(2)      一握りの我々の契約だけが、どんな状況においても担保を明らかにすることを要求します。昨年、株式と金融市場のポイントが最低となった際に、我々のポスティング要件は、我々の所有するフロートに関連するデリバティブのわずかな部分ですが、17億ドルでした。我々が担保を明らかにし、それに加わった場合、我々の提供した証券は我々の口座に設けたお金を入金しつづけています。

(3)      最終的に、皆さんはこれらの契約における繰越価値、我々の四半期報告の利益には莫大な影響があるが、現金や固定資産には影響を及ぼさない、の大きな変動を予想することになります。それは、たしかに2009年の事情を適当と考えました。昨年の我々の年次報告での利益の一部であったデリバティブ価格からの税引前利益をここに示しました。

我々が説明したように、これらの激しい変動は、チャーリーも私も喜ばせることはありませんでしたが、苦しめることもありませんでした。皆さんに報告する際に、我々の事業の収益を明確に分かるようにするために、我々が認識する投資の収益と損失のような数字を切り分けています。我々は、うれしいことに、デリバティブ契約をいくつか保有しています。これまで、われわれは、それらから提供されるフロートから、かなりの利益を得ることができました。我々は、生涯に渡って、この契約からさらなる投資収入を稼ぐと思っています。

我々はチャーリーや私が適正な価格がついていないと思うデリバティブ契約に長く投資しています。ちょうど、適正な価格がついていない株式や債権に投資しようとするように。本当に、我々は、1998年初頭に、そのような契約を保有していることを、最初に皆さんに報告しました。これらの契約がレバレッジをかけたり相手のリスクが極端であるとき、デリバティブが関係者や社会にもたらす危険性、我々がダイナマイトにもなりうると長い間警告してきた、が現実に起こるのです。バークシャーでは、そのようなことは起こっていませんし、起こすこともないでしょう。

そのような問題から、バークシャーを遠ざけるのは、私の仕事です。チャーリーと私はCEOがリスクコントロールを他人任せにしてはならないと思っています。それは、とても重要なことなのです。バーシャーで、私は、ミッドアメリカンやゼネラル・リーにおける小さな売却契約のような、2~3の子会社が取引の関連で行う契約を除いて、帳簿上のすべてのデリバティブ契約を締結し、監視しています。バークシャーがトラブルに巻き込まれるようにことになれば、それは私の責任です。リスク管理委員会やCROの誤った判断によるものではないのです。

私の意見では、CEOがリスク・コントロールに対する全責任を負うと主張しないのならば、巨大な金融機関の取締役会は怠慢なのです。その仕事を取り扱うことができないのならば、他の職を探してもらう他ありません。そして、もし彼がしくじることになったら、そこに資金や保証の面で介入することを要求される政府にとってもそうですが、彼と彼の取締役会の財政的な結果は厳しいものにならなければなりません。

我が国のいくつかの最大規模の金融機関で運用をやりそこなったのは、株主ではありません。それでも、彼らは負担を担いました。多くの場合、持株の90%かそれ以上が、その失敗でなくなってしまったのです。かれらは、この2年間の4つの最大の財政的な失敗で5000億ドル以上をまとめて失いました。これらの株主が“救済された”などと言う事は、言葉の嘲笑です。

しかし、倒産した会社のCEOと取締役は無傷でした。彼らの財産は彼らが防ぎきれなかった災厄によって減少したかもしれませんが、未だ沢山の残高が残っているはずです。これらのようなCEOや取締役たち姿勢は変える必要があります。彼らの機関と国が、彼らの無謀さによって害を及ぼされるのならば、彼らは高い代償を払わなければなりません。それは、彼らが損害を与えた会社によっても、また、保険によっても還付可能性のないものです。多くの場合、CEOや取締役は、長い間、特大の財政的な“にんじん”から利益を得てきました。いくつかの重要な“(にんじん)スティック”が、現在にように彼らの雇用の(呼び水)のひとつなのです。

小林敏明「廣松渉─近代の超克」(1)

まず、廣松らが乗り越えようとした「近代」とは何かを問うことから始める。日本では単線の時代区分が自明に為されているが、欧州ではそうではない。そこで、「近代」を単なる単線的な時間系列の上に位置する便宜的な一歴史区分とみなすに終わらないで、ある共通の発想パターン、科学史家などのいう「パラダイム」をもったひとつのエポックとして捉えて見る方がいいと著者は言います。そこでしばらくは、概略的に「近代」の代表的なメルクマールを検討していきます。

まず「近代」を成立させた具体的条件として重要なのが産業資本主義の社会です。この産業資本主義の特徴は商品経済ないし貨幣経済が一般に流布し、その結果人間の労働までが「商品」となることがあげられます。商品となった労働は貨幣と同じように計算され、文字通りその貨幣と直接交換されるようになるのがそうです。これは、本来それぞれに性格や質を異にする労働がさしあたりその固有の質を度外視されて、「量」としてのみ扱われる。これを可能であるかのように(イデオロギー)が出てきて、労働はそれがかかった時間量で量られうることになります。この背景には、その尺度となる時間が比較計量可能なものであるという一般抽象的な考えが前提されているわけです。『資本論』の「抽象的人間労働」とはそういう意味です。

こうしたシステムが成立可能となったのは、同一の人間が一方で家族や共同体に所属しながらも、他方でそうした紐帯から分離した「自立的個人」と機能し共同体とは別の次元にある仕事を引き受けることができるということです。この自立した個人どうしが作り上げる社会、一般に「市民社会」、は旧来の共同体的人間関係を前提にしない独自の論理や倫理に従います。一方、生産関係が資本利潤の追求に向かう「資本─賃労働」の関係は、相互に対等な関係ではない。それは、賃労働者は自らの労働力の他には生産手段を持たず、資本の側から提供される生産手段を借用しながら自分の労働を提供しなければなりません。賃労働者は、もはや土地も機械も道具も持たない「無産者」となってしまっているためです。そのような人間は旧来の共同体から出てしまった人間であり、それにともない「都市化」が進んだと言えます。こうした経済上の社会変化と平行して、「ネーション・ステート」と呼ばれる国民国家の成立という重要な変化が起こりました。

このような経済社会の変化は、人々の考え方やメンタリティにも大きな変化を与えました。それは近代合理主義の登場です。とくに資本主義ないし産業社会との関連で合理主義に注目したのが、マックス・ヴェーバーです。簿記をもとに営まれる合理的な産業経営は、直接自然科学からもたらされたものではなく、むしろピューリタニズムの禁欲的倫理から出てきたものだ分析して見せました。その端的な例が、「天職beruf」の概念です。もともとは「神からの召命」を意味するギリシャ語のクレーシスをルターがドイツ語のberufに翻訳したときに意味が変容し、ちょうど「労働」を社会原理とする新しい時代を先取りすることになり、カルヴァン派がその転換を実質的に進めたものです。ウェーバーはさらに合理主義が近代的パラダイムの中で広がり「官僚化」が進むことを認識していました。つまり、労働者の管理を合理的に管理する、ひいては住民そのものの管理まで波及する。それは、広く社会的行為が創造的エネルギーを失って「凝固」したときに生ずる現象です。それがさらに進んで、人々を隷属させる容器ともなってしまう。これは後に「制度化」「物象化」という問題になっていきます。どうしてそのようなことが起こるのか。それは、世界観、社会観、国家観そして人間観を考えるときの発想モデルとして、近代に入る前は「有機体」がモデルとなっていたのに対して、近代では「機械」のイメージが支配的になっていきます。さらに「機械」は、効率を求めて絶え間なく改良を加えられたり、新機軸が発明されたりします。ここから現れてくるのが「進歩」という発想です。

最後に哲学や思想に与えた影響について考えてみます。産業社会が旧来の共同体から分離した「自立的個人」を多数生み出していったことにより、哲学的にも「個人」という概念が重要な意味を帯びてきます。これに伴い、ギリシャ語のヒュポケイメノン「基体」概念が「実体」と訳され、当初、神と同一視されていたものが、デカルトになると精神と物体も実体とみなすなど、概念が変容してきます。これに乗じて精神と物体はそれぞれ独立した別々の世界を為し、それぞれが主体と客体の関係に重ね合わされ、主体の支配下に置いたということです。その結果、人間が主体と客体の関係を取りまとめるような特別の存在となってくるのです。

2010年11月27日 (土)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(7)

ファイナンスと金融商品

この分野での我々の最大の活動はクレイトン・ホームズです。モジュラーによる工場の田舎風の家屋生産のリーディング・カンパニーです。クレイトンは、いつもナンバー・ワンであったわけではありません。10年前の主要なメーカーはフリートウッド、チャンピオンそしてオークウッドの3社で、合わせて全体の生産の44%を占めていました。その後、どれもが破産してしまいました。一方、この産業全体の生産量は2009年には60,000ユニットとなり、1999年の382,000ユニットから落ち込みました。

この産業は2つの原因により錯乱状態にあります。米国経済が回復すれば、そのひとつ目は、我慢しなければなりません。この理由は米国の住宅着工(アパート・ユニットを含む)に関係があります。2009年のスタートは554,000で、我々がデータを持っている50年間で最も低い数字でした。逆に、これは我々にとって良い知らせです。

人々は、ここ数年、供給側による年間200万の住宅着工のニュースが広まると、良いニュースであると考えました。しかし、需要の側から見た家屋の建設は、たった120万に達しただけでした。このような不均衡が何年も続いた後で、田舎はあまりに多くの家を残したまま終わってしまいました。

この突出を直す方法は3つありました。(1)「cash-for-clunkers」プログラムで現われた自動車の破壊と同様のことを多くの家屋に対して行う。(2)または、たとえば、ティーン・エイジャーが同棲するように奨励することによって世帯がつくられる速度を速くする(3)新設住宅着工件数を世帯形成のレートよりはるか下のレベルに抑える。

我が国は、賢明にも第3の方法を選択しました。これは1年かそこらでプレハブ住宅の問題を主に対策として意味しています。その例外は、需要以上に家を建てるのが最もひどかった地域における高級住宅です。もちろん、価格は“バブル”のレベルのはるか下に留まるでしょう。しかし、これによって傷つく売り手(貸し手)がいるために利益を得る人々もいるのです。本当に“バブル”がはじけたため、数年前なら適当な家を買うことのできなかった多くの家族が、今なら、彼らの手の届く範囲内で手ごろな家を見つけることができるのです。

プレハブ住宅の抱える第2の問題は、この産業に特有の゜ものです。それは、工場で製作された家と基準に従って建てられた家の間のローンの利率の懲罰的な差です。皆さんがさらに読み進めていく前に、明らかなことを強調します。この点についてバークシャーには利害関係があります。従って、皆様も特別な注意を以って、続く記述を評価していかなければなりません。しかしながら、この警告を発したことにより、多くの低収入のアメリカ人とクレイトンの双方に異なるレートが何故問題を引き起こすかについて、我々は説明しなければなりません。

住宅の抵当市場は、FHAやフレディ・マック、ファニーメイによって表わされる政府規則に従って形作られています。彼らが保証する抵当を大体の場合に証券化して、事実上、米国政府の義務に転化したため、彼らの貸し出し基準は全能となっています。現在、これらの保証の資格を得る従来の基準で立てられた家の買い手は、年利51.4%ほどで30年ローンを組むことができます。その上、これらは、連邦制度準備理事会がバーゲン会場のレベルにレートを抑えている状態で、大量に購入された抵当です。

対照的に、ほんのわずかな工場によって組み立てられた住宅しか、政府機関契約者抵当の資格を得ることができません。それゆえに、プレハブ住宅の買い手は9%のローンを上乗せして支払わなければなりません。すべて現金で購入する人に対してクレイトンは素晴らしい価値を提供します。しかし、買い手が不動産ローンを必要とするならば、もちろん、ほとんどの買い手は必要とするでしょうが、金融コストの違いは、ほとんどの場合、プレハブ住宅の魅力的な価値を無効にしてしまいます。

昨年、私は、我々の買い手、一般的に低収入の人々、が信用リスクに見合うパフォーマンスを示している理由をお話しました。彼らの次のよう態度は極めて重要です。彼らは、転売や借り換えではなく、その家に住みつづけることにサインしました。したがって、我々の買い手は確認された収入(我々は“うそつきローン”を作っていません)に見合う支払となるローンを設定し、抵当を償却することを楽しみにしていました。彼らが、仕事を失ったり健康を害したり、離婚したりした場合には、我々はデフォルトを想定しなければなりません。しかし、単に住宅価格が落ち込んだだけでは、彼らは逃げ出すことをしませんでした。今日でさえ、失業問題は深刻化しましたが、クレイトンの債務不履行とデフォルト(のリスク)は妥当な範囲内であり、重要な問題となってはいません。

我々は、サイトで組み立てた製品で利用することができる可能なローンの特典を我々の顧客にも適用できるようにしようとしました。これまでは、それは形だけの成功に過ぎませんでした。単にプレハブ住宅に付される融資格差のよって毎月の返済額があまりに高額になってしまったので、多くの家族は普通程度の収入がありながら、常にないような収入でもない限り、持ち家を断念せざるをえませんでした。このような(プレハブ住宅への)適用範囲の拡大が為されないのなら、頭金や収入の標準を満たす場合にしか低コストの融資の道が開かれないため、プレハブ産業は奮闘しつつも、次第に痩せ細っていく運命にあるように思われます。

この様な状況の下でさえ、私は、潜在的な可能性を大きく上回ることはないでしょぅが、クレイトンがこれからも収益をあげていくと信じています。我々は、オーナーの立場でバークシャーの利益に向かうCEOケビン・クレイトン以上の経営者を持つことはできないでしょう。我々の製品は、最高級で、低価格で、しかも常に改善されています。さらに、我々の財政状態が健全さを保っているので、バーシャーの信用でもってクレイトンの抵当プログラムをサポートし続けます。たとえそうだとしても、バークシャーは政府機関による利用可能な利率で融資を受けることができません。このようなハンディキャップは、クレイトンと安く家を購入したいと切望している多くの家族にはショックで、販売を規制してしまうものです。

以下のテーブルでは、クレイトンの収入は、クレジットの使用のためのバークシャーの支払の総額です。クレイトンへのこの費用を相殺するのは、バークシャーの財務政策への信用付与と、雑収入を含む収入の総額です。コストと収入は、およそで、2008年は92百万ドルで2009年は116百万ドルでした。

このテーブルは、また、我々の家具(コート)やトレーラー(XTRA)のリース事業が不況によって、どれだけ厳しい打撃を受けたかを例証しています。これらの競争力は、これまでと同じ程度に強いままでありますが、我々は、これらの事業で少しの弾みも確認できていません。

2009年の終わりに、我々は、我が国の商業抵当の第3位であるBerkadia Commercial Mortgage(以前はCapmarkとして知られていた)の株式を50%取得しました。2350億ドルのボートフォリオにサービスを提供することに加えて、同社は抵当の重要な発信社で、国内に25のオフィスを展開しています。商業用不動産はこの数年間で重要な問題に直面するでしょうが、長期的な視野に立った場合Berkadiaは重要です。

この事業における我々のパートナーはジョン・スタインバーグとイアン・カミングを通したLeucadia、です。数年前にバークシャーがトラブルを悩ましい金融事業Finovaを購入するために、彼らと一緒になったとき、我々は素晴らしい経験をしまた。その状況を決議する際に、ジョーとイアンは彼らに割り当てられた仕事(私が常に奨励するアレンジメント)以上の働きをしてくれました。彼らが、Capmark購入のパートナーとして、私に電話をしてきたときは、もちろん、うれしかったです。

我々の最初のベンチャーはBerkadiaによって洗礼を施されました。それゆえ、これをBerkadiaの息子を呼びましょう。いつの日か、私は、皆さんにBerkadiaの孫のことをご報告できるようになるでしょう。

大久保隆弘「電池覇権 次世代産業を制する戦略」(2)

日本で、積極的な先制攻撃の戦略を進めるのが日産自動車で、世界初の本格的EVの開発を急ぎ、リチウムイオン電池とモーターの内製化によって垂直統合を行い、次に大量生産によるコストダウンを進め、EVの販売価格を抑えて市場シェア獲得する。EVの独占的なブランドイメージを消費者の植え付け、競争相手が市場に出てくる前に環境志向の強い顧客を囲い込む戦略です。これに対して、トヨタは当面ハイブリッド車に注力する戦略ですが、日産自動車の積極策に引っ張られる格好で各自動車メーカーも電池メーカーとの合弁で大規模な増産に向けての投資を始めている。電池メーカーには海外から提携や製品提供の引き合いが来ている。また、電機メーカーも本格的に大型用の生産を始めた。

日本に対して韓国メーカーの場合は、基本的に日本からの人材を含めた技術流出と政府の強力な支援の元に資本力を集中させて二次電池事業を立ち上げた後、生産コストの競争力で市場地位を確立させた。サムスン電子は携帯電話で世界第二位の地位で携帯用二次電池の生産量し図抜けています。また、LG化学もアップルのスマートフォンに二次電池を供給しています。いま、両社は韓国政府の支援を受け欧米で電気自動車向けの大規模な契約を締結しています。つまり、外交で政府が支援し、相手国の政治の懐に入り込むと、技術基盤の薄さを日本からの技術者の獲得と部品・材料産業の力を借りて補う。基盤技術の遅れを製品化のスピードで補って、世界市場にいち早く参入すると、為替の安さを武器に大量の国内生産によるコスト競争力で日本企業に打ち勝とうとしています。

一方、中国は国内で材料となるリチウムやレアアースを豊富に産出する資源大国でもあり、これとともに潤沢な政府の資金提供を受けてBYD(比亜迪)が欧米のメーカーで提携しつつ躍進している。

リチウムイオン電池の材料メーカーについて、日本企業はファインケミカルやカーボン、金属素材に伝統的な強みを持っている。総市場規模は2000億円程度であるが、今後自動車用の需要拡大と歩調を合わせながら市場規模の拡大が見込まれる。リチウムイオン電池の標準化が進まないのは、材料を顧客である電池メーカーが決定していて、材料メーカーを囲い込んでいる状況によるためです。電池は四つの構成要素(正極材、負極材、セパレータ、電解液)から成るが、それぞれの要素に何種類もの材料候補が存在し、電池メーカーと材料メーカーが何度も試作を繰り返しながら、電池全体に最もパフォーマンスの良い材料を選別しています。当初から電池メーカーと一体化して共同開発している材料メーカーが固定化する傾向が生まれて、新規参入メーカーの参入障壁はますます高くなっています。この長期間の「擦り合わせ」が電池メーカーと材料メーカーの間で絶え間なく繰り返されながら、各メーカーの電池の設計、仕様が固定化するので、新参メーカーの入り込む余地は乏しかったと言えます。しかし、大型リチウムイオンイオン電池の時代に移行する時期において、材料メーカーの市場は一気に拡大することになります。この時期に取引関係も大きく揺らぐ可能性が高いと言えます。材料メーカーにとっても凄まじい競争時代の幕開けとなるでしょう。材料メーカーにとって、先ず重要なことは、いかに強い電池メーカーに材料を供給できるかです。クローズな取引の中で取引の量を確保するためには、市場シェアの高い電池メーカーに入り込むことが重要なポイントです。リチウムイオン電池は技術的に発展途上の課題が多く、現段階のリチウムイオン電池はいずれ新たな材料に置き換わっていく可能性が高く、10年後の材料は今とは全く異なった材料になっている可能性も高いと言えます。電池メーカーにおいても次々に性能の優れた電池を市場に出し続けないと、たちまち模倣者が現われて同様の電池を低コストで供給する。模倣品や同性能の製品に代わる新たな電池を生まない限り、市場から撤退、脱落する結果を招いてしまいます。連続的なイノベーションが生じるたびに、競合企業の逆転が何度も繰り返されるのがリチウムイオン電池の特徴といえます。このような大型リチウムイオン電池市場の拡大を見越して、材料メーカーの設備投資が活発化しています。次世代のリチウムイオン電池開発に多くの企業が取り組んでいます。

各国の現状のリチウムイオン電池の性能差に決定的な違いはないため、コスト競争力の勝負となると日本企業には勝ち目は乏しく、次世代リチウムイオン電池の開発は急を要する課題と言えます。

二次電池の場合、国際的な過当競争が生じ始めるのは、現在の量産計画の設備投資が完了し、本格的な次世代車の時代が到来する2013年ごろからと予想されます。スマートグリッドなどの定置用電源としてのリチウムイオン電池が積極的に使われ始めるのも同じ頃と予想されます。そのときには、中国、韓国、台湾などの電池メーカーがこぞって市場に参入を始めことが予想されます。

このような成長期に必要な戦略として著者は次のものを上げます。

     取引先を複数持つ

     量産化のための設備投資を積極的に行う

     グローバルマーケティングを重要視する

     R&Dを怠らない

     ビジネスモデルで差別化する

     国との連携を深める

詳しくは、実際の著作を読んで欲しいと思います。ここが核心部であろうし、著者も一番主張したいことでしょうから。2~3気がついた点だけを述べます。

大型電池の標準化の動きについては明確ではなく、異なる規格やサイズの製品による競争が生じている中で、当面は現状の規格で自動車や住宅用の電池に用いられていくだろうと著者は言います。自動車と電池が一体化している以上、電池の標準化は頻繁に取り替えたり,様々なメーカーの電池を交互に使う必要がなく、電池の寿命は自動車の寿命とほぼ同じで、交換の必要もないため、電池の標準化は重要でないと著者は言います。一定の性能を発揮すれば、ユーザーには形状の違いなどは関係のない問題でしょう。標準化が生じる場合は、外部ネットワークとの互換性で方式を統一する必要があったり、電池のマネジメントシステムと一体化する場合等で、電池の構造や素材にまで影響が及ぶことはないと著者は言います。ただし、環境問題に起因する制限、とりわけリサイクルの問題は国際的な基準が設けられる可能性は高い。

このあと、日本トップメーカーである三洋電機に取材して戦略を分析したり、具体的な提言を重ねていきますが、それは直接、本書に当たって下さい。

2010年11月26日 (金)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(6)

製造、サービスと小売事業

バークシャーのこの部分の活動について問題を論じ尽くしましょう。貸借対照表と損益計算書の概要をグループ全体のために見ましょう。

このセクターの数多くしかも多様な活動のほぼ全ては、2009年の厳しい経済不況から1度ならず苦しみました。大きな例外はマクレーン、何千もの小売店への食料雑貨、キャンディと食料品以外のアイテムの卸売り、でした。グレーディ・ロジェは344百万ドルの税引前利益利益を計上させました。それは、312億ドルもの売上のうえで、1ドルにつき僅か数セントを積み重ねたものでした。マクレーンは、1520万平方フィートの敷地に3,242台のトレーラー、2,309台のトラクターと55の集配センターを所有し、多数の物的資産を使用しています。しかしながら、マクレーンの主要な資産はマネージャーのグレーディです。

我々には、売上が縮小した時でさえ利益を伸ばした会社、常に例外的な経営実績をあげていた、がありました。そのような経営を行ったCEOがここにいるのです。

不景気な工業部門に主に取引している、我々が所有しているビジネスの中では、マモンとイスカーの両社が比較的安定した業績を残しました。フランク・パトックのマモンは13.5%税引前利益率、最高記録を達成しました。売上は27%のダウンでしたが、フランクのコストを意識した経営により利益の低下を抑えることができました。

イスラエルに拠点をかまえるイスカーを止めることは、戦争、不況、競争者、誰もできません。イスカー以外の世界の2社の小型切断機の供給元は、昨年は困難な年で、年間を通して損失を計上しました。イスカーの業績は2008年からかなり下がってきましたが、昨年皆さんに我々が報告した日本の大規模な買収でありましたタンガロイを統合して、合理化サエしていた間ですら、同社は定期的に利益を報告していました。工業生産が反転した際に、イスカーは新記録を作るでしょう。アイタン・ヴァルトハイマー、ジェイコブ・ハルピッッ、ダニー・ゴールドマンの経営チームは、そのことを十分承知しているでしょう。

我々が所有している住宅や商業的な工事に関連するビジネスは2009年はひどい状態を受け入れざるを得ませんでした。ショー、ジョーンズ・マンビル、エイム・ブリック、及びミテックの合計税引前利益は227百万ドルで、建設関係が急成長していた2006年の1,295百万ドルに比べて82.5%の減少となりました。かれらの競合相手はこのような凹んでいるわけではありませんが、ずっとどん底を這いずり回っているのです。

昨年のバークシャーにとって大きな問題はネットジェット、ジェットの分割所有による航空事業、でした。長年にわたって、3つの主要な競争相手をあわせたものよりもさらに上回る業績をあげ、航空業界において最高の企業として確立するなど非常な成功を収めています。全体として、この分野での我々の優位性は議論の余地のないものです。

しかしながら、ネットジェットの営業活動は別問題です。我々が会社を所有した11年間で、この会社は157百万ドルの税引前損失を計上しました。その上、会社の負債は、昨年の4月に、購入時の102百万ドルから19億ドルまで急上昇しました。この負債にバークシャーの保証がなければ、ネットジェットは廃業していたでしょう。ネットジェットをこのような状態にしてしまったことで、私が皆さんの期待を裏切ってしまったのは明らかです。しかし、運良く、私は開放されました。

デイブ・ソコル、ミッドアメリカン・エナジーの非常に優秀な構築者、が8月にネットジェットのCEOに就任しました。彼のリーダーシップは変革をもたらしました。負債は14億ドルに縮小され、2009年に711百万ドルという驚くべき損失をこうむった後、会社は、今、利益を出す体制になっています。

最も重要なことは、デイブによってもたらされた変革は、ネットジェットの前のCEOで分割所有の生みの親であるリッチ・サンテルの主張した安全とサービスの最高級の基準を下回っていないことです。デイブと私は、我々や家族が航空機を利用する際に、ほとんどすべてネットジェットを利用するので、我々の取締役や経営者と同じように、これらの基準を維持することに可能な限り強い個人的関心を抱いています。我々は、どのような者であれ、特別な飛行機やクルーを充てられることはありません。我々は、まさに他のオーナー達と同じ待遇を受け、これは我々が個人で契約している際に他の人たちと同じように契約料を支払っていることを意味しています。要するに、我々は自分で料理したものを食べているのです。航空事業においては、他のいかなる証明も、それ以上のものではありません。

大久保隆弘「電池覇権 次世代産業を制する戦略」(1)

4492761926 低炭素社会実現に向けてキーデバイスとなるリチウムイオン電池をめぐってこれから大競争社会が始まるとして、日本企業がいかに挑むべきかの戦略の書であるという。リチウムイオン電池は日本で製品化され、すでに民生用機器の多くに使用されているが、著者は、かつての半導体、液晶ディスプレイ、携帯電話、DVD等のように開発段階で先行しながらも、製品ライフサイクルの段階における市場成長期で後発の韓国や中国、台湾に逆転され、世界シェアを大幅に落としていったことを教訓に、同じ轍を踏まない。また、電池で日本が敗れれば復活のチャンスは二度とないという危機感を持つべきだと言っています。

現在、リチウムイオン電池の生産が行われているのは、殆んどがアジア地区で日本が50%、中国が23%、韓国が22%で、実に3ヶ国で95%のシェアを占めている。90年代後半から、日本から韓国、中国に製造技術と組成に関するノウハウが流出し、アメリカからも中国へ技術と資本が渡り、急速な成長拡大を遂げているといいます。すでにリチウムイオン電池もアジア勢にキャッチアップされて来ているため、従来のパターンが繰り返されると電池産業も日本は失ってしまうことになると著者は言います。実際に、韓国のLG化学はデトロイト郊外に巨大な理知受けイオン電池工場を建設しアメリカの自動車産業とのつながりを深めているし、サムスン電子もBOSCH等の欧州企業と自動車用電池の開発を急いでいるし、また中国のBYDも国の手厚い支援を受けながら大型リチウムイオン電池の生産を急拡大させていると言います。しかし、未だ電池の覇権争いは始まったばかりであり、技術的な優位は日本にあり、まず電池の競争力を高めて、その地位を確固ににしてイノベーションで主導し、知財を固め技術の流出や模倣を受けないようにして、量産で一気に世界市場に普及させることが大切だと言う。

電池は金属イオンを正極と負極間を移動させることで電流を発生されるという単純な仕組みです。しかし、イオンの詳細な動きは電子顕微鏡でも捉えられず、正極や負極の内部構造も推察の域を出ないのが現状で、実際の電池ではイオンがどのように振舞っているのか、そのメカニズムが殆んど解明されていない。電池研究の難しさはそこにあり、実用が困難であった理由がそこにあります。様々な電池の中でリチウムイオン電池の特徴は、蓄電能力の大きさと高い電圧(約4V)が得られることです。電解液に水溶液ではなく、有機溶媒の電解液を用いるので高い電圧をかけても溶媒分解しないためです。しかも嵩張らない。リチウムイオン電池はソニーによって初めて製品化され、小型音楽プレーヤーや小型ビデオカメラ、ノートパソコン等に搭載され、用途が広がってきました.リチウム電池の開発は、成果がなかなか上がらず、徐々に実用化レベルに辿り着いた「積み上げ型」「擦り合わせ型」のタイプで、正極、負極、電解液の組み合せを企業間、部門間で繰り返しながら開発される、用途に応じて最適な材料も異なり、その都度綿密な擦り合わせが必要とされるもので、これが日本で発達を遂げた大きな理由と言えます。リチウムイオン電池は未だ発展途上にあり、90年代から製品開発が続き20年を経た現在も技術と素材の改良は続いています。一定の性能基準を満たした電池が量産化される一方で、次々に新たな素材を用いた電池が別途開発されている状況でもあります。民生用リチウムイオン電池においては、すでに日本企業は韓国企業に主役の座を奪われつつあり、日本の技術が電池メーカーの技術者や材料メーカーから流出し、製造装置も量産化のノウハウも伝わって、標準品のコスト競争期を迎えていて、モノ作りの競争から、日本、韓国、中国の技術者たちによる性能、品質の開発競争の時代に入ったといえます。ここで、大型用リチウム電池の時代が始まり、二次電池をめぐる開発競争は一変した。大型用リチウムイオン電池とは一つのセルが40Ah以上のサイズのものをいい、おおよそ携帯電話で用いる小型リチウムイオン電池の約60個分に相当する。

2010年11月25日 (木)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(5)

規制されている公益事業

バークシャーはミッド・アメリカン・エナジー・ホールディングスを89.5%所有しています。この会社は幅広く多様な事業を行っています。それらの最大のものは、(1)ヨークシャー・エレクトリックとノーザン・エレクトリックで、これらは380万人のエンドユーザーを有するイギリスで3番目の電力供給会社です。(2)ミッドアメリカン・エナジーで、主にアイオワで725,000人の顧客の電力を提供しています。(3)パシフィック・パワーとロッキー・マウンテン・パワーで、6つの西部の州で170万人の顧客に電力を供給しています。(4)カーン・リバーとノーザン・ナチュラル・パイプラインで、アメリカで消費される天然ガスの約8%を運びます。

ミット・アメリカンには、2人のすばらしいマネージャー、デイブ・ソコルとグレッグ・アベルがいます。その上、私の長年の友人であるウォルター・スコットは家族とともに、この会社の主要株主でもあります。ウォルターはどんな活動にも、驚異的なビジネス知識を活用します。デイブ、グレッグ、ウォルターと共に働いた10年間は私の信念を裏付けました。バークシャーはこれ以上のパートナーは持てなかった。彼らは、本当に、ドリームチームです。

いくぶん不似合いですが、ミッド・アメリカンには、全米第2位の不動産会社、ホーム・サービス・オブ・アメリカを持っています。この会社には16,000人のエージェントが21のローカル・ブランドで事業を行っています。昨年も、住宅販売にとってはひどい年となりましたが、ホーム・サービスはある程度の利益を稼ぎました。それは、シカゴの会社を取得し、常識的な価格で取引ができるようになった時に、良質に不動産仲介活動を加えることになりました。今から10年後、ホーム・サービスはずっと大きく成長しているでしょう。

我々の規制的な電力事業は、多くの場合独占的にサービスを供給して、サービス地域の顧客と共生する事業活動を行いっています。それは、ユーザーは会社に第一級のサービスを期待し、将来の必要性のために投資を行うというものです。発電と主要な送電のための認可と建設期間は大きいので、この事業には先を見通す力が課せられています。我々は、次に、将来のニーズを充たすために投資なければならない膨大な資本に見合うだけのリターンを認めてもらうため、ユーテリティの監視機関(我々の顧客を代表して活動している)に注目しています。我々は、監視機関が■

デイブとグレッグは我々がしようとしていることを確認します。ナショナル・リサーチ会社は我々アイオワや西部の産業のトップからランク付けを行っています。同様に、マスチオという名の会社による全米の43のパイプラインのランク付けの中で、我々のカーン・リバーとノーザン・ナチュラルは第2位になりました。

その上、我々は将来に備えるだけでなく、これらの活動を環境に優しいものにしていくための活動に、莫大な金額をつぎ込んでいます。我々は、ミッド・アメリカを10年前に購入してからずっと、配当を払っていません。我々はその代わりに、我々がサービスを供給する地域の各々で環境を改善し、広げるために収益を投入してきました。一つの劇的な例として、我々のアイオワと西部ではこの3年間で、25億ドル稼ぎながら、風力発電施設に30億ドル投入しました。

ミッド・アメリカは社会との約束の成果を保ちつづけました。そして、両者の往復によって信頼が維持されました。ほとんど例外なく、我々の監視機関は、我々が環境などへ投資しなければならない投資の公正なリターンを得ることについて、すぐさま、認めてくれました。事業が進むにつれて、我々は、彼らが考えつくことで、地域に役立つことであれば、何でもします。我々は、次にも、我々が投資する資金に値するリターンは認められると信じています。

最初の頃は、チャーリーも私も公益事業のような資本集約的な事業を避けてきました。本当に所有者にとって最高の企業は、断然、高い資本の収益を持ち、成長のための増資をほとんど必要としないものなのです。我々は、幸運にも、何社かそのような企業を所有していますし、今後、そのような企業を買い増したいと思っています。しかし、バークシャーは現金の総額が絶えず増やしていくために、我々は、今日、定期的に大規模な資本的支出を必要とする企業に参入しています。我々は、これらの企業には、彼らが投資する資金に対する適切なリターンを得ることへの合理的な期待があるだけです。我々の予想が応えられ、我々はそうなると信じていますが、バークシャーの偉大なビジネスに向かって利益を成長させていく集積が、この先ス数十年間は平均以上のリターンを突出はしないけれど確実に、稼いでいくでしょう。

我々のBNSFの事業は、我々の電力事業とよく似た重要な経済的特長があることに注意して下さい。どちらの場合でも、我々は、我々の顧客やコミュニティそして本当に国民の経済的福祉にとって必須な基本的サービスを行っており、これからも行っていくものです。どちらも、これからの数十年間、減価償却費をはるかに上回る設備投資を必要としています。どちらも、長期的に需要の需要を上回ると予測される需要を満たすに十分な計画をたてていかなければなりません。最終的に、どちらも、我々がプラントを維持、改修、拡大するために必要な大規模投資を自信をもって行えるだけのリターンへの認可を確実に出してくれる監視機関の賢明さを必要としています。

我々は、ちょうど、我々のユーテリティについて当てはまるように、我々の鉄道事業と市民の間には“社会契約”が存在していると思っています。そのどちらの側も、義務を忌避した場合には、どちらも必然的に被害を蒙ることになるでしょう。したがって、契約のどちらの側も相手の良い振る舞いを呼び起こすような振舞うことによって利益がもたらされることを理解しなければなりません、我々はそう。信じています。我が国が第一級の電気や鉄道のシステムを備えることなしに、経済的な可能性を完全に近づけようとすることなど考えられません。我々は、これらのシステムが存在するのをみるため、我々の義務を尽くします。

今後、BNSFの業績は、この“規制されている公益事業”のセグメントに含まれることになるでしょう。同じような経済的特性を持っている2つのビジネスは別として、どちらも、バークシャーによって保証されないかなりの額の負債の論理的なユーザーです。どちらも、かれらの収益の大部分を保有するでしょう。鉄道がより大きな循環を示すけれども、どちらも良いときも悪いときも利益と投資を行っていくでしょう。全体として、我々は、何百億ドル、はい何百億ドルです、自己資本による投資する費用で、この規制されている公益事業が、時の経過と共に収益を増やしていくと考えています。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(9)

今日では「主体」は普通の日常用語として定着した一方で、哲学や思想を語る用語としては影が薄くなっている、と著者は言います。その原因として、学生運動の衰退と、構造主義哲学のブームを上げています。例えば、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』のなかでパノプティコンが象徴的に示しているように、「主体」は人間にもともと有しているものではなくて、近代的な装置や制度によってつくりだされたフィクションなのです。監獄で一望監視装置(パノプティコン)の中に入れられた囚人たちは中央に位置する監視者のまなざしを見ることはできず、それゆえに、そのまなざしを常に意識していなければならないという強いられた状況から、やがて囚人たちはその他者のまなざしを内面化させ、いわば自分で自分を監視し、管理するようになる。このように他者のまなざしを内面化することにより、自己管理を行う「強制された自発性」は囚人に限らず、近代的人間の「主体」に妥当するという。このほかにもジャック・ラカンなどからも、近代哲学が自明の出発点として依拠した「主体」の自律あるいは自立が、監視装置や父ないし言語的無意識という他者を介して造られたものでしかない、このことから、「主体」に対する素朴な信憑は消えていったわけです。

じつは、このような外的な原因だけでなく、主体性という概念自体に自身を希薄化させる内的要因あったといいます。戦後の主体性論争のきっかけとなったのは、たんなる戦争を指導した軍部への批判ではなく、そういうものを許してしまった「われわれ」という自身への批判、つまり自己批判でありました。また、主体性というのは個人の問題で、主体性を訴えるということは、大体の場合、既成の政党や組織に反撥しました。集団への帰属を拒否する個人にとって倫理やモラルはどうなるのか、というのは倫理やモラルというのは集団に帰属することにより与えられ保証されるものだからです。しかし、学生運動は正義を求めての戦いであり、そこには倫理性が求められたはずです。ここに胚胎したのが「自己否定の論理」です。さきに紹介したフーコーの強制された自発性が本人に自覚されない擬制の自発性は、本人がモラルや倫理に反した場合には、その処罰は砕いてきな他者によってではなく、あくまでも自分の自発性にゆってなされる、いわば自己処罰が行われるのです。これと究めてよく似た自己批判というスタンスが全共闘といわれる学生運動の特徴を為していました。しかし、この自己批判は、当初は個人の良心に発したものでしたが、中には、リゴリスティックな自己批判を自殺という文字どおりの自己否定行為にまで突き詰めていってしまいました。罪を自覚する良心の呵責が自己処罰に突き詰められ、この処罰を内在させた良心に基づく自己否定がエスカレートして極限化していったのが内ゲバ殺人や組織内リンチです。このような事態が露わなったとき「主体性」に対する不信や懐疑が広まったのではないか。そのご、著者は心理学から入ってきた「アイデンテティー」という概念やその通俗版ともいえる「自分探し」のなかにかたちを変えて生き延びているといいます。

ここまで、「主体」という日本語が、Subjectの翻訳として「此観」「主観」「主体」さらには「主語」「臣民」などと異なったシニフィアンで表記され、変遷を経てきましたが、これらを包摂する実体としてのアイデンテティが不在で、そのシニフィアンの変遷や多様性は、そのままシニフィエ自体の流動性になってしまっていたわけです。

これは、論語─心の鏡でも感じたことですが、一見自明なことに対して、これは何か?とかどういうことか?ということに問を向けると、じつは実体がなくて、誰かがそれに明確な言葉を与えてあげると、それが実体であるかのように周囲の人々が、それに飛びついてくる。これは、私の仕事にも似たようなことがあることで、例えば、会社の戦略とか、事業方針とかいうような、よく考えて見れば実体のないようなものに、誰もがとりあえず「そうだったのか!」と納得できるような言葉を与えてあげることで、社内がまとまって集団としての力を普段では考えられないほど発揮してしまう。優れた経営者には、そういうタイプの人がいると思います。それは、以前、このプログでも取り上げた『ストーリーとしての競争戦略』でもそうで、ストーリーというのは人々が受け容れ易い形式です。この形式にあてはめて、モヤモヤしているものを実体化させ力としようというものでいないか、と思います。これは政治の世界ならばイデオロギーというものにも通じるのではないか。イデオロギーなどという言葉は若い人には死語になっているようですが、私はIRという仕事が、社外の投資家といような人たちに「この会社はどういう会社か?」ということの説明を繰り返しているうちに、上で言ったと同じようなプロセスを繰り返してきたように思います。それを、あるとき社内の人間に話したときの反応が、「そうだったのか!」ということもあり、逆に「何言ってんだ!」という反撥を招いたこともありますが、共通していたのが、そういう言葉をこちらから与えるまで、彼らにはそういう言葉がなかったということです。そういうと、何かこの仕事が哲学的なように聞こえてしまいそうですが。でも、投資家の人たちに、私の会社はこういう会社ですと説明してある程度の理解をしてもらった上で、はじめてこの会社はこういう戦略で将来に向けての成長を図っています、ということが説明できるので。孫子ではありませんが“敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”の会社という己を明らかにしなければ、はじまらない。しかるに、その己というものが、実はシニフィアン(表面的な言葉の響き)にすぎず、実体を伴わない。となれば、それは形式的にはIRの仕事ではない、としても既に外に向けて言葉としてしまっていて、内に対しては言葉として形づくられていないとすれば、ある程度のことは、やらざるを得ないのではないか。ことは、さっきも言いましたように経営者の仕事です。しかし、私には、これは私の偏見なのかもしれませんが、IRという仕事にはそういう側面がどうしても入ってきてしまうのではないか、と考えているのです。

2010年11月24日 (水)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(4)

GEICOから始めましょう。この会社は年間8億ドルもの広告予算をかけているのだから、皆さんもご存知のことと思います。GEICOのマネージャーであるトニー・ナイスリーは18歳のときこの会社に入りました。現在、彼は66歳、私が79歳ですが、今でも毎日タップダンスしながらオフィスに通っています。私もトニーも大好きなビジネスを職業とすることができて幸運だったと思います。

GEICOの顧客にも、この会社に対する暖かい感情があります。証明はここにあります。バークシャーが1996年にGEICOの経営権を獲得して以来、マーケットシェアは2.5%から8.1%まで増加し、保険契約者は合計で700万人増加しました。おそらく、彼らは、我々のヤモリ?を可愛いと思って我々に連絡したのでしょうけれど、しかし、かれらは貴重なお金を節約するために我々を選んだのです。(あなたも1-800-847-7536に電話するか、www.GEICO.comのページに行けば、同じようにすることができます)そして、彼らは価格だけでなく我々のサービスを好んでいるため、契約を続けているのです。

バークシャーは2つの段階を経てGEICOを獲得しました。1976年から80年には、我々は4700万ドルで、この会社の株式の3分の1を取得しました。長年にわたる大規模な自社株の取得により、我々のシェアは株式を購入することなく、約50%まで成長しました。それから、1996年1月2日、我々は最初の購入額の50倍となる23億ドルで残りのGEICOの残りの50%の株式を取得しました。我々の経験は、次のウォール街の古いジョークのようです。

               :XYZ社の株式を5ドルで買ってくれて、ありがとう。私は、それが18ドルまで上がると聞いている。

ブローカー:はい、ちょうど始まったところです。実際のところ、この会社は今好調で、あなたが買った時から18ドル以上の買い物になっています。

               :くそー、待つべきだと、分かっていたのに

GEICOの成長は、2010年には減速するかもしれません。アメリカの自動車セールスの落ち込みにより、自動車の登録台数は減少しています。さらに、失業率の高さは無保険のドライバーを増加させています(そのようなことは、どこに行っても違法であるに違いありません、しかし、失業しても、まだ、運転したいと思うでしょうか)。しかし、“ロー・コスト・プロデューサー”というステイタスが、将来、我々に大きな利益をもたらすことは確かです。GEICOは1995年の時点では、我が国で6番目に大きな自動車保険でしたが、現在では3番目です。会社のフロートは27億ドルから96億ドルに増大しました。同じく重要なことは、バークシャーが所有している14年間のうち13年はGEICOは引受業務で利益を上げていることです。

20歳の学生の頃、初めて会社訪問した1951年1月、私はGEICOにワクワクしました。トニーのおかけで、今日、それ以上に私はワクワクしています。

バークシャーの歴史の中で非常に重要なイベントが1985年の土曜日に起きました。アジット・ジェインがオマハの私のオフィスにきた日です。私は、我々がスーパースターを発見したことに気がつきました。(彼はマイク・ゴールドバーグに見出され、今ではセント・マイクにまで上り詰めました)

我々は、すぐに、アジットを国家賠償の小規模で困難な再保険の担当にしました。彼は、長年にわたって、このビジネスを保険の世界における他に類のない巨人に作り上げました。

今日、わずか30人のスタッフで、アジットの活動は、いくつかの領域の保険で業務サイズの標準を作りました。アジットは10億ドルに限度を置き、他の保険会社とともにそれを一時解雇する代わりにリスクを10セント硬貨分に抑えています。3年前、ロイズから巨大な債務を引き継ぎました。ある点で322年もの間、団体の生存を脅かし続けた問題に支配された保険証書にサインした27,972人の関係者(“氏名”)との関係を清算することを許容して。そのただ一つの契約の保険料は71億ドルでした。

アジッドのビジネスはGEICOとは正反対のものです。その会社で、我々は毎年大幅に更新する何百万もの小さな保険証書を有しています。アジットはほとんど保険証書を作成することはなく、毎年、それらの組み合わせをかなり変えます。世界中の至るところで、彼は大規模で定例的でない保険が求められるときに、連絡すべき人として知られています。

もし、チャーリーと私とアジットが沈んでいくボートに乗り合わせていて、その一人だけしか救うことができないなら、アジットを救って下さい。

我々の3人目の保険の原動力はゼネラル・リーです。数年前まで、この分野はトラブルに見舞われていました。しかし、今は保険事業の中の輝く宝石です。

タッド・モントロスのリーダーシップの下で、ゼネラル・リーは2009年大きな引受業務を持ちました。保険料のドル当たりのフロートが莫大となるものです。ゼネラル・リーのP/C事業と一緒に、タッドと彼の同僚はますます貴重になった大規模な再保険を開発しました。

昨年、ゼネラル・リーはついに、1995年以来、リーは部分的な所有であるものの、世界中のリーのグループの中でキーとなる部分でしたケルン・リーの100%所有に到達しました。タッドと私は、その経営者にバークシャーへの多大な貢献に感謝するため、9月にケルンを訪問します。

最後に、我々には、一群のより規模の小さい会社があり、それらのほとんどが、保険世界の特殊な分野を専門にしています。その全体としての結果は、一貫した利益をもたらしました。そして、下の表が示すように、それらの会社が我々に提供するフロートは相当な量になりました。チャーリーも私も、これらの会社と経営者たちを大事に思っています。

ここに4つの保険のセグメントの財産と収支が示されています。

そして、今、苦痛を伴う説明を述べねばなりません。昨年、私は(あなた方の会長)自身の判断によって非常に多額となったビジネスの失敗を犯しました。

長年にわたり、何百万ものGEICOの顧客に副産物を提供することを考えていました。残念なことに、私は我々のクレジットカードを売り出すという輝かしい洞察を得て、最終的に実行してしまったのでした。私はGEICOの保険契約者が信用リスクが良好であろうと推論しました。そして、我々が魅力的なカードを提供すれば、我々のビジネスを支持すると思いました。私はこのビジネスがうまくいくと思いました。しかし、それは間違っていたのです。

気がついたときには、クレジットカード事業による税引前損失は630万ドルに達しました。我々は、それから、9800万ドルの問題を抱えた債権ポートフォリオを1ドルあたり55セントで売り、さらに4400万ドルを失いました。

GEICOの経営者たちは私のアイディアには決して乗り気ではありませんでした。このことはぜひとも強調しておかねばなりません。彼らは、GEICOの顧客が旨い汁をしめる代わりに、…不味い汁とでも言いましょうかを食らわすことになる、と警告したのです。私は、彼らに私のほうが年齢も高いし、その分賢いと、微妙に仄めかしました。

しかし、単に、年を取っていただけでした。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(8)

ちょうどこの時期に、時を同じくして高揚してきた学生運動においては、「主体性」の概念は不自然なほど抑圧されていました。それは、東大新人会を中心に活発な主体性議論を共産党指導部から排斥されてしまったことによるものです。この中で『季刊理論』では主体性概念の継承が行われていきます。例えば、田中吉六は、それまでの主体論者の議論が、唯物論に対して主体性をあくまで外部からもってきて補完しようというものであったのに対して、マルクスの唯物論には初めから「主体性」が内在しているという立場から論を起こしたという新しさがありました。田中は、人間が自然を感性的知覚するだけでなく、労働という実践を介して人間が自然に対して働きかけるという、人間の自然に対する受動と能動の二つの面を見ることによって、自然(客体)と人間(主体)との「発展的」で「対自的」な相互関係をとらえ、それによって「主体的唯物論」を構想しました。しかし、こうした自然と人間との基本的な関係は資本主義社会においては調和的におさまらない。つまり、人間という主体は労働を通して自然という客体を商品という客体に加工する。それは主体が自らを商品という客体に外化し、対象化することである。だが、この本来主体の客体化にすぎない商品が増大するにつれて、いつのまにか主体の上に君臨し、逆に主体を抑圧する結果を招いてしまう。いわゆる自己疎外です。こういう認識にたって田中は、革命の動機づけを行いました。「疎外革命論」です。

これを、さらに現実の運動に近づけて論じたのが黒田寛一でした。彼らが展開した主体性論は共産党から離れた革命運動、新左翼と呼ばれる中の革命的共産主義者同盟の周辺で受け入れられ継承されていきます。

このような流行の兆しを見せる「主体性」と「疎外」の成り行きを批判的に見ていたのは、廣松渉でした。しかし、廣松の批判は理論的でありすぎたと言えます。

現実の「主体」概念のほうは「疎外」概念とともに理論の領域を超えて、心情一般の領域に拡散していったからです。著者は言います。「「主体性」という言葉は、学生運動という舞台を中心にして、ある時期から哲学や学問の手を離れて、それ自体が急激にひとり歩きを始め、時とところに応じて各自が様々につかう空虚な言葉となってひろがっていったのである。」学生運動の高揚期においては「主体性」は余計な理屈づけを必要としなくなり、むしろ無記であるがゆえに逆に何でも包みうる決め台詞ないし殺し文句としての威力を発揮していった。主体の発見は、まず直接的には孤立した自己の発見から始まりますが、運動の中で、孤立の自覚に立った連帯ということとは別に、敵として考えられていた現実の資本主義社会に加担する自分の存在を自覚することでもありました。つまり、目標としての体制を打倒すること、それは否応なく加担している自分をも打倒しなければならない。そうでなければ闘争は自己欺瞞になってしまうからです。この自己の否定を介しての闘争という批判のあり方が自己否定の論理として追求されていきます。

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(3)

それでは、バークシャーの活動の詳細に移りましょう。我々には、4つの主要な事業部門があり、それぞれに貸借対照表や損益計算書は個別に作成しています。ひれゆえ、標準的な財務諸表のようにそれらを一緒くたにまとめてしまうことは、かえって分析の妨げとなってしまいます。それで、チャーリーや私がいつも見ているように、これら4つを切り離された事業体として、説明していくことにします。

我々の資産障害(P/C)保険事業はバークシャー成長のエンジンであり、今後のそうであり続ける事業です。この事業は、我々にすばらしく貢献してくれました。我々は、“のれん”勘定を計上したことにより、P/C会社に帳簿価格で155億ドルの正味固定資産を増やしています。しかしながら、これらの会社は、帳簿上の価値よりも、もっと高い価値があります。P/C事業の経済モデルにその理由があり、それをこれから説明していきましょう。

保険会社は前払した保険料と失業保険支払要求を後で受け取ります。ある労災補償事故のような極端な場合には、何十年にもわたり支払が延びてしまうことがあります。この先方払い、後払いのモデルは、我々が“フロート”と呼ぶ多額の現金は、結局別のものになってしまいます。一方、我々は、バークシャーの利益のためにこのフロートを投資にまわすことができるのです。個々の方針や主張が行ったり来たりすることがありますが、フロートが生み出す保険料の総額は安定的に維持されています。従って、フロートの額が増えるにつれて、我々の事業も成長して行きます。

保険料が経費と最終的な損失の合計を上回った場合には、我々はフロートが生み出した引受業務利益を計上します。この組み合わせにより、我々に自由に運用を行う余裕を許されます。そして、そらに、その保持による報酬を受け取るのです。このような有利な結果を生み出す可能性ゆえに、激しい競争があります。それは、多くの年度でP/C事業が全体として重要な引受業務損失を計上することになるほど激しいものです。この損失は、実質的に、この事業がフロートを有するために支払われるものです。通常の場合、このコストはかなり低く抑えられていますが、大災害の起きた年の保険の損失を引き受けることによるコストは、フロートの運用から得られる収益以上のものとなります。

私の個人的な意見では、バークシャーは世界で最良の保険事業を行っていると思います。そして、我々には最高の経営者がいると断言できます。我々のフロートは、我々が事業に参入した1967年の1600万ドルから、2009年末には620億ドルまで成長しました。さらに、我々は今まで7年間連続で引受業務で利益を上げつづけています。私は、将来にわたって、すべて確実ではないでしょうが、ほとんど大部分において、引受業務で利益を上げ続けるであることを確信しています。我々が支払いのことを考えずに自身の利益のために投資を行うことができるかぎり、我々がそれを行えば、我々のフロートは(実質的に)コストフリーです。

全体としてP/C事業にとってコストフリーがつねに期待された結果でないことは、もう一度強調させていただきたい。大部分の年度では、保険料だけでは請求や経費を十分にまかないきれません。したがって、事業全体の株主資本利益率は何十年もの間、SP500による達成されたものを下回っています。尋常でないビジネスを行っている数人のきわめて優秀な経営者がいるから、バークシャーには顕著な経済学が存在します。我々の保険CEOは皆さんに多大な貢献をしています、バークシャーに何億ドルもの価値をもたらしたのですから。私にとって、これらのオールスター選手たちのことを皆さんにお話するのは、喜びなのです。

2010年11月23日 (火)

あるIR担当者の雑感(7)~決算短信?

こんなことを書くと、愚痴だなと、自分でも思うことがあり、これを読んでいる方には申し訳ないと思ったりしますが。また、会社によっては、そんなことは絶対にない、ということもあるでしょうから。ただ、私の勤務先以外の会社でも似たようなことがあるとは、風の噂で耳に入ってくるので、敢えて少し書いてみます。ちょうど、今、3月決算の会社の第2四半期の決算発表で出揃ってきたところです。日本の上場会社の場合には証券市場に向けて決算短信をものを発表します。同時に新聞社や通信社等の報道機関にも同じものをプレスリリースします。東京ならば、東京証券取引所やジャスダック(今は大阪証券取引所です)に公開し、東京証券取引所の3階にある兜クラブという記者クラブの専用ポストに決算短信を配ります。(これを、通称、「投げ込み」といいます)

さて、この決算短信ですが、売上や利益、資産や負債の決算数字を発表する、損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書といった財務諸表、以外に定性的情報といって事業の経過とか財政状況について文章で説明するところもあります。財務諸表は経理が当然作成するということになりますが、定性的情報については、会社によって経理がつくったり、IR部門が作ったり、法務や総務が作ったりと、会社によってまちまちのようです。

この定性的情報って、ほとんど大部分が読んで面白くないです。小説のように手に汗握るまでは期待しませんが、少なくとも企業が事業の結果を市場にアピールできる場でもあるというのに、読んでみて興味を掻き立てるということすら皆無なのです。なんか、お座なりというのか、記載することが決まっているので、とにかく何か書いたというとしか考えられないものばかりなのです。(中には、文章にすらなっていないひどいものもあります。)これは新しい、古いとかいうようなこととも余り関係がないようです。社長がたいへん意欲的な経営をして成長している会社でも、伝統がある手堅い会社でも、あまり変わりはないようです。また、不思議なことにIRに熱心で立派なアニュアルレポートやホームページを充実させているような会社でも、決算短信の文章はお座なりのところがあります。それが見えると、この会社は派手でよく見えるところは飾るけれど、地味な(?)ところは手を抜くのではないか。結局、表面的なのかと勘ぐりたくなってしまうこともあります。

でも、違った面から考えてみると、そうまでして大多数の企業が、やっつけ仕事で仕方なく付き合っているような、決算短信の文章って、そうまでして載せる必要があるのでしょうか。凄く無駄な気がしてなりません。それとも、株式市場で、これは投資家のために絶対に必要だというような強固なポリシーでもあるのでしょうか。

また、今年度から決算短信の書式が変更となり、簡易化されました。決算が四半期ごととなり、以前は半期で作成していた短信が倍の四半期となったこたから経理関係者の負担はかなりのものだったはずで、簡易化されることは各上場企業の負担が軽減されることになり、反対すべきことはないわけです。しかし、簡易化の内容が、果たして投資家のことを考えているのか、それを受け入れる企業の側が単に簡易化されることだけを歓迎してはいないか。と余計な茶々を入れたくなるのです。例えば、短信は連結財務諸表中心で、企業単体のものは発表されなくなりました。連結というグループの中で本体がどうなのかは表に出てこなくなる、とくに製造原価報告書のようなものはメーカーの分析をする際に、どれだけコストダウンを進めたのかが端的に数字に表れるのが、これです。また、セグメントに対する考え方がマネジメントアプローチに変わって、去年まで、事業の種類と所在地別でそれぞれ売上と利益を発表していたのが、所在地別は今年から発表しなくなりました。これなど、企業の海外進出がどの程度なのか知るための指標として便利なものだったのですが。私の勤め先もそうで、あまりたいしたことは言えないのですが、ここで、投資家のためにと敢えて、発表しなくてもいいけれど発表するという企業はないようです。負担が減るということでほっとしていた経理を説得するのはたいへんでしょうけれど。

今回は、愚痴っぽくなってしまいました。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(7)

京都学派によって先鞭をつけられた「主体」概念は、第二次世界大戦後、主体性論争で一種の流行語にもなりました。これはマルクス主義の解釈をめぐって、文学論争から始まり哲学者や社会科学者の間に飛び火して広がったものでした。その争点とは、一言で言えば、マルクス書義的唯物論に主体性は認められるか否かという問題でした。

梅本克己は「人間的自由の限界」を発表します。その中で、人間の自由は自然を合理的に支配することに始まり、さらに支配組織や制度を備えた第二の自然ともいうべき社会があって、これらの克服がないと、人間は真の自由な主人公となりえないからで、これはマルクスやエンゲルスの意図でもあったと言います。自由の獲得とは自己疎外からの人間解放ということでしょうか。つまり、社会においては一度得られた必然もやがて人間を拘束する桎梏となる。それは、人間が自ら作り出したものによって支配されるようになることです。克服以前の自然と同じような偶然となってしまう。だから自由であろうとすれば、人間は不断にその偶然を批判的創造的に克服しつづけなければならないということです。このような梅本の主張は、今ならば、問題がどこにあるかも分からない当たり前のようにも見えます。しかし、当時のマルクス主義の論壇では、このような個人の創造的自由と言う、人間の「主体性」を入れて歴史のダイナミズムを捉えようとする梅本の節は、マルクス主義正統派である模写説への間接的な批判ととられたのでした。また、梅本の主張の中には京都学派の影響が見られることから、当時の正統派からは観念論と批判されたのでした。

実際に京都学派には梅本の先駆者がいたのです。梯明秀は1937年「唯物論と主体性」というそのものズバリというような論文を発表しています。ここで梅本に先駆けて、むしろ彼よりも明確な主張を展開していました。例えば、梅本の言う自己疎外を主体的に克服しようとするとき、それを克服しようとする人間の側の意識について、現実に意を唱え、それを変革しようとする意志は、その現実を否定することから、それ自身は論理的には一種の「無」ということになると言います。これはヘーゲル=田邊の弁証法における「否定」の意味に近いものです。これに対して、梅本の場合は、歴史の転換期において革命や変革が行われる場合、そこでは階級的利害対立が前面に出てくることになるが、この対立は言い換えれば社会性と個人性との分裂だと言います。この革命運動の担い手たちは、それまでの労働者としての資本主義社会における現実的なあり方を否定し、階級全体ひいては全人間の解放という、未だ実現されていない理念へ献身することになります。言い換えれば、古い全体性の中の現実的な個としての自分を否定して(=死)、未だ現実となっていない新しい全体性における個の復活を考えるというもので、この自覚は宗教と似たような性格を持つことになるわけです。しかし、この論争の結果は何物も生まない不毛なものとなったようです。それは当時の政治情況が緊迫したもので、労働運動が急激に高揚し、革命勃発を懸念したGHQが激しいレッド・パージに出る次期でした。このような時期に「人間性」なんかを引き出した哲学論議など悠長で無意味に聞こえ、実践が喫緊のものとして迫っていたと言えます。皮肉な言い方をすれば、戦時中の京都学派が「主体」を「国体」に横ずれさせたことと、戦後の唯物論者が「主体」を「党派」に横ずれさせたことは、同じようなものです。その理由は何か、著者は言います。「論者たちがこぞって「主体」というシニフィアンを「Subjekt」の翻訳語として、つまりあくまでその代理の符牒として使っているからである。だからそこにはこの日本語のシニフィアンを構成している「主」や「体」への関心など生まれようもない。」と。しかし、著者は主体性論争が終わったことについて、当時、「主体」概念が急激に広がったことに注目します。ここでは雑誌『世界』で1948年に掲載された「唯物史観と主体性」に注目します。正統派の唯物論、近代主義的な政治学者、心理学者、実存主義的な哲学者、デューイ型のプラグマティズムに依拠する社会学者などが議論をしていますが、「主体」の捉え方はバラバラのようです。そこで、注目されるのは、この「主体」という新造の翻訳語が急速に人々の関心を集める半面で、実証科学を信奉する人々からは、はじめから理論的有効性を疑われているということです。

2010年11月22日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(2)

我々は何をしないか

ずっと以前、チャーリーは、彼の最も大きな野心を開陳しました。それは「私が知りたいことの全ては、私がどこで死ぬかということだ。それが分かれば、私は決してその場所へは行かないだろう」このような知恵の切れ端は、プロシャの偉大な数学者ヤコビからインスパイヤされたことです。かれは、難問に取り組む際に「逆にして考えてみるんだ、いつも逆にして考えるんだ」と助言していた人です。(私は、この逆から考えるというアプローチをこれほど高邁でないレベルでも当てはまるというがいえると思います。カントリーソングを逆から歌ってみてください。そうすれば、すぐさま車や家、そして奥さんを取り戻すことができるでしょう。)

このようなチャーリーの考えていることをバークシャーにおいて我々が生かしている例を、ここにあげることができます。

         チャーリーと私は、その製品がどれほどエキサイティングであっても、将来性を評価できないビジネスは避けています。過去に、自動車(1910年)、航空機(1930年)、テレビ(1950年)といった産業が素晴らしい成長を遂げることを見通すことについて知能の輝きを必要としませんでした。しかし、未来は、また、それらの産業に参入してきた大部分の企業の息の根を止めてしまうような競争の力学も持っていました。そこで生き残った企業でさえ血を流し撤退する傾向にありました。

チャーリーと私がある産業の劇的な成長を明確に見通せるからといって、多数の競争者の中でトップに立った企業の利益率や資本利益率を判断できるわけではにいのです。バークシャーでは、我々は、この先数十年の利益が描けるようなビジネスにこだわり続けます。それでも、我々は多くの失敗をおかすでしょう。

         我々は、見知らぬ人の親切に依存することは決してないでしょう。「大きすぎて潰すことができない」というのはバークシャーのいざと言うときの頼りとするポジションではありません。その代わりに、我々は、常に問題が生じた場合に備えて流動性の一部によって、それを最小限に押えるために準備しています。その上、その流動性は我々の多くの様々なビジネスからの湧き上がるような利益を以って、絶えず補充されています。

2008年9月に金融システムが心停止の状態となったとき、バークシャーは金融システムに対する流動性や資本の供給元となりました。嘆願者にはなりませんでした。危機のまさしくそのピークに、我々は経済界に、連邦政府しか引き出せないような155億ドルを注ぎ込みました。そのうち90億ドルは評価の高い、以前は安全であると評価されていたアメリカの3つの企業、我々の具体的な信任投票を猶予なく必要としていた、の資本増強に注がれました。残りの65億ドルは、他のあちこちで混乱が支配する中、リグレーの買収の資金援助に充てられ、中止されることなく完了するまで続けられました。

我々は、我々の財務力を維持するために法外な負担を払っています。我々が、常時保有している200億ドルの現金同等物の資産からは、現在のところ少量の収益しかあげられていません。しかし、我々はぐっすり眠ることができます。

         我々は、多くの子会社を監督することも監視することなく、彼ら自身により運営させるようにしています。このため、時々、我々は経営上の問題を発見するのが遅れてしまったり、チャーリーや私が事前に相談を受けたならば同意しないであろう運営上、財務上の意思決定が為されてしまうことがあります。しかしながら、我々の大部分のマネージャー達は、我々が与えた独立性を堂々と使いこなし、巨大な組織でとほとんど見られないほど貴重な株主本位の姿勢を維持して我々の信頼に報いてくれています。我々は、息も詰まるような官僚主義のために決断かあまりにも遅く為されたり、あるいは回避されてしまうことによる見えない経費を招くことよりも、数少ない間違った決断によって生じた目に見えるコストで苦しむことを選ぶでしょう。

BNSFを買収したことにより、我々は、現在、257,000人の従業員と文字通り何百もの多様な事業を有しています。われわれは、そのそれぞれについて、もっと多く有したいと思っています。しかし、我々は、バークシャーが委員会や予算プレゼンテーションや何重もの管理職で溢れ返っているような遺物になってしまうことを決して許しません。その代わりに、我々は、現場レベルでほとんどの意思決定ができる中規模や大規模な個別のビジネスの集合体として運営していくことを計画しています。チャーリーと私は、資本の分配、事業リスクのコントロール、経営陣の選任及び彼らの報酬を設定すること(以外には手出ししないよう)に、自らを制限しています。

         我々はウォール街に求愛するような試みを一切行いません。メディアやアナリストの解説に基づいて売り買いする投資家は我々に賛成しないでしょう。その代わり、自分で理解できるその方針に共感できる事業に長期投資をしたいと考えているから、バークシャーに参加してくれるパートナーを我々は求めています。チャーリーと私が数人のパートナーと小さなベンチャーを立ち上げるとしたら、我々は、同じゴールそして運命を共有することが所有者と経営者の間で幸せなビジネス上の“結婚”ができることを知っていて、我々に共感してくれる人を探すでしょう。規模が巨大になることによって、その真実が変るわけではありません。

相互交流のできる株主層を打ち立てるために、我々は株主の皆様との間で直接的で有益な情報交換に努めています。我々のゴールは我々の立場が裏返しになった(株主の皆様の立場になった)ら、知りたいであろうことを皆さんに話すことです。さらに、我々は、四半期や期末の財務情報を週末の早朝にインターネットで掲示することに努めています。そして、そのことによってあなた方株主の皆様やその他の投資家に市場での取引のない期間で我々の多様な企業群がどうであったかを理解消化するのに十分な時間を与えられることになります。(時折、SECの報告書提出期限のため金曜以外の日に公表せざるをえないこともあります)これらの問題は、2~3の文章で簡単にまとめられるものではなく、ジャーナリストが時に捜し求めるような人目を引くような見出しにすることもできません。

昨年、我々は、ひとつの例として、サウンドバイドがいかに悪く報道されるかを見ることができました。昨年の手紙の12,830語の中に、このような文章がありました。“我々は、たとえば、2009年の経済は混乱状態にあり、そして、それがこれからも続くことを確信しています。しかし、だからと言って、そのことが市場が上がるとか、下がるとかということを、我々に教えてくれるものではないのです。”多くの報道機関はこの文章の最初の部分を、結末には触れられないまま、本当に騒ぎ立てるように報道しました。私は、これがジャーナリズムの恐ろしさだと思います。誤った情報を伝えられた読者や視聴者は、我々がこの文章以外のどのようなところにも、全く市場の予測をしていないことを明言していたにもかかわらず、チャーリーと私は株式市場が悪化すると予測していると思ったでしょう。煽動家に惑わされたあらゆる投資家は、大きな代償を支払うことになりました。ダウ平均は、昨年の手紙が公表された日の終値は7,063ドルでしたが、年末には10,428ドルの終値でした。

我々が経験したような2~3の事柄を経験できれば、皆さんは、なぜ我々ができるかぎり皆さんと直接的で省略されないコミュニケーションを志向しているかを理解していただけると思います。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(6)

高坂と相携えるように出てきたのが1942年の高山岩男の『世界史の哲学』です。自由主義や機械文明をともなった資本主義を核とするヨーロッパ近代社会の世界進出によって、世界はひとつになった。これにより、歴史も単なる孤立した国史ではなく、世界史として考察される必要がある。とはいえ、これまでのようにヨーロッパ史を機軸にして世界史を論ずることは、ヨーロッパと言う特殊世界を普遍視してしまうことであり、真の世界史観方とはいえない。世界史的世界には多元的な特殊的世界史が互いに対等なものとして存在するのであり、そうした多元性とそれに基づいた葛藤をとらえることのできる世界史こそが真の世界史である。多元性をこととする特殊世界史はそれぞれに固有な地理性を背負っており、この要因を考慮に入れない世界観は単なる抽象であり、現実的ではない。それぞれに固有な地理性を帯びるということは、そこに一定の文化を体現した民族とそれを基盤にした国家が成立していると言うことであるが、これは単に自然から与えられたものではない。それはあくまで人間と自然との長い交渉を経て出来上がったもので、この人間の社会的歴史的活動に対する認識を欠いては歴史はは空虚になってしまう。また、歴史は常にその都度唯一で一回的な現在の出来事であるところに、その本質がある。歴史はあくまでそのつど「道義的生命力」に支えられて起こる現在の創造的営為である。しかし、歴史にはつねに過去を永遠の秩序とみなすような自然意志がはたらくので、歴史的創造の営為はこの歴史否定の暗黒の原理との闘争を避けることができない。かといってまた、この過去性も現在性も無視していたずらに未来を志向する理想主義も誤りである。歴史は現在を核とした過去と未来の錯綜するダイナミズムのなかにこそ求められなければならない。

では、高山の『世界史の哲学』なかで「主体」はどうなっているのでしょうか。高山の歴史哲学の核心が自立した多元的文化という観点にあり、この多元的文化を体現しているのが民族や民族国家ですが、「主体」は直接この核心部に関係させられているものです。ただし、シニフィアンのずらしを通して。彼は次のように言います。「主体とは単に精神的なる主観ではない。精神的・身体的なるものが真の主体である。歴史とはこのような意味の主体的行動を俟って成立する」と、ここでも「身体性」の果たす媒介的役割は大きい。この身体を「空間性」から「地理性」へとずらしながら、そこに世界の多元性の根拠見出そうとします。そして、「主体」が基本的に自然を相手に活動する人間としてとらえられ、その活動を通して自然環境と交渉するといっても、それは人間が一方的に対象としての自然を加工してしまうわけではなく、真の関係は地理的環境と精神的主体との間に成立する「呼応」であるいいます。「呼応」とは主体と主体の間の事柄であり、人格の根源をなすものです。ここでは、「身体」を介して「主体」を「空間─地理─自然」へとつなぐシニフィアンの連鎖であり、個的主体を最終的に民族特殊性へと取り込もうとする試みでもありました。

高坂、高山と並んで西谷啓治の「主体的根源性」を見ていきます。かれは、宗教哲学から「無」と「主体」の結びつきを問い『根源的主体性の哲学』を発表します。歴史というのは単に客観的な因果の連鎖で流れていくものではなく、そこには人間の主体的なかかわりがある。そのかかわり人間の意志的要求として発現し、それが「客体」へと具体化されるとき現実の歴史が成り立つ。この人間の要求「主体性」はどこから来るのか。そこで展開されるのが「根源的主体性」です。西谷によれば、主体性は近世の産物であり、その近世の特徴は人間の自立的存在、人間自主性の自覚にある。しかし、これは単なる近代的自我や個人の成立以上の意味を持っていた。それは人間の自主性は個人と言う次元を超えて、普遍的理性の領域にまで広がるものだった。このような超越的な自己普遍化されたものを「根源的主体性」と呼びます。このような根源的主体性は普遍的理性に解消されてしまうことは西谷には受け入れられないことでした。そこで西谷は自我を肯定すると同時に否定し、それを通して何らかの超越を確保する「絶対無」の立場、これはたんに自我を否定して無くしてしまうのではなくて、あくまで自我を底に向けて徹底し、突き破るという「脱底」を通して人間主体を主体たらしめるような、しかもそれ自体は個的ではありえない超越的で根源的な主体性、つまり主体に対するメタ主体です。このような「主体」は「個人的主体」を超えて「根源的主体」へと拡大され、さらには「無」にまでつなげられていったわけです。このような西谷は、のちに『近代の超克』の議論で、このような主体的無とは、実際に国民として生活している我々が国家に対して献身滅私の態度を取ることだと発言するに至ります。

著者は、このような現実の国家への滅私奉公的忠誠と日本中心主義の理念は、端的には高坂や高山、西山らが真摯に追求した無の哲学を強引に捻じ曲げたものであり、哲学ではなくプロパガンダに成り下がってしまったと言います。どうしてこのような逸脱が可能になったのかといえば、「主体」から「無」へのシニフィアンの遊戯的飛躍によってのみ可能で、それにより「主体」はいつのまにか「国体」にすりかわってしまったのだと。

2010年11月21日 (日)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(1)

バークシャー・ハザウェイの株主の皆さんへ

2008年における純資産の増加額は218億ドルとなり、それにより、我々のAクラスとBクラ両方の株式について1株当たりの簿価は19.8%増加しました。この40年の間(つまり、我々が経営を引き継いだ以降)、1株当たりの簿価は19ドルから84,487ドルまで成長しました。これは年率で20.3%の成長に当たります。

バークシャーが最近行ったバーリントン・ノーザン・サンタ・フェ(BNSF)の買収により、少なくても65,000人の新たな株主が、我々の株主名簿で既存の約50万人の株主の上に加わりました。私の長年のパートナーであるチャーリー・マンガーと私にとって、我々のすべての株主がバークシャーの方針、目標、限界、そして企業文化について理解してくれていることが、とても重要です。そこで、我々は、毎年のアニュアルレポートで我々を導いている経済原則を繰り返し述べています。これらの原則は、今年のアニュアルレポートでは89~94ページで述べられています。そして、私はあなたがたすべてに、とりわけ新たに株主となった方に、これらを読んでいただきたいと思っています。バークシャーは、何十年もの間、この原則を固く守りつづけてきました。そして、私がここを去ってからも、ずっと守られていくでしょうから。

この手紙の中で、我々のビジネスの基礎についても説明していきますが、それがBNSFからの新規株主の方々にとっては新入生のオリエンテーション授業に、またバークシャーのベテラン株主の方々にとっては再教育講習となってくれることを願っています。

我々はどのように自己を評価しているか

我々の経営陣のパフォーマンスを評価するための我々の測定基準を、この手紙の表紙に表示しています。(バークシャーの経営を引き継いだ)当初から、チャーリーと私は、私たちが何を達成したか、あるいは達成しなかったかを測定するための合理的で不変の基準があると信じてきました。そのことによって、我々は、パフォーマンスの矢が刺さったのを見て、その刺さった地点を標的のように同心円を描きたいという誘惑から、免れることができたのです。

我々の株主の皆さんがインデックスファンドを保有することによって、コストをかけずに、得られるパフォーマンスに当たるかを測ることができるため、スタンダード&プアーズ500を、我々のボギー(ゴルフの1点減点?)として選択することは、(基準としては)やり易いと思います。株主の皆さんが、それと同じ結果を得るために、余計なお金を払ってくれるでしょうか?

我々にとって難しいのはS&Pに対してバークシャーが勝っているのを、どのように測定するかということでした。単に我々の株価の変動を以ってすればいいという意見もあります。事実、非常に長い期間を以って見た場合に、それがベストの方法でしょう。しかし、1年1年の市場株価は非常に不安定であります。10年間という長い期間の伸展を見るとしても、その測定期間の最初か最後に馬鹿馬鹿しいほどの高値か安値があれば、その評価を大きく歪めてしまいます。マイクロソフトのスティーブ・バルマやGEのジェフ・イメルトが、経営者のバトンを手渡された時に、自社の株価が鼻血が出るほどの価格で取引されたことに苦しんだ経験を、皆さんに話すことができるでしょう。

我々の年度ごとの伸展を測る理想的な基準は、バークシャー1株当たりの実態価値の変化でしょう。ああ、その価値は精度の高い数値で算出することはできません。それで、我々は粗雑な近似値として1株当たりの簿価を使用しています。このような基準に頼ることについては、さきのアニュアルレポートの92と93ページで説明しているような短所があります。さらに加えて、たいていの会社の簿価は実態価値を控えめに計算しています。そして、確かにバークシャーにも、それは当てはまることなのです。集計してみると、われわれの各ビジネス(企業)は帳簿価格よりかなり高い価値を有しています。さらに、我々の極めて重要な事業である保険業については、その差は巨額になります。たとえそうだとしても、チャーリーと私は、我々の簿価が、控えめではあっても、実態価値の変化を追いかけるのに最も有効であると信じています。この測定指標によると、この手紙の最初のパラグラフの通り、我々の簿価は1965年のスタート以来、年20.3%複利で成長してきました。

われわれが、この指標の代わりに株価を指標にしていれば、1965年のスタート以来、年22パーセント複利で成長してきたことに也、年バークシャーの評価はもっと高いものになります。驚いたことに、45年の期間の通算では、年間複利の僅かな差が、簿価の増加が434,057%であるのと比べて、株価の上昇801,516%となっています。我々の株価の上昇は、1965年にはバークシャーの株価は収益性の低い織物産業の資産により簿価を下回っていましたが、今日では一流のビジネスにより、常に簿価を上回る株価で市場で取引されるようになったためです。

要約すると、2ページのテーブルは3つのメッセージを伝えています。3つのうち2つはポジティブで、1つはきわめてネガティブです。第1には、1965~1969年から始まって、2005~2009年で終わる5年間ごとの区切りは、41通りありますが、どの期間を取ってみても我々の簿価の増加率はS&Pの上昇率を下回ったことはありませんでした。第2に、市場が好景気だった数年間、我々はS&Pの上昇率に遅れをとったものの、市場が下落した11年間は常にS&Pより良い結果を残しました。言い換えれば、我々は攻撃よりも防御に秀でており、この傾向はおそらくこれからも続くでしょう。

大きなマイナスは、われわれの規模が大きくなるに従って、我々のパフォーマンスの優位性は劇的に減ってきており、さらに、この不愉快な傾向はこれからも確実に続いていくということです。確かに、バークシャーには多くの傑出したビジネスやかれらの才能を最大限に引き出す特異な企業文化の中で働いている真に偉大な経営者たちが存在しています。チャーリーと私は、これらのビジネスや経営者たちが時の経過につれて平均以上の結果を出しつづけてくれるものと信じています。しかし、莫大な資産額は自らの足枷のような錨となり、そして、(このことから生じる)我々の将来の優位性は、あったとしても、われわれの歴史的な優位性のわずかにすぎません。

2010年11月20日 (土)

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(5)

三木のこのような人間学は師である西田にも影響を及ぼし、周囲にブームを起こしました。西田は鈍牛の渾名のとおり、じっくりと時間をかけてこの動きを取り込んでいきましたが、対照的に反応したのが後継者と目されていた田邊元でした。もともと科学哲学から出発した彼は、三木らの影響を受け、「種の論理」を打ちたてます。「社会存在の論理」という論文の中で、田邊は従来の社会哲学は全体と個体という互いに拮抗しあう関係を十分に捉えきれていないと言います。このような全体と個体の中間項として両者を媒介する社会的存在が「種」です。このアイディアは生物学の類・種・個の区別からきているものでしょうが、具体的なあり方としては、国家、民族、階級などを念頭に置いているものです。例えば、国家とか民族のなかに産み落とされた人間は、ます国家や民族のような広い意味での共同体から分離独立するようにして個人となり、そこに個体と種の対立が生ずる。この種に対する個体の否定性が次に種を類的普遍性に止揚するときの媒介原理となるということです。つまり、種が連続的、同一的であるなら、そこに対立する限りで、個は種に対して非連続であることになるが、裏を返せば、まさにこの非連続をもたらす個の否定性(差異性)こそが種に発展や変化をもたらす原動力にもなるということでしょうか。この時、類・種・個は互いに均等に並列する三つのファクターをなすのではなく、「種」があくまでも原基的なのです。田邊は、「種」をギリシャのヒュポケイメノンから「基体」と呼びます。種は類と個の中間に位置するがゆえに媒介の役目も果たし、すべての母胎的起源にして媒介となるので「絶対媒介としての種」と言われます。さて、「主体」の問題ですが、田邊は主体を類・種・個の三項の中で、個を表わす言葉として使用しています。具体的には「主体」が種=民族共同体を意味する「基体」に対立しつつ、その動因ともなっている個人の意味で使われている。このように近代におけるSubjektの成立とともに、ヒュポケイメノン、基体が改めて近代的な現象である「ネーション」の別名として復活する。そして、一方「主体」の方は明確に近代を特徴づける近代的自我主体=個人と同一化され、それを一面的に理解してしまう自我中心主義としての「人格存在論」に対する批判として種の先行性、原基性が主張されます。

このような風潮から現われたのが「近代の超克」や「世界史的立場」を強調するイデオローグたちでした。

まず、高坂正顕は1937年『歴史的世界』を公刊します。ここでは「基体」は自然を指します。彼は、その自然を二種類に分け、「根源的自然」はすべての存在の根源にあるがゆえに「母」と比喩され、基本的にはそのままの形で現われることなく、現実には「妻」に比喩されるような人間活動のパートナーとして現われる「環境的自然」です。高坂は後者の具体的な現われを「風土」や「血族」にみます。しかし、この環境的自然は人間の歴史的活動との関わり合いの上に成り立っているものであり、その意味では本質的に「歴史的自然」と考えられます。このような「基体」に対して「主体」は個人としての人間の主体性から国家の主体性に引越してもしたようです。その理由として、高坂が「主体」を「主権」と同一視しているためと考えられます。著者は、これをシニフィアンの戯れであり、アクロバットだと評していますが、どうしてこのようなことが起こってしまったのか。この背景には京都学派の国家を個人と同じ一種の有機体と捉える考えが働いていて、この個人と国家のアナロジーを保証する役目を果たしたのが「歴史的身体」という概念です。三木清は『歴史哲学』の中で、人間の行為は身体を通して自然と結び付いており、人間の行為が歴史的となるのも、このようなことがベースにあると言います。ここでは、「身体」という言葉のつながりで「個人的身体」から「社会的身体」への類推的ずらしが行われていると言えます。高坂の哲学にも、このような認識の流れが入り込んで、「身体」を介した「主体」から「主権」、「個人」から「国家」への移行を可能にしたようです。今から見れば、語呂合わせのような「個体」としての「主体」は「身体」を介して「国体」へと移行した。

2010年11月19日 (金)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(6)

製造、サービスと小売事業

バークシャーのこの分野の活動は、ウォーターフロント一帯をカバーしています。しかし、全グループのためにおおまかな貸借対照表と損益計算書をお見せしましょう。

アイス・キャンディーから移動式住宅にまでわたり商品を販売する様々なグループはは、昨年は、平均した有形正味資産の17.9%の利益をあげました。また、これらの事業が財政的なレバレッジ手法をほとんど用いることなく、この成果を達成したのも、注目に値します。明らかに、我々はいくつかの素晴らしい事業を所有しています。我々は、それらの多くを大きなプレミアムを乗せて自己資金により取得しました。我々の貸借対照表で示されるのれんで反映される点、そして、その事実は当社の帳簿価格の平均8.1%相当の収益が減少することになります。

通年での結果は満足のいくものでした。しかし、このグループの企業の第4四半期の収益は伸びませんでした。2009年の見通しは悪化することが予想されます。それでも、グループは今日の状況の下でも強い収益力を保持して、多くの現金を親会社に届けています。全体的に、これらの会社は昨年には競争の勝利をおさめました。それは部分的には、我々の財務的な強さが有利な立場を獲得させたことにもよるものです。対照的に、他の多くの競争者は立ち泳ぎのようなアップアップ状態(か、溺れてしまう状態)にありました。

これらの企業の取得のうちでもっとも注目すべきものは、11月下旬にタンガロイ社を買収したイスカル社、日本の小さな工具の製作会社、を買収したことです。チャーリーと私は驚きと感謝で見続けています、イスカル社による管理の達成を。我々が会社を買収することによりエイタン・ウェルトハイマー、ヤコブ・ハルパスやダニー・ゴールドマンらようなマネージャーを確保できることは、天の恵みです。この3人を得ることは三冠を獲得するようなものです。我々が取得してから、イスカル社は我々の予想を超えて成長しました。そして、タンガロイ社を新たに加えたことは、パフォーマンスを次のレベルに押し上げました。

ミテック社、ベンジャミン・ムーア、アクメ・ブリック社、フォレスト・リバー社、MARMON社、CTB社は昨年、ひとつまたは複数の獲得をしました。CTB社は、世界中に農業施設を提供していますが、2002年に我々が買収して以来、6つの小さな企業を傘下にしました。その買収の際、我々はこの会社に1億4千万ドル使いました。そして、昨年の税引前利益は8900万ドルでした。CEOのヴィク・マンチネンリは、我々が買収する前に、すでにバークシャーのような経営原則に従っていました。かれは、守りを固め、目の前の物事に集中して取り組みます、それは日々の小さな物事を正しく行うことで、けっして誤って進むようなことにはなりません。今から10年したら、ヴィクは、もっと大きな、もっと重要な事業に取り組み、投下資本に対してもっと大きな利益を得るようになるでしょう。

ファイナンスと金融商品

私は、ここで、クレイトンホームの住宅債権に関して長々と書くつもりです、その代わり、ファイナンスの解説はここでは飛ばして、この章の終わりでまとめて書きたいと思います。クレイトンでの最近経験は住宅と抵当の問題に関して公共的な政策論争の役に立つかもしれないので、ここで少しお話しします。まず、背景から。

クレイトン社は、プレハブ住宅産業で最も規模の大きな会社です。昨年の販売量は27,499ユニットで、これは総販売量81,889の34%に当たります。我々のシェアは、業界の我々以外の企業の多くが急に窮迫しているため、2009年は相対的に伸びるでしょう。業界全体でユニットの販売量は1998年に372,843のピークを達成して以来着実に落ちてきています。

当時、業界の多くが残虐とも言える販売方法を用いていました。私は、後で、このことについて「貸してはいけない貸し手によって融資をうけるべきではなかった借り手」と書きました。

まず第一に、重要な頭金の必要性はしばしば無視されました。時々、ごまかしもありました。(「私には、それが確かに2000ドルの猫に見える」と言ったセールスマンは、ローンを使い切ることによる3000ドルのコミッションを受け取りました。)その上、毎月の支払が不可能な返済額を、失うものがないから申し込みをした借り手も合意しました。結果として住宅ローンは、ウォール街の企業によってパッケージ化(証券化)されて疑いを持たない投資家に販売されました。この連鎖は愚かで、酷い結果を招くに違いなく、事実起きてしまいました。

クレイトン社は、その時、独自の融資方法によりはるかに賢明な選択をしました。これはいくら強調しても足りません。確かに、証券化した住宅ローンの購入者はその起源を失い、元本と利息を10セント硬貨にいたるまで失うこととなりました。しかし、クレイトン社は例外でした。業界全体の損失は驚異的でしたが。そして、二日酔いのように後遺症は続いています。

2008年のは、これで終わりです。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(4)

実はこのような西田の主観から主体への転換には、十年も前に先例がありました。それは、西田の弟子である三木清であります。そして、西田の転換は、この三木が震源となっていると言えるのです。三木の思考には「社会と個人」に対して一貫した関心がある。いわゆる京都学派に「主体」という言葉を個人個人の行為の源の意味を含ませて意図的に使ったのも三木でした。彼はヨーロッパの留学からの帰国後、『人間学のマルクス的形態』等の一連の論文を発表します。ここで、三木は彼独自の人間学を次のように構想します。まず、ベースに西田の純粋経験に範をとったような基礎経験がありますが、この次元では人間は他の存在との動的双関的関係に置かれ、常に不安の中にある。この基礎経験に対して人間はロゴスをもって対処するように宿命づけられている。そして、このロゴスには二段階あって、第一次のロゴスは基礎経験をその直接的表現で、アントロポギーあり、第二次のロゴスは間接的で、その時代の学問的意識や哲学的意識、あるいは世界観のような「公共性」をもったロゴスで、イデオロギーと呼びます。このイデオロギーには、明らかにマルクスのバイアスがかかっており、それだけでなく基礎経験に対しても具体的形態として無産者的基礎経験を見ています。さて、問題の「主体」ですが、三木は基礎経験の内実をなす人間観のなかで「精神科学の対象をなす歴史的社会的存在は人間を基体として成立する世界である」と、新しい「主体」概念にひきつけた「基体」の使い方を示した上で、歴史的世界でとはそのなかに人間が住むと同時に、それを作りつつある「交渉的存在」のことであるとして、さらに「歴史的社会的存在界を構成する者として、そして同時にそれと交渉する者として、人間は、単に精神ではなくむしろ精神物理的統一であり、単に思惟する主観でなく却って意志、感情、表象のあらゆる方面に自己を表現する統一的主体である」と言います。三木は、この後、マルクスの翻訳作業を通じて、次第にSubjektの翻訳問題を自覚していったと思われます。

そして、『人間学のマルクス的形態』を発展させ、1932年『歴史哲学』を執筆公刊します。ここで注目すべきは「歴史」概念の組み直しで、『人間学のマルクス的形態』での基礎経験─第一のロゴス(アンドロポギー)─第二のロゴス(イデオロギー)の三層構造をもとにして、「存在としての歴史」「ロゴスとしての歴史」の区分を導入します。後者は前の図式の二つのロゴスを受け継いだものだというのが分かります。また、前者は私たちがごく普通に歴史と呼んでいるものを指しますが、三木は、この一見自明なものに分析の目を入れてみせます。例えば、自分もその一部をなすような出来事を記述する場合に、それを記述している自分と、そこに記述される自分とが区別されます。これと同じように、今記述している「現在」と記述されている出来事の中の「現在」はあり方が違う。三木は今記述している「現在」をあらゆる歴史の原基とみなして、「存在としての歴史」から切り離して「事実としての歴史」と呼びます。三木は、この「事実としての歴史」を人間が歴史を作るそのものであるとして、「存在としての歴史」の人間の行為によって作られた歴史に当たるといいます。三木の「事実としての歴史」は以前の図式の基礎経験にあたるものと考えられます。三木は同じ書のなかで、このように書いています。「我々は自己の意識の存在をさへ行為の客体となし得る。従って主体を客体と同じ意味で存在と呼ぶことはできない。主体は同時に客体であり、我々は主体客体の統一であるといふこと、或る意味では全く正しいということであるにしても、かかる統一はなほ主体と客体との区別を予想せねばならぬ。我々は「行為するもの」を事実と称する。そこでは行為と物とが二つでないことから、それは事実といはれる。事実としての主体を前提した上で主体も初めて客体的存在でありうるのである」ここで、基礎経験を「事実としての歴史」と言い換えた理由がここで言われています。さらに最後のところで「事実としての主体」が主体の前提になるようなことが書かれています。歴史でいう「事実としての歴史」に相当するような根源的なものです。三木は主体を主観から切り離し、存在の根拠は「主体」として把握しなければならないとします。これはマルクス主義の哲学的基礎づけの性格を持ち、ハイデガーと西田を動員して強化されていきます。

2010年11月18日 (木)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(5)

保険

我々がビジネスを始めた1967年以来保険グループはバークシャーの成長を支えてきました。この幸せな結果は業界の一般的な繁栄によるものでありません。2007年までの25年間、保険業の自己資本に対する収益率の平均は、フォーチュン500社の14.0%に比べて8.5%です。明らかに、我がCEOには追い風が吹きませんでした。それでも、これらのマネージャーは、最初からできると思わなかったチャーリーや私よりも、有能でした。なぜ、私が彼らを愛しているか?

ガイコ社のトニー・ナイスリー、18歳でガイコに入社して以来、現在で48年めになる、は引受業務の規律を守りながら、市場シェアを上げ続けました。彼がCEOに就任した1993年、ガイコは自動車保険市場の2.0%のシェアしかありませんでした。これは長期停滞のレベルです。現在では、2007年の7.2%からアップして7.7%になりました。

新たな保険の獲得と、既存の保険の更新を進めるの両面作戦によって、ガイコは自動車保険業界の第3位に地位を得ました。1995年にバークシャーが買収したときは、ガイコは第7位でした。現在はステイトファームとオールステイトの2社だけを追いかけています。

ガイコが成長したのは、ドライバーにとってお金を節約できるからです。だれも、進んで自動車保険に入ろうとするほど好んでいるわけではありません。しかし、実際に運転するのは大好きです。それで、かれらは第1級のサービスで最も低いコストの保険を探します。効率は低コストの鍵です。そして、トニーはこの分野のスペシャリストです。5年前には従業員1人当たりの取り扱い件数は299件でした。2008年には439となり、生産性は大きく向上しました。

トニーと私は、ガイコの現在の状況を見ていると、ヌーディスト・キャンプにいる2匹の腹を空かせた蚊のような気分になります。血がたっぷりあるターゲットは至る所にいます。最初に、最も重要な新型の我々の自動車保険は、今、大当たりです。アメリカ人は、これまで以上にお金の節約に躍起になっています。それで、ガイコに群がるのです。2009年の1月には月間の保険契約者の増加の記録を大差で塗り替えました。この記録は、最近の28日間のものです。このまま押せ押せでいけば、2月はさらに記録が伸びることは明らかです。

これ以外にも、我々の保険は関連する線を辿って広がっています。昨年、我々のオートバイ向けの保険は23.4%増加し、市場シェアはおよそ6%から7%を越えるところまで増えました。ベースは未だ小さいものですが、RVとATVの保険もまた、急速に伸びています。そして、ついに、我々は最近、商用車の保険を始めました。この市場は大きく、

ガイコは何百万人ものアメリカ人の経費を削減しました。ガイコのホームページにいってみましょう、  に電話してみましょう、そして、ガイコがあなたの経費の節約になるか見てみましょう。

ゼネラル・リー、我々の大きな国際的な再保険会社、は2008年を顕著な年にしました。以前、この会社は深刻な問題を抱えていました。我々が1998年の後半に買収したときには、このことには全く気がつきませんでした。2001年、ジョー・ブランドンがパートナーであるテッド・モントロスの協力によりCEOを引き継いだとき、ゼネラル・リーの文化はいっそう悪化しました。引受業務、予約、経費において規律が失われたことが明らかになったのです。ジョーとタッドが管理を引き継いだ後、これらの問題は決定的に解決され、正常化しました。今日、ゼネラル・リーはその輝きを取り戻しました。昨春、ジョーは引退し、タッドがCEOに就任しました。チャーリーと私は、ジョーがゼネラル・リーを立て直したことに深く感謝し、タッドのもとで同社の未来が良い方向にあることを確信しています。

再保険は、時には50年を越える長期間の契約をする事業です。過去1年間、クライアントは重要な原則を再認識することとなりました。契約はそれを行う人や機関以上ではないということです。それは、ゼネラル・リーが優れているところです。AAAの格付けの会社に支持される唯一の再保険会社です。ベン・フランクリンは嘗て言いました。「空の袋がまっすぐに立っていることは難しい」それは、ゼネラル・リーのクライアントには心配なことではありません。

我々の3番目の大きな保険事業は、アジッド・ジェインの再保険部門です。スタンフォードに本部を置いて、わずか31人の従業員で行っています。これは、世界で最も注目すべき(特徴づけにくいが、賞賛しやすい)企業のひとつかもしれません。

年々、アジッドのビジネスは変わります。そのビジネスの特徴は、取引の規模の途方もない大きさ、実行の信じられないほどの速さ、他社なら頭を抱えるような困難な案件も引き受けることです。保険をかけるのに、巨大で普通でないリスクがあるとき、アジッド社に声がかかるのです。

アジッドは1986年にバークシャーにやって来ました。すぐに、私は我々が並外れた才能を得たことを悟りました。それで、私はニューデリーの彼の両親に手紙を書いて、家族の中で他に彼のような人間がいるか尋ねてみました。もちろん、私は手紙を書く前に、その回答は分かっていたのですが、アジッドのような人間は他にいないと。

我々の小さな保険事業は「ビッグ・スリー」とは別の顕著な独自の道を歩み、否定的に捉えられるコストから我々に定期的にフロート資金を供給しています。我々は「他の予備」として下表の結果を得ました。これについて、これらの個々の保険会社と議論はしません。しかし、チャーリーと私はそれぞれの保険会社に感謝しています。

ここに、我々の保険事業の4本柱の記録があります。その引受業務による利益は、2007年に彼らがしてくれたように、昨年もバークシャーにコストをかけずに資金を提供してくれました。そして、その2年間、我々の引受業務の収益性は製造部門のそれを大幅に上回りました。もちろん、我々は保険事業によってすばらしい業績をあげることもあります。しかし、全体として、保険引受業務からは平均して利益を得つづけたいと思っています。もし、そうであるならば、我々は不確かな将来にそなえて、かなりの額の自由な資金を蓄えています。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(3)

一般に西田哲学と言われる西田幾多郎の思考は、Subject概念の捉え方に関しては、前半期の「主観」概念から、後半期の「主体」概念と明らかに二つの時期に分けられます。まず、前半期から見ていきます。その出発点ともいえる『善の研究』において、キー概念である「純粋経験」について「主客未分の状態」とか「主客相没し物我相忘れ天地唯一実在の活動あるのみ」とかいった言い方で表わされています。ここでいう「主客」は「主観」と「客観」のことで、純粋経験というのは、未だ主観と客観の区分のない状態であり、それが分化発展して主観と客観が生じてくるものです。この『善の研究』が公刊されたのは1911年ですが、この頃には「主客」が「主観」と「客観」のことだということが自明なほどに、この概念が定着していたことを表わしています。著者は、ここで西田が「主観」という概念を使用したことについて、次のような問題を指摘します。「主観」というのは、認識とか知覚に偏った表現であり、「観」はパースペクティブであり、純粋経験として何かを見たり聞いたりという知覚行為の場合には問題がないが、純粋経験には、このような知覚行為も含めて「行い」とか「行為」の意味をも持っている。だから、今日の我々ならば「主観」というよりは「主体」という表現を使うのではないか。しかし、『善の研究』執筆当時には、「主体」は哲学用語として定着していなかったと言う事情もあり、また、当時の西田は認識論に呪縛されていた面もあったと言います。西田は、その後、このような「観」に象徴される認識論中主義に対して、「述語論理」という特異な迂回路を経て、自己批判する後半期に飛躍します。

『働くものからみるものへ』『一般者の自覚的体系』などにおいて判断の構造について、従来の判断の形は主語に従属するように述語がつけられるものだったことに対して、西田は述語のほうをもとにした判断ないし論理というものを考えました。どういうことかというと、例えば「この花は赤い」や「風が吹く」という命題においては、従来の発想では、まず花という「もの(主語)」があって、それが赤いという属性をもつがゆえに「この花は赤い」という命題が成り立つと考えるものです。つまり、赤くなるような実体としての花がまずあると考えます。これに対して西田は、こうした「もの」はすでに反省の結果として生じた対象であり直接的な事態そのもの、西田の言葉でいえば主客未分の純粋経験、ではない。西田によれば、判断のベースはこの直接的な事態でなければならない。例えば、「赤い花」があるのではなく、文字どおり「この花は赤い」という事態そのものがまずある。「もの(主語)」より「こと(述語)」が先行する。中期の西田哲学は、純粋経験を一歩進めて、それを「場所」として捉え直したものと言えます。この「場所」というのは我々に直接与えられる動的な状態そのもののことで、そこには未だ主観も客観も、したがって対象も成立しておらず、ただ無限定の状態だけがあるものです。先ほどの言い方で言えば、「もの」に先行する「こと」の世界ということでしょうか。それが初期の「純粋経験」との違いということでしょうか。「純粋経験」は分化発展していきますが、同じように「場所」も分化発展します。西田は「場所が場所自身を限定する」という言い方をします。つまり、述語が自己自身を限定するわけで、限定するもの(述語)が限定されるもの(主語)を包み込むわけです。西田哲学の特異性は、さらにこの主語と述語の関係に意識と意識の対象を重ね合わせてみせました。この場合、意識に対応するのは主語ではなくて、述語のほうであり、意識されるもの(対象)に対応するのが主語なのです。別の観方からすれば、これは実体を認めないラディカルな関係主義だということができます。

このような述語論理の迂回路が、後期西田哲学の「主観」から「主体」への転換を間接的に用意しました。ありのままの動的事態と言う考えは「行為」概念の再検討に向かいました。これには、アインシュタインの相対性理論、とくに観測理論とマルクスの影響があるといいます。とくに、マルクスの有名な『フォイエルバッハ・テーゼ』から触発された西田は、原文で使用されている「Subjekt」にたいして従来の「主観」という訳語では十分にそぐわないこと「主体」とならざるをえないこと。つまりsubjectの新しいシニフィアンの出現となるわけです。その後も、西田は単純に「観」の立場を放棄して「行為」「実践」の側に鞍替えしたわけではなく、「観」の立場は一貫して残りますが、行為のダイナミズムの中で統一的な捉え方が為されていきます。

2010年11月17日 (水)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(4)

規制されている公益事業

バークシャーはミッドアメリカンエナジーホールディングスの株式の87%を保有しており、この会社は多種多様な公共事業を行っています。それらのうち最も大きなものは、(1)ヨークシャー電力とノーザン電力です。これらは、イギリスで3番目に大きな電力供給業者として380万人のエンドユーザーを抱えています。(2)ミッドアメリカン・エナジーは、思いにアイオワ州で723,000人の顧客に電力供給のサービスを提供しています。(3)パシフィック・パワーとロッキー・マウンテン・パワーは西部の6州で170万人の顧客に電力を供給しています。(4)カーン・リバー・アンド・ノーザン・ナショナル・パイプライン、アメリカで消費される天然ガスのおよそ9%を運びます。

ミッドアメリカンのオーナーである我々のパートナーは2人のすばらしい経営者であるデイブ・ソコルとグレッグ・アベル、そして私の長年の友人であるウォルター・スコットです。彼らがどのていどの投票権を持っているかは重要なことではありません。我々は、彼らが賢明であるということで意見が一致している場合に限って、大きな行動を起こします。デイブ、グレッグそしてウォルターとの9年間にわたる共同事業で私のこのような信念はいっそう強まりました。バークシャー以上のパートナーはありませんでした。

いくぶん不似合いですが、ミッドアメリカン社は全米(アメリカのホームサービス)で2番目に大きな不動産仲介会社を所有しています。この会社は、16,000人のエージェントと21のローカル・ブラントを擁しています。昨年は、住宅販売にはひどい年でありましたが、2009年もよくなる兆しはありません。

ミッドアメリカン社の電力の供給とパイプライン事業の記録は本当に傑出しています。この主張を裏付ける資料が、ここにあります。

我々の2つのパイプライン、カーン川とノーザンナチュラル、は両方とも2002年に取得したものです。パイプラインを顧客満足度によって定期的にランク付けるMASTIOと呼ばれるものがあります。我々が購入したときに、全体で44本のパイプラインのうち、カーン川は9位、ノーザンナチュラルは39位にランクされていました。そこにはやるべき仕事がありました。

MASTIOの2009年のレポートでは、カーン川は1位に、ノーザンナチュラルは3位にランクされました。チャーリーと私は、このパフォーマンスをこれ以上のない誇りに思います。これは、数百人の人々が両方の事業で新しい文化を約束し、その約束を果たしたことによるものです。

電力事業での実績も同じような印象を与えます。1995年、ミッドアメリカンはアイオワ州で第1位の電力供給社となりました。賢明な計画と熱意ある効率化への取り組みによって、我々が買収してから電力料金は据え置かれたまま、2013年まではこれを保持することを約束します。

ミッドアメリカンは、風力の発電能力に占めるパーセンテージについてアイオワを全米の首位にすることにより、驚異的な価格安定性を獲得しました。我々の買収以来、ミッドアメリカンの風力発電施設は、総容量のゼロから20%に増大しました。

同様に、我々は2006年にパシフィコープを買収したとき、風力発電を積極的に拡大しました。風力による発電能力は、そのときには33メガワットでした。現在では794メガワットになりました。パシフィコープに行き着いて、我々は違った種類の風力発電に出会いました。この会社には、頻繁に開かれる98の委員会がありました。これらは現在では28になりました。一方、我々は、わずか2%の従業員でより多くの電力を発電し供給しています。

2008年だけでも、ミッドアメリカン社は2つの事業で風力発電に18億ドルをつぎ込み、現在では有する風力発電能力では全米で第1位です。ところで、その18億ドルとパシフィコープ(テーブル表には「ウェスタン」と表示されています)とアイオワの税引前利益11億ドルを比べてみて下さい。我々の公益事業において、我々は得た利益をサービスエリアの要請を満たすためにすべて使ってしまいます。実際、ミッドアメリカン社は2000年初めにバークシャーに買収されて以来、配当をしていません。その利益は、その代わりに顧客が必要とし有益な公益システムの開発に再投資しています。これと引き換えに、我々は投資した莫大な金額に見合うリターンを得ました。それは、すべての関係者のすばらしいパートナーシップです。

我々が長い間明らかにしている目標は、とくにファミリーによって打建てられ所有されているような企業の買い手となることです。この目標を達成するためには、我々がそれに値する買い手になることです。それは、我々が次のような約束を守ることを意味します。買収した企業にテコ入れしない、マネージャーに大きな自治権を与える、(我々はより厚く、細くしたいけれど)買収した企業をそのままにする。

我々の記録は、このようなレトリックに見合っています。しかし、我々と競合する大部分の買い手は、これとは異なる経路を経ます。彼らにとって、買収するのは“商品”なのです。かれらは、買収の契約書に署名したインクが乾く前に、“出口戦略”を考えています。したがって、事業の将来を気にかけている売り手に出会ったとき、我々の目標は大きな利点です。

数年前に、我々の競争相手は、「LBO業者」として知られていました。しかし、LBOというのは悪いイメージに捉えられるようになってしまいました。そこで、買収業者は、ジョージ・オーウェル風に彼らの呼び名を変えることにしました。しかし、彼らは、大事にしてきた料金体系やリバレッジに対する愛情を含む活動の重要な構成要素は変えようとはしませんでした。

かれらのあらたな呼び名は「プライベートエクイティ」です。これは逆様に事実を表わす呼び名です。彼らによる買収は、ほとんど常に買収した会社を買収前に比べて資本構成に対する資産部分を劇的に圧縮させます。ほんの2~3年前に買収された会社の多くは、現在、「プラベートエクイティ」業者によって積み重ねられる負債によって、死の淵に瀕しています。銀行の社債は1ドルにたいして70セントを下回る価格で売買され、公共債は遥かに大きな打撃を受けました。プラベートエクイティ業者は現在の危機に必要な資本注入を急いでいないことに注意して下さい。その代わりに、彼らは残りの資金を個人資産にしてしまっています。

ユーテリティの分野では大規模な家族経営の企業はありません。ここでは、バークシャーは監督機関の“選択の買い手”であることを望んでいます。提案が為されたときに買収者の適切性を判断するのは、株主よりむしろ彼らです。

これらの監査機関の前では、あなたは過去の履歴を隠すことはできません。かれらは、あなたが他の州で仕事をしたときでもそれを呼び起こし、自己資本へのコミットをふくめてどのように振舞ったかを尋ねることができます、そしてそうします。

2006年にミッドアメリカン社がパシフィコープの買収を提案したときに、我々が提出した6つ新しい州のレギュレーターは、アイオワでの我々の記録を調査しました。かれらは、また、慎重に、我々の資金調達の計画と能力を評価しました。我々は審査に合格しました。これからも同じように合格できるでしょう。

我々は2つの理由で自信があります。ひとつは、デイブ・ソコルとグレッグ・アベルが第1級のやり方でビジネスをすることができること。かれらは、事業のやり方について他の方法を知らない。我々が将来管理領域をさらに買収したいと考えていることは事実であり、それ以上に我々が現在の管理領域での我々の事業のやり方が将来の新しい地域で迎えられるかを知っている。

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(2)

日本で最初に本格的に、「subject」の日本語訳と苦闘したのが西周でした。彼は朱子学の素養を叩き込まれていたことから、様々な学問が互いに連関しあって全体として地の体系をなしており、その根底には統合原理とそれに基づいた分類体系があるという考えを持っていたようです。そこで哲学はこの統合原理に通底すると考えら、「subject」の翻訳も、そのような前提のもとに考えられたものだったと言えます。そこで、「主観」という場合の「観」を西は強調していましたが、彼が哲学の問題として「subject」を考えるとき、おうおうにして、認識の場面を念頭に置いていたことが強く認識されるわけです。これは、彼がヨーロッパで学んだのがカント以降の19世紀ヨーロッパ哲学だったこと、つまりドイツ観念論の築いた認識論的傾向が大きな影響を残したものであったことです。「subject」はさきの説明のとおり多義的でありますが、西はこれと苦闘しながら、その意に応じた様々な訳語を充てています。この「subject」の多義性により訳語が林立するような状態にひとつの道をつけたのが井上哲次郎が明治初期の初学者のためのいわば哲学辞典として英語の『The Vocabulary of Philosophy, Mental and Metaphysical』を翻訳かつ補足した『哲学字彙』のなかで、「subject」を「心」「主観」「題目」「主位」というように人間を認識主観としてとらえる近代的意味合いの比重が高いものとなっていることです。これは、井上がドイツ哲学の影響下にあったことや西などの先駆的な仕事を考慮したこと等によるものです。この『哲学字彙』が31年後に増補改定版の『栄独仏和哲学字彙』となり、哲学を学ぶ学生必携の辞書として権威を高めていくのにつれて、この訳語が定着していくのです。そして、この辞書で哲学を学んだ学生の一人に西田幾多郎がいました。

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(3)

2008年のバークシャー

大部分のバークシャーの事業は、業績を景気にかなりの影響を受けることとなりました。昨年は潜在的でしたが、2009年は今年と同様の結果となるでしょう。とくに、我々のリテール事業は打撃を受けました。そして、我々の活動は住宅部門に足を引っ張られました。集計では、製造、サービス、小売のビジネスは、時にはかなりの結果を獲得しましたが、最大限の金額を得てきましたが、市場の競争力の強化の努力を続けています。さらに、幸運なことにバークシャーの2つの最も重要な事業である保険とユーティリティ事業は、全体的な経済情勢とは関係なく利益を生み出しました。この2つの事業は2008年はすばらしい結果をもたらし、今後に関しても良好な見通しがあると言えます。

昨年の報告書での見通しでは、保険ビジネスが2007年に実現した異例の引き受け利益は、2008年には報告されませんでした。それにもかかわらず、保険ビジネスは6期連続で引き受け利益を獲得し続けました。このことにより、我々はコストをかけずに585億ドルの“フロー”を得ることができました。これは、我々が投資の原資となるものです。実際、2008年は28億ドルがこの“フロー”から払われたのでした。これはチャーリーと私には喜びでした。

時の経過とともに、大部分の保険業者は引受業務で大きな損失を受けることがあります。そのことにより経済情勢はわれわれのものとは遠く離れたものとなってしまいます。もちろん、我々も引き受けによる損失を受けることがあるでしょう。しかし、保険ビジネスの有能なマネージャーたちは、殆どの場合価値ある代理店を監督しています。この強みにより、我々は長年にわたって引受業務で利益をあげることにより、コストをかけずに“フロー”を得ていると考えられるのです。保険ビジネスは、バークシャーのコア・ビジネスである経済的な力はつよい。

チャーリーと私は同じ程度にユーティリティ事業に熱心です。この事業は昨年は収益を残しましたし、将来の収益への準備もできています。デイブ・ソコルとグレッグ・アベルはこの事業のマネージャーですが、ユーティリティ事業で他の追随を許さないほどの結果をあげています。私は、

昨年もまた、資本配分面でうまくいきました。バークシャーは常に企業と株式を購入しています。そして、市場の混乱は我々の事業にとって追い風になりました。投資をするとき、悲観論があなたの友人になり、幸福感は敵となります。

我々の保険ポートフォリオでは通常の市場ではできない条件で3件の大型投資を行いました。これらは、税引き前で1150億ドルをキャピタルゲインで得られる場合と同様に、バークシャーの年間利益に加えました。我々は、また、マルマン社の買収を終わらせました。(我々は、現在同社の株式の64%を所有しており、次の6年で残りの株式を取得します)その上、我々の子会社は、この“すばらしいごちそう”の獲得により、競争力の強化と利益を得ました。

これはいいニュースです。しかし、もう一方では、よくない現実があります。2008年の間に、私は投資においていくつかの間抜けなことをしでかしました。私は、コミッションについて少なくともひとつの大きな間違いと、いくつかの小さいしかし手痛い間違いを犯しました。これらについては、後でお話ししましょう。さらにまた、私は、自分の考えに再検討を加え、速やかに行動を起こさなければならないような新事実が手に入った際に、手をこまねいているという失策をおかしました。

その上、我々が保有しつづけている債権と株式の市場価格が、市場全体の価格に連動して顕著な低下をし、このことで苦しむこととなりました。このことは、チャーリーと私を悩ますことにはなりませんでした。実際、我々のポジションを増やすために利用できる十分な資金を持っていれば、我々はこのような市場価格の下落を楽しむことができます。ずいぶん昔、ベン・グレアムが次のようなことを教えてくれました。「価格はあなたが支払うもので、価値はあなたがえるものだ」我々が靴下や株式の話をしているかどうか、マークされている時に良質な商品を買いたいと考えています。

基準

バークシャーの収益(価値)は2つの主要な領域から生まれます。一つ目は投資、すなわち、株式、債権と現預金です。期末において、これらの合計は1220億ドルになりました(ここには我々のファイナンスと実際の業務による投資は含まれていません。これらは我々の第2の領域に割り当てています)。その合計のおよそ585億ドルは、我々の保険ビジネスのいわゆるフロートにより供給された資金です。

バークシャーの2つ目の領域は、投資と保険以外のビジネスから得られる収益です。これらの収益は96ページで表されている67の保険以外の事業会社によって得られたものです。我々は保険料収入をこの計算から除外しています。それは、我々の保険による価値は保険料によって生み出される投資可能な資金によって得られるものであるので、第1の領域に含めているためです。

2008年には、我々の投資は少数株主持分を差し引いたバークシャーの持分に対して90,343ドルから77,793ドルに落ちました。これは株式や債権のネット売買によらない市場価格の下落に起因する減少と言えます。我々の第2の領域では少数株主持分を引いたバークシャーの持分に対して税引前で4,093ドルから3,921ドルに落ちました。

両方のパフォーマンスとも満足のいくものではありません。これまでずっと、我々はバークシャーの企業価値を許容できるレートに高めることとして、双方の領域で適切な収益を求めています。しかしながら、今後もこれまでの数十年間と同じように、我々の焦点はセグメントの収益にあります。我々は相場より安い価格で証券を買うのがすきです。しかし、それ以上に事業を正当な価格で買うほうが好きです。

さて、バークシャーの主要な4つの営業部門を見てみましょう。これらは別々に貸借対照表と損益計算書を作成しています。それゆえ、これらを一括してしまう標準的な財務諸表では分析しきれません。それで、我々は、これらを4つの独立したビジネスとしてご覧に入れます。これはチャーリーと私が見ているのと同じ方法です。

2010年11月16日 (火)

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(1)

哲学もそうですが、そこで使われている言葉、とくにその意味について、“意味というには、どこにおかれようとそれ自体は不変な、何か固まった物のような存在ではない。それは言語表現の連鎖や網目の中から、その都度紡ぎ出されるもので、厳密に言えば、同じ表現といえどもそれが置かれたコンテクストのなかで、その都度異なった表現をもってたち現われてくる”ものです。これが、翻訳、ある概念をある言語システムから別の言語システムのなかに置き換える作業においては、言葉が置かれたコンテクストとの関係とそれが生み出す意味効果の違いやズレは鮮明なかたちをとって現われてきます。とくに明治以降の近代化の中で移入され、発展してきた哲学においては、さらに中身の意味がよく分からなくても、とにかく受け入れ、しかる後に、次第に意味を理解していくという受け取り方もされていた。そこにあったのが翻訳後という、哲学ならばテクニカルタームのような言葉で、…的とか、…性、とか…体というかたちの言葉です。

西洋語でもSubjektSubstanzという語形のよく似た二つのシニフィアンが互いに意味的に連動しあっていることは、理解できると思います。このような親近関係に基づいて数々の哲学的な議論が重ねられてきたことも明らかです。これらとKorperNationを連動させるためには意味(シニフィエ)に基づいての関連づけが必要で、そこに理論や理屈が生まれてくるのです。これに対して、近代日本語のように「主体」「身体」「国体」と、はじめから語形(シニフィアン)に共通性や類似性があると、シニフィアンどうしの自動的な連動関係が生まれてくる。極端な場合には、意味付けの努力がなくとも、シニフィアンの自動的連鎖反応によって、それらの間の連関が、あたかも自明であるかのように受け取られてしまう。

本書はこのような翻訳語の…体という言葉の中で、主体ということばに着目しています。

まずは、主体ということばSubjectの翻訳のために造られた造語ですが、そのもともとの言葉であるSubjectについて議論を進めます。

Subjectの前半subは「下」、後半jectは「投げる」をそれぞれ意味する言葉で、文字どおりには「下に投げること」でそこから「従属する」というようなネガティヴな語源を背景にしているものが、その反対の意味ともいえる「主体」というような意味で使われるようになったのは、哲学史を遡る必要があります。まず、この語源はギリシャ語のύποκείμευου(ヒュポケイメノン)に遡ることができます。原義は「下に置くもの」でしたが、アリストテレスの『形而上学』第7巻でύποκείμευουはούσία(実体)の内実とされ、「他のものがそれについて陳述されながらも、それ自体は他のどんなものについても陳述されないもの」つまり、そこから物事が発現、発展していくような存在という意味になっています。これらがラテン語に翻訳される過程において、ούσίαがsubstantiaに、ύποκείμευουがsubiectumに翻訳され、ともに後者の意味に引きずられ、シニフィアンとしても類似の語形をもってしまったのです。これが後世の近代ヨーロッパ哲学に大きな影響を残します。

近代になり、デカルトは哲学の出発点を「思惟するもの」としての「我」に見て、その思惟を担うとされるのが「精神」で、「精神」は「物体/身体」と並んで、ともに「実体substantia」だとされました。デカルトは、それまでの「実体」は「真に存在するもの」の意味で神という存在に対してのみ使われたものだったのに対して、神を無限の実体として棚上げする一方で、思考する我の、その思惟ないし精神とその対象となる身体もまた「実体」としました。これは、思惟する人間こそが「実体」だという宣言とも取れます。

これを、決定的にしたのがカントでした。『純粋理性批判』において「実体Substanz」「基体Substrat」「主体Subjekt」は同置されていて、諸現象のあらゆる変移に対して不変なものとして、有名な現象の元にあって不可知な「物自体」に近いものとされていることです。しかし、「実体」は現象の中に認められ直観と同置されています。ここで重要なのは、カント哲学の大前提として現象も直観もあくまでも人間の意識、つまり「主観」の側で成り立つものなのです。つまり、物事の背後にあった基体としての「実体」は、いまや主観の内部に認められるようになってしまったというわけです。このような転倒によりSubjektはすべての現象ひいては人間の認識の、元締めとなっていったわけです。いまや、デカルトの出発点となった「我思う」の「我」とSubjektが等置されているわけです。

しかし、ニーチェはこのような人間中心主義的なSubjekt概念による転倒のプロセスを懐疑的に見ていました。外部に向かう本能が内に向かうようになったとき初めてそこに内面や魂が生まれてくるとするなら、その内面や魂(精神)こそ、近代に入って「主体」が新たに手に入れたその内実であると、彼は言います。ニーチェにとっては、それらと並んで主体もまた内面化の産物でしかないということになります。このような懐疑を徹底させていったのが、ハイデッガーでした。ハイデッガーは人間が全ての存在者を自分の身に引き受ける基体=主体として特権的な存在者となったとき、その引き受けられたほうの存在者たち、ひいては世界はすべて、その基体=主体としての人間が代表し表象する「像」に変じてしまったと言います。

このようにヨーロッパ哲学において「subject」の概念が、翻訳という作業により翻弄されて変遷してきた。このような複雑な概念が、異なる文化圏、言語システムに持ち込まれていったとき、どうなるのか。それを本書では検証して行きます。

2010年11月15日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(2)

もう一度、2ページの44年間のパフォーマンス表を見てください。この間の4分3の年は、S&P500のインデックスが増加しています。私は、これからの44年間は、過去とほぼ同じ程度の進歩があると考えています。しかし、チャーリー・マンガー、バークシャーの私のビジネス・パートナー、も私も前もって勝利か敗北かの年を予測することはできません(我々の独断と偏見によれば、我々以外でもそんなことができる人はいないはずですが)。例えば、我々は、2009年の経済が確かに混乱状態にあること、そして特定の場合はおそらく改善の方向に向かうことを確信しています。しかし、株式市場が上向くか、下降するかは我々には分かりません。

良い年になろうと悪い年になろうと、チャーリーと私は、シンプルに、次の4つのゴールに向けて集中します。

(1)      大量の流動資産、少量の短期借入金、数十の収入源そして現金を特徴とするバークシャーのジブラルタルの財務体質を維持すること

(2)      我々の事業に永続的な競争の優位性を与える“濠”を広げること

(3)      新たな収益の獲得や様々な流れを開発すること

(4)      長年にわたってバークシャーに多大な利益をもたらしてきた経営幹部を拡大し、育成すること

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(5)

また、筆者は中国語と日本語の特徴の違いに着目します。例えば、日本語は自分と相手との上下関係によって、言い方を使い分ける必要があり、上下関係を頭に置かなければ、一言もしゃべれないことになります。つまり、話をする以前に上下関係が決まっているので、対等な会話というのが成り立たないのです。中国語で、特に上下関係を表明する必要がある場合には、専用の言い方がありますが、これは特殊な場合に近く、通常は単純な言い方がなされ、上下関係を示す語句の変化もなく、上下関係を意識していないようです。このような中国語と日本語の基本特性の違いと、中国で個人の独立性が強く、古来各種の議論が発達したのに対して、日本では議論や理屈が嫌われ、絶対服従の軍隊的上下関係が形成されやすいこととは、密接に関係していると筆者は言います。中国の古典語が広大な地域で莫大な数の人によって共通の文化基礎とされたことと、日本の言語が特定少数の集団の中で交わされることもこれに関係すると言います。何千里も離れた見知らぬ人に言葉を伝えようとするならば、細かな語気は諦めて、明確な概念語彙を提示するしかないからです。

このような中国の独立性の強い個人によって構成されている社会を『論語』では北辰に喩えていると筆者は言います。中国近代で、この北辰の喩えを中国の社会関係の象徴として分析したものがあります。費孝通の『郷土中国』において、西洋社会の主流が「団体中心固定関係社会」であるのに対して、中国伝統社会の主流は「個人中心相対関係社会」である、と言います。西洋では、まず集団・団体の観念が固定的に存在し、それは自明のものとしてあらゆる人々に実体であるかのように感じられており、個人は必要と情況に応じてそれぞれの集団・団体の一員となり、誰がその集団・団体の構成員であり、誰がそうでないかは明確である。中国伝統社会では、各個人を基点として各種の社会関係が考えられており、誰を基点とするかによって、集団・団体の範囲は全く異なるし、同じ一人の人間を基点として見た場合も、その人の属する各種集団・団体は重層的で、境目が明らかでない。譬えて言えば、西洋の集団・団体は、薪を束ねたような形であるのに対して、中国の集団・団体は湖面に石を投じた波紋のような形である、と言います。

『論語』では、政治や経済を善くしたいというのに、為政者自らが個人道徳を正せ、としか言いません。このような思考法の特徴は、個人あるいは自分自身が思考の主体であり、根本であり、出発点と考えるところから来ていると言えます。社会は所詮は個人の集まりに過ぎない。一人一人の個人が善くなれば、家庭だろうが国家だろうが、あらゆる集団・団体の問題も解消するだろうし、集団・団体の問題を解決しようとすれば、一人一人の個人の問題を解決していく以外に方法はない、考えるのです。例えば、国家は全ての市民に対して公正・平等だ、という理念を持つ西洋人は、犯罪行為は当然公正無私に処罰されねばならない、と考えるだろうが、『論語』の説く道徳では、相手が誰かによって対応が代わらざるを得ないことになります。これは、社会の枠組みにおいて犯罪行為を抽象的に捉えるのではなく、あくまでも自分を中心に見たとき、どのように考えるか、という問題になるのです。

考えてみれば、孝とか忠とか義とか強制するほど説かざるを得なかったというのは、それらが人々の間にしみわたっていなかったということですね。孔子が生きた春秋戦国時代は数百年にわたって戦場の状態が蔓延し、自分という個人しか信じられず、人間関係の安定した秩序が根こそぎ破壊されてしまった、というような荒廃の中で生きざるを得なかったということが背景となっていたのではないか、とこの本を読んでいて想像するのです。ここで、著者が中国人が徹底した個人主義であるというのは、そういうような共同体とか人間関係を素朴に信じられないから、というように考えすぎてしまう。だからこそ、孔子とその教団はあえて、その場での対応を逸話として、しかもそれぞれの逸話どうしを虚心坦懐に読むと矛盾してしまうことを、あえて避けずに残した、と想像するのです。聖典として残すには、どうしても抽象性を帯びさせることになってしまう。そうすると、個人主義の中国人は振り向こうともしない。著者も書いていますが、今日でいう親子関係のようなものもない時代では、まず親の誕生日を知ることを勧める、ということは、実は革命的なことだったかもしれない。そうすると、今日のイメージとは全く異なった『論語』が眼前に現われてくる、という体験をすることができました。

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙2008」(1)

アメリカの上場会社はアニュアル・レポートを毎年作成し、その中にCEOが自らペンを執る「株主への手紙」があります。経営者が自ら、企業の所有者である株主に向けて、業績や思いを語りかけるもので、日本の有価証券報告書には、こういうものはありません。しかし、株主総会で株主に向けて報告する事業報告、有価証券報告書、決算短信の文章については、私としては企業から投資家や株主に対するメッセージの場と思いたい。そこで、以前にも書きましたように、バークシャー・ハザウェイのCEOであるウォーレン・バフェットの「株主への手紙」を参考、というよりもリスペクト?していて、下手な翻訳してみています。しばらくの間、最近の、ここ2年のものをご覧いただきたいと思います。まずは、一昨年のものから。

2008年の時価総額は115億ドル減少しました。そして、それはAクラスとBクラスのすべての株式について1株当たり9.6%の減少に当たります。この44年の間(つまり、我々が経営を引き継いだ以降)、株価は19ドルから70,530ドルに増やしてきました。これは毎年20.3%の成長率で増えてきたことになります。

前のページの表は、この44年間のバークシャーの株価とS&P500のインデックスのパフォーマンスの推移を示しています。そして、2008年はバークシャーだけでなくS&P500のインデックスにとっても最悪の年であったことを表わしています。今期は、社債、地方債、不動産、商品取引などなど壊滅的な結果に終わりました。年末には、あらゆる種類の投資家は血だるまで惑乱したのは、あたかもバドミントンのゲームに小鳥が迷い込んでしまったような状態でした。

この1年は日が経つにつれて、世界中の巨大な金融機関が致命的な問題を抱えていたことが明らかになりました。クレジット市場が重要な点において役に立たなくなる機能不全に陥りました。私が若かった頃にレストランに壁に貼られていた“神の御名において我々は誓う、すべての支払は現金でする”が国中の合言葉となりました。

第4四半期では、住宅市場や株式市場の下落による金融危機は、国全体を巻き込み、身がすくむような恐怖を生み出しました。景気の落ち込みは、これまで私も見たこともない程のスピード加速しました。アメリカをはじめとした全世界は悪循環に陥りました。不安により事業者は縮こまり、これがさらに大きな不安を招きました。

このような景気の悪循環に対して政府に大規模な施策を決定しました。財務省とFRBは、ポーカーでいう、“オール・イン”を行いました。景気に対する処方箋は、以前のカップ一杯分だったものが最近では樽一杯分まで増量されました。このようなかつてなら考えられないほどの投薬量は、あとで後遺症をもたらすことは確実です。1つ考えられるものは猛烈なインフレーションですが、それが確かなのか、どのような内容のものなのかは、誰にも予想がつきません。さらに、主要産業が連邦政府の援助に依存するようになりました。そして、市や州政府に対しても度肝を抜くような要求をしています。彼らに対して公的援助からの“乳離れ”をさせるのは政治的な挑戦でもあります。しかし、彼らはいっこうに“乳離れ”をしようとしません。

この景気の下降がどのようになろうとも、昨年の政府による即時の強力な施策は金融機関の全体的な崩壊を避けるため不可欠な措置でした。このことは、我々の経済のあらゆる領域に大きな地殻変動を起こしました。好むと好まざるとにかかわらず、ウォールストリート、メインストリートそしてアメリカの様々なストリートの住民は同じボートに乗っていました。

我々は悪いニュースに取り巻かれていますが、この国は過去に、これよりはるかに苦しい事態に正面から向き合ったことを決して忘れないで下さい。この20世紀だけでも、我々は、2つの世界大戦、1ダースかそこらのパニックと不況、1980年にプライムレートが21.5%までになった悪性のインフレ、失業率が長年にわたり15%から25%の間で変動した1930年代の大恐慌に対してきました。この間、アメリカは飽くことなく挑戦をくりかえしました。

しかし、必ず、我々はこれらを克服してきました。それらの障害やその他の多くの障害に直面して、アメリカ人の生活水準は1900年代を通じて約7倍に上がり、ダウジョーンズ株価指数は66から11497に上昇しました。過去の十数世紀の人間が得た自らが生き残る事に関することで得たものが、あったとしても、いかに少なかったか、今世紀の記録と比べれば一目瞭然です。道はスムーズでなかったけれど、我々の経済システムは長年の間、よく機能してきました。これは、他のどのようなシステムに比べても人間の潜在能力を生かすもので、これからも生かしつづけるものです。アメリカの最良の日が目の前に待ち受けているのです。

2010年11月14日 (日)

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(4)

第二部では、具体的に『論語』の中から、一節を抜き出して、解釈の変遷を追いかけ、重要な概念がどのように捉えられてきたかを見ていきます。これは、目から鱗が落ちるところが続出で、第一部を踏まえて読むとたいへん深い。ひとつひとつ紹介したいのですが、これは実際に本書を読むことをお勧めします。最後に著者が解釈に対する考えを述べています。

“結局、解釈において、言葉の使われ方を論証する方法は、技術であり手段であって、傍証を提供することはできても、最終的根拠とはなり得ない。何故かと言えば、この言葉が他でこういう意味で使われているから、ここでも同じ意味であろう、というのは単なる可能性に過ぎないからだ。蓋然性に高低の差はあり、論証によって蓋然性を高めることはできるが、他の解釈の可能性を否定することは不可能である。「愛してる」という一言が、どれほど多くの異なる思いを含むことがあるか、考えてみよう。相手がどれほど自分を愛しているか、それは自分なりに解釈するしかない。どんな口調で言ったか、どんな表情で言ったか、あるいは日ごろ彼が自分にどういう態度で接しているか、など、判断の参考となる事柄は無数にあるが、それでも絶対確実な解釈というのはありえない。言った本人にさえ、本当のところは分かっていないかも知れない。それでも彼の言葉を信じる、という時、それは正に信念であり、賭けである。色々な事情を考えても、私にはどうしてもこの解釈が正しいとしか考えられないのだとすれば、絶対に正しいという保証はないが、私にはそれを信じる以外ない。そして、あらゆる事情を考慮した上で、可能性かどんなに小さいと言われても、自分はその可能性を信じる、という人がいた場合に、他人は彼の判断を誤りだという権利を持たない。人間そうやって生きているのだが、古典の解釈というのもまたそんなものである。表面的な指標だけを頼りに、客観的に計算できる蓋然性だけを信じて生きるのは、全くつまらない人間だと思う。古典解釈に客観的で厳密な科学的方法がある、などというのは、同じようにつまらない妄想である。”

次に『論語』と中国社会の関わりについて、解釈面からではなく、社会の面から、まず、『論語』は、文字内容・解釈・版本、どの面について言っても、二千数百年の間、まさに中国社会に育てられてきたと言えます。逆に、二千年以上の間、中国の全ての知識人は、幼少から『論語』を学ばない者はなく、『論語』を学んでいなければ中国語を習得したことにならないとも言えます。従って中国知識人の精神は『論語』によって育てられ、鍛えられてきたもので、それは知識人以外の全ての社会のあり方に根本的な影響を与えていると言ってよいと思われます。

これは、他方で、中国における高級官吏任用試験である科挙の存在も大きいと思います。科挙は、中国の知識階層に、『論語』を含む古典の学習を必須のこととして要求しました。中国古典の言語と、現代の中国語との距離は、日本の古語と現代語ほどにかけ離れたものではないが、それでも古典の内容は簡単に理解できるものではなく、必ず各種の注釈を参考にして徐々に身につけていく必要があったと思われます。大人になってから勉強しようとすると、大変苦労するので、できるだけ小さい子供のうちから暗記させようとする。しかし、このような困難な学習の過程にこそ、大きな経験的価値があるのではないか、と筆者は言います。古典は生きた言語ではないから、その意味は頭で考える必要がある。どのように理解すべきか解釈を考えてみるが、通じない。また別の解釈を考えてみるが、それも通じない。そういう細かな失敗を積み重ね、自分の考えを繰り返し修正して、少しずつ的確な解釈に近づいていく、という根気の要る作業となります。それは、辛抱強く他人の声に耳を傾ける訓練にもなる、と筆者は言います。

2010年11月13日 (土)

チェン・ピ=シェン「バッハのゴルドベルク変奏曲」

Chen まず、冒頭のアリアのフレージングとアクセントの置き方がユニークなので、グールドの録音に慣れた耳には、違うメロディのようです。今まで聴いてきた何人もの演奏は、ゴルドベルク変奏曲を素材として解釈をするとか、たとえばグールドのようにメリハリをつけるとか、ピーター・ゼルキンのように陰影を加えるとか、あるいは装飾の付け方でもそれぞれに、というように、それぞれの世界を展開しています。しかし、この演奏はストレート一本という印象です。

まさに冒頭のアリアは装飾とか解釈のような細工を一切しないと宣言しているかのようです。その後の変奏に移っても、変奏ごとにテンポに変化をつけてということはあまり感じられません。それと、ピアノの音の力強さというのか、ひとつひとつの音の自体の存在感を強く感じます。例えば、グールドの演奏のような作品の構造というのか骨組みがあって、音はそれを構成する素材というようなものでなく、音が自立した感じです。バロック音楽というよりも、新古典主義のクラシック音楽、たとえば、プロコフィエフの音楽のような感じです。強く感じるのは力強さ。

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(3)

唐末の混乱期には韓愈が「道」という言葉を用いて儒教的な政治の理想を表現しようとしました。この後、唐の滅亡後、宋が統一するまで、社会の混乱と疲弊が続き、北宋の学者たちは制度化された学問を学んだのではなく、理想社会実現の道を探るべく読書をしたと言います。彼らは200年の時間を隔てて韓愈の問題意識を引き継いだと言えます。新たな宋王朝は、如何に制度・文化を建設して理想の社会を実現すべきか。この際、既に伝統文化のしがらみはなく、経書を読んで理想社会を追求する過程で、経書そのものの信憑性に対する疑問さえ自由に提起されるような状態で、まして漢代の学者の注などは、全く経書の意義を歪曲しているものとしか考えられなくなっていったわけです。宋代の学者が論語』の中に読み込もうとしたのは、彼らが歴史的経験をもとに社会の共通認識として、徐々に形成してきた、あるべき社会についての種々の概念であったと言えます。そのため、宋代の経書解釈を理解するには、宋代の人々が考えていたあるべき社会に関する種々の概念を知る必要があって、それを知らなければ、何を言っているのか分からないし、なぜそのような議論をしているかも理解できません。このような彼らの経書の解釈の際に、引き合いに出されたのが、孔子・孟子という聖人であり、『論語』や『孟子』でした。

そのような宋学の集大成として、朱熹の『四書集注』があります。『四書』とは、『大学』『中庸』『論語』『孟子』で、あらゆる理論の根拠として、懐疑の対象たりうる経書ではなく、聖人が取り上げられなければならないとして、根本的に重要とされるようになりました。以前の鄭玄では『論語』は経書に基づく経学理論体系によって解釈される対象にすぎなかったと言えます。これに対して、朱熹の経学は、文献研究に多大の努力を払いながらも、究極の関心を「道」に置くものであり、いかにしてあるべき社会が実現されるかを『四書』の解釈を通じて探究し、説明したものと言えます。

他方、宋代において印刷術が普及し、著作物の数が飛躍的に増大しました。

その後、清末のアヘン戦争を境に欧米列強の侵略を受け、中国は自己変革を余儀なくされます。近代科学の影響を受け、『論語』の研究が試みられましたが、ついに客観的科学的方法が貫徹されることはなかったと言います。これは『論語』の本質に由来する限界とも言え、『論語』は本来断片的な言葉の集積であり、客観的方法で解釈を確定しようがないものでした。加えて朱熹の『四書集注』等が非客観的方法で加えた解釈は、既に中国文化の根幹を成しており、それを全面的に否定することは中国語を否定するにも等しい無理な相談だったと言えます。

2010年11月12日 (金)

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(2)

前漢は王莽によって打ち倒され、王莽は経書の理想を現実政治に実現しようと試みますが破綻し、後漢王朝が成立します。後漢は、政治権力の基盤が不安定で、各種勢力がそれぞれの既得権益を守ろうとしたため、政治は保守的になりました。そこでは、六経や『論語』を引用した議論が実質的意味をもつことはなくなり、これらを学習する実用目的がなくなったわけです。では、新たにこれらを勉強する意味は何かと、実用は考えずに、六経や『論語』等を文献学的・理論的に研究していく、それによって聖人の教えを知るというものでした。ここに明らかな方向は二つあり、ひとつは、学問が政治から分離し、政治への関与を避けることを清廉とする考え方であり、もうひとつは、理論の体系化への動きです。そのような中で生まれてきたのが六経を中心とする経典を研究する学問で「経学」と呼ばれるものです。その代表的な学者が鄭玄です。彼は経書の本文を詳細に校訂し、五経全てを統一的に解釈できる理論体系を構築し、諸経の注を作成しました。六経は、本来全く別個に存在し、それぞれ独自の変化・成長を遂げてきたもので、六経の本文自体を研究の対象とする、つまり、ひとつの経書だけでなく、六経全体を研究して聖人の教えを知ろうとするならば、六経それぞれの間に存在する大量の矛盾した記載が問題となってきます。彼の経学は、これらの六経のみならず緯書をも含め、それら全てを無矛盾に理解できるように調整された、膨大で詳細な理論体系を形成するものでした。彼の『論語』注解の特徴は、学説の体系性にあります。彼は『論語』を単独で読んだのではなくて、経書と一緒に読んで、統一的な解釈を考えて注をつけました。『論語』を経学体系に組み込んだと言ってもいいでしょう。

鄭玄の経学は、当時から大変高い評価を得ていたようですが、それはあくまでも理論的な研究であり、そのまま現実に応用できるようなものではなく、多くの経書の異なる記載を無矛盾に解釈するように作られた、膨大かつ精密な体系は、まさに机上の論理であり、当時の実際の習俗や朝廷儀礼制度とも全く異なるものだったと言います。これに対して、鄭玄の学説を出発点としながらも、それを換骨奪胎し、現実的に受け入れやすい形に大胆に変形・調整した王粛からの反対説が提出されました。彼は、経書の字句との完全な整合性を犠牲にして、礼学体系の簡明性・自然性を追求しました。

同じ頃、何晏による『論語集解』が編纂されました。内容的に学術性が高く、当時最も影響力も大きかったはずの鄭玄の注を踏まえて、『論語集解』を編纂したのは、当然、鄭玄の注に対する不満があっただろうと思います。そこで、鄭玄の注と『論語集解』の解説内容を対照してみると、最も鮮明に違いが見て取れるのは、『論語集解』が鄭玄の注の中での経学的な要素を、あきれるほど徹底的に排除していることです。鄭玄の注が経学理論体系を背景に『論語』を解釈したものだから、その体系に習熟していなければ、内容を的確に理解することができない。これに対して『論語集解』には、全く常識だけで理解できる内容しか書かれておらず、『論語』本文の解釈も、完全に常識的な当たり前のものになっていると言えます。

このような経緯は『論語』の受け入れられ方の変遷にも関連していると言えます。つまり、前漢以前の『論語』は政治の議論の際などに故事のように引用して説得力を高めるために使用されていたから、解釈自体は問題にならなかったと言えます。また、後漢の鄭玄は極めて厳密に解釈したけれど、あまりにも経学的に意味が限定され、『論語』そのものの理解としては偏狭で不自然でありました。そして、『論語集解』によって、『論語』ははじめて直接その意味を議論できるものとなり、ほとんど何も説明していないに等しい注がついたことで、読者はその意味は一体どういうことなのかと自然に考えざるをえなくなり、『論語』の解釈がはじめて研究されるようになったのだと言います。

2010年11月10日 (水)

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(1)

Photo まず、はじめにのところで著者はサプライズを用意してくれています。それは『論語』に原典が存在していないことです。研究者など専門家には自明のことかもしれませんが、いま、巷に溢れているのは注釈や解釈だけで、現在見ることのできる『論語』は、二千年以上に亘って多くの人の手を経て伝承されてきたもので、伝承の過程で様々な整理の手が加えられているもので、原本がないため、伝承の異なる異本のどれが誤りか、明確な判断もできないため、すべては推論に頼らざるをえないと著者は言います。

それでは、『論語』がどのような変遷を経て、今日に至ったかを第1部で概要を追いかけています。

『論語』は、もともと孔子一門の言行録として、極めて簡単で断片的な記録が寄せ集められたもので、これだけを見ても情況が良く分からず、口頭での伝承と合わせてはじめて意味が理解できるようなものであった、というのが通説的見解のようです。角度を変えて言えば、『論語』は一個人が始めから明確な意図をもって書き下ろしたものではないと言うことです。孔子は春秋時代の人ですが、戦国から秦による統一を経て漢の時代には『論語』を学んだという記録もあり、特筆すべきは前漢末に伝承されている各種の文献記録を編纂し直す作業が行われたことで、『論語』を三系統にまとめたことです。この三系統は後漢の鄭玄によって最終的に統一されます。少し話は変わりますが、漢代において『論語』はどのように学ばれていたのか、ということについて。孔子は周公の時代を目指すべき理想社内と位置づけ、さらに古代の聖君の理想社会の状況と理想社会の崩壊の原因を知る手がかりとして六経、つまり『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』を非常に大事にしました。弟子たちもこれにならったため、後世では孔子の教えを奉じる者は、当然六経をしっかり学ばねばならないとされていました。それでは、前漢時代にこのような六経や『論語』がどのように学ばれていたかと言うと、当時の人びとが学習した主要な目的として考えられるのは、経典の奥義を究めたい、というようなことではなく、もっと現実的に、政治的議論の際に、これらの経典の文句を適切或いは巧妙に引用して、説得力を高める点にあったようです。学習の方法も、原文に習熟する以外に、議論の中で原文を応用・活用する技術を練習することになります。

2010年11月 9日 (火)

スコット・パタースン「ザ・クオンツ 世界経済を破壊した天才たち」

Quant 2000年あたりに始まったヘッジファンド・ブームの中で、莫大な金を稼ぎ続けたクオンツと呼ばれる人たちのドキュメンタリーです。クオンツというのは、複雑な数理モデルを使って市場で儲けようとしたファイナンスのプロたちです。

物語は2006年のウォールストリート・ポーカー・ナイト・トーナメントから始まります。これが、クオンツたちの姿勢というのか、基本的な考え方を象徴しているように思えます。クオンツたちの先駆者としてエド・ソープという数学者はブラックジャックの最適戦略を確立計算により数学的に理論化してみせ『天才数学者はこう儲ける』という本を出版し、実際にラスベガスのカジノに乗り込み、大儲けしてみせる。その後、彼はファンドを設立し、成果を上げ続ける。クオンツたちは、このエド・ソープの著作や理論の影響を受け、言ってみれば、彼の系譜に連なる人々といってもいいでしょう。ポーカーといいブラックジャックといい、言うならば、賭け事、勝負事、で負けないために確立計算をもとに、最適な賭け方を探るということ、これを投資にも用いたというのが、彼らの基本姿勢のように思えます。

1827年に顕微鏡で花粉を観察していた植物学者ロバート・ブラウンによって発見されたブラウン運動は、花粉の粒子が不規則に、ひっきりなしに動く様子を表わしている。数学的には、この動きはランダム・ウォークと呼ばれ、将来の動き、右か左か、上か下か、が予測不可能なことを言う。しかし、ブラウン運動の期待値は大数の法則を使って予想することができるといい、それは正規分布曲線で表わすことができるといいます。大数の法則とは、ある事象について、そのサンプル数が増えれば増えるほど、より平均値に近づいていくという法則です。このようなランダムな動きは市場の将来の動きに見られるとして、効率的市場仮説が唱えられ、これらをベースにクオンツたちが数理的な計算によって投資をしていくことになります。

私流に独断と偏見でこんなものだと解釈してみると、例えば、競馬の馬券を買おうとして、当たり馬券の倍率から計算をして、どの馬券をそれぞれ何枚買えば、全部の馬券を買って、どのような結果になっても損をしないような買い方ができるのかというようなことだと思います。このような買い方では、儲けは薄いでしょうけれど、沢山の馬券を買えば、リターンも応じて額が大きくなるというものです。実際には、馬券を全部買うというとロスがおおきいので、勝つ可能性が万が一にも考えられないような馬券は外していって、より効率的な買い方にしていく、というようなものではないか、と思います。これを投資でも行ったというべきか、例えば、コンピューターが何千種類もの株の相関関係を記録しておいて、その長期的な相関関係が崩れ瞬間をコンピューターが探索し、崩れた関係が修復する方向に投資を行うという手法、スタティスティカル・アービトラージがそうです。

でも、これって、私の理解が浅いから誤解なのかもしれませんが、昔から日本でもやっているチャート分析と基本的な発想は、たいして変わらないで、手法を洗練させたものというものに見えます。私の仕事がIRということから、このような通俗的理解から云々を言うのは、軽薄かもしれませんが、私が捉えている投資の本来的目的から外れて、投資の結果生じる利益を掠め取るようにしか思えないのでした。

そして、2007年8月のクオンツ危機で大損失をこうむり、かれらがITバブル崩壊以後営々と稼いできた利益を、この僅か数日のうちになくしてしまったのでした。その理由は、彼らのような賭け方が儲かると分かって追随する人が増えたことにより、これまでの傾向が大きく変わって、彼らの有利性がどんどん薄くなっていったことによると思います。

彼らの動機は、勝負に勝つとか、賭けに勝つことにあるようで、彼らは莫大な収入を得ましたが、それも金が欲しいという欲望というよりも、賭けの結果の数字がつみあがることが動機のように思えます。単純化して言えば、子供の遊びですね。だから、彼らが成功して金持ちになったときの金の使い方、行動が子供じみているのでした。

2010年11月 8日 (月)

河合忠彦「ホンダの戦略経営」(6)

ホンダの場合はどうでしょうか。RV路線への転換の成功、北米市場の成功などにより拡大路線を推進し、国内販売台数100万台構想が打ち上げられましたが、利益率は4%と低迷しました。2003年に社長に就任した福井氏は、100万台構想を撤回し、代わりに顧客満足度最大化と源流回帰として現場重視のスタンスを強く打ち出しました。具体的には、「ホンダを買ってもらったら、次もホンダを買ってもらう」という代替率を上げる、そのためには中古車価格が高くなくてはならない、そのためには品質を高く維持することと需要に見合った適正な生産水準を維持するという、台数主義を否定することになります。源流回帰としては、研究開発体制の整理統合と決裁権限の大幅な委譲を進め、開発スピードの向上を図りました。また、生産システムについては、以前00年からの「生産体質改革」で、溶接、塗装、組立等の設備の汎用化を狙い1つの生産ラインで8車種の混流生産が可能となっていたのを、エンジン生産にまで拡大し、開発との関係も見直した。また、販売チャンネルを一本化していた。

この体制が金融バブル崩壊のより需要急減のときに、迅速な対応を可能としました。設備投資や新規開発の迅速な凍結が固定コストの削減が損益分岐点の低下をもたらし、もともと中国他の新興国比率が高かったこと、北米では中古車価格の低下が抑えられリース販売用の引き当てが減ったこと、現地生産率が高いため円高の影響が低かったことなどの外的な要因もあり、影響は比較的軽度で乗り切っています。このような乗り切りを可能にした最大の要因は、これに先立つ時期の経営がバブルに踊らされることなく、極めて堅実だったことだ言います。その象徴的な例が、フレキシブル生産システムを基礎とする工場間での生産車種の移管による稼働率の平準化です。また、投資に対する堅実性ないし慎重性が、迅速な設備投資の凍結を可能にしたわけです。また販売戦略上の堅実の点では、短期的な販売奨励策、例えばフリートと呼ばれるリース会社への一括販売や販売金融の拡大にも慎重だったと言います。

それでは、ホンダの戦略経営の特徴をトヨタとの対比で見ていきましょう。まず、トヨタがフルライン戦略をとったのに対してホンダが取ったのはカテゴリーを限定する絞込み戦略でした。個々の車ではトヨタとの差別化を図るための新価値創造でした。これを具体化する個別の戦略は新価値創造の開発戦略であり、生産戦略では、トヨタの大量生産によるコストダウンは車種ごとの専用ラインが基本だったのに対して、混流生産や工場間での生産車種移管を可能とするフレキシブル生産が基本だったことです。また、販売戦略のウェイトは極めて堅実だったことです。これらの戦略の相乗効果を生んだことも特筆すべきことだと言います。

そして、ホンダの戦略経営の全体的特徴は次の4点にまとめられます。

1.              何よりも新価値創造性、先進性を尊重すること

2.              行動における柔軟性が高いこと

3.              慎重な側面も持つこと

4.              新価値創造性を重視するために、規模やシェアの拡大への志向は強くないこと

このようなホンダモデルは不確実性の高い環境においてより有効なものだ言います。

しかし、このようなホンダモデルの問題点は長所の裏返しも言えるもので、戦略性が必ずしも十分でないことと言えます。その1つのあらわれは、必ずしも予測は難しくないが、早い段階からの全社的かつ体系的な取り組みを必要とする問題への対応は得意とはいえない点です。さらに、他社に先行してリスクを取って特定の戦略を選択し、積極的に実行し、環境を自己に有利なものに変えてしまう戦略的行動は得意でない点です。

2010年11月 7日 (日)

河合忠彦「ホンダの戦略経営」(5)

まず、トヨタの戦略経営について。2010年は米国でのリコール問題が発生し、トヨタにとっては屈辱的な年となりました。そこに至る原因を生み出したのが、戦略経営の欠如ないし不適切だったことがあるのではないか。では、近年のトヨタの経営を分析していきます。トヨタはここ10年来「怒涛の拡大路線」をとり、建設ラッシュというほど全世界に生産工場を建設し、01年度から07年度までの生産台数の伸びは313万台と業績を急拡大させました。しかし、これは金融危機の発生等による需要の急落を全く想定せずに行われたもので、金融バブルの崩壊ととともに歯車が逆回転し、設備過剰問題に襲われることとなります。このような事態の原因として考えられるのは、成長第一主義の企業目標とフルライン戦略ではないか。“トヨタのフルライン戦略とは、業界のリーダーとして、あらゆる地域(市場)ですべてのカテゴリー(およびサブカテゴリー)の車を販売する全方位のそれである。具体的には、資金力を生かし、①未進出の地域があればそこに進出する、②未進出の(サブ)カテゴリーがあればそこに進出する、また、③進出済みの(サブ)カテゴリー内で他社から革新的なヒット車が出され、トレンドになりそうであればすかさず、より大きな規模で追随する、というものであり、大型車や高級車への進出を含む「怒涛の拡大路線」の基礎にあったのは、この戦略であった。”しかし、このような戦略は以前から一貫して取られていたもので、以前トヨタは慎重で時には臆病ですらあったと言います。すると、どこかの時点で「着実」かに「積極的」に大きな変化があったと考えれます。

その契機となったのが、いわゆる奥田改革と言われるものです。奥田氏は当時のトヨタの業績がジリ貧となったのは、大企業病と着実なブルライン戦略が原因であると考え、積極的なフルライン戦略に転換して大きな成果を上げました。では、どのような転換だったのか。まずは、奥田改革以前のフルライン戦略において最も重視されたのは、高品質で低価格の車を量産するための生産戦略と、強力な販売網によってそれを大量販売する堅実な販売戦略でこれを車の両輪として、開発戦略はこのような戦略に資するような無難で広く受け容れられる低価格のスピーディーな開発に重点が置かれ、問題解決型の資開発プロセスが機能したわけです。さらに、以上の戦略が成功して資金の余剰が生まれると、その資金の許す範囲内でフルライン戦略による設備増加やカテゴリーへの進出が試みられるという堅実なものだったと言えます。この戦略自体は、トヨタの着実な成長を実現した優れたモデルでしたが、より積極的な戦略をとる競争相手に対しては後手に回ることは否めないもので、それがジリ貧の原因と取られたわけです。 

奥田改革では、「高シェアと売上高・利益」という目標を掲げ、それを「大型車や高級車をふくむ怒涛のフルライン戦略」によって攻撃的に実現するというもので、新価値創造型の開発も一部で差別化のために行われ、販売戦略もローン販売の強化等積極化し、特徴的なのは財務戦略が非常に積極的になりました。これは折からのバブルと極めて適合的であり、業績伸長に大きく貢献しました。

しかし、このことは2つの大きな欠陥を内在させることになりました。1つは工場建設のラッシュ等需要の急減への備えを怠ったことであり、以前のシステムが長い時間をかけて熟成されたのに対して、奥田改革は以前のシステムの企業目標と企業戦略だけを新しくしたために経営全体に歪みを生じさせたことです。例えば、トップと現場の距離が拡大してしまった、また生産・販売・財務戦略においても、①以前のトヨタの最大の武器である高品質に対して疑問符が付けられることになったこと、②かつてはトヨタ銀行とまでいわれたほど堅実だったトヨタが、奥田改革以降は常に減価償却を上回る設備投資を続けるなど金融手法を駆使してまでシェア競争に邁進、するようになったこと、③特に経営層について人材の養成が間に合わなかったこと。

2009年社長に就任した豊田新社長は、以上のような怒涛路線の大転換を決意します。その戦略は、怒涛のフルライン戦略を否定しました。シェアや成長至上主義を抑制した、変容した企業環境と適合的な新しい「堅実なフルライン戦略」を構築しようとするものでした。新製品開発も、これに合わせて顧客満足を重視するものに転換させました。ただ、そのプロセスに性急さが見られ、効果が期待できるのは、これからと考えられる。

2010年11月 6日 (土)

河合忠彦「ホンダの戦略経営」(4)

それでは、このような新製品開発の特徴を戦略経営との関連から明らかにしていくことになります。戦略経営とは、最初に言ったように“戦略的新製品開発も確かに重要だが、企業の存続・成長のためには、新製品開発以外のマーケティングや人的資源管理、ファイナンス等の職能戦略について戦略的である必要があり、しかも、それらはバラバラにではなく、統合的に展開されなくてはならない。このように「環境変化に合わせて(また時に先取りして)適切な“経営戦略”を構築し、その現実に向けて、新製品開発、マーケティング、人的資源管理、ファイナンス等の職能戦略を体系的に展開すること」を本書では「戦略経営」と呼ぶ”ということになります。この定義で注意することは、戦略経営は、いわゆる「経営戦略」とは違い、戦略という案を意味するのではなくて、それに基づいて企業を戦略的に経営すること、すなわち行動することを意味します。次に注意すべきは、戦略経営は経営戦略をマネジメントすることではなくて、企業を戦略的なマネジメントすることだと言うことです。そして、ここで言う戦略的にとは企業戦略の実現に向けて体系的にということを意味します。

実際には、このようなことは言うは易く行うは難しというものです。しかし、企業を取り巻く環境の不確実性が高まれば高まるほど、その重要性が増してくるものだということです。ここで見ている自動車業界では、先進国市場の成熟化と新興国市場の拡大、環境規制の強化等の環境変化は産業構造や競争構造を大きく変化させる可能性を秘めていると言えます。これらへの戦略経営による適切な対応の有無が各社の今後を大きく左右させることになると思われます。では、このような戦略経営についてトヨタと対比しながらホンダを見ていきたいと思います。

2010年11月 5日 (金)

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(7)

4章「民族」「歴史」との一体化(つづき)

芸術の概念は「文化」のドイツで逸早く成立しました。その理由としては芸術を人間の教養財とみなそうとする考え方の土台が整っていたことと芸術を「民族」「歴史」「文化」「自由」という概念と結び付けることができたからでした。例えばヘーゲルは『美学講義』において芸術は実利的・功利的用途に従属することから脱し、自律的価値体系のもとで自らの目的にのみ従うという「自由」を獲得した。このことは、芸術自らが最高の課題を担い、使命を自覚することで人間性の高貴さ崇高さへの関心が呼び覚まされる。それは人間の内面に宿る神性の発見と表現につながる。これは人間を神に高めることに他なりません。

一方、ドイツの民族意識は実際にどのように形成されていったのかというと、プロシアが18世紀末にナポレオン戦争に敗北した時に、シラーやフィヒテは戦いは敗北したが、それは民族精神の敗北ではないという宣言します。実は、ナポレオンによって戦争は為政者たちの戦いから国民の戦いに変質したことをシラーは誰よりも先んじて認識したからこそ、そのような宣言をせざるを得なかった。フィヒテはこれをさらに進めてドイツの民族的な優位を説くに至ります。彼らは、現実のドイツが国家的に統一されていなかったかもしれませんが、「国家」や「国民」に信頼をよせず、「民族」に信頼を寄せ、その民族は「言語」を拠り所とし、共通の歴史、文化を有するものです。

著者は芸術の神格化が「民族」や「歴史」を呼び寄せ、「芸術」「民族」「歴史」の三位一体としの神格を獲得していったのは、既に啓蒙主義時代に芸術家の個性のというものが、人類という普遍的概念を背景とした選ばれし人と同義語であって、新しい価値の創造者としての特権が含まれていた、つまり、普遍的な「民族性」「国民性」とつながりをもつものでした。この後、ロマン主義の時代に移ると芸術家個人、天才が「民族」「歴史」と分かちがたく結合していく。一方、このことは「政教分離」という新しい政治文化の原則を樹立される基礎となりました。例えば、フランス革命の政治変革は、人間の存在様態全般にかかわる「政治文化」の更新という広い領域にわたりました。これはアンシャン・レジームの政治文化から、啓蒙主義が求めたような宗教的寛容、身分的障壁を排した市民的平等、神授的王権に代わる議会制民主主義、そして人民主権の共和制の確立に向かい政治意識と政治風土の涵養と形成のことです。そして、フランス革命以後、ヨーロッパの政治文化は宗教的モニュメントを無用化させ、代わって国家のモニュメントの建設を推進します。それは広義のミュージアムに包括されるものです。近代の国民国家は国民を代表し、象徴する英雄をもって新しい近代の神話を創造するのです。これは中世の殉教者、聖人とは違う「文化英雄」という特異な存在者です。なぜ特異かといえば、彼らは概して生前には名声とはほとんど無縁で、国家によって顕彰され、国家の栄典制度の中で偉業が認証された存在だからです。さらに、さきほど述べた広義のミュージアムの中には史跡、モニュメントも含まれ、その代表的なものとして、唯一キリスト教的伝統を引き継ぐ「戦没者碑」あるいは「無名戦士たちの墓地」があります。これは殉教者や受難者を慰霊するための慰霊廟を近代的に改変させたものと言えます。

一応ここまでで、本書の分析というのか、著者による議論の展開は終わります。この後の第5章制度化された芸術は、結論としてこれまでの議論が反復されるようなところで、最終章の芸術崇拝の行方は著者の考えというのかコメントが述べられていきます。これまでも何回もかきましたが、そこで語られる個別のエビソードや脱線は大変興味深く、面白いものです。例えば、小林秀雄の「美を求める心」の中で、したり顔で虚心坦懐に芸術に触れるということの裏面に潜む傲慢不遜さを抉り出すところなど喝采ものです。結論に至っては、これまでの例のとおりに、この一連の投稿を読んで興味をもてるようでしたら実際に著作を手にとって読んでみて下さい。いろいろ書きましたが、私は、期待を裏切ることのない著作だと思います。

2010年11月 4日 (木)

あるIR担当者の雑感(6)~パワーポイントへの懐疑

第2四半期の決算発表もヤマ場を迎え、各社の発表が盛んです。私の勤め先でも決算発表に向けて最後の追い込みで、経理課は殺気立った雰囲気でピリピリしています。で、IRイベントとしては、決算発表と同時か少し後に決算説明会を開いて、投資家やアナリスト、マスコミ関係の方々に、社長が業績と今後の展望を説明します。私の方でも、その資料づくりが段々と切羽詰ってきました。ま、一応、プレゼンテーション資料として、パワーポイントを使って説明スライド兼配布資料を作っています。

で、私の個人的な感想かもしれないのですが、このパワーポイントというアプリケーションは使いにくい、というのか、なんとも中途半端に感じられて仕方がないのです。IRにかぎらず、社内外に向けてブレゼンテーションする場合には、殆んどの場合はパワーポイントを使って行われると思います。皆さんは、どう思っているのでしょうか。私は、プレゼンテーションを受けて、たまたまかもしれませんが、何かそんな気になるというのか雰囲気としてどうだという曖昧なところで説明を聞き流してしまい、何となく分かったような気になることはあります。しかし、説明がきちんと理解できたということはないのです。あとから、配られた説明資料を読み直しても具体的な説明は書かれておらず、もっともらしい文句や麗々しい数字が根拠も明らかにされず飾られているだけなのです。

一方、資料を作る側としては、まず、アプリケーションの動きが重い。文章を入れにくい、計算がするのがやりにくい。とか、内容を考え、ああでもないこうでもないと文章を考えたり、計算をして検証を繰り返しながら、資料を作り込んでいくには意地悪というくらい使いにくい。それで、仕方なくワードやエクセルで原稿をつくり、パワーポイントに貼り付けていくというような二度手間になってしまう。そんなことを感じたことがありませんか。

とくに、IRの場合には、企業の内容をきちんと理解してもらうというのが、第一目的なので、説明資料には誤解を招いたり、言葉足らずのようなことにならないように、比較的多くの情報を盛り込みたいと思っているのが、パワーポイントの画面では、収まりきれないことが多い。巷のプレゼンテーションの手引書や慣れた人のアドバイス等からでは、文章は長くしないとか、画面をすっきりさせるとか、写真やイラスト、グラフなどを多用して分かり易くというのが常識となっているようです。しかし、例えば、具体的な数値がはっきりと明示されていないところで、グラフによって変化を一目瞭然にするなどとは考えられないと思うのです。グラフだけでは、具体的数値が曖昧になる、それは、例えば投資のために分析する場合には、たいへん不都合なはずです。そうすると、数値の列記とグラフを両方画面に載せる。そうすると、パワーポイントの画面に収まらない。

また、数値を出すだけなら決算短信などの資料を読んでもらえば足りるので、わざわざ説明会に足を運んで説明を受けるというのは、数値の背後にある情報、例えば、今期の業績が伸びた、あるいは落ちた原因とか、今期はどういう経営をやってきたのかということや、この結果について経営者はどう評価しているのかとか、今後の展望についてどう思っているのかとか、その理由はどうなのか、などというような数値には出てこない情報を求めているはずだと思います。それを一言、あるいは短い文章で簡潔にできるのでしょうか。たぶん、各企業のIR担当者は達人が揃っているのでしょうか。私には、正確に伝えようとすると、どうしても文章が長くなってしまいます。資料は簡潔にして、あとは説明者が口頭で説明する。というのがプレゼンテーションの常識らしいのですが、そんなに簡単でない情報だからこそ、資料を使って説明するのではないでしょうか。企業のことをある程度以上理解している人は別として、上で列記したようなことを、初めて出席した人が社長の話す説明を聞いて、理解して、おおよそ記憶して、後で投資の検討の際に参考にするなんていうことが果たして、できるのでしようか。実際のところは、メモをとるのが精一杯で、おそらくメモも追いつかない場合もあるのではないか、と思うのです。

実際に、説明会に出席したある人は、資料に詳しく説明がかかれていると、メモにとらわれずに、社長の話をきくことだけに集中できると言っていました。話を聞くのに集中するというのは、単に話の内容を聞き取るだけでなく、その時の社長の表情や話し方の調子というような、ライブでしか感じられない微妙なニュアンスも感じ取るということも含まれるそうです。

そうなると、パワーポイントで作成した資料は一枚当りの情報量が限定され、ある程度の情報を入れようとすると枚数が多くなって嵩張るという欠点も出てきてしまいます。そう思って、今回はワードを使って文章を大幅に増やした冊子形式の資料を試しに作って、スタンダードなパワーポイントの資料と比較検討してみようとしています。

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(6)

4章「民族」「歴史」との一体化

前章で芸術が啓蒙主義によって宗教と政治への隷属から解放され、さらには技術や科学からも分離されるのを目にしました。解放され、自由を手に入れた芸術は、みずからを神の領域にまで高める力を獲得していきます。この解放と自由は芸術だけに限られたことではなく、同時進行的に科学や技術でも解放と自由があり、究極的には人間の解放と自由をめざすものでした。かし、これは行き過ぎであり、この行き過ぎに対してロマン主義による反動が起こるというのが歴史的な通説です。

しかし、啓蒙主義対ロマン主義という対立図式は19世紀後半以後の国民史の影響下で創出されたフィクションであると筆者は言います。これはさらにゲルマン的ロマン的民族主義と古典主義的ラテン系民族の対置にも置き換えられ、もっと枠を狭めるとロマン主義的民族主義のドイツと合理主義的個人主義のフランスとの対置と図式化できます。ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』において、この図式は「文明」と「文化」の概念の対立になっていきます。「文明」化を進めた先進国フランスやイギリスに対して後進国ドイツは哲学、文学、音楽といった精神的「文化」において物質文明の先進国がなしえなかった高い達成を実現しえた。しかし、このような対立は20世紀の第一次世界大戦において枢軸国であるドイツが対抗概念として理論化されていったことでこじつけに近いものです。

しかし、芸術を論ずる本書においてこのような対立を取り上げたのは、このことが西欧における「芸術」と言う観念体系の拡大と深くかかわってくるからであると著者は言います。この辺りの議論は、細かいですが、文化と文明の対立という概念は後付けのフィクションだよと説明した、その舌の根も乾かないうちに、この対立が芸術の概念の拡大とかかわっているといわれると事実関係がどうなっているのか、読んでいる私としては、どうしても混乱してしまいます。私がロジカルというよりもレトリカルと評しているのも、このようなところです。この著作は柄谷行人さんも評価しているようなので、私の読解力では追いつかないのかもしれません。その点は割り引いて、この投稿を読んでいただきたいと思います。

2010年11月 3日 (水)

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(5)

第3章 芸術神学の誕生(つづき)

「美学」とは芸術作品の具体的な理解や作品制作における具体的な知識に役立てるというものではなくて、人間の感性による美的認識の学問です。それは芸術の倫理的な価値を保証する役割を果たしました。自律的な価値を要求する芸術が、その倫理的価値を美学に保証してもらっていたということになります。人間の美的認識とは個々人の好き嫌いの次元にとどまる認識ではなく、その認識能力自体が高度の人格と倫理性を基盤としているということになれば、芸術は高度な人格形成と人倫規範そのものとなります。それを行ったのが美学なのです。その結果、美学は宮廷文化の欲望論から芸術を解放し市民社会の倫理的な禁欲主義の思想に一体化させることに貢献していきました。

例えば、バークの『崇高と美の観念の起源』は美学の古典として知られていますが、それは、芸術については何も書かれていなくて、美を芸術の中心に置き、しかも美の本質に道徳性を措定したからです。このことは、芸術を宮廷と教会から市民の側に奪い取ることでもあり、芸術論のかたちを借りた市民主義のイデオロギーであったとも言えます。それは芸術の神聖化につながったと著者は言います。すなわち”「芸術」の神聖化とは、芸術や権力を権威装飾にするのでもなく、また実用価値や効用価値といった利用的役割から解放し、芸術それ自体が自己目的であるようなもの、つまり現実生活上の利用価値はもたず、あたかも純粋な遊びというものが遊ぶこと自体を自己目的とするような、そんな「遊戯精神」に由来し、それゆえに芸術がいかなる拘束からも逃れた「自由」を享受し、またみずから楽しむがゆえに人をも楽しませ、人間精神を解放するものにしていくことである。いいかえれば「芸術」がオリュンポスの神々のように自由を楽しみ、その活動自体が人間界の卑小な利益から超然として、「神遊び」のような無目的なものでありながら、人間の理想となり、高貴で崇高な畏敬と崇拝の対象となるようなものに「芸術」を高めていくことである。「芸術」は現実に隷属し、権力や権威に奉仕し、実用的に支配される存在であってはならない。それは目的や実用から解放されているがゆえに自由であり、自由であるがゆえにみずからの内的発動に忠実に「仮象」の世界に遊ぶことができるというのがこの時代の芸術論の到達点であった。”

ここで著者が言う最後のところで自由云々と言っていますが、著者はこのような芸術思想の中で自由が発見され政治の世界まで普遍化していったと説きます。芸術の自律的価値というとき、実際にはパトロンや注文者の意向に縛られて制作されていたのであり、そうではなくて制作者の自律した、いうなれば自由な想念で完成されるべきということに結び付くわけです。現実的な欲望の求めに応ずることなく、自由と結び付いた美は現実の欲望を超越するというわけです。カントによれば、「自由」の意識とは、その時々の恣意的な欲望などに服従することなく、普遍的な道徳で自己を律し、義務を伴う責任感という道徳的意志によってはじめて成立するものと言えます。それまでこのような道徳の規準は、正義や真理といったものと同じように超越者、絶対者のなかだけに存在しうるものでした。それをカントは自由と道徳の規律を個々人の人格の中に求めることのできる論理体系を打ち出したのでした。このことによって、人間は「神」を必要としなくなります.芸術が自由を発見したのは、まさにこのようなプロセスの中でです。ということは、芸術はもはや「神」を必要となくなっていくのです。

2010年11月 2日 (火)

King Crimson「Larks Tongues In Aspic 」

King 私の世代では、ロック・ミュージックの初期衝動のようなものが暗黙の了解として生きていたと思います。例えば、ビートルズの衝撃ということが何となく想像できた、というような。怒れる若者などというような紋切り型ではなくて、同時代の流行の音楽に対して、ビートルズの音楽がとれほど違っていたか、尖っていたかというようなことだ。若い人間が内に抱えた、怒りとも、言葉にできないような発散への衝動というのか、そのようなものの捌け口というのか、自分の外に出したいというような衝動がロックという音楽の始まりにある。そういうことが、共有されていた時代があったと思います。しかし、そのような中で、まさにそのようなことから出てきたバンドもありましたが、そういう衝動というのは、一旦発散してしまえば、衝動は満たされてしまい、最初の勢いは、その後失速してしまうケースがほとんどだったと思います。それに対して、そのような衝動のプロセスを音楽の構造に反映させようとしたのが、この作品だったような気がします。

その意味では、このアルバムは、私の独断と偏見ではクラシック音楽に極めて近いという印象です。このアルバムに極めて近い印象を与えられたものとして、私が真っ先にあげたいと思うのが、ピエール・ブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団の演奏するストラヴィンスキーの「春の祭典」です。

例えば、太陽と戦慄パート1では微かに聞こえてくる最弱音のパーカッションに耳を澄ましていると、ベースやドラムスが加わり、徐々に音量が増してきて、緊張感が高まってくると突然ボリュームが上がってトゥッティでガツーンとハードなサウンドが怒涛のように襲ってくるのです。このとき、聴いている私は、聴くたびに、徐々に音量が高まってくるのに乗じて、自分の内側で叫びだしたいような衝動が高まってきて、ガツーンとトゥッティがかまされるときには一緒に叫びだしたい衝動に駆られるのです。この曲は、実は、聴く人のそのような反応を導き出すために、聴く人への影響を考えて精緻に作られていると思うのです。私の友人はプログレッシブ・ロック大好き人間で、そのような話をすると、それは寧ろイエスに当てはまるといいます。しかし、私に言わせれば、イエスもいいバンドとは思いますが、曲は複雑な構造をしていて、それを再現するのに精緻な演奏をしていますが、それはあくまで曲自体がそうなのであって、この太陽と戦慄のように、聴く人の衝動を音楽の力で解放させるような効果を生み出していくために、その作用も冷静に分析して精緻に音楽を作り上げていくまでは至っていません。

その意味で、変拍子のリズムと不協和音を駆使してバーバリズムという人間の原始的に衝動を引き出してしまうストラヴィンスキーの「春の祭典」とくに、これを分析的に再現してしまったブーレーズ指揮の演奏への親近感を、どうしても感じてしまうのでした。

それはまた、太陽と戦慄パート2が当人たちには無断で、映画「エマュエル夫人」で主人公が乱暴されるシーンで使われ暴力的な雰囲気を高めるのに使われていたことからも分かります。

2010年11月 1日 (月)

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(4)

第3章 芸術神学の誕生

前章で述べたように啓蒙主義はこれまでの世界をリセットして新たなユートピアを作り出そうというものでもありました。この考えられたユートピアの典型例として、フランシス・ベーコンのユートピア文学『ニュー・アトランティス』を著者は取り上げます。以前にも書きましたが、著者の論述は論理が展開するというよりは、レトリックで手を変え品を変えて読者を説得するような書き方がされているので、論旨を追うのが、私のような初学者には厄介なところがあります。例えば、本書は6章に章立てされていますが、各章のつながりというか関係がわからない。私も、個人的に、仕事関係で若い社員に調べものをさせ、レポートを書かせることがありますが、その書式として項目に分けて、番号をふっていく人が多いのですが、その項目分けと番号をふった意味が分からなくて、全体の構成が見えてこないことがよくあります。それで、当人に構成を質問すると、何も考えていないというのが殆んどですが。まさか、著者はそんなことはないと思いますが。

ただし、本書の魅力として、時折脱線というのか、細部を著者が全体に比して丁寧に説明することがあり、例えば、ここでもユートピアについて、日本人我々が無意識のうちに抱いてしまう東洋的な桃源郷のようなイメージとはかけ離れたものだということを説明してくれますが、こういう箇所は読んでいて、とても面白い、興味深い。

さて、『ニュー・アトランティス』には「ソロモンの館」という最高機関があり、そのギャラリーには歴史上の科学、技術、芸術の発明者や発見者たちが展示されています。現代で言えばミュージアムといえる空間は、近代の新しい神々を創出し、その聖遺物を補完し、近代の新しい教会として祝祭空間を作り出す制度になっていると著者は言います。ここには、啓蒙主義の基本理念である進歩がベースとなり、科学・技術・芸術の専門分化が現われ出てきたと著者はいいます。後に科学と技術が文明や進歩といったこと相互補完的な関係をもち、芸術が他の二つから離れて文化、歴史、教養とより緊密に結び付きを果たしていくようになります。またちょっと愚痴をこぼしますが、著者は啓蒙主義の技術の進歩とその影響を論じますが、それが芸術理論の発展とどう関係しているかつながらない。読んでいて、技術かに芸術に話題が転換したくらいにしか読み取れない。そうなると技術の説明がなんのために為されたのかがよく分からないという結果になってしまいます。

“このようにして「技術」は伝統社会、権威主義社会の労働蔑視観から解放され、「科学」や「自由学芸」と対等の位置を獲得できたのである。ひとたび「技術」の価値が発見されると、伝統社会の価値観は根底から崩され、社会に革命的な地殻変動が進行する。「労働」が下賎な奴隷的な仕事という意識から解放されると自由人たちも進んで「労働」に参入してくる。つまり「労働」は社会階層的な上昇をとげていく。労働とみなされていた「技術」が次第に高い価値を獲得してくると、技術者は自分の仕事に誇りをもってくる。この誇りは意識的にせよ無意識的にせよ、自分たちの技術、仕事が社会にとって有用なものであるという考え方をはぐくんでいく。いうなれば自分たちの仕事は社会の変革に貢献するものであるという意識を育てていく。ここから「歴史」とは受動的に運命として甘受していくものではなく、主体的に積極的にみずからが創りあげていくものだという思想が形作られてくる。これが「進歩」思想の根本である。”と著者は言いますが、このような環境の変化がベースとなって、技術の価値が発見される一方で、芸術に対する価値感も変わって来ることになります。しかし、芸術がその価値を発見されることは、芸術本来の価値というよりも西欧近代思想がつくりあげたフィクションによる部分が大きいと著者は言います。そして、このフィクションの形成に貢献したのがヴィンケルマンに始まる「美学」なのです。

河合忠彦「ホンダの戦略経営」(3)

ホンダの分析は以上のとおりですが、対比すべくトヨタの分析をしています。

トヨタの開発プロセスの特徴をホンダの違いに着目しながらあげて見ると、次のようなことが言えます。

1)              開発のスタート時についてみると、ホンダの開発リーダーは簡単な指示を与えられただけで、本社サイドの指示用分析の結果には拘束されずに自分の主観を重視してコンセプトの形成に向かうのに対し、トヨタの場合には、開発チームが客観的な市場分析を行い、その結果を踏まえて論理的にコンセプトの形成に向かう。(したがって、この点に焦点を当てれば、ホンダよりもトヨタのほうが戦略的とも言えます)

2)              その結果、実際のコンセプト形成プロセスでは、ホンダ車の場合には新価値の実現のためにターゲットとするユーザー層と彼らの欲するであろうニーズをひとつの理想型として明確化し、それを満たす製品機能の集合のすべてを実現しようとする「理念型的方法」が用いられたのに対して、トヨタの場合には、特定の製品機能に関連して新価値を実現しようとするのではなく、多くの機能をバランスよく実現しようとする「バランス方式」が取られている。

3)              その結果、コンセプトに込められた製品の新価値創造性は、ホンダ車がより高いものだったのに対し、トヨタの場合には既存カテゴリー内での完成度向上型だった。後述するトヨタのベンチマーク方式やバランス方式ではもともと新価値の追加は考えにくい。

4)              以上の結果、ホンダ車とは違いトヨタの場合にはコンセプトに伴う価値コンフリクトが生じにくいので、ホンダの場合の説得のような克服方法が用いられることが極めて少なくなります。トヨタのバランス方式は、特定の価値にこだわりにくいため、コンセプトは抽象的で反対しにくいもので足りるし、またベンチマーク方式(充足すべき価値についてすべてのライバル車を順位付け、そのいずれにおいてもトップレベルに入るという形で決める方式)では、どの価値を重視すべきはその価値が競合車で重視されているかによって外圧的に決まってしまい、開発者や関係者が主体的に変更する余地が残されていないからとも言えます。

トヨタの開発リーダーは長年にわたり「80点+α」主義に依拠すべきと求められてきたことに起因すると考えられます。すべての機能を高いレベルでバランスさせるという、それがトヨタの冒険できない体質の形成に繋がったことは否定できない。このようなことからトヨタの開発プロセスはホンダの新価値創造型に対して問題解決型とタイプ分けすることができます。このようなことからトヨタの開発リーダーはも顧客価値の最大公約数の実現を求め、バランスを考えつつ、客観的にコンセプトを形成するため、コンフリクトは少なく、その結果実現する車は、新価値創造性は必ずしも高くないが、販売の点では、平均的には高いパフォーマンスをあげることが可能である。

このような比較は、必ずしもトヨタが新価値創造型の開発を全く行わないと言うことではない。逆にホンダの場合も新価値創造型の開発はRV系の車で、それ以外の車は制約条件が多いため結果的に問題解決型に近いものになってしまうケースも多い。しかし、それでもなお、新価値創造型と問題解決型の方式は相互にかなり異質であり、ひとつの企業が双方を同時に実現するのは難しく、可能なのは、一方を基調としつつ、他方をある程度とり込むというスタンスではないかということです。また、それそれの方式自体で優越を云々することは無意味であり、経営戦略との適合性で評価されるべきだということです。単純化すれば、市場ニーズが成熟化した先進国市場向けには新価値創造型が、また発展途上の市場向けには問題解決型が向いているのではないか。また、戦略的に狙いが明確な車については問題解決型が向いているのでないかということです。

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