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2010年11月 2日 (火)

King Crimson「Larks Tongues In Aspic 」

King 私の世代では、ロック・ミュージックの初期衝動のようなものが暗黙の了解として生きていたと思います。例えば、ビートルズの衝撃ということが何となく想像できた、というような。怒れる若者などというような紋切り型ではなくて、同時代の流行の音楽に対して、ビートルズの音楽がとれほど違っていたか、尖っていたかというようなことだ。若い人間が内に抱えた、怒りとも、言葉にできないような発散への衝動というのか、そのようなものの捌け口というのか、自分の外に出したいというような衝動がロックという音楽の始まりにある。そういうことが、共有されていた時代があったと思います。しかし、そのような中で、まさにそのようなことから出てきたバンドもありましたが、そういう衝動というのは、一旦発散してしまえば、衝動は満たされてしまい、最初の勢いは、その後失速してしまうケースがほとんどだったと思います。それに対して、そのような衝動のプロセスを音楽の構造に反映させようとしたのが、この作品だったような気がします。

その意味では、このアルバムは、私の独断と偏見ではクラシック音楽に極めて近いという印象です。このアルバムに極めて近い印象を与えられたものとして、私が真っ先にあげたいと思うのが、ピエール・ブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団の演奏するストラヴィンスキーの「春の祭典」です。

例えば、太陽と戦慄パート1では微かに聞こえてくる最弱音のパーカッションに耳を澄ましていると、ベースやドラムスが加わり、徐々に音量が増してきて、緊張感が高まってくると突然ボリュームが上がってトゥッティでガツーンとハードなサウンドが怒涛のように襲ってくるのです。このとき、聴いている私は、聴くたびに、徐々に音量が高まってくるのに乗じて、自分の内側で叫びだしたいような衝動が高まってきて、ガツーンとトゥッティがかまされるときには一緒に叫びだしたい衝動に駆られるのです。この曲は、実は、聴く人のそのような反応を導き出すために、聴く人への影響を考えて精緻に作られていると思うのです。私の友人はプログレッシブ・ロック大好き人間で、そのような話をすると、それは寧ろイエスに当てはまるといいます。しかし、私に言わせれば、イエスもいいバンドとは思いますが、曲は複雑な構造をしていて、それを再現するのに精緻な演奏をしていますが、それはあくまで曲自体がそうなのであって、この太陽と戦慄のように、聴く人の衝動を音楽の力で解放させるような効果を生み出していくために、その作用も冷静に分析して精緻に音楽を作り上げていくまでは至っていません。

その意味で、変拍子のリズムと不協和音を駆使してバーバリズムという人間の原始的に衝動を引き出してしまうストラヴィンスキーの「春の祭典」とくに、これを分析的に再現してしまったブーレーズ指揮の演奏への親近感を、どうしても感じてしまうのでした。

それはまた、太陽と戦慄パート2が当人たちには無断で、映画「エマュエル夫人」で主人公が乱暴されるシーンで使われ暴力的な雰囲気を高めるのに使われていたことからも分かります。

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