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2010年11月29日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(9)

投資の真実(加熱している会議室)

我々の子会社は、昨年、現金の必要からわずかな小さな“bolt-on”を取得しました。しかし、BNSFとの超大型買収により、我々はバークシャー株式を発行済総数の6.1%にも達する約9000株を出することが必要になりました。チャーリーと私は結腸鏡検査に備えるのと同じくらい、バークシャー株式を出すのを楽しみにしています。

我々が嫌っている理由は簡単です。我々がバークシャーを実勢価格で売却することなど夢にも思わないのに、いったいなぜ、合併において我々の株式を出すことによって、不十分な価格で会社のかなりの部分を「売らなければならないのか?」ということです。

資本金のための株式申込みを評価する際に、全く当然のように、標的会社の株主は与えられることになる買収者の株価相場に焦点を合わせます。しかし、彼らはこの取引が自身の株式、彼らが手放さなければならないもの、の価格に影響すると予想します。将来の買収者の株式が実勢価格を下回る価格で売られているならば、買い手は全株引き受けにおいて分別のある取引をすることは不可能です。株主を傷つけることなく、評価された株式と過小評価された株式を交換することはできません。

もしできるなら、A社とB社、両方とも同じように本質的に1株当たり100ドルの価値のある、同じような大きさの2つの会社を想像してみて下さい。しかし、彼らの株式は、両方とも、1株当たり80ドルで売買されています。A社のCEO、信用できる人ですが知恵に欠ける人、がA社の株式11分4をB社の株式に当てはめ、取締役に対してはB社が1株当たり100ドルの価値を有することを正しく説明します。しかし、株主に対して、この取引が実態価値で125ドルのコストを強いることを説明するのを怠ります。また、取締役が同じように数学的な難題を克服する、つまり、取引が完了すると、B社の株主はB社とA社の合併による資産の55.6%を所有し、A社の株主は44.4%を所有することになるでしょう。しかし、A社の誰もが、この無意味な取引による敗者であるというわけではないことに注意して下さい。CEOは、規模が威信と補償の両方の領域で互いに関連する傾向のある世界で、現在、元のドメインの2倍の規模の会社を経営しています。

買収者の株式が過大評価されるならば、それは別の話です。通過として使用することは、買収者にとって利点として働きます。そういうわけで、株式市場の色々な領域で発生するバブルは、ずるいプロモーターによる株式の度重なる発行を常に呼び起こしました。彼らの株式の市場価格を超えるという実質的な偽金を使っているので、彼らは(買収の際に)余分に払える余裕をもつことができるのです。定期的に、多くの、空っぽな買収が行われました。とくに1960年代後半には、そのようなごまかしが頻繁に行われていたような乱れた期間でした。本当に、特定の大企業は、このようにして築かれたのです。(たくさんの個人的な忍び笑いがありましたが、公的には、関係した人は起こっていることを認めないでしょう)

我々のBNSF買収において、売却株主は1株当たり100ドルで、我々の申し込みを適切に評価しました。しかし、100ドルにつき40%が我々の株式で賄われたので、それが市場価格よりも価値があるとチャーリーも私も思っていたので、我々のコストは、いく分か割高となりました。幸いにも、我々は長い期間をかけて現金で市場で購入したかなりの量のBNSF株式を所有していました。したがって、全部で、我々のコストの僅かに30%相当をバークシャー株式で支払われました。

結局、チャーリーと私は、株式をもって買収価格の30%に充当させる不都合と、買収によって我々が長年やりたいと思っていた事業で220億ドルの現金を展開する機会を与えられることとで相殺させることに決めました。それはまた、マットローズによって運営されるという利点もあります。我々は、彼を信頼し賞賛に値すると主っています。また、我々は、妥当な利益率で長年、さらに数十億ドルを投資するような見通しを立てるのが好きです。しかし、最終的な決定は、それに近いものになりました。我々が買収のために、より多くの株式を使う必要があったならば、それは意味をなさなかったでしょう。我々は得ていた以上に諦めなくてはならなかったでしょう。

私は何十もの取締役会に出席します。そこでは、しばしば高価な投資銀行出身の取締役によって買収について熟慮されています。常に、銀行員たちは買収される会社の詳細な査定を、市場価格よりはるかに価値がある理由を強調して、取締役会に提出します。しかしながら、50以上にわたる取締役の経験の中で、私は投資銀行員(あるいは経営者)たちから提出された正確な数値に対して議論が行われたことを聞いたことがありませんでした。取引が買収者の株式を必要とした時、彼らは、単にコストを評価するために市場価格を用いました。買収者の株価が不十分だったと主張しても、「その通り、その本当の価値ではない」、公開買付を議論のテーマとして取り上げたでしょう。

株式が買収の際に熟考のうえ通貨として使用されるとき、取締役がアドバイザーのヒヤリングを実施しているとき、合理的でバランスの取れた議論をえるには1つの方法しかないように思います。取締役たちは、取引に料金を使い果たしていない状態のうちに、提案された買収に関して弁護するために第2のアドバイザーを雇うべきです。このような荒療治がなければ、アドバイザーの利用に関する次のようなアドバイスは有効です。「散髪を必要とするか否かを床屋に尋ねるべきではない」

私は、昔、実際にあった話をお話する誘惑に抵抗することはできません。我々は、何十年もの間、買収を法律で規制されていた大銀行の株式を持っていました。結局、法律は変わり、我々の銀行はすぐに買収可能な物件を探し始めました。マネージャー達は、立派な人々で有能な銀行家ですが、不意に、ちょうど女の子を発見した十代の少年にように振舞い始めたのです。

彼らは、非常の規模の小さい銀行で、上手く行っていて、株主資本利益率、利息差益、ローン品質等のような領域での共通の財政的な特徴をもっている銀行に注目しました。我々の銀行は、帳簿価格付近でふらふらし、非常に低い株価収益率を示していたのに見合った価格で売られました。もっとも、小さな銀行のオーナーは州内の大きな銀行からも、他に提案を受けていて、帳簿価格の3倍の価格を強く要求していました。その上、彼は、現金ではなく、株式を求めました。

我々の仲間は、当然、屈服して、この価値を破壊した取引に同意しました。「我々は、ハント中であることを示す必要があります。そのうえ、それは僅かな取引のみにすぎません」と、まるで株主に対する大きな危害だけがためらう正当な理由であったかのように、彼らは言いました。チャーリーの、そのときの反応は「我々の芝生を汚す犬が、セントバーナードよりむしろチワワであるので、拍手喝采をすると思うか?」

より小さな銀行の売り手、彼は馬鹿ではない、は交渉において一つの最終的な要求を提示しました。「合併の後」と、おそらくこれより外交的な表現を用いて、実質的には次のようなことを言いました。「私は、貴行の大株主になります。それは私の自己資本の大部分を占めるでしょう。従って、あなた方は、二度とこのような馬鹿げた取引をしないと、私に約束しなければなりません」

はい。合併は承認されました。小規模の銀行のオーナーはより裕福になりました。我々はより貧しくなりました。そして、大銀行のマネージャーは、新しくて、より大きい銀行と取引を始め、ずっと幸せに暮らしました。

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