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2010年11月17日 (水)

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(2)

日本で最初に本格的に、「subject」の日本語訳と苦闘したのが西周でした。彼は朱子学の素養を叩き込まれていたことから、様々な学問が互いに連関しあって全体として地の体系をなしており、その根底には統合原理とそれに基づいた分類体系があるという考えを持っていたようです。そこで哲学はこの統合原理に通底すると考えら、「subject」の翻訳も、そのような前提のもとに考えられたものだったと言えます。そこで、「主観」という場合の「観」を西は強調していましたが、彼が哲学の問題として「subject」を考えるとき、おうおうにして、認識の場面を念頭に置いていたことが強く認識されるわけです。これは、彼がヨーロッパで学んだのがカント以降の19世紀ヨーロッパ哲学だったこと、つまりドイツ観念論の築いた認識論的傾向が大きな影響を残したものであったことです。「subject」はさきの説明のとおり多義的でありますが、西はこれと苦闘しながら、その意に応じた様々な訳語を充てています。この「subject」の多義性により訳語が林立するような状態にひとつの道をつけたのが井上哲次郎が明治初期の初学者のためのいわば哲学辞典として英語の『The Vocabulary of Philosophy, Mental and Metaphysical』を翻訳かつ補足した『哲学字彙』のなかで、「subject」を「心」「主観」「題目」「主位」というように人間を認識主観としてとらえる近代的意味合いの比重が高いものとなっていることです。これは、井上がドイツ哲学の影響下にあったことや西などの先駆的な仕事を考慮したこと等によるものです。この『哲学字彙』が31年後に増補改定版の『栄独仏和哲学字彙』となり、哲学を学ぶ学生必携の辞書として権威を高めていくのにつれて、この訳語が定着していくのです。そして、この辞書で哲学を学んだ学生の一人に西田幾多郎がいました。

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