無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 松宮秀治「芸術崇拝の思想」(5) | トップページ | あるIR担当者の雑感(6)~パワーポイントへの懐疑 »

2010年11月 4日 (木)

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(6)

4章「民族」「歴史」との一体化

前章で芸術が啓蒙主義によって宗教と政治への隷属から解放され、さらには技術や科学からも分離されるのを目にしました。解放され、自由を手に入れた芸術は、みずからを神の領域にまで高める力を獲得していきます。この解放と自由は芸術だけに限られたことではなく、同時進行的に科学や技術でも解放と自由があり、究極的には人間の解放と自由をめざすものでした。かし、これは行き過ぎであり、この行き過ぎに対してロマン主義による反動が起こるというのが歴史的な通説です。

しかし、啓蒙主義対ロマン主義という対立図式は19世紀後半以後の国民史の影響下で創出されたフィクションであると筆者は言います。これはさらにゲルマン的ロマン的民族主義と古典主義的ラテン系民族の対置にも置き換えられ、もっと枠を狭めるとロマン主義的民族主義のドイツと合理主義的個人主義のフランスとの対置と図式化できます。ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』において、この図式は「文明」と「文化」の概念の対立になっていきます。「文明」化を進めた先進国フランスやイギリスに対して後進国ドイツは哲学、文学、音楽といった精神的「文化」において物質文明の先進国がなしえなかった高い達成を実現しえた。しかし、このような対立は20世紀の第一次世界大戦において枢軸国であるドイツが対抗概念として理論化されていったことでこじつけに近いものです。

しかし、芸術を論ずる本書においてこのような対立を取り上げたのは、このことが西欧における「芸術」と言う観念体系の拡大と深くかかわってくるからであると著者は言います。この辺りの議論は、細かいですが、文化と文明の対立という概念は後付けのフィクションだよと説明した、その舌の根も乾かないうちに、この対立が芸術の概念の拡大とかかわっているといわれると事実関係がどうなっているのか、読んでいる私としては、どうしても混乱してしまいます。私がロジカルというよりもレトリカルと評しているのも、このようなところです。この著作は柄谷行人さんも評価しているようなので、私の読解力では追いつかないのかもしれません。その点は割り引いて、この投稿を読んでいただきたいと思います。

« 松宮秀治「芸術崇拝の思想」(5) | トップページ | あるIR担当者の雑感(6)~パワーポイントへの懐疑 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松宮秀治「芸術崇拝の思想」(6):

« 松宮秀治「芸術崇拝の思想」(5) | トップページ | あるIR担当者の雑感(6)~パワーポイントへの懐疑 »