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2010年11月24日 (水)

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(8)

ちょうどこの時期に、時を同じくして高揚してきた学生運動においては、「主体性」の概念は不自然なほど抑圧されていました。それは、東大新人会を中心に活発な主体性議論を共産党指導部から排斥されてしまったことによるものです。この中で『季刊理論』では主体性概念の継承が行われていきます。例えば、田中吉六は、それまでの主体論者の議論が、唯物論に対して主体性をあくまで外部からもってきて補完しようというものであったのに対して、マルクスの唯物論には初めから「主体性」が内在しているという立場から論を起こしたという新しさがありました。田中は、人間が自然を感性的知覚するだけでなく、労働という実践を介して人間が自然に対して働きかけるという、人間の自然に対する受動と能動の二つの面を見ることによって、自然(客体)と人間(主体)との「発展的」で「対自的」な相互関係をとらえ、それによって「主体的唯物論」を構想しました。しかし、こうした自然と人間との基本的な関係は資本主義社会においては調和的におさまらない。つまり、人間という主体は労働を通して自然という客体を商品という客体に加工する。それは主体が自らを商品という客体に外化し、対象化することである。だが、この本来主体の客体化にすぎない商品が増大するにつれて、いつのまにか主体の上に君臨し、逆に主体を抑圧する結果を招いてしまう。いわゆる自己疎外です。こういう認識にたって田中は、革命の動機づけを行いました。「疎外革命論」です。

これを、さらに現実の運動に近づけて論じたのが黒田寛一でした。彼らが展開した主体性論は共産党から離れた革命運動、新左翼と呼ばれる中の革命的共産主義者同盟の周辺で受け入れられ継承されていきます。

このような流行の兆しを見せる「主体性」と「疎外」の成り行きを批判的に見ていたのは、廣松渉でした。しかし、廣松の批判は理論的でありすぎたと言えます。

現実の「主体」概念のほうは「疎外」概念とともに理論の領域を超えて、心情一般の領域に拡散していったからです。著者は言います。「「主体性」という言葉は、学生運動という舞台を中心にして、ある時期から哲学や学問の手を離れて、それ自体が急激にひとり歩きを始め、時とところに応じて各自が様々につかう空虚な言葉となってひろがっていったのである。」学生運動の高揚期においては「主体性」は余計な理屈づけを必要としなくなり、むしろ無記であるがゆえに逆に何でも包みうる決め台詞ないし殺し文句としての威力を発揮していった。主体の発見は、まず直接的には孤立した自己の発見から始まりますが、運動の中で、孤立の自覚に立った連帯ということとは別に、敵として考えられていた現実の資本主義社会に加担する自分の存在を自覚することでもありました。つまり、目標としての体制を打倒すること、それは否応なく加担している自分をも打倒しなければならない。そうでなければ闘争は自己欺瞞になってしまうからです。この自己の否定を介しての闘争という批判のあり方が自己否定の論理として追求されていきます。

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