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2010年11月 1日 (月)

松宮秀治「芸術崇拝の思想」(4)

第3章 芸術神学の誕生

前章で述べたように啓蒙主義はこれまでの世界をリセットして新たなユートピアを作り出そうというものでもありました。この考えられたユートピアの典型例として、フランシス・ベーコンのユートピア文学『ニュー・アトランティス』を著者は取り上げます。以前にも書きましたが、著者の論述は論理が展開するというよりは、レトリックで手を変え品を変えて読者を説得するような書き方がされているので、論旨を追うのが、私のような初学者には厄介なところがあります。例えば、本書は6章に章立てされていますが、各章のつながりというか関係がわからない。私も、個人的に、仕事関係で若い社員に調べものをさせ、レポートを書かせることがありますが、その書式として項目に分けて、番号をふっていく人が多いのですが、その項目分けと番号をふった意味が分からなくて、全体の構成が見えてこないことがよくあります。それで、当人に構成を質問すると、何も考えていないというのが殆んどですが。まさか、著者はそんなことはないと思いますが。

ただし、本書の魅力として、時折脱線というのか、細部を著者が全体に比して丁寧に説明することがあり、例えば、ここでもユートピアについて、日本人我々が無意識のうちに抱いてしまう東洋的な桃源郷のようなイメージとはかけ離れたものだということを説明してくれますが、こういう箇所は読んでいて、とても面白い、興味深い。

さて、『ニュー・アトランティス』には「ソロモンの館」という最高機関があり、そのギャラリーには歴史上の科学、技術、芸術の発明者や発見者たちが展示されています。現代で言えばミュージアムといえる空間は、近代の新しい神々を創出し、その聖遺物を補完し、近代の新しい教会として祝祭空間を作り出す制度になっていると著者は言います。ここには、啓蒙主義の基本理念である進歩がベースとなり、科学・技術・芸術の専門分化が現われ出てきたと著者はいいます。後に科学と技術が文明や進歩といったこと相互補完的な関係をもち、芸術が他の二つから離れて文化、歴史、教養とより緊密に結び付きを果たしていくようになります。またちょっと愚痴をこぼしますが、著者は啓蒙主義の技術の進歩とその影響を論じますが、それが芸術理論の発展とどう関係しているかつながらない。読んでいて、技術かに芸術に話題が転換したくらいにしか読み取れない。そうなると技術の説明がなんのために為されたのかがよく分からないという結果になってしまいます。

“このようにして「技術」は伝統社会、権威主義社会の労働蔑視観から解放され、「科学」や「自由学芸」と対等の位置を獲得できたのである。ひとたび「技術」の価値が発見されると、伝統社会の価値観は根底から崩され、社会に革命的な地殻変動が進行する。「労働」が下賎な奴隷的な仕事という意識から解放されると自由人たちも進んで「労働」に参入してくる。つまり「労働」は社会階層的な上昇をとげていく。労働とみなされていた「技術」が次第に高い価値を獲得してくると、技術者は自分の仕事に誇りをもってくる。この誇りは意識的にせよ無意識的にせよ、自分たちの技術、仕事が社会にとって有用なものであるという考え方をはぐくんでいく。いうなれば自分たちの仕事は社会の変革に貢献するものであるという意識を育てていく。ここから「歴史」とは受動的に運命として甘受していくものではなく、主体的に積極的にみずからが創りあげていくものだという思想が形作られてくる。これが「進歩」思想の根本である。”と著者は言いますが、このような環境の変化がベースとなって、技術の価値が発見される一方で、芸術に対する価値感も変わって来ることになります。しかし、芸術がその価値を発見されることは、芸術本来の価値というよりも西欧近代思想がつくりあげたフィクションによる部分が大きいと著者は言います。そして、このフィクションの形成に貢献したのがヴィンケルマンに始まる「美学」なのです。

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