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2010年11月19日 (金)

小林敏明「〈主体〉のゆくえ」(4)

実はこのような西田の主観から主体への転換には、十年も前に先例がありました。それは、西田の弟子である三木清であります。そして、西田の転換は、この三木が震源となっていると言えるのです。三木の思考には「社会と個人」に対して一貫した関心がある。いわゆる京都学派に「主体」という言葉を個人個人の行為の源の意味を含ませて意図的に使ったのも三木でした。彼はヨーロッパの留学からの帰国後、『人間学のマルクス的形態』等の一連の論文を発表します。ここで、三木は彼独自の人間学を次のように構想します。まず、ベースに西田の純粋経験に範をとったような基礎経験がありますが、この次元では人間は他の存在との動的双関的関係に置かれ、常に不安の中にある。この基礎経験に対して人間はロゴスをもって対処するように宿命づけられている。そして、このロゴスには二段階あって、第一次のロゴスは基礎経験をその直接的表現で、アントロポギーあり、第二次のロゴスは間接的で、その時代の学問的意識や哲学的意識、あるいは世界観のような「公共性」をもったロゴスで、イデオロギーと呼びます。このイデオロギーには、明らかにマルクスのバイアスがかかっており、それだけでなく基礎経験に対しても具体的形態として無産者的基礎経験を見ています。さて、問題の「主体」ですが、三木は基礎経験の内実をなす人間観のなかで「精神科学の対象をなす歴史的社会的存在は人間を基体として成立する世界である」と、新しい「主体」概念にひきつけた「基体」の使い方を示した上で、歴史的世界でとはそのなかに人間が住むと同時に、それを作りつつある「交渉的存在」のことであるとして、さらに「歴史的社会的存在界を構成する者として、そして同時にそれと交渉する者として、人間は、単に精神ではなくむしろ精神物理的統一であり、単に思惟する主観でなく却って意志、感情、表象のあらゆる方面に自己を表現する統一的主体である」と言います。三木は、この後、マルクスの翻訳作業を通じて、次第にSubjektの翻訳問題を自覚していったと思われます。

そして、『人間学のマルクス的形態』を発展させ、1932年『歴史哲学』を執筆公刊します。ここで注目すべきは「歴史」概念の組み直しで、『人間学のマルクス的形態』での基礎経験─第一のロゴス(アンドロポギー)─第二のロゴス(イデオロギー)の三層構造をもとにして、「存在としての歴史」「ロゴスとしての歴史」の区分を導入します。後者は前の図式の二つのロゴスを受け継いだものだというのが分かります。また、前者は私たちがごく普通に歴史と呼んでいるものを指しますが、三木は、この一見自明なものに分析の目を入れてみせます。例えば、自分もその一部をなすような出来事を記述する場合に、それを記述している自分と、そこに記述される自分とが区別されます。これと同じように、今記述している「現在」と記述されている出来事の中の「現在」はあり方が違う。三木は今記述している「現在」をあらゆる歴史の原基とみなして、「存在としての歴史」から切り離して「事実としての歴史」と呼びます。三木は、この「事実としての歴史」を人間が歴史を作るそのものであるとして、「存在としての歴史」の人間の行為によって作られた歴史に当たるといいます。三木の「事実としての歴史」は以前の図式の基礎経験にあたるものと考えられます。三木は同じ書のなかで、このように書いています。「我々は自己の意識の存在をさへ行為の客体となし得る。従って主体を客体と同じ意味で存在と呼ぶことはできない。主体は同時に客体であり、我々は主体客体の統一であるといふこと、或る意味では全く正しいということであるにしても、かかる統一はなほ主体と客体との区別を予想せねばならぬ。我々は「行為するもの」を事実と称する。そこでは行為と物とが二つでないことから、それは事実といはれる。事実としての主体を前提した上で主体も初めて客体的存在でありうるのである」ここで、基礎経験を「事実としての歴史」と言い換えた理由がここで言われています。さらに最後のところで「事実としての主体」が主体の前提になるようなことが書かれています。歴史でいう「事実としての歴史」に相当するような根源的なものです。三木は主体を主観から切り離し、存在の根拠は「主体」として把握しなければならないとします。これはマルクス主義の哲学的基礎づけの性格を持ち、ハイデガーと西田を動員して強化されていきます。

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