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2010年11月22日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(2)

我々は何をしないか

ずっと以前、チャーリーは、彼の最も大きな野心を開陳しました。それは「私が知りたいことの全ては、私がどこで死ぬかということだ。それが分かれば、私は決してその場所へは行かないだろう」このような知恵の切れ端は、プロシャの偉大な数学者ヤコビからインスパイヤされたことです。かれは、難問に取り組む際に「逆にして考えてみるんだ、いつも逆にして考えるんだ」と助言していた人です。(私は、この逆から考えるというアプローチをこれほど高邁でないレベルでも当てはまるというがいえると思います。カントリーソングを逆から歌ってみてください。そうすれば、すぐさま車や家、そして奥さんを取り戻すことができるでしょう。)

このようなチャーリーの考えていることをバークシャーにおいて我々が生かしている例を、ここにあげることができます。

         チャーリーと私は、その製品がどれほどエキサイティングであっても、将来性を評価できないビジネスは避けています。過去に、自動車(1910年)、航空機(1930年)、テレビ(1950年)といった産業が素晴らしい成長を遂げることを見通すことについて知能の輝きを必要としませんでした。しかし、未来は、また、それらの産業に参入してきた大部分の企業の息の根を止めてしまうような競争の力学も持っていました。そこで生き残った企業でさえ血を流し撤退する傾向にありました。

チャーリーと私がある産業の劇的な成長を明確に見通せるからといって、多数の競争者の中でトップに立った企業の利益率や資本利益率を判断できるわけではにいのです。バークシャーでは、我々は、この先数十年の利益が描けるようなビジネスにこだわり続けます。それでも、我々は多くの失敗をおかすでしょう。

         我々は、見知らぬ人の親切に依存することは決してないでしょう。「大きすぎて潰すことができない」というのはバークシャーのいざと言うときの頼りとするポジションではありません。その代わりに、我々は、常に問題が生じた場合に備えて流動性の一部によって、それを最小限に押えるために準備しています。その上、その流動性は我々の多くの様々なビジネスからの湧き上がるような利益を以って、絶えず補充されています。

2008年9月に金融システムが心停止の状態となったとき、バークシャーは金融システムに対する流動性や資本の供給元となりました。嘆願者にはなりませんでした。危機のまさしくそのピークに、我々は経済界に、連邦政府しか引き出せないような155億ドルを注ぎ込みました。そのうち90億ドルは評価の高い、以前は安全であると評価されていたアメリカの3つの企業、我々の具体的な信任投票を猶予なく必要としていた、の資本増強に注がれました。残りの65億ドルは、他のあちこちで混乱が支配する中、リグレーの買収の資金援助に充てられ、中止されることなく完了するまで続けられました。

我々は、我々の財務力を維持するために法外な負担を払っています。我々が、常時保有している200億ドルの現金同等物の資産からは、現在のところ少量の収益しかあげられていません。しかし、我々はぐっすり眠ることができます。

         我々は、多くの子会社を監督することも監視することなく、彼ら自身により運営させるようにしています。このため、時々、我々は経営上の問題を発見するのが遅れてしまったり、チャーリーや私が事前に相談を受けたならば同意しないであろう運営上、財務上の意思決定が為されてしまうことがあります。しかしながら、我々の大部分のマネージャー達は、我々が与えた独立性を堂々と使いこなし、巨大な組織でとほとんど見られないほど貴重な株主本位の姿勢を維持して我々の信頼に報いてくれています。我々は、息も詰まるような官僚主義のために決断かあまりにも遅く為されたり、あるいは回避されてしまうことによる見えない経費を招くことよりも、数少ない間違った決断によって生じた目に見えるコストで苦しむことを選ぶでしょう。

BNSFを買収したことにより、我々は、現在、257,000人の従業員と文字通り何百もの多様な事業を有しています。われわれは、そのそれぞれについて、もっと多く有したいと思っています。しかし、我々は、バークシャーが委員会や予算プレゼンテーションや何重もの管理職で溢れ返っているような遺物になってしまうことを決して許しません。その代わりに、我々は、現場レベルでほとんどの意思決定ができる中規模や大規模な個別のビジネスの集合体として運営していくことを計画しています。チャーリーと私は、資本の分配、事業リスクのコントロール、経営陣の選任及び彼らの報酬を設定すること(以外には手出ししないよう)に、自らを制限しています。

         我々はウォール街に求愛するような試みを一切行いません。メディアやアナリストの解説に基づいて売り買いする投資家は我々に賛成しないでしょう。その代わり、自分で理解できるその方針に共感できる事業に長期投資をしたいと考えているから、バークシャーに参加してくれるパートナーを我々は求めています。チャーリーと私が数人のパートナーと小さなベンチャーを立ち上げるとしたら、我々は、同じゴールそして運命を共有することが所有者と経営者の間で幸せなビジネス上の“結婚”ができることを知っていて、我々に共感してくれる人を探すでしょう。規模が巨大になることによって、その真実が変るわけではありません。

相互交流のできる株主層を打ち立てるために、我々は株主の皆様との間で直接的で有益な情報交換に努めています。我々のゴールは我々の立場が裏返しになった(株主の皆様の立場になった)ら、知りたいであろうことを皆さんに話すことです。さらに、我々は、四半期や期末の財務情報を週末の早朝にインターネットで掲示することに努めています。そして、そのことによってあなた方株主の皆様やその他の投資家に市場での取引のない期間で我々の多様な企業群がどうであったかを理解消化するのに十分な時間を与えられることになります。(時折、SECの報告書提出期限のため金曜以外の日に公表せざるをえないこともあります)これらの問題は、2~3の文章で簡単にまとめられるものではなく、ジャーナリストが時に捜し求めるような人目を引くような見出しにすることもできません。

昨年、我々は、ひとつの例として、サウンドバイドがいかに悪く報道されるかを見ることができました。昨年の手紙の12,830語の中に、このような文章がありました。“我々は、たとえば、2009年の経済は混乱状態にあり、そして、それがこれからも続くことを確信しています。しかし、だからと言って、そのことが市場が上がるとか、下がるとかということを、我々に教えてくれるものではないのです。”多くの報道機関はこの文章の最初の部分を、結末には触れられないまま、本当に騒ぎ立てるように報道しました。私は、これがジャーナリズムの恐ろしさだと思います。誤った情報を伝えられた読者や視聴者は、我々がこの文章以外のどのようなところにも、全く市場の予測をしていないことを明言していたにもかかわらず、チャーリーと私は株式市場が悪化すると予測していると思ったでしょう。煽動家に惑わされたあらゆる投資家は、大きな代償を支払うことになりました。ダウ平均は、昨年の手紙が公表された日の終値は7,063ドルでしたが、年末には10,428ドルの終値でした。

我々が経験したような2~3の事柄を経験できれば、皆さんは、なぜ我々ができるかぎり皆さんと直接的で省略されないコミュニケーションを志向しているかを理解していただけると思います。

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