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2010年11月15日 (月)

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(5)

また、筆者は中国語と日本語の特徴の違いに着目します。例えば、日本語は自分と相手との上下関係によって、言い方を使い分ける必要があり、上下関係を頭に置かなければ、一言もしゃべれないことになります。つまり、話をする以前に上下関係が決まっているので、対等な会話というのが成り立たないのです。中国語で、特に上下関係を表明する必要がある場合には、専用の言い方がありますが、これは特殊な場合に近く、通常は単純な言い方がなされ、上下関係を示す語句の変化もなく、上下関係を意識していないようです。このような中国語と日本語の基本特性の違いと、中国で個人の独立性が強く、古来各種の議論が発達したのに対して、日本では議論や理屈が嫌われ、絶対服従の軍隊的上下関係が形成されやすいこととは、密接に関係していると筆者は言います。中国の古典語が広大な地域で莫大な数の人によって共通の文化基礎とされたことと、日本の言語が特定少数の集団の中で交わされることもこれに関係すると言います。何千里も離れた見知らぬ人に言葉を伝えようとするならば、細かな語気は諦めて、明確な概念語彙を提示するしかないからです。

このような中国の独立性の強い個人によって構成されている社会を『論語』では北辰に喩えていると筆者は言います。中国近代で、この北辰の喩えを中国の社会関係の象徴として分析したものがあります。費孝通の『郷土中国』において、西洋社会の主流が「団体中心固定関係社会」であるのに対して、中国伝統社会の主流は「個人中心相対関係社会」である、と言います。西洋では、まず集団・団体の観念が固定的に存在し、それは自明のものとしてあらゆる人々に実体であるかのように感じられており、個人は必要と情況に応じてそれぞれの集団・団体の一員となり、誰がその集団・団体の構成員であり、誰がそうでないかは明確である。中国伝統社会では、各個人を基点として各種の社会関係が考えられており、誰を基点とするかによって、集団・団体の範囲は全く異なるし、同じ一人の人間を基点として見た場合も、その人の属する各種集団・団体は重層的で、境目が明らかでない。譬えて言えば、西洋の集団・団体は、薪を束ねたような形であるのに対して、中国の集団・団体は湖面に石を投じた波紋のような形である、と言います。

『論語』では、政治や経済を善くしたいというのに、為政者自らが個人道徳を正せ、としか言いません。このような思考法の特徴は、個人あるいは自分自身が思考の主体であり、根本であり、出発点と考えるところから来ていると言えます。社会は所詮は個人の集まりに過ぎない。一人一人の個人が善くなれば、家庭だろうが国家だろうが、あらゆる集団・団体の問題も解消するだろうし、集団・団体の問題を解決しようとすれば、一人一人の個人の問題を解決していく以外に方法はない、考えるのです。例えば、国家は全ての市民に対して公正・平等だ、という理念を持つ西洋人は、犯罪行為は当然公正無私に処罰されねばならない、と考えるだろうが、『論語』の説く道徳では、相手が誰かによって対応が代わらざるを得ないことになります。これは、社会の枠組みにおいて犯罪行為を抽象的に捉えるのではなく、あくまでも自分を中心に見たとき、どのように考えるか、という問題になるのです。

考えてみれば、孝とか忠とか義とか強制するほど説かざるを得なかったというのは、それらが人々の間にしみわたっていなかったということですね。孔子が生きた春秋戦国時代は数百年にわたって戦場の状態が蔓延し、自分という個人しか信じられず、人間関係の安定した秩序が根こそぎ破壊されてしまった、というような荒廃の中で生きざるを得なかったということが背景となっていたのではないか、とこの本を読んでいて想像するのです。ここで、著者が中国人が徹底した個人主義であるというのは、そういうような共同体とか人間関係を素朴に信じられないから、というように考えすぎてしまう。だからこそ、孔子とその教団はあえて、その場での対応を逸話として、しかもそれぞれの逸話どうしを虚心坦懐に読むと矛盾してしまうことを、あえて避けずに残した、と想像するのです。聖典として残すには、どうしても抽象性を帯びさせることになってしまう。そうすると、個人主義の中国人は振り向こうともしない。著者も書いていますが、今日でいう親子関係のようなものもない時代では、まず親の誕生日を知ることを勧める、ということは、実は革命的なことだったかもしれない。そうすると、今日のイメージとは全く異なった『論語』が眼前に現われてくる、という体験をすることができました。

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