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2010年11月13日 (土)

橋本秀美「『論語』─心の鏡」(3)

唐末の混乱期には韓愈が「道」という言葉を用いて儒教的な政治の理想を表現しようとしました。この後、唐の滅亡後、宋が統一するまで、社会の混乱と疲弊が続き、北宋の学者たちは制度化された学問を学んだのではなく、理想社会実現の道を探るべく読書をしたと言います。彼らは200年の時間を隔てて韓愈の問題意識を引き継いだと言えます。新たな宋王朝は、如何に制度・文化を建設して理想の社会を実現すべきか。この際、既に伝統文化のしがらみはなく、経書を読んで理想社会を追求する過程で、経書そのものの信憑性に対する疑問さえ自由に提起されるような状態で、まして漢代の学者の注などは、全く経書の意義を歪曲しているものとしか考えられなくなっていったわけです。宋代の学者が論語』の中に読み込もうとしたのは、彼らが歴史的経験をもとに社会の共通認識として、徐々に形成してきた、あるべき社会についての種々の概念であったと言えます。そのため、宋代の経書解釈を理解するには、宋代の人々が考えていたあるべき社会に関する種々の概念を知る必要があって、それを知らなければ、何を言っているのか分からないし、なぜそのような議論をしているかも理解できません。このような彼らの経書の解釈の際に、引き合いに出されたのが、孔子・孟子という聖人であり、『論語』や『孟子』でした。

そのような宋学の集大成として、朱熹の『四書集注』があります。『四書』とは、『大学』『中庸』『論語』『孟子』で、あらゆる理論の根拠として、懐疑の対象たりうる経書ではなく、聖人が取り上げられなければならないとして、根本的に重要とされるようになりました。以前の鄭玄では『論語』は経書に基づく経学理論体系によって解釈される対象にすぎなかったと言えます。これに対して、朱熹の経学は、文献研究に多大の努力を払いながらも、究極の関心を「道」に置くものであり、いかにしてあるべき社会が実現されるかを『四書』の解釈を通じて探究し、説明したものと言えます。

他方、宋代において印刷術が普及し、著作物の数が飛躍的に増大しました。

その後、清末のアヘン戦争を境に欧米列強の侵略を受け、中国は自己変革を余儀なくされます。近代科学の影響を受け、『論語』の研究が試みられましたが、ついに客観的科学的方法が貫徹されることはなかったと言います。これは『論語』の本質に由来する限界とも言え、『論語』は本来断片的な言葉の集積であり、客観的方法で解釈を確定しようがないものでした。加えて朱熹の『四書集注』等が非客観的方法で加えた解釈は、既に中国文化の根幹を成しており、それを全面的に否定することは中国語を否定するにも等しい無理な相談だったと言えます。

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