ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2009(4)
GEICOから始めましょう。この会社は年間8億ドルもの広告予算をかけているのだから、皆さんもご存知のことと思います。GEICOのマネージャーであるトニー・ナイスリーは18歳のときこの会社に入りました。現在、彼は66歳、私が79歳ですが、今でも毎日タップダンスしながらオフィスに通っています。私もトニーも大好きなビジネスを職業とすることができて幸運だったと思います。
GEICOの顧客にも、この会社に対する暖かい感情があります。証明はここにあります。バークシャーが1996年にGEICOの経営権を獲得して以来、マーケットシェアは2.5%から8.1%まで増加し、保険契約者は合計で700万人増加しました。おそらく、彼らは、我々のヤモリ?を可愛いと思って我々に連絡したのでしょうけれど、しかし、かれらは貴重なお金を節約するために我々を選んだのです。(あなたも1-800-847-7536に電話するか、www.GEICO.comのページに行けば、同じようにすることができます)そして、彼らは価格だけでなく我々のサービスを好んでいるため、契約を続けているのです。
バークシャーは2つの段階を経てGEICOを獲得しました。1976年から80年には、我々は4700万ドルで、この会社の株式の3分の1を取得しました。長年にわたる大規模な自社株の取得により、我々のシェアは株式を購入することなく、約50%まで成長しました。それから、1996年1月2日、我々は最初の購入額の50倍となる23億ドルで残りのGEICOの残りの50%の株式を取得しました。我々の経験は、次のウォール街の古いジョークのようです。
客 :XYZ社の株式を5ドルで買ってくれて、ありがとう。私は、それが18ドルまで上がると聞いている。
ブローカー:はい、ちょうど始まったところです。実際のところ、この会社は今好調で、あなたが買った時から18ドル以上の買い物になっています。
客 :くそー、待つべきだと、分かっていたのに
GEICOの成長は、2010年には減速するかもしれません。アメリカの自動車セールスの落ち込みにより、自動車の登録台数は減少しています。さらに、失業率の高さは無保険のドライバーを増加させています(そのようなことは、どこに行っても違法であるに違いありません、しかし、失業しても、まだ、運転したいと思うでしょうか)。しかし、“ロー・コスト・プロデューサー”というステイタスが、将来、我々に大きな利益をもたらすことは確かです。GEICOは1995年の時点では、我が国で6番目に大きな自動車保険でしたが、現在では3番目です。会社のフロートは27億ドルから96億ドルに増大しました。同じく重要なことは、バークシャーが所有している14年間のうち13年はGEICOは引受業務で利益を上げていることです。
20歳の学生の頃、初めて会社訪問した1951年1月、私はGEICOにワクワクしました。トニーのおかけで、今日、それ以上に私はワクワクしています。
バークシャーの歴史の中で非常に重要なイベントが1985年の土曜日に起きました。アジット・ジェインがオマハの私のオフィスにきた日です。私は、我々がスーパースターを発見したことに気がつきました。(彼はマイク・ゴールドバーグに見出され、今ではセント・マイクにまで上り詰めました)
我々は、すぐに、アジットを国家賠償の小規模で困難な再保険の担当にしました。彼は、長年にわたって、このビジネスを保険の世界における他に類のない巨人に作り上げました。
今日、わずか30人のスタッフで、アジットの活動は、いくつかの領域の保険で業務サイズの標準を作りました。アジットは10億ドルに限度を置き、他の保険会社とともにそれを一時解雇する代わりにリスクを10セント硬貨分に抑えています。3年前、ロイズから巨大な債務を引き継ぎました。ある点で322年もの間、団体の生存を脅かし続けた問題に支配された保険証書にサインした27,972人の関係者(“氏名”)との関係を清算することを許容して。そのただ一つの契約の保険料は71億ドルでした。
アジッドのビジネスはGEICOとは正反対のものです。その会社で、我々は毎年大幅に更新する何百万もの小さな保険証書を有しています。アジットはほとんど保険証書を作成することはなく、毎年、それらの組み合わせをかなり変えます。世界中の至るところで、彼は大規模で定例的でない保険が求められるときに、連絡すべき人として知られています。
もし、チャーリーと私とアジットが沈んでいくボートに乗り合わせていて、その一人だけしか救うことができないなら、アジットを救って下さい。
我々の3人目の保険の原動力はゼネラル・リーです。数年前まで、この分野はトラブルに見舞われていました。しかし、今は保険事業の中の輝く宝石です。
タッド・モントロスのリーダーシップの下で、ゼネラル・リーは2009年大きな引受業務を持ちました。保険料のドル当たりのフロートが莫大となるものです。ゼネラル・リーのP/C事業と一緒に、タッドと彼の同僚はますます貴重になった大規模な再保険を開発しました。
昨年、ゼネラル・リーはついに、1995年以来、リーは部分的な所有であるものの、世界中のリーのグループの中でキーとなる部分でしたケルン・リーの100%所有に到達しました。タッドと私は、その経営者にバークシャーへの多大な貢献に感謝するため、9月にケルンを訪問します。
最後に、我々には、一群のより規模の小さい会社があり、それらのほとんどが、保険世界の特殊な分野を専門にしています。その全体としての結果は、一貫した利益をもたらしました。そして、下の表が示すように、それらの会社が我々に提供するフロートは相当な量になりました。チャーリーも私も、これらの会社と経営者たちを大事に思っています。
ここに4つの保険のセグメントの財産と収支が示されています。
そして、今、苦痛を伴う説明を述べねばなりません。昨年、私は(あなた方の会長)自身の判断によって非常に多額となったビジネスの失敗を犯しました。
長年にわたり、何百万ものGEICOの顧客に副産物を提供することを考えていました。残念なことに、私は我々のクレジットカードを売り出すという輝かしい洞察を得て、最終的に実行してしまったのでした。私はGEICOの保険契約者が信用リスクが良好であろうと推論しました。そして、我々が魅力的なカードを提供すれば、我々のビジネスを支持すると思いました。私はこのビジネスがうまくいくと思いました。しかし、それは間違っていたのです。
気がついたときには、クレジットカード事業による税引前損失は630万ドルに達しました。我々は、それから、9800万ドルの問題を抱えた債権ポートフォリオを1ドルあたり55セントで売り、さらに4400万ドルを失いました。
GEICOの経営者たちは私のアイディアには決して乗り気ではありませんでした。このことはぜひとも強調しておかねばなりません。彼らは、GEICOの顧客が旨い汁をしめる代わりに、…不味い汁とでも言いましょうかを食らわすことになる、と警告したのです。私は、彼らに私のほうが年齢も高いし、その分賢いと、微妙に仄めかしました。
しかし、単に、年を取っていただけでした。
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