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2010年12月12日 (日)

小田内 隆「異端者たちの中世ヨーロッパ」(1)

Photo まず、「異端」というスティグマについて、筆者は次のように言います。“現代では、「異端」という日常の言葉遣いとしてイデオロギーや文化の面で「反主流」を意味し、ときにはたんに平凡や日常から離れた趣味の奇矯さを意味することがある。ある言葉が一般化することで語義を拡大し、曖昧化する現象は別に珍しくはない。しかし、本来の宗教用語としても、ときに曖昧で、問題ある用例に出くわす。「異教」と「異端」が混同されることは、いわゆる専門書にもときおり見かけるが、厳密に言えばもちろん誤りである。「異端」という言葉はギリシャ語hairesis(ラテン文字に翻字)に由来する。これは本来の意味では「選択すること」を意味した。ここから、協会の教えとは異なった信条を唱え、その結果として教会から排除された人や立場という異端の一般的な意味が生まれた。異端とは教会が定めた信仰の教えとは異なった教えを「選択」することである。この「選択」という語源的意味は異端を考える上でたいへん示唆に富んでいる.現代社会では、人生を自分で設計し、その様々な段階で何かを「選択」することは、個人の基本的な権利であると考えられている。アメリカの社会学者P・バーガーが述べているように、「前近代人にとって異端はひとつの可能性─普通はむしろ程遠い可能性にすぎないが、現代人にとっては、異端がひとつの必然性となる」現代人は前近代の人間に比べれば、比較にならないほどの選択の自由をもっている。それは、職業・居住地・結婚からはじまって趣味やライフスタイル、さらには内面の問題にまで及ぶ。かつて生まれながらに定められた宿命であったものが、個人の選択の問題になった。こうして、異端(=選択)は普遍化することによって、かつて持っていた否定的な意味を失い、価値を付与された。「選択」することが日常的常態となれば、それが否定的意味合いを持つことはなく、社会的な排除につながることもない。ところが、キリスト教社会としての中世では、話はまったく異なる。人間の生き方、位置はあらかじめ神の意志によって定められ、そこから外れないことが来世の救いの条件であった。したがって、あえて異なった道を選択することは神によって定められた位置から外れていくことに他ならない。伝統的な社会では一般に個人の選択の余地は少なく、意識的な選択の行為は多かれ少なかれ逸脱を意味したと言ってよていであろう。”また、異端が形成されるのは最初から「こうだ」というものがあったわけではなく、徐々に正統の関係から、レッテルを貼られるように形成されるとして、次のように言います。“どの宗教にも普遍的に見られる逸脱や排除の一つの変異型であるキリスト教の異端。一見したところ逆説的かもしれないが、ここで象徴相互作用論やラベリング理論に代表される逸脱の社会学の一般理論を引き合いに出すことは、問題の特殊性を理解する助けのように思われる。H・ベッカーによれば、「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々によってこのレッテルを貼られた行動のことである」。逸脱行為とは、ある人間に内在する性質ではなく、レッテルを貼られた結果として創り出されるものである。したがって、最初から自明なものとして実体的にそこにあるのではなく、ある過程の中で状況的に定義され、その時々の状況によって変化する、と。”

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