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2010年12月13日 (月)

アンドレア・ルケジーニ「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第19番」

Lucchesini ベートーヴェンの32のピアノ・ソナタの中でも規模が小さくて、しかも「テンペスト」を含む作品17と「ヴァルトシュタイン」と有名な大曲の間に挟まれている不遇な位置取りのせいもあって、マイナーに地位にあるのではないでしょうか。ピアノを習っている人には、ベートーヴェンの優しいソナタとして練習したことのあるということで、知られているそうですが。ただ、埋もれた小品として聴かないでいるには、もったいない佳品です。かといって、手垢のついた有名曲になってしまうよりは、知る人ぞ知るというくらいの方が、この曲には合っているかもしれません。

さて、この曲2楽章で構成される小曲ですが、第1楽章のアンダンテを、弾くピアニストによって全然テンポが違います。強いてパターン化すれば、ゆっくりテンポを落として弾くピアニストは、後のロマン派を向いた解釈をしようとしている人で、軽快にサッと弾くピアニストは古典派の格式の中で、モーツァルトに向いたような解釈をしようとしているように思えます。冒頭の第1主題のテーマが哀しげで歌うメロディで、弾く人によってモーツァルトの声が木霊するようにも、シューベルトを招き寄せているようにも聴こえてくるのです。冒頭のメロディが出てきて一度繰り返した後の即興性がある橋渡しのようなパッセージの流れから哀しみが染み出してくるような印象はモーツァルトに近いものですし(ここは軽快に弾かないと、透明さと哀しみが走るような感じはでてこないで、ゆっくり弾くと重苦しくなってしまう)そして、第2楽章(終楽章!)のロンド、アレグロのテンポの取り方にも関係し、それによって終楽章の印象も変わってきてしまうようです。

ここでは、アンドレア・ルケジーニというイタリアのピアニストの実況録音によるピアノ・ソナタ全集の中にある演奏です。HMVのon lineをみると廃盤になってしまっているようですが、弱音主体で、比較的おそめのテンポを基調に細かなところでは自在に動かして、フレーズごとに微妙に陰影をつけるようなつくりはインティメートな雰囲気を作り出して、コンサートホールでというよりはサロンで聴いているような印象を受ける点でユニークな全集だと思います。この曲の演奏にも、そのような特徴が、よく表われていて彼の個性を際立たせています。冒頭のメロディの入りを弱音でそっと始めて、各フレーズの入りを後拍気味にして静かにそして柔らかなタッチで始まるようにして、聴き手の耳をそばだたせ、入りに答えるような左手のフレーズを心持ち強めに印象づけるように弾くと、どこか後ろ髪を引かれるような感覚に捉われます。そのあと、前にいった哀しみが走るようなパッセージを淡々と紡ぐように弾くと、哀しみの淵に一人取り残されたような感じがしてきます。これは、シューベルトを望むどころか、遥かに超えてショパンの晩年に手が届くようなものではないか、と勘ぐってしまいます。だから、その後につづく、第2楽章が快活なロンドではなくて、哀しみを一人耐えて、明るく振舞おうとするかのような、長調であるがゆえに却って透明な哀しみを感じるような印象になってしまうのでした。たぶん、スタンダードが、これぞベートーヴェン!というような正統派(?)の得視点から見ると、逸脱に見えるかもしれませんが、ベートーヴェンに元々このような要素もあったのではないかと思わせるほど説得力を感じました。

このピアニストで、モーツァルトの第4番のピアノソナタ(遥かにシューベルトへの呼びかけが聞こえてくる)の演奏を聴いてみたい気がします。

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