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2010年12月 8日 (水)

大久保隆弘「エンジンのないクルマが変える社会 EVの経営戦略を探る」(6)

自動車のコア・コンピタンスという視点からは、エンジンがなくなり、代わりにコアとなる電池を持たない自動車メーカーは自動車に比べて不利になるが、電池メーカーが取って代わるということはないだろうと著者は言います。しかし、コアとなる期間部品が電池になることで否応なくモジュール化は進展し、新たなクルマづくりの枠組みが産業に生じる可能性はきわめて高いと言えます。コアのコンポーネントである電池やモーターを中心に部費の水平統合化は進み、自動車メーカーの系列的な取引関係を主体とした枠組みは崩れていくことになるでしょう。自動車の動力源が必ずしも自動車メーカーから生まれる保証がないというのが、新しい時代のフレームであり、これからのモノづくりの設計思想や開発、生産、企業間の連携や競争に大きく関わる前提条件となるでしょう。また、川上産業、例えばエンジンの部品数は1万点以上に及び産業の裾野は広いが、EVに代わられると、部品の取引量も業者の数も減少する。それはエンジンやその周辺、変速機、駆動系が電池、モーターやインバータに置き換わることによる。

またEVが社会的に普及し、エンジンによる自動車と変わらぬ便利さをもてるためには社会インフラの整備が不可欠と言えます。

このあと、今後のEVをめぐる戦略について、著者は具体的な提言を展開します。これは、本書の核心ともいえるべきものなので、実際に本書を手にとって読んでみることをお勧めします。

私の個人的な感想は、EVは自動車の動力がエンジンからモーターに変わることによる変化を筆者は丹念に追いかけでいるように見えますが、モーターによるEVとエンジンによる自動車は全く別のものという発想はないですね。そのような可能性は否定できないと思います。だからこそ、テスラのようなEVを製作するベンチャー企業が生まれてきているわけですし、中国で世界に先駆けて大規模にEVが作られ始めているわけですから。その時に、従来の自動車の概念とは、発想自体が異質な代物が出てきてスタンダードになる可能性も否定できないのではないか。例えばテスラにEVのデザインはエンジンによる自動車では考えられものです。そうなれば、パソコンのようにモジュラー化したモノづくりで生産されたEVが普及する可能性もあるわけです。例えば、近距離の買い物等に用途を絞り込めば快適性などは多少我慢しても価格がうんと安くなれば、消費者は歓迎するかもしれません。

だから、本書で著者が分析している内容は、この2~3年は慥かにそうだと思いますが、その後の中長期的には、ひとつの可能性として見るものではないかと思います。液晶テレビの最近の数年のアジア等への爆発的な普及とそのフィードバックとしての欧米での低価格化は予想を超えるものだったのではないかと思います。そのような将来の不確定さ、場合によっては可能性がEVにはあるし、著者の主張しているような戦略を取る場合には、当然リスクとして考えざるを得ないと思います。私は、EVにはそれだけのポテンシャルがあるのではないかと思っています。

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