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2010年12月22日 (水)

デイビッド・ウェッセル「バーナンキは正しかったか? FRBの真相」

Barnank 本書の底流には、後出しジャンケンの優位さで結果をしたり顔で評価するのはフェアではない。バーナンキや周囲の人々が切羽詰った状況で様々な判断をしていったことについて、その時にどのような選択肢が可能でどうしてある選択肢を判断せざるを得なかったのか、その中で、バーナンキがどのような努力をしようとしたかを見ようという意図が感じられます。そこでは、グレートパニックという未曾有の金融状況の混乱の中で、前任者であるグリーンスパンの政策を改めることにもなったでしょう。筆者はこう書きます。“本書はバーナンキのFRBが「実行する必要のあることを実行する」ために「破綻したパラダイム」を捨てた物語だ。FRBが何に気づき何を見落としたか、何をして何をしなかったか、何を正しくやり何をやりそこなったかという物語だ。ベン・バーナンキが必要なことは何でもやろうと決意した物語だ。とりわけ、大恐慌以来、最悪の脅威からアメリカ経済を守る立場にいた少数の人々、押しつぶされそうになり、疲労困憊し、泣きつかれ、攻め立てられて、後知恵で批判され続けた人々の物語である。”

グレートパニックは、その名の通り金融機関や市場関係者を心理的なパニック状態に陥れ、通常なら常識的な歯止めがかかるものがまるで行き場を無くしたレミングの群れのように破滅に向かって突っ込んでいくような状況を招きました。バーナンキはゆっくりと考える時間の余裕のない状態で、つまり、事態の進展が速過ぎて、それどころではなかった、従来の処方が効かない状況に直面し、何らかの処置を施していかなければならなかったわけです。FRB理事会は一枚岩でなく、バーナンキに異議を唱える者もいて、パニック時に迅速な対応を取れませんでした。しかも、パニックを引き起こした原因のひとつである金融商品について適正な価値という実態を把握できていなかった。バーナンキが危機にようやく気がついたのはベアー・スターンズの件の直前と言っていい頃だったようです。

ベアー・スターンズを機にFRBは大きく変わりました。つまり“ベアー・スターンズ前には、FRBは中央銀行が何世代もやってきたことを従来どおりにやっていた。自力で迅速に資金を集められない健全な商業銀行に、数日間、ときには数週間、資金を貸し出していたのである。1987年の株式市場の暴落後も2001年のテロ事件後も、FRBは積極的に貸し出した。だが、その相手は銀行に限られていた。1998年に大手ヘッジファンド、ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻しかれたときは、FRBは一銭も融資せず、大手金融機関に奉加帳方式で資金を出させて救済させた。2008年3月、その神聖な原則が破られた。FRBが自身の獲得している銀行に対してではなく、借金の比率や運営の仕方に関してFRBのルールに従うことを義務づけられていなかった証券会社のベアー・スターンズに対して、何十億ドルも融資したのである。しかも、されはベアー・スターンズに限定された措置ではなかった。他の証券会社や投資銀行もFRBの資金を利用できると、FRBは宣言したのである。”FRBが規制の外にいる金融機関に融資したことは、やがてアメリカの金融規制体制の長く先送りされていた変革を余儀なくさせるものでした。FRBは、われわれが監督しているのは銀行だけで、影の銀行システムは別の規制機関の担当だとは、もう主張できなくなりました。ベアー・スターンズへの融資は確実に前例とみなされるのでFRBはすべての投資銀行の帳簿を検査しなければならなくなるわけです。この時、ベアー・スターンズは大きすぎてつぶせなかったのではなく、つながりが複雑すぎて潰せなかったと言います。これが新しい基準となりました。ベアー・スターンズは5000社の企業に対して未決済取引を抱えており、75万件のデリバティブ契約の当事者であり、この会社が倒産した場合には、多くの企業が連鎖倒産してしまう、大恐慌のはじまりのおそれがありました。この法的根拠は1932年連邦準備法の漠然とした文言「異常かつ緊急な状態」の基づく措置でした。「異常かつ緊急な状態」が、必要なことは何でもやるための法的根拠となりました。しかし、この融資でも、ベアー・スターンズを持ち堪えさせることはできず、J・P・モルガン・チェースに買収させることでようやく収束を見ます。この前後の事情、ファニーメイとフレディーマックの処置、そしてリーマン・ブラザースの件についてFRBと周辺の動きを本書は丹念に追います。そこで見えてくるのは、FRBが従来にない大胆な施策を苦労して着手しても、事態はそれを超えて進展してしまう状況でした。この後の、AIGの国有化や金融安定化法案の可決、金融機関に対する資本注入などの経緯が丹念に語られます。

これらの結果に対して、著者は現時点において、次のように語ります。“歴史は厳しい審判だ。FRBの高官や彼らに好意的な学者は、正当ではあるが狭く限定した問の立て方をする。たとえば、彼らがその時点で持っていた情報と権限を考慮に入れると、バーナンキと彼の銃士たちはどの程度優れた仕事をしたか、というように。だが、他のほとんどの人にとって、重要なのは意図ではなく結果である。当初の足踏みはあったものの、ベン・バーナンキと彼のチームはグレートパニックを撃退するためにできることはすべてやったと、確かな根拠を踏まえて評される日がいつか来るかもしれない。だが、最終的な結果が何年ものきわめて鈍い経済成長と失業の蔓延なら、多くのアメリカ人が彼らは失敗したと判断するだろう。努力に対してAの評価を得るだけでは足りないのだ。ポールソンは退任から数ヵ月後に、いみじくもこう語った。「われわれは金融システムの崩壊を防ぐことに成功したが、人びとはわれわれに景気後退を防がなかったことに不満を持った。起きなかったことについて賞賛を得るのは難しいものだ」。FRBはできるかぎりのことをやったと言われても差し押さえで自宅を失った家族にとって何の慰めにもならない。倒産に追いやられた実業家にとっても、老後の蓄えが安和と消えた65歳の人にとっても、資金難の銀行に門前払いにされた借入希望者にとっても、就職先が見つからない新卒者にとっても同じである。これらの犠牲者にとって、また他のすべての人にとって、グレートパニックに対するFRBの対応についての最後の審判は、2010年と2011年、およびそれ以降のアメリカ経済の状態を待たねばならない。”

“大学の先生たちは「もし~だったら、どうなるか」とう遊びに「反事実的仮定」という重みのありそうな名前を与えている。これはついやってみたくなる遊びである。バーナンキが2007年8月にグレートパニックを撃退するためにもっとすばやく行動していたら、どうなっていただろう?ベアー・スターンズが触媒となって、大手金融機関の破綻に対処するための法律があの時点でつくられていたら、どうなっていただろう?銀行の資本強化のための追加資金を議会がもっと早く承認していたら?当初の銀行救済プランがもっときちんと検討されていて、それがもっと一貫性のある形で実行され、説明されていたら?…事態はもっとましになっていたのではあるまいか。だが、確かなことは誰にもわからない。だが、「もし~だったら」という遊びにはもう一つの面がある。ベン・バーナンキが大恐慌の研究を行っていなかったとしたら、どうなっていただろう?第二の大恐慌を防ぐために必要なことは何でもやろうと、彼が腹をくくっていなかったとしたら、どうなっていただろう?FRB内部の反対に彼がひるんだり従ったりしていたら、どうなっていただろう?これらの問いは前に掲げた問いより答えやすい。景気は今よりもっと悪くなっていただろうし、この本はFRBがどれほど取り乱し、どれほど対応が遅れたかを物語るものになっていただろう。”

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