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2010年12月24日 (金)

ダニエル・J・レヴィンティン「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」(2)

認知科学者にとって「心」とは、私たちひとりひとりの一部で、それぞれの思考、希望、願望、記憶、信念、経験を具現するものを言います。それに対して「脳」は頭の中にあって、細胞と水、化学物質と血管が集まってできた体の器官です。脳内で起こる活動が心の中身を生み出すと考えます。彼らはときに脳をコンピュータのCPU、つまりハードウェアに譬え、基本的に同じハードウェアでも異なるプログラムを実行できる(だから、とてもよく似た脳からまったく異なる心が生まれる)のです。長年にわたる神経心理学の調査から、ハードウェアとしての脳の各部位の機能を示す地図を作れるようになり、個々の認知活動に関わっている場所を突き止められるようになってきました。このようなことから、脳の捉え方として、脳を計算システムになぞらえて、一種のコンピュータだと考える。そしてつながり合ったニューロンのネットワークは、情報の計算を実行するとともに、その計算結果を思考、決意、認識、そして最終的には意識というものにつながる方法に組み合わせていく。さらに認知の異なる側面を、それぞれ異なるサブシステムが受け持っている、というものです。音楽的な活動には、すでに知られている脳のほとんどの領域、ほとんどの神経のサブシステムが総動員されることになります。音楽の異なる側面には、異なる神経領域が対応します─脳は機能分離の方法を用いて音楽を処理し、音楽信号のピット、テンポ、音質などの個々の側面を専門に分析する特徴検知システムを採用していると言えます。平均的な脳は1000億のニューロンで構成されていると言われています。こり膨大な数のニューロンが様々な組み合せでつながっています。脳の処理能力は、このような相互接続の膨大な可能性ばかりでなく、脳が逐次処理ではなく並列処理を行うためでもあります。

ここで、一般には、脳の中では周りに見える世界とまったく同じ形の世界が表現されていると直感的に信じられていると思われますが、少なくともアリストテレスの時代から、人間の感覚は世界を歪めてとらえることがあるのは知られていました。それは進化の上での適応だった考えるのが妥当でしょう。私たちが見たり聞いたりするものからは、一部の情報が欠けているものが多い。狩猟採集生活をしていた祖先は、木の陰に一部が隠れたトラの姿を見たり、近くにある木の葉のざわめきでかき消されそうなライオンの唸り声を聞いたりしたに違いありません。音や光景は、身のまわりの別のもので曖昧にされた、部分的な情報として耳や目に届くため、かけた情報を復元できる知覚システムがあれば危うい状況でもすばやい決断に役立ちます。聴覚系も独自の知覚的補完機能を備えています。音楽を聞く場合には、このような知覚補完的機能、特徴抽出のプロセスに続いて特徴統合というプロセスを別に用いているようです。脳はまず、音楽から基本的な低レベルの特徴を抽出します。それには専門の神経ネットワークを使い、信号をピッチ、音質、空間的位置、大きさ、反響の環境、長さ、異なる音符の開始時間という情報に分解する。こうした活動は、これらの値を計算するいくつもの神経回路によって同時進行する。それらの神経回路はだいたい互いに独立して活動できるので、ピッチを判断する回路は、長さを判断する回路の仕事が終わるまで待つ必要はない。このように、刺激に含まれている情報だけを神経回路が考慮する処理を、ボトムアップ型の処理と呼ぶ。この間、これと並行して脳のもっと高いレベルの中枢は、それまでに抽出されたものに関する情報の流れを絶えず受け取っている。この情報は常に更新され、古い情報が書き換えられていくのが普通だ。さらに高度な思考の中枢(ほとんどが前頭皮質にある)はこれらの更新情報を受け取りながら、次のようないくつかの要素を用いて、音楽がどんなふうに展開していくかを懸命に予想する。

~聴いている曲の、それまでの内容

~よく知っている曲なら、次にどう展開するかの記憶

~よく知っているジャンルや礼式なら、以前に聴いた同じ形式の音楽に基づく、次にどう展開するかの予想

~そのほかに与えられた情報、たとえば本書でせつめいしてきた音楽の概要、演奏者の急な動き、隣人の合図など

こうした前頭葉での計算はトップダウン型の処理と呼ばれ、ボトムアップ型の計算を実行している低レベルのモジュールに影響を与えることができる。トップダウン型の処理で生じた期待は、ボトムアップ型の処理機構にある回路の一部をリセットして、誤解を生じさせることがある。これが知覚的補完などの錯覚が起こる神経面から見た原因のひとつだと思います。また、トップダウン型の処理とボトムアップ型の処理は、処理をしながら情報を交換する。特徴を個々に分析する一方で、脳のより高度な部分(系統発生的に新しく、低レベルの脳領域から連絡を受け取る部分)はそれらの特徴をまとめ知覚の全体像を作り上げている。その過程で情報が不足したり、曖昧だったりすることがあるので、脳はさまざまな推定を行う。そしてときにはその推定が誤っていて、視覚や聴覚の錯覚を生み出す。

音楽における究極の錯覚と言えば、構成と形式の錯覚だろう。音符の順序そのものには、私たちが音楽から感じる豊かな感情のつながりを生み出すものは何もない。音階にも和音にも、本能的に解決を期待してしまう和音の進行にも、それはない。私たちが音楽を理解できるのは経験のたまもので、新しい曲を聴くたびに、それを覚えて変化できる神経構造があるからだ。脳は、子どもが自分の文化の言葉を話すことを学んでいくように、それぞれの文化の音楽に特有の音楽の文法のようなものを学んでいく。人はみな世界中のどの音楽でも学べる能力をもって生まれる。人間の脳では誕生前後から急速な神経の発達が始まり、幼児の間はそれがずっと続く。この期間には人生のどの時期よりも急速に、新しい神経のつながりが生み出されていくが、小児期中期になるとそれらのつながりを刈り込んで整理する作業が始まり、最も大切な、最もよく使われるものだけが残っていく。こうしてできあがった神経のつながりが、音楽を理解できる私たちの基礎となり、最終的にはどんな音楽が好きか、どんな音楽に感動するか、どんなふうに心を動かされるかを決めていくことになる。大人になってからは新しい音楽を楽しめるようにならないと言っているのではない。幼い時期に音楽を耳にすることによって、基本的な構成要素が、脳の配線そのものに組み込まれていくのだ。つまり音楽は一種の錯覚で、私たちの脳が、一連の音に構成と順序を当てはめていると考えることができる。

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