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2010年12月10日 (金)

ジリアン・テット「愚者の黄金 大暴走を生んだ金融技術」(2)

本書の舞台であるJ・Pモルガン(JとPの間に・を入れることが重要であること、また、その理由も本書を読むまで知りませんでした。)は「一流の銀行業務を一流の方法で実践する」ことを銀行の目的とし、ハイリスクで強引な取引により高収益を稼ぎ出す“食うか食われるか”の金融文化とは一線を画した金融機関であることによって、金融イノベーションの波に乗り遅れたものの、金融危機で受けた痛手は他の金融機関に比べれば比較的薄いものだったために、危機後は業界のトップ地位に出たという経緯が活写されています。

もともと、商取引や金融には、借り手が融資や債券の返済をしないというテフォルト(債務不履行)リスクが付き物で、銀行は長年にわたり、このようなリスクを最小化しようとしてきました。その最も基本的なやり方は健全な融資判断によって、危ないところへの融資を避けるというものでした。もう一つは、分散することでした。例えば、銀行同士が協調融資を組んで、1件当りの融資額を抑えることにより、デフォルトの痛みを分け合うというものでした。このデフォルトリスクを切り離して投資家に売り渡そうというのが、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)というものだそうです。具体例として、石油会社エクソンに対して、j・P・モルガンとバークレイズは1993年48億ドルのクレジットラインを設定しました。これは、必要な場合に決められた額を融資することを約束する契約で、いわゆる融資枠を先に認めてしまうようなことです。しかし、j・P・モルガンではこれを認めてしまうと、融資したことと同じ扱いとなり、融資したことによって引き当てのための自己資本の裏付けが必要となって、その分他の融資ができなくなってしまいます。そこで、欧州復興開発銀行は融資のための与信枠を持っていましたが、リスクの高い活動が禁じられていたためせっかくの与信枠を有効に活用できていませんでした。そこで、J・P・モルガンは欧州復興開発銀行に対して、エクソンへの与信枠に伴うリスクを引き受けてもらい、その代わりに毎年手数料を支払うという契約をしました。もし、エクソンがデフォルトに陥れば欧州復興開発銀行がデフォルトに伴う損失をJ・P・モルガンに補償しなければならなくなります。しかしデフォルトがなければ、J・P・モルガンから毎年高い手数料を受け取ることができるというわけです。こけがCDSの仕組みというわけです。これができれば、銀行は与信枠や自己資本のよる引き当てを考えずに、限度なく融資をすることができることになります。しかも、デフォルトリスクを考えなくてもいい。

しかし、これでは大量な取引を迅速にこなすことはできない。そこで考えられたのがシンセティックCDOと言う商品です。ひとつひとつの融資案件を取引の対象とするのではなく、多数の融資を束のようにまとめて、そのすべてのリスクからクレジット・デリバティブを作り出そうというものでした。しかし、ひとつの融資案件に対してのリスクを判断して投資対象とするか投資家が判断するのがたいへんと思われるのに、その案件をいくつもまとめて束にするとなると、その中のひとつひとつの案件のリスクをそれぞれ判断しなければならないのではないか、と私なら考えます。そこで、証券化ということが導入されたと説明されています。つまり、融資の案件をパッケージ化することによって問題含みの融資に伴うリスクはパッケージの中で拡散されるため、実際に一部がデフォルトになっても損失は残りの融資から得られる利益で相殺されるという。しかし、これだってデフォルトして場合の損失が残りの融資でカバーできるかを判断することになるはずで、各融資案件の検討は、どちらにしても投資判断の際に検討しなければならないのではないか。私の常識では、そう考えます。そこがウォール街の発想と私の場合の根本的な文化の違いなのでしょうか。どうしても、感覚的かもしれませんが、どうしてそう思うのかが根本的に理解できないようです。

そのあと、トランシェと呼ばれるリスクとリターンの階層分けを行うようですが、なぜそのようなことが必要なのか、そもそもの時点から何を考えているのか、理解不能で、錬金術の呪文のように思えてきます。

銀行としては、こうすることで融資によるデフォルトの引き当てを外部に流出させることで、規制を逃れて、より多くの融資ができるということなのでしょう。何か貸したら貸しっぱなしということになり、融資するかしないかの審査の必要がなくなってくるようにも思えます。

この手法を開発したJ・P・モルガンでは当初は社内の与信枠という制約を取り払うことが当初の目的だったのが、次第に、スキームをつくり販売する手数料収入が大きくなり、次第にそちらが主体となっていきます。それは、CDSを売りまくる。実際の最初の頃の取引においては、大規模なデフォルトが発生し、7億ドル分の備えがすべて使い尽くされた場合には、J・P・モルガン自体が追加的な損失を引き受けることが明記されていた。しかし、そのような事態が実際に発生することはないというこが前提されていたようです。しかし、当時の欧州の規制当局は、その前提を共有してわけではなく、そこで、損失が発生した場合の資本手当てがされていない分(さっきのJ・P・モルガンでは7億ドルを超えた場合)のリスクをスーパーシニアというCDSを作り出したわけです。そして、CDSは銀行のバランスシートに積みあがって行きました。さらに、新たな試みとして、手を付けようとしたのが住宅ローンにリスクについてでした。しかし、デフォルトリスクの潜在的な相関性を追跡できず、正確に評価することはできないため、断念します。しかし、他の銀行は住宅ローンを使ったCDSを販売し始めました。J・P・モルガンの担当者は、それがどうして可能になったのか、不思議に思ったということです。

その後、銀行と証券の垣根が実質的に取り払われ規制がなくなり、金融イノベーションの波の中で、J・P・モルガンは次第に他行に遅れをとり始め、チェース・マンハッタンと合併するものの、エンロンやワールドコムの不祥事の波をかぶり低迷していき、CDSのチームも次第にバラバラとなり、他の会社に移るものもあらわれました。これを機にCDSは一気に業界全体に広がり、取引量は飛躍的に増えます。

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