ジリアン・テット「愚者の黄金 大暴走を生んだ金融技術」(3)
この後、サブプライムローンの悪化に始まり、危機的な状態にはまっていくのですが、各金融機関は強気にポジションを増してリスクを広げていきました。これは、ゴールドマンサックスを筆頭に驚異的な業績の数字を上げていたのが各社の競争意識を煽り、無理な競争を強いられていったことと、当時のCEOたちがクレジット・デリバティブの内容について細かなことは理解しておらず、リスクを把握していなかったため、歯止めがかけらなかった。また銀行内部でも、タテ割の組織のためCDSの担当部署が何をやっているのか、他の部署にはわからずリスク担当部署も手を出せない状態で、いわば野放しにされていた。これが、結果的に状態をどんどん悪化させて行くことになりました。
J・P・モルガンでCDSを作り出したチームのメンバーたちは、自らの生み出したアイディアが、尽きることのない災禍をもたらすものに変貌してしまったことに衝撃を受けていました。彼らの多くは、問題の原因はデリバティブという金融イノベーションにあるのではなく、銀行の行き過ぎた行動にあると分析しました。とくに住宅市場でまれに見る行き過ぎがあったことだと。「自動車事故が起こっても、自動車を非難したり、使わなくなったりしない、責められるのは運転手だ。デリバティブも同じで、問題はツールにあるのではなく、それを使う人の側にある」というわけです。具体的には「市場関係者がいったいなぜ、馬鹿げ条件でサブプライムローンの過剰融資に走ったかであり、また実際の住宅ローンの数量が需要に追いつかなくなった際に、なぜそれをクレジット・デリバティブの技術と結び付けてシンセティックABS/CODを創り出したかだ」その一方で、イデオロギー自体に問題があったことを認める者もいたとのことです。このモデルの前提には人間行動や規制の構造を十分考慮しなかったもので、のような要素は雑音に過ぎないと切り捨てられていたが、それは間違いで、我々は完全な数量モデルの世界に住んでいるわけではないと。
おそらく筆者は、この最後のことを言いたかったのだと思います。このような結論は、以前読んだ「ザ・クオンツ」にも通じるところがあります。2冊に似ているところがあるからと、安易に結論を出すのは軽率ですが、何か、行き過ぎた金融イノベーションにたいする不安からも、そのような考えが出てきているかもしれません。ただ、最初のところで、私の感じた違和感を言いましたように、その根底には、私のような人間には異質な文化的な基盤があり、その文化そのものに対する懐疑までには至っていない。文化の良し悪しなどを云々する気は全くありませんが。読んでいて違うな、という感じが終始つきまとっていました。リスクをさけるにこしたことはないのですが、それは、あくまでも自分の責任においてのことで、リスク自体を誰かに渡すのなら、リストと裏腹の便益も一緒に渡すべきで
そのようなことを考えたら、リスクを譲渡することは考えにくくなると思うのですが。
しかし、それは本書の価値とは無関係です。門外漢も私でも読み進められるように、噛み砕いて丁寧に説明してあります。
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