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2010年12月27日 (月)

ダニエル・J・レヴィンティン「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」(5)

すでに論じてきたように、ほとんどの曲は、聴きながら足で拍子をとれるものだ。耳から入ってくる音楽には鼓動があって、それに合わせて足先をトントンとリズミカルに動かせるし、少なくとも心の中で足先を動かしているような気持ちになれる。この鼓動は、ほとんど例外なく規則正しく、均等な時間間隔で続いていく。こうした規則的な鼓動によって、私たちは一定の時点で何かが起こるだろうと予測するようになる。電車の線路から響いてくるガタンゴトンという音のように、それは私たちが前へ前へと進んでいること、動いていること、そしてすべてがうまくいっていることを知らせてくれる。

クラシック音楽の話では、普通はグルーヴという表現を使わないが、オペラや交響曲、ソナタ、コンチェルト、弦楽四重奏も、ほとんど明確な拍子と鼓動をもち、それは一般に指揮者の動きに対応している。指揮者はどこにビートがあるかを演奏者に知らせ、感情を表現するためにその間隔を広げたり縮めたりする。人と人との実際の会話、現実に許しを乞う言葉、怒りの爆発、求愛、物語、計画、子育て─どれをとっても、機械が刻むような正確なペースで起こるわけではない。音楽が私たちの感情の動きや人と人とのやりとりに見られる力学を映し出す限り、膨らんだり縮んだり、速くなったり遅くなったりも立ち止まったり考え込んだりする必要がある。このようなタイミングの変化を感じる、またはしるには、次にいつビートが聞こえるかについて、脳内の計算システムが予想情報を手にしていなければならない。規則的な鼓動のモデル(スキーマ)を脳が作り上げるからこそ、演奏者がそこから逸脱したのに気づけるわけだ。これはメロディーの変奏に似ている。演奏者がメロディーを勝手に変えても同じ曲だと分かるためには、私たちの心の中に、元のメロディーの表現が存在していなければならない。拍子を抽出すること、つまり曲の鼓動がどんなもので、それがいつ起きると期待できるかを知ることは、音楽的感情に不可欠な部分だ。音楽は、期待を体系的に裏切ることによって私たちの感情に語りかけてくる。このような期待への裏切りは、どの領域─ピッチ、音質、音調曲線、リズム、テンポなど─でも構わないが、必ず起こらねばならない。音楽では、整った音の響きでありながら、その整った構成のどこかに何らかの意外性が必要になる。さもなければ感情の起伏がなく、機械的になってしまう.整いすぎた響きも技術的には音楽かもしれないが、そんな音楽は誰も聞きたいと思わない。たとえば、ただの音階は、たしかに整ってはいる。それでも、子どもが音階ばかりを飽きもせず弾いているのを聞けば、親は五分もしないうちにうんざりしてしまうにちがいない。このように拍子を抽出できる神経的な基礎は、どこにあるのだろうか?脳を損傷した患者の研究から、リズムと拍子は、神経の上で関係がないことが分かっている。脳の左半球に損傷を受けた患者が、リズムを把握することも、自分でリズムを作ることもできなくなりながら、拍子はわかることがある。右半球に損傷を受けた患者は、その逆のことがある。リズムも拍子も、神経の上ではメロディーとは別の場所で処理されるものだ。

音楽は言語の特徴の一部を真似ていて、言葉によるコミュニケーションと同じ感情の一部を伝えるように感じるが、何かを意味したり、何か特別なものを指しているわけではない。また、言語と同じ神経領域の一部を呼び覚ますが、音楽の場合は言語よりずっと、動議づけ、報酬、感情に関わる原始的な脳構造に深く入り込んでいく。「ホンキー・トンク・ウィメン」の出だしで聞こえるカウベルの響きで、「シェーラザード」の冒頭のいくつかの音符で、もう脳内の計算システムニューラル発振器を曲の調子に同期させて、次の強拍がいつ聞こえるかを予想し始める。曲が展開するにつれ、脳は新しいビートが聞こえる予測をつねに更新していて,心の中のビートと実際に聞こえてくるビートが一致することに満足を覚え、巧みなミュージシャンがその期待をおもしろく裏切ると楽しく感じる─それは誰でも知っている音楽のジョークのようなものだ。曲が呼吸し、まわりの世界と同じようにスピードを上げたりゆっくりになったりすると、私たちの小脳はそれと同期を保つことに快楽を見出す。印象的な─グルーヴのある─音楽は、タイミングをわずかに外している。巣の屋根を叩く木の枝のリズムが変化すると、ネズミが感情的に反応するように、私たちもグルーヴのある音楽ではタイミングのずれに感情的に反応する。ネズミはタイミングの規則違反に何の知識もないわけだが、それを恐怖として経験している。文化と経験を通して音楽は少しも脅威ではないことを知っている私たちの場合は、認知システムが規則違反を快楽や喜びの源として解釈することになる。グルーヴに対するこうした感情的反応は、耳と聴覚皮質という回路ではなく、耳─小脳─側坐核─辺縁系という回路で生じる。グルーヴに対する私たちの反応が前意識または無意識のうちに起こるのは、前頭葉ではなく小脳を経由しているからだ。そして何より目覚しいのは、これらの異なった経路すべてが統合されて、たった一曲の音楽の経験に注ぎ込まれることだろう。音楽を聴くのストーリーは、脳のいくつもの領域が、管弦楽を奏でるかのように絶妙な調和をとりながら機能していくストーリーだ。そこには、人の脳の最も古い部分と最も新しい部分がともに関わり、後頭部にある小脳から両目のすぐ後にある前頭葉まで、遠く離れた領域が加わっている。そこでは、論理的な予測システムと感情的な報酬システムとの間の神経化学伝達物質の放出と取り込みに、綿密な演出が施されている。私たちがある曲を好きになるのは、以前に聴いた別の曲を連想し、それが人生の感傷的な思い出にまつわる記憶痕跡を活性化させるからだ。

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