無料ブログはココログ

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(5) »

2011年1月14日 (金)

西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(4)

第3章 音楽をきいて精神訓練─クラシック音楽の<鑑賞>で身に付ける日本精神?

昭和に入ると、ダンスホールやジャズレコード、アメリカ映画の人気やラジオ放送の開始などもあり、人々の音楽とのかかわり方が、「する」こから「きく」ことへとかわっていった。とくにレコードの流行は、音楽を深刻な態度できくことの流行でもあった。当時の名曲喫茶(クラシック音楽のレコードを店内で流す喫茶店)では、ベートーヴェンのレコードを深刻な顔をしてきく人が多く、おしゃべりをははかる雰囲気であった。音楽鑑賞教育が次第に定着していく。当時鑑賞教育では、人格の重視され、大正期の精神性の強調がさらに進み、音楽と人格・心が、同一化、合致するものであると捉えられるようになる。これと期を一にするように鑑賞が主観的でよいか、それとも客観的であるべきかというジレンマが現われる。これは、突き詰めれば、「好き嫌い」か「正否」かということだ。音楽教育では音楽を楽しむことを重視する方向が強かった。いずれの立場を重視するにしても、鑑賞の題材となる音楽はクラシック音楽であったということだ。しかし、実際に取り上げられたのは、前章で紹介したアメリカのライトクラシックやポピュラーミュージックであり、それも有効に使用されたかは疑問がある。しかし、昭和16年鑑賞は法制化され、観賞用のクラシックレコードは免税措置を受けて発売された。これ戦時体制の中でクラシック音楽を大衆レベル,全国レベルで国策宣伝・教化動員の手段として活用しようというしたものだった。このわうな統制した上で大衆へ広げるという文化政策のありかたはナチスドイツの文化政策に倣ったものだった。そこで、統制という名で規制されたのは流行歌だった。

だが、戦時体制という言うならばナショナリズムが高まった時代に、なぜ外国のクラシック音楽が役立つのだろうか。昭和初期、クラシック音楽は「学問的趣味」の様相を帯びるようになる。大正の中頃から学生文化がバンカラ文化から多様化に向かい、文学や音楽が「学問的趣味」として認められるようになる。その中で、とくにベートーヴェンが突出する。明治期の富国強兵が進むと大正期には「国家」から「個人」へと人々の関心が移り、個人の煩悩や苦悩が注目を浴びる過程でベートーヴェンの人格的葛藤が物語として人々の共感を得ていった。ベートーヴェンの作品以上に彼の人格や生き方が「人格形成」や「生きることの範例」として人々の関心を集めた。西洋文化に親しんだ大正教養主義が思索や読書、芸術鑑賞を通して個人に集約される思想的基盤が形成されていった。昭和初期教養主義はマルクス主義の影響が加わり社会改革が志向される。この大正・昭和初期の教養主義に共通しているのは、青年らしい柔軟な感受性を開いて、善きもの、美しきもの、正しきものを受け容れことだった。このような昭和教養主義を背景として、一人ひとりの精神や情操の教育が行われ、それがひいては国家の改革に結びつくことになる。ここで芸術の鑑賞とナショナリズムが結びつく。芸術の鑑賞が精神の訓練、向上に資するわけである。この動きに伴って鑑賞の概念の抽象化が進んだ。大正には美や喜びを直観させることが鑑賞とされたが、それでは精神の訓練や向上には馴染まない。

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(5) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(4):

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(5) »