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2011年1月17日 (月)

西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(7)

第6章 みんなできこうクラシック音楽─<鑑賞>は日本人の義務

戦後が遠くなり、高度経済成長の時代に入ってくると音楽鑑賞教育が義務化され、きくべき音楽教材が学習指導要領で指定されることになる。他の科目、算数などでは全国的な平均も見やすいが、音楽鑑賞となるとそうも行かない、そこで国家的標準を満たさせるため、というわけだ。また、教育現場からも要請があったという。さらに、子どもに対して、適切な音楽を選曲し、きかせば、子どもはそれを好むようになる。学校教育が子どもの流行歌を作り出せば、望ましからぬ大人の歌(つまり、流行歌)などを口にする必要はなくなる、と考えられた。これに並行して、各地の学校に音楽鑑賞設備(ステレオ装置)が設置されていく。しかし、教育現場では<鑑賞>について様々な議論がなされてきても、方法としてはただ「きかせる」こと以上に発展させることは難しかったようです。

鑑賞教育が義務化されたことにより、改めて<鑑賞>とは何かという問いかけが為され、多様な解釈が林立する状態を招いたが、<鑑賞>が美を受け取る行為であるである点では一致していたといえる。しかし、どれだけ基本認識が共有されていたとしても、それを教育する具体的で確実な方法は誰にもわからない、というのが実情だったと言えます。

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