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2011年1月13日 (木)

西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3)

第2章 子どももみんな音楽をきこう─信じられた芸術鑑賞の力

大正に入ると、政治・社会・文化の各方面で大正デモクラシーと呼ばれる民主主義的、自由主義的な運動が起こる。明治には科学的であることで権威づけられていた芸術が、大正に入ると科学に対抗するものとしてその精神性が喧伝されるようになる。これは日露戦争後の物質的な豊かさへの不安がそうさせたと想像される。このなかで芸術に対して下劣な流行歌が蓄音機の普及などに伴い人気を博していく。これに対して、関係者は西洋音楽の普及に尽力したが、実際に芸術に触れる機会がなく、書物を通じた啓蒙が広まった。このような時に<鑑賞>には音楽の理解に向けた努力と思慮分別が必要で、その結果音楽を好きになれるという議論まで飛び出した。また、教育界からは、芸術性の陶冶による人格形成のために芸術を中核に教育を展開することを目指すドイツ芸術教育思想の影響から、<鑑賞>教育が着目され、いってみれば芸術にのめり込むようなことをすすめるようなことか。このような中で蓄音機が普及により音楽教育が変化する。そこで、アメリカの大手レコード会社のガイドブックをもとに、今で言うライト・クラシックのようなものを実際にきかせる教育が行われるようになったという。ここで使われたガイドブックはアメリカ流のappreciaition、子どもには余計な説明は不要でありきくということそのものを重視するものであった。

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