無料ブログはココログ

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(1) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) »

2011年1月12日 (水)

西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(2)

第1章 音楽をきくのは専門家─明治の<鑑賞>は批評?

明治中頃の日本では、西洋音楽にまつわるものが文明のシンボルとして機能していた。一方、伝統的に音楽の地位は低かった。このとき、西洋音楽の受け入れを主導したのはエリートたちだったが、彼ら自身も馴染みのない「芸術」をどのように受け止めるべきかで悩んだ。そのひとつは「音楽は真(科学)である」という捉え方である。音楽は西洋知に貢献するとして扱うというもので、バウムガルテンの美学思想の影響によるもの。この過程で、音楽の序列が出来ていくことになる。西洋音楽は「文明的音楽」と呼ばれ、進歩した音楽と位置づけられた。この中で日本国内の身分差と音楽も結び付けられていく。三味線を使用する民間の俗楽は淫靡卑猥で品性が下劣とも、見なされこれに替えて,日清戦争後の大東亜を視野に入れた日本は大国民として恥ずかしくない国民となるためには西洋音楽を広めなければならない。とはいえ、クラシック音楽に接触できる機会は限られており、唯一、社会的に展開されたのは学校教育における「唱歌」の授業であったと言える。しかし、唱歌はあくまでも教育の一環であって、芸術ではなかった。それは、明治政府に、従来の日本にはなかった拍節的な唱歌を利用して児童らを国民皆兵化するという意図があったということだ。より直接的に言えば、明治政府には唱歌や唱歌遊戯(唱歌に合わせて行う集団的動作)によって号令に合わせた行動を身につけさせるという意図があったのである。これは、何万人もの兵を戦場で秩序正しく整然と行動させるという目的に適う。また、唱歌は身分や地域に関係なく全国民が接しうる唯一の音楽であったことから,日本国民である自覚を持たせる役割も課せられていた。唱歌は全員で斉唱するもので、万民の心が同じ調子になることで、万人協同一致の精神が涵養されるという。このように唱歌はいわば「うたう」という参加する音楽であり、演奏を「きく」という行為ではなかった。当時は、オーケストラなども整備されておらず、西洋音楽の器楽を聴く機会はきわめて稀であったといえる。その中で、音楽を「きく」対象として捉えようという動きが生まれてくる。このような、音楽を「きく」対象として意識され始める過程で<鑑賞>という語・概念が徐々に生成していくことになる。明治に日本で音楽を「きいて」いたのはほんの一部の決まった顔ぶれであったという。一方、唱歌の現場では、教師たちが他人の歌をよくきかなければ、自分も歌うことが出来ない、と考えるようになっていった。しかし、このような唱歌の授業は子どもたちには不評であったようだ。

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(1) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(2):

« 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(1) | トップページ | 西島千尋「クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか」(3) »