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2011年2月

2011年2月28日 (月)

大竹文雄「経済学的思考のセンス」(4)

賃金の結果というわけでもないが、所得格差の拡大がよく言われる。各種の調査では、格差を実感する人が増えているというデータがある。このような実感は、所得格差の統計と整合的なのだろうかと著者は投げかける。まず、その原因として考えられるのが、世帯形態の変化だ。日本における世帯規模の変化は近年著しい。1980年代には、四人世帯が最も普通の世帯だった。90年代では二人世帯が最も多く、次に単身世帯が多くなっている。世帯規模が変化すると、世帯所得の不平等度と人々の生活水準の格差の間に乖離が生じてくる。例えば、75歳で年収300万円の親、50歳で年収1000万円の子、20歳で年収400万円の孫という3世代同居の世帯が全部なら、世帯としての年収は1700万円で、個人の収入格差はあっても世帯間の格差はない。これが、各世代が別居した場合、300万の世帯、1000万円の世帯と400万円の3種類の世帯が発生し格差が大きくなる。このように、世帯形態が

所得の状況に応じて変化しやすい社会になってくると、それぞれの個人レベルでみると豊かになっているにもかかわらず、世帯で測った所得では低所得世帯が増加して見える場合がある。また、女性の働き方の変化も世帯間所得格差に与えた影響が大きい。以前は、低所得男性の配偶者は、生活水準を高めるために共稼ぎをし、高所得男性の配偶者は専業主婦になるというのが一般的だった。しかし、現在では男女の賃金獲得能力差が小さくなり、優秀な女性が能力を発揮する機会が増え、高所得男性の配偶者が専業主婦でなく高所得を得て働くケースが増えている。こうなると、世帯間での所得格差は拡大する。

また、人口の高齢化の影響も統計と実態を見る必要がある。筆者は、人口の高齢化の影響を給与の支払い形態の変化と同じ性質のものと見る。例えば、平均寿命が50歳で、人々は、十分に働ける間だけを生きている世界から、寿命が80歳になって、引退後20年間は貯蓄を取り崩して生きていかなければならない世界になったとすると、寿命50歳の時代は平等度が高く、80歳の時代は引退後所得のない人が出てきて不平等度が増すように見える。しかし、引退した人たちは、最初から人生80年の人生設計をしているはずで、きちんと貯蓄して引退後の生活に備えているので、別に勤労所得がなくても、実際に貧困になるわけではない。

つまり、所得の不平等度は、その時点の所得だけの格差を示している。そうでなくて、現在時点の所得の格差が小さくても、生涯所得の格差が大きいのであれば、その社会は平等であるとは言えない。場合によっては、一時点の所得の不平等度が高くても、所得階層間の移動率が非常に大きい場合、つまり、ある時点で低所得であった人が次の時点で高所得になるということが頻繁にある場合には、一時点で見た所得格差が大きくても、生涯の所得格差は小さくなる可能性がある。例えば、アメリカのような転職が比較的容易な社会では、現在の賃金水準が低くても、転職により将来よい条件の仕事に就く可能性があり、生涯賃金で見た賃金格差は一時点での賃金格差に比べると小さくなる。

このように所得の不平等度は、所得の一時的変動の影響を受けるため、必ずしも真の所得格差を反映しないという問題点がある。また、現時点で賃金所得はなくても、多額の資産を保有していたり、将来遺産をもらうことが確実な人もいる。そういう人たちは、所得は低くても高い水準の消費生活を楽しむことができる。だから、貧困や生活水準の格差を知るうえで、最もすぐれた指標は、消費水準の格差と言える。これらの統計で見てみると、日本の年間所得の不平等度よりも消費の不平等度が小さいことを示している。このことから、一時的な所得変動の拡大が日本の所得不平等を高めたわけではないことが分かる。所得格差の拡大は消費格差の拡大と同時に発生している。筆者は、日本の所得不平等度の上昇の原因を高齢化と世帯構造の変化にあるとみている。

ただし、90年代後半から更に変化が生じている。若年層で所得格差が拡大する傾向である。これは、現在の所得不平等度に現れない将来所得の格差拡大を反映したものである可能性がある。具体的には、遺産相続を通じた所得格差や将来賃金の格差拡大を反映していると考えられる。低成長・少子化社会では、遺産相続が生涯所得に大きな影響を与える。少子化社会では子供の数が少ない分、子供一人当たりの相続の受け取り額が大きくなる。経済成長が低くなれば、子供世代が自ら稼ぐフローの所得は親から受け取る相続資産に比べて小さくなる。また、成果主義賃金制度が導入から数年を経過すると運用が本格化し、格差をもたらす可能性がある。さらに若年層の失業率の上昇は、一度失業すると、なかなか賃金の高い仕事を見つけるのが難しい日本の状況が変わらなければ、生涯賃金の大きな格差を招いてしまう。

2011年2月27日 (日)

大竹文雄「経済学的思考のセンス」(3)

まず考えられることは、技能そのものが陳腐化しまう可能性だ。技術革新が目まぐるしく起こっている場合に、例えば、長期勤務してコツコツ積み上げてきた経験が、コンピュータを中心とした技術革新によってまったく役に立たなくなる場合のように、長い間積み上げてきた経験や技能が十分に発揮できなくなってしまうことは日常的に起こっている。技能に応じた賃金を支払うシステムであれば、技能が低下してしまえば賃金は上がらなくなってしまう。その段階ではたしかに年功賃金制度は崩壊したように見える。しかし、このような技術革新が常に生じているのであれば、企業と労働者はそのリスクにあらかじめ備えて置き、そのための暗黙的な保険制度を賃金制度に組み込んでいてもおかしくない。また、インセンティブ理論のように年功賃金を供託金制度として考える場合、例えば定年間近になって供託金をすでにほとんど返してもらった人たちは働く意欲が大きく低下してしまうだろう。定年間近の人たちにやる気を持たせるシステムを導入しないと、この人たちのやる気は出ない、それは若い人たちに悪い影響を与える。そういう人たちに対しては、業績によって賃金を変えるというシステムを付加することで、このような年功賃金システムの弱点を補強することができる。例えば、管理職に対する業績主義的な人事制度をとったり、年俸制を導入するケースは年功賃金制が崩壊する証拠ではなくて、むしろ、年功賃金制度がもつ中高年労働者への意欲低下効果を補うためのシステムだということである。一方、新たな方向性として成果主義的な賃金制度がある。ただし、日本企業が市場主義的な度合いを高めたことが、成果主義でなかった賃金制度を成果主義的賃金制度に変えてきた理由だと考えるのは明らかに間違いだ。むしろ、長期的な雇用期間全体にわたる成果主義的な賃金制度や昇進制度を用いた成果主義的な賃金制度から、より短期的な成果主義的賃金制度への変更というのが、このような状態の正しい説明だ。長期的な成果主義には数多くのメリットがあるが、企業の倒産可能性が高まったり、成果と昇進の関係があいまいになると、まったく機能しなくなる。このような状態に対応するため、新たなインセンティブ制度として、各時点の市場価値により近い賃金を支払うという成果主義的賃金制度が導入されてきたと考えられる。

今度は、反対の側面から見てみよう。年功賃金が経済合理的に説明できる4つの理論をさきに説明したが、これらには、それぞれ問題点がある。第1の人的資本理論は、技能が勤続年数とともに技能が必ずしも上昇するとは限らない職場、例えば、技術革新の急激な職場では、ベテラン労働者の技能が陳腐化して若い人の生産性の方が高いという場合も多い。第2のインセンティブ理論は、そもそも解雇が困難な日本の企業でどこまで、この理論が妥当するか難しい。第3の適職探しの理論は、職種がそれほど多くない企業であっても年功的な賃金制度が存在することを説明できない。第4の生計費理論は、そもそも家族形態が多様化している中で特定の生計費に合わせた賃金構造を作ること自体が難しくなってきている。このような点を考慮して、年功賃金を説明するための近年の理論として、習慣形成理論がある。人々は賃金(生活水準)が上がっていくことそのものを喜ぶ、その反面として、そういう生活習慣に慣れてしまうとそれが当たり前になって、その後生活水準を下げる辛さを知っているから生活水準を徐々に上げていくこと選んでいるというものだ。実際に、2002年に意識調査を試みた結果として、生活水準を上げていくことが楽しみで、そういう生活費の変化のパターンを選びたいから年功賃金がいいという解釈もできるようなものだった。そのため、賃金総額が変わらないことが分かっていても、毎年、賃金が上がっていくほうが仕事への意欲をもたらすという解釈も可能だ。つまり、賃金総額を引き下げても年功賃金でも人々の満足は得られるわけである。

2011年2月26日 (土)

大竹文雄「経済学的思考のセンス」(2)

次に年功賃金について、年功賃金制度とは、勤続年数が延びるにしたがって賃金も上がっていく制度だと考えられている。年功賃金に関する議論の中で、労働者の生産性と賃金の関係という視点が抜け落ちることが多い。勤続年数が長くなると労働者の生産性が高くなるから賃金も高くなるという可能性である。この視点が欠けている人の議論においては、年功賃金制度を年金制度と同じように見て、企業の中で若い人たちが中高年を養っていると考えているように考えているように見える。つまり、年功賃金を賦課方式の公的年金制度と同じように見ている。賦課方式とは、勤労者が支払う公的年金がそのまま退職者への公的年金給付として支払われるシステムである。賦課方式の年金制度はねずみ講に似ている。ねずみ講のように新たな加入者が増えれば増えるほど、元の加入者は得をしていく。もし、このような企業の若い人が、中高年の高い給与を支えていることが年功賃金の理由であれば、従業員数が減少している企業で、年功賃金が成り立つとは考えられない。しかし、現実には従業員数の減少が続く企業でも年功賃金が成立しているのである。そのような企業では年功賃金をねずみ講として捉えることはできない。もし、ねずみ講型賃金制度としての年功賃金を保ってきたために過去の日本企業の人件費が安く抑えられ、高い利潤を生みたすことができ、その結果として株価も高かったとすれば、それは単に株価の評価が正当になされていなかったということである。

このような年功賃金制度は、日本特有のものであると考えられることが多い。しかし、このような賃金制度はホワイトカラーにおいては世界共通に見られることが分かってきた。このような年功的な賃金制度が存在してきた理由に関しての代表的な考え方が4つある。第1は人的資本論で、勤続年数と共に技能が上がっていくため、それに応じて賃金も上がっていくというものだ。第2はインセンティブ論で、若いときは生産性以下、年を取ると生産性以上の賃金制度で、労働者がまじめに働かなかった場合には解雇するという仕組みにして、労働者の規律を高めるというものだ。第3は、適職探し理論で、企業の中で従業員は生産性を発揮できるような職を見つけていくのであり、その過程で生産性が上がっていくという考えだ。第4は生計費理論で、生活費が年齢と共に上がっていくので、それに応じて賃金を支払うというものだ。まず、第1の理論について、勤続を重ねると技能が上がっていくという人的資本理論の考え方である。人は学校を出た時とまったく同じ技能レベルにとどまるのではなくて、毎年いろいろな経験を積んで、技能が上がっていく。人々の生産性が上がっていくということであるから、賃金が上がっていくのは当然である。もしそうであれば、中高年がふえるということは、より高い技能を持った人が増えるということを意味するので、生産性が増加することになり、年功賃金は問題なく維持できるはずだ。次に第2のインセンティブ理論は、労働者がまじめに働いているかどうかを常に監視し続けるのしコストがかかって難しいので、「まじめに働きます」と誓約書を書かせる代わりに、若い時の働きの成果の一部分を供託金として、その企業に捧げさせる。そして、長期間まじめに働いた場合には、企業はそれを返却するというシステムで、これが年功賃金システムだと考えられる。途中で、さぼっていることが発覚して解雇された場合には、供託金としての将来の年功賃金の部分を失うことになる。このようにして、長期間真剣に働こうと思っている労働者に入社してもらい、まじめに働いてもらう制度として考えられる。勤続年数が短いときには生産性が賃金より高いが、勤続年数が長くなると逆に賃金の方が生産性より高くなる。ここで、生涯の賃金と生産性合計は等しい。これがインセンティブ理論である。この場合、企業は必然的に定年を必要とする。なぜなら、年功賃金による中高年労働者は、生産性より高い賃金をもらっているため、この企業を辞める動機がない。したがって、あらかじめ決められた定年でこま企業から退出することを決めておかないと、生涯の生産性と賃金の収支が合わなくなってしまう。ただし、このモデルが成り立つためには三つの条件がある。第一に、企業が倒産しないこと、第二に、企業が年功賃金の約束を破らないこと、第三に、労働者が生産性よりも高い賃金を受け取る段階になって、労働者の技能に予想外の陳腐化が発生していないこと。この三つである。ただし、本当に技能の陳腐化の範囲が当初の想定の範囲に入るのか否か、を判定するのは非常に難しい。第3は、人は勤務を経るに従って、だんだん自分に適した職を見つけていくという考え方である。企業内には色々な職種があり、様々な職種を経験していくうちに、自分が最も生産性を発揮しやすい職に移っていく。そうすると、生産性の上昇に従って賃金も上がっていく。労働者の潜在能力は変わらなくても、適職を見つけることができれば、その労働は高い生産性を発揮できるのである。第4は、労働者の必要な生計費のパターンに合わせて賃金を支払うと考える生計費理論といわれるものである。このような生計費理論が年功賃金の理由であったとすれば、従業員の年齢構成の変化は、年功賃金の崩壊につながるだろうか。そうではない。生計理論においては、年功賃金は貯蓄の一形態であるから、企業は労働者に代わって賃金の一部を貯蓄していただけで、従業員の年齢構成が変わっても、その分、従業員から預かった賃金による貯蓄が多いはずだ。これらのことから、ねずみ講型の賃金制度が民間企業で成り立っていたと考えることに無理があり、年功賃金の経済的説明からも、高齢化と年功賃金崩壊は無関係だということが分かる。労働者は勤続年数が長くなると技能を蓄積する。労働者がまじめに働いているかどうかを監視するコストは大きい。労働者の能力を短期間で見分けることも難しい。生計費に応じた賃金パターンを支払うのが好まれるのも自然だろう。つまり、年功賃金制には合理性がある。では、なぜ年功賃金制が崩壊しているように見えるのか。

2011年2月24日 (木)

大竹文雄「経済学的思考のセンス」(1)

「お金のない人を助けるには、どうしたらいいのですか?」という小学5年生の発した問いに答えるところから、著者は、金持ちと貧乏人という所得格差の発生理由を明らかにし、貧困を解消するための方法を考えることは、経済学に課せられた大きな仕事の一つであると言う。この所得の重要な部分を占める賃金に格差が生じる基本的な原因は、生産性の差である。個人間に生産性の差が生じるのは、生まれつきの才能、教育、努力、運などが個人により異なるから。しかし、生まれや才能で収入に差についてしまえば、人々は意欲(インセンティブ)をなくしてしまうだろう。他方で、努力して成果をあげても収入が同じあれば、また人々は意欲をなくすであろう。これが、経済学でリスクとインセンティブのトレードオフ(二律背反)という問題という。所得再分配の問題が難しいのは、このトレードオフの問題と同じであると筆者は言う。そして、社会における様々な現象を、人々のインセンティブを重視した意思決定メカニズムから考え直すことが、経済学的思考法であると著者はいう。貧しい人を助けなければならない、というだけで思考を停止するのではなく、その発生理由まで、人々の意思決定メカニズムまで踏み込んで考える。これが経済学的思考法であると著者言います。さらにもう一つ、著者が強調するのは、因果関係をはっきりさせることである。これらのことを含めて、この本の目的は、お金がない人を助ける具体的方法を提示することではなく、お金がない人を助けることの経済学的な意味を考えていくことで、その場合のキーワードとなるのは、インセンティブと因果関係である。

著者は、生活の身近な話題に対して、このような経済的思考で切り込んでいきます。例えば、「女性は、なぜ背の高い男性を好むのか?」「美男美女は本当に得か?」「イイ男は結婚しているのか?」「プロ野球は戦力均衡がいいのか、巨人のような特定球団の一人勝ちがいいのか?」「プロ野球の監督の評価」「賞金とプロゴルファーのやる気」などなど。

このような議論を前提に著者は専門である賃金の話に入っていく。

日本的賃金慣行は、一般に、終身雇用、年功賃金、企業別組合であると言われてきた。それが1990年代以降、景気低迷が続いたことにより、かつては高生産性の源であるとされてきたものが非効率で間接費の肥大の原因と、評価が変わってしまった。

最初に、終身雇用について、実際に、日本企業はすべての社員を終身雇用制度で雇用しているかといえば、実態として長期雇用慣行の労働者の比率は、もともと20~30%にすぎない。長期雇用慣行は大企業を中心として機能してきた。しかし、大企業は、本社従業員の数を少なくしている。その代わりに、長期雇用ではない、子会社や関連会社、パートタイマー、期間工、季節工といった従業員を多く雇用している。また、多くの女性労働者は雇用期間が短く、結婚や出産を機会に退職することが多かった。つまり、20~30%の長期雇用が成り立つためには、その周囲に流動的な労働者層が必要だったのだ。また、大企業の正社員だからと言って、確実に定年まで雇用が保障されていたわけでもなく、過去にも例えば赤字が二期続くような経営危機の際には解雇や希望退職が行われてきている。1990年代以降の日本企業でリストラという名の解雇が多数生じたのは、日本企業の行動様式が根本的に変化したというよりも、多くの企業が赤字に陥るほどの経営危機に直面していたためと考えられる。

2011年2月23日 (水)

あるIR担当者の雑感(20)~アナリスト・レポートに感銘

このたび、ある伝手があってあるアナリストを紹介してもらい、取材ののち、レポートを書いていただきました。その方は、アナリストといっても、セルサイドとかバイサイドとかいうような現役の場から現在は距離を置いて、顧問のような位置にいる人です。純粋にアナリストというと語弊があるかもしれません。しかし、紹介されたからといっても、私の勤め先に興味を持って、レポートを書いてみてもいいと思うかは、ご本人次第というもので、結局、書いていただきました。その原稿を見せていただきました。私の勤め先は、ここで何度も書いているように地味な中小企業で、端的に言えば上場していても投資家からみればパッとしない企業なので、アナリストにカバレッジされるというようなこともなく、レポートを書いてもらうというようなことは、ない企業です。それが、レポートを書いていただけたというだけで、感慨深くなります。「ウチの会社も、レポート書いてもらえることもあるのだなあ」とか。

このことは、措いておいて、レポートの内容を読んで、さらに驚きました。面白いんです。いま、これを読んでいる人は、そんなこと当然ではないかと思われるかもしれませんが、私の勤め先はさっきも言ったようにパッとしない企業です。そして、B to B のビジネスをやっているため、一般の人には扱っている製品がどのようなものか説明しても理解してもらえない、そのため、さらに会社の不可解さが募ってしまう。だから、何とか会社の知名度を上げようとしても興味さえなかなか持ってもらえない、ということにIR担当者としては頭を悩ませていました。ところが、レポートを読むと、それはそれとして、興味を持って読めてしまうのです。悔しいけれど、プロは違います。

どうしてか、考えてみました。文章はうまい。私が、ここで綴っているようなものと比べて、読みやすく、興味が先へ先へと導かれるように書かれている。しかし、それだけではなくて、全体の視点というのか、切り口ともいうべきものが明瞭で、叙述がそれに貫かれて一本筋が通っている。様々な点の指摘がありますが、一本の筋が太い幹のようにあって、その枝葉のような構造になっているので、それぞれの指摘の関連性や全体の中で、どういう位置で、重要度はどうかも、よく分かる。それらが、言わば、ストーリーのようにつながっているのです。以前、ここでも『ストーリーとしての競争戦略』という本を取り上げましたが、レポートの説明が、あれに書かれているようないい筋となっているのです。よいレポートというのは、総じてそういうものなのかもしれないと思いました。

具体的に言うと、私の勤め先は技術志向の強いメーカーで、それが強みではあり、かつてはその強みである程度の業績を残していました。しかし、最近は業績は思うように伸びず低迷しています。レポートはそれについて、技術志向が強く、かつての会社の強みであり、いまでもある程度の業績のベースとなっていることに言及し、それ故に、今後に課題が出てくると指摘します。これは、ある面では会社にとって問題点ではあるのですが、この課題は会社が将来に向けての成長を遂げるために、乗り越えるべき壁のようなスタンスで書かれています。だから、この会社に勤める人間として、この課題はとてもありがたく読めるものです。経営者は参考にできるものではないかと思います。よいレポートはその会社が感謝するようなレポートではないかと思いました。(これは、単なる提灯記事ではないことは、念のために申し添えます)さらに、企業の伸びるために克服すべき課題の指摘とみれば、投資家サイドではその点に注目して、企業を見て投資判断の材料とできるわけです。課題の克服が進んでいれば…というように。ただし、これは企業が、このレポートの内容を真摯に受け留めるか、このレポートと同じような問題意識を持っていれば、の話ですが。

そして、さらに突っ込んで、読み込んでみると、かつて、日本の製造業は、失われた何十年と称された長期低迷から、高付加価値と新技術の開発力で世界の中で差別化を図り、低迷から脱し業績を回復させ成長させました。液晶やデジカメ、高品質の素材、機械といった分野はその最たるものです。それが、リーマン・ショックを契機として状況が大きく変わってしまい。これらの分野でも新興国にトップを奪われたり、日本の製造業が苦しい立場に立たされたという概況があります。それまで高付加価値だった製品の消費地であった欧米は、この景気低迷の影響をモロに受けて没落したといっていい。それに替わって世界市場をリードし始めた新興アジア諸国では、まずは普及が優先されることとなり、ある程度の品質でも低価格で大量に提供されるニーズの方が高い。そこで、日本のメーカーは置いてきぼりにされ、韓国、中国、台湾などの海外のメーカーの低価格で大量の商品提供に世界市場の流れを奪われていった。とまあ、単純化のきらいはありますが、世界経済は一転して変わってしまったかもしれない、という状況でなかなか変われない日本企業、とくにメーカーはその前の成功体験を引き摺ってか、全体として動きが鈍くなっているためか、変われない企業が多いようです。私の勤め先においても、国内市場は伸びる見込みが限られてきて、海外市場、この場合は新興アジア諸国に打って出るためには、グローバル競争となり、そこでの決め手は価格となる。しかし、技術志向で付加価値の高いものをどうしても作ってしまう、そこで中途半端に価格にとどまり、競争に勝てない。そんな状況の説明をレポートは課題としてあげていますが、単に、私の勤め先に限らず、もっと広く、日本の製造業に対しても言えることであり、そこには、このレポートを書いた人の日本の企業に以前のような勢いを取り戻して、経済を成長させてほしいという願いのようなものを感じるのです。

企業に投資することこそ、実はその一助であり、日本経済ともに沈滞している、日本の株式市場にも活性化してほしい。そのためには、日本の企業も国内の投資家も市場も、気がついてほしい、そんな願いが聞こえてくるようにおもえるのです。

たぶん、文章のうまさや内容の充実もさることながら、このアナリストの熱さとか思いが伝わってくるように感じられたかもしれません。

いずれにせよ、私も、発行会社にいる人間として、この熱さに応える企業でありたいと思いますし、そういう発信をしたいという思いを持っています。

2011年2月21日 (月)

菊地正俊「外国人投資家が日本株を買う条件」(5)

日本の大企業の個々人は、優秀といわれる。日本の組織では個々人が問題を認識しながらも、共同体の暗黙の掟、目の前の調和を破壊することに強い忌避感が生じる。結果、「空気の支配」による統治機能の不全状態が起きて、必要な意思決定ができなくなり、企業が極めて厳しい状態に陥る傾向がある。

 やるべきことがわかっていてもなかなか実行ではないことは、マクロ経済全体でも言えることである。社会保障制度改革、デフレ脱却、人口減少対策、財政赤字削減、選挙制度・公務員制度の改革など、日本の長期構造不況脱却のために必要なマクロ経済政策は長年議論されているにもかかわらず、実施されていない。現状追認や諦めのムードが蔓延り、今厳しい改革をしなくてもまだなんとかなるだろうと無為無策状態に陥り、日本全体が「茹で蛙」状態になっている。市場の反乱が起きて、債券や円が暴落する前に、外国人投資家に日本株が全く見向きもされなくなる前に、アジア人に衰退する日本に来たくないと言われる前に、日本経済の構造改革及び日本企業の経営改革を進めて、長年の閉塞感から早く脱却したいものである。

 著者は、数年前に「外国人投資家」を上梓しており、この本は、リーマン・ショック後の日本株の低迷の状態になったことに応じて、書き直したものと言えそうです。基本的な姿勢は、「外国人投資家」から大きく変化したわけではありません。しかし、日本株を巡る状況は危機的な状況にあり、私のような中小企業で市場に対面している者にも、それが実感できます。だから、著者の言いたいことは、よく分かります。その主張に沿うように、ここまで、全体の流れを抽出してみました。本書は、まとまった著作というよりも、個々の事象について著者が思っていること、主張したいことを、項目別に列記したようになっています。だから、まとまった著作にはなっていないで、散発的な印象です。そのせいもあって、このような実情を分かっている人や憂慮している人にとっては、わが意を得たりということになるのでしょうが、そうでない人にとっては他所事ともとられかねない中途半端なものとなっています。たとえば、現状がこうだと、いろいろな事柄が具体的に紹介されていますが、それぞれが並列的で、それぞれの事項の関連性や著者としてはどれがメインなものかは述べられていません。また、どうしてこのようなことになってしまったか、ということを著者は深く突っ込んでいないので、これからどうすればいいかは、取ってつけたような抽象的で他人事のようなことしか書かれていません。これは、著者には失礼で、本気で現状を憂慮しているのでしょうけれど、日本の市場をこんなようにしたのは、すべて企業が市場を向いた経営をしていないからだ、責任を押し付け、あたかも、自分は被害者であるかのようにふるまっているように見えます。本当にそうなのか、と私は考えます。すべて関係者に責任があると、一億総懺悔のようなバカバカしいことを言うつもりはありませんが、例えば著者は、政治が市場に逆効するような政策を進めていることに関して、懐疑的です。でも、政治家がそういう政策をとるということは、それで選挙票がとれるということです。ということは、市場関係者以外の政治家に投票するような人々は、市場に対して、そのようなマイナスの視線で見ていることの反映ともいえます。そのような状態となるのに手をこまねいていたのではないか、というゆうな著者を含む市場関係者は深刻な反省があったのか、とこの本を読んでいて著者に言いたくなりました。そうしたら、もっと突っ込んだ考察が出てくるはずです。そうしなければ、関係者以外の共感をえるのは難しいと思います。また、企業サイドからいえば、なぜ、日本企業の特殊事情と外国人投資家のむ特殊事情が相互に歩み寄れるような中庸な道を模索することを考えないのか、極端に外国人投資家に寄り添った道だけをしめせば、それでいいとする姿勢は、正論ばかりもっともらしく述べ立て、脇に立って、自分は傷付かない評論家のような印象を受けます。そうしたら、勝手にほざけと、企業の現場から罵倒されてしまうのではないでしょうか。そういう意味で、話のネタにはなるけれど、その程度で終わってしまいそうな著作にどとまっていて、たいへん残念な気がします。

2011年2月20日 (日)

菊地正俊「外国人投資家が日本株を買う条件」(4)

第5章 コーポレート・ガバナンスとM&A

 外国人投資家と日本企業の経営者では、M&Aに対する考え方が根本的に異なる。外国人投資家は、企業は株主の物と考えているので、株主の利益増加につながるのであれば、企業を積極的に売買すべきだと考える。多くの日本企業の経営者は、企業を経営者、株主、債権者、取引先、従業員などの全てのステークホルダーが自己実現を図る場と見なしているので、企業はめったなことで売買すべきでないと考える。

 外国人投資家は、日本企業がM&Aを通じて収益力や競争力を改善して、結果として株価が上がることを望んでいる。日本企業は業界再編が遅れてきたため、国際比較で見て規模が小さくなってしまった。東証の上場会社に対しても、外国人投資家からみれば、日本は中小企業の集まりで、東証は中小型株の集まりと見なされるようになった。そのため、欧米大企業が数千億円単位で投資する中国における投資でも、日本企業は規模が小さいので、数十億円や数百億円規模の投資が多くなっている。中国市場は世界中の大企業が、将来の最大の消費市場になると見込んで大規模な投資を行って鎬を削る市場である。日本企業もM&Aを通じて企業規模を大きくしないと、中国市場での欧米アジア企業との競争に打ち勝つことができないだろう。

 企業規模の次に、外国人投資家が日本企業のM&Aに関連づけて問題だと考えることは、日本企業の低収益性である。日本の低ROEは売上高利益率、すなわちマージンが他国より低いことに主因がある。マージンが低いのは、業界再編が遅れており、各業種が無用な競争をしているためである。コーポレート・ガバナンスが利いていないため、株主価値を無視したような価格競争が広げられているとも言える。将来のM&A余地が大きいとは言えるが、外国人投資家から見れば、長年M&Aを期待しながら、何も起こらない業種が多かったため、M&Aへの期待が低下してしまった。

 米国には確実な指標としてバランスシートから計算されるPBR面での割安さに注目する投資家が多い。外国人投資家は日本株について、PBR1倍を大幅に割れても、経営者の責任を問う声が出ないことや、敵対的なM&Aが起きない日本の異常さを指摘した時代もあった。しかし、PBR1倍割れが恒常化するにつれて、日本株は資産面からの割安さが解消されずに、永遠にバリュートラップ(割安さの罠)に陥ったままとり考えが出てきた。日本には、企業が長く存続して雇用を維持しているだけで尊敬される風土がある。日本以外では、敵対的M&Aが起こらなくても、PBR1倍が大きく下回っていることは、経営者に能力がないと市場から烙印を押されているのだと己を恥じて、株価を上げる努力をするため、PBR1倍割れは、遅かれ早かれ解消されることが多い。しかし、多くの日本企業では、こうした自浄メカニズムが働かない。

 日本には成長株が少ないといわれる中で、外国人投資家は経営者のリーダーシップにより、M&Aで成長する企業を評価する。巨額の資金をつぎ込むことになるM&Aは、経営者の思い切った決断のみならず、事務方や雇った投資銀行による事前の徹底した精査が必要である。豊富な現預金を抱えたままの企業より、M&A、設備投資、商品開発などにリスクをとった経営をする企業が、外国人投資家から評価される。外国人投資家が日本経済や日本企業に改革期待を持っていた時代には、M&Aや組織再編という発表だけで、株価がポジティブに反応したこともあった。しかし、大手金融機関同士の度重なる経営統合を見て、日本企業はM&A時に重複部分の効率化を素早く行わないし、統合後も統合前の経営者が残って、権力抗争を行ったりするため、日本企業のM&Aは効果が出にくい、また出るのには長い時間がかかると認識するようになった。外国人投資家、M&Aの際の資金調達も問題視する。銀行借入や債券発行に依らないで、安易な増資をする企業が少なくないためだ。

 外国人投資家は、リーマン・ショック以降も、会社は株主のものであり、経営者は株主の利益を重視する経営を行うべきだと考えている。リーマン・ショックにより株価は急落し、欧米経済は日本同様の低成長の時代に入ってしまった可能性もあるが、こうした環境下でも外国人投資家は、経営者は株主の利益を最大化する努力を継続すべきと考えている。一方、日本の経営者の間では、リーマン・ショックで短期的な企業の利益や株主利益を重視しすぎる経営は否定された、中長期的な視野に立って株主だけでなく、取引先、従業員、債権者、地域社会などのステークホルダーを重視すべきである、英米型経営より伝統的な日本的経営の方が望ましいとの考え方が強まった。リーマン・ショック以降、外国人投資家の日本株離れが強まり、日本株が他国を下回るパフォーマンスとなったのは、世界経済の悪化や円高で景気敏感株としての日本株の評価が低下したためだけではない。外国人投資家と経営者との間でコーポレート・ガバナンスに関する認識のギャップが拡大したためでもある。

 日本株の株式資本コストは一般に6%程度と考えられる一方、東証一部の配当利回りは上昇したといえどもまだ2%程度である。現預金に至ってはほとんどゼロの金利しか生まない。日本企業の経営者には、株式のコストはゼロとの誤った考えを持つ方がいるが、外国人投資家は、資本コスト以下のリターンしか生まない資産は企業は売却すべきと考えている。

 ROEは、分子にも分母にも株価が入っていないので、投資指標ではないが、企業が株主資本をどれほど有効に利用して利益を生んだかを示す指標なので、会社は株主の物だと考える外国人投資家が重視する経営指標になっている。外国人の日本株保有比率がどんどん高まり、アクティビスト・ファンドが活発だったリーマン・ショック前までは、ROE重視を掲げる日本企業が増え、外国人投資家もROE重視の動きを評価した。しかし、最近発表された中期経営計画を分析すると、アジア重視の企業が増えるばかりで、ROEを経営目標に明示的に掲げる企業が減ってきた。日本企業のROEの軽視姿勢が、外国人投資家の日本株離れにつながった。日本企業の低ROEは、国際比較で低い売上高利益率が主因だが、レバレッジが近年大きく低下したことも、低ROEの原因になってきた。外国人投資家からは、日本企業は株主資本や内部留保を溜め込みすぎており、自社株買いや増配を通じて株主に還元すべきとの意見が増えてきた。多くの日本企業は配当性向の目標に3割を設定しているが、配当性向は企業の成長によって異なってしかるべきだと、外国人投資家は考えている。日本企業は、自社株買いしても株価が下落し、自社株買いの株価の下支え機能が信じられないため、手元流動性を豊富に持ちたいとして、自社株買いや増配に慎重な姿勢を崩していない。また、日本企業の平均自己資本比率は米国企業より高いにもかかわらず、日本企業は安易な増資をし過ぎるとの批判も多い。日本企業の株主軽視的な増資は、外国人投資家に日本株投資を敬遠させよう。

2011年2月19日 (土)

菊地正俊「外国人投資家が日本株を買う条件」(3)

第3章 外国人投資家による日本の産業の評価

・国際競争力の低下が著しい電器産業

 最近、日本企業の電機産業での国際的なプレゼンス低下は著しい。パナソニック、ソニー、東芝の株式時価総額を足しても、韓国のサムソンの時価総額に及ばない。このような総合電機は、インフラ製品に強みを持つものの、コングロマリット経営で選択と集中ができていないうえ、過去に株主資本を大きく毀損した歴史があるため、外国人投資家の経営への信認が低い。電機メーカーが国際競争力を低下させた理由は、①依然としてプレーヤーの数が多すぎて、国内競争で消耗して海外戦略が遅れた、②タイミングを捉えた思い切った投資ができなかった(サムソンは不況期こそ、投資の好機とみなす)、③高度な技術に溺れて、需要が急増する新興国向け製品開発に遅れたことなどである。外国人投資家からは、日本の電機株は安値で買って高値で売る循環的な投資対象であり、長期保有には適さないと見なされるようになった。

・銀行株は全く保有しなくてよいか

外国人投資家には、日本の銀行の構造的な低収益に対する諦めがある。貸出減少と並ぶ日本の銀行の構造問題は、低利鞘である。日本は、①低金利、②預貸率が低く、貸出需要に比べて預金が過剰な状態にある、③株主利益を重視する姿勢が弱く、利益よりシェアを重視しがちであることなどが、銀行の低利鞘の背景にある。大手銀行は、成長戦略として、アジアを中心とする海外事業、投信販売や資産運用事業、関連証券会社の連携の強化などをあげている。日本の製造業が皆、中国をはじめとするアジア事業を強化しているのと同様に、多くの日本の金融機関は、利益の源泉である内需が低迷しているため、海外事業強化の必要性が以前からあったし、地理的な近さの優位性を生かして、欧米金融機関より早くアジア事業を強化すべきだった。しかし、不良債権処理という後ろ向きの仕事に忙殺されてきたうえ、国際的な人材マネジメント能力に劣後していたため、欧米金融機関よりアジア事業強化が遅れた。さらに、外国人投資家は、日本の金融機関の収益性のさらなる低下につながる郵政改革法案をネガティブに見ていた。また、東京市場の地盤沈下を肌身で感じており、日本が金融立国になると信じている者は皆無である。

・世界的な食糧・水不足に関心

外国人投資家は、国際競争力が低い日本の農業・食品関連企業に関心があるのではなく、世界的な食糧不足や食品価格の長期的な上昇に関心を持っている。そこで、日本企業の農薬や農機事業に対する期待は高い。

2011年2月18日 (金)

菊地正俊「外国人投資家が日本株を買う条件」(2)

第2章 外国人投資家が見る日本の政治・経済の課題

 日本株の方向性を決めるのに最も重要なファクターは、米中景気や為替などの海外要因であり、国内政治・経済要因の重要性は低い。内需は常に低迷し、政治も、経済や企業経営に大きな影響を与えるほどの改革が期待できる状態ではない。外国人投資家は、人口減少、長期デフレ、巨額の財政赤字、国際的地位の低下などの日本の構造改革問題を理解し、構造問題解決のためには強いリーダーシップが必要だと考えている。構造改革路線を掲げて誕生した小泉内閣が誕生した際には、日本の構造問題が解決されるとの期待が高まり、外国人投資家の日本買いは巨額になった。しかし、2006年に小泉首相が退任し、毎年日本の首相が代わるようになると、日本の政治に対する期待が失望に変わった。2009年に民主党政権が誕生すると、何らかの改革が行われるとの期待が一時的に芽生えたが、反ビジネス的な民主党政権の政策が明らかになるにつれて、外国人投資家は日本株を売り越した。

そして、外国人投資家のみる日本の政治・経済的な課題として

・スピーディーな税制改革ができないこと

 例えば、消費税について議論ばかりして引き上げができない

 法人実効税率が高すぎる

所得税最高税率の引き上げの動き

国債の低い利回り

 ・人口減少、少子高齢化が急ピッチで進み、先進国となってしまった事情

 外国人投資家の間では、日本は移民が必要だという意見が多い

 ・日銀の不十分な金融緩和

 外国人投資家から、日銀の金融政策に対する批判は強い。1980年代後半のバブル崩壊時には、遅すぎて行き過ぎた金融引き締めが、バブル崩壊の後遺症を大きくした。1990年代後半以降、日本は過去に例を見ない長期デフレに入り、人々や投資家にデフレマインドが浸透し、物価下落を前提とした消費・投資行動が見られるようになった。デフレ下で消費者は消費を抑制し、値下げ要求を厳しくする一方、企業は投資を抑制し、雇用を削減しようとする。インフレ率に数値目標を掲げて金融政策を行うインフレターゲットは物価抑制に有効でも、デフレ脱却には機能しにくいともいわれる。完全にデフレが定着する前に、思い切った金融緩和をしなかった日銀の政策が悪かったとの見方が外国人投資家には多い。

 日銀はいくらマネーを供給しても、民間に資金需要がないため、日銀に還流してしまうと反論する。お金を使う人がいなければ、または経済の実需がなければ、日銀の大量資金供給にもかかわらず、デフレは修正されないと主張する。マネタリストは、日銀の資金供給がまた十分でないからだと反論する。人々がお金を使わないのは、デフレ下で現金を保有していることが、経済合理的な行動であるからであり、インフレ期待が高まれば、お金をもって使うだろう。現在はデフレ下でのゼロ金利は、実査金利が高いことを意味するため、日銀は人々のインフレ期待を高めるような政策をとる余地があろう。

・経済成長戦略への期待

人口が減少し、財政赤字も巨額にのぼる日本が、内需主導の経済成長を遂げるといっても、信じる外国人投資家は誰もいない。

2011年2月17日 (木)

菊地正俊「外国人投資家が日本株を買う条件」(1)

Kabu 第1章 外国人次第の日本株市場

 1990年以降、2009年までの20年間に、外国人投資家が日本株を売り越した年は、日本の資産バブル直後の1990年と1992年、日本で金融危機が起きた1998年、ITバブルが崩壊した2000年、リーマン・ショックがあった2008年の5回しかない。1990年以降、2009年までの外国人投資家の累計買い越し額は62兆円に達する。外国人投資家が日本株を買い越してきたのは、2000年までは海外株が基調的に上がっていたため、日本株の出遅れ感に注目したこと、2000年以降は小泉改革で日本の構造改革が進展するとの期待があったためである。郵政解散総選挙が行われた2005年の外国人投資家の買い越し額は過去最高の10兆円に達した。小泉元首相が退任し、後継内閣が外国人投資家の構造改革期待を裏切り続けたうえ、リーマン・ショックで欧米投資家のリスク許容度も低下ししたため、外国人投資家の日本株買い越し額は大きく減った。アジア経済の持続的高成長やアジア株の流動性向上から、構造的にはアジア株に強気で、日本株に弱気という投資家が増えてきた。外国人投資家が日本株の売買を判断する材料としては、①海外経済、②企業動向、③政治や国内景気などがある。外国人投資家は、日本株は世界景気に敏感株であり、世界景気が良くなる見通しができたときに、循環的に買えばいいと考えている。

 経営者のリーダーシップが強い企業、独自のビジネスモデルでグローバルに成長する企業、循環的に業績改善が期待できる企業などの外国人保有比率が高かった。

 外国人投資家の保有比率と投資指標との関係を見ると、時価総額が大きい企業、ROE、営業利益率、海外売上比率が高い企業の外国人保有比率が高い傾向がある。これらの指標は相互に関係している。すなわち、大企業がアジアなど新興国で高い利益を上げることが、外国人投資家化から評価される。

 外国人投資家は、日本企業のリストラの意欲や進捗度、アジアでの経営戦略や資本政策(配当や増資など)に対する関心が高い。外国人投資家との議論では、日本の政治経済の話が多くなる。日本株が海外動向次第とはいえ、外国人投資家は日本株を売買するきっかけとして、国内要因を求めている。

 外国人投資家から、最近、日本株はなぜ円安にならないと上がらないのかと尋ねられた。2010年は日経平均の下落にもかかわらず、円高のため、ユーロやドルベースのパフォーマンスは他先進国と比べて特段に悪かった訳ではない。今後、円下落と株価回復が同時並行的に起こるならば、ユーロやドルベースの日本株のパフォーマンスが劣るとの懸念がある。通常、為替変動率より株価変動率の方が大きいので、株価回復率が円下落率を上回るはずだ。しかし、日本株が為替への感応度を高めているのは、内需不振が続き、本来得られるべき円高円高メリットを享受できずに、日本の企業業績や景気変動の為替依存度が高まっているためだろう。一方、韓国はウォン高でも株価が上がるのは、サムソンに代表されるように、高い世界市場シェアでウォン高を転嫁しやすく、日本企業以上に韓国企業のグローバル経営が進んでいるからだ。ウォンは円に対して過小評価されているため、将来的にはウォンが円に対して上昇することで、日本企業の韓国企業に対する競争力が改善されよう。

 外国人投資家が使うバリュエーション手法は、基本的に国内投資家と変わらないが、いくつかの特徴がある。計算容易なPERを使うことが多い一方、近年、PBRへの関心が低下している。日本の低PBRは低ROEの反映さ見なされているうえ、M&Aの欠如によって(特に敵対的M&Aは皆無)、日本はバリュー・トラップ(割安さの罠)から抜け出すことができないと思われているためである。

 米国投資家は資金規模が大きいうえ、日本株だけでなく、欧州株やアジア株も一緒に運用していることが多いので、日本株の運用は大型株が中心となり、中小型株までは手が回らない傾向ある。米国投資家はボトムアップ運用で、バリュー投資家が多いという特徴がある。ボトムアップ運用とは、マクロ的な経済や産業状況ではなく、個別企業の業績やバリュエーションに注目して投資する方法である。米国投資家は、グローバル投資をする投資家が多いため、企業の国際比較を重視する。銘柄選択では、国際競争力やバリュエーションの国際比較に注目する。業種では、テクノロジー、金融、不動産、サービスなどに対する関心が高い。企業は株主のものであり、経営者は株主のエージェントであるとの考え方が強いため、企業経営者の経営能力や株主重視姿勢を厳しく問う。日本の電機メーカーは韓国や台湾企業に対して競争力を低下させたとの見方が増えている一方、機械は国際競争力をまだ維持していると見られている。

 欧州投資家は、米国投資家よりは、投資判断をする際に政治やマクロ経済動向を重視する。政策では財政政策、経済的には個人消費や物価、業種では、電機や機械に加えて、小売りや住宅などに対する関心が高い。歴史的なトレンドに対する造詣が深く、国の隆盛に対する関心が高い。アジアには欧州の植民地だった国が多いため、アジアと日本の関係がどのように進展するのか、興味を持っている。

 外国人投資家には、日本株への構造的な弱気派が増えた。2010年初来の日本株のパフォーマンスはドルベースで見ると、他国株より大きく劣った訳ではないが、2010年は日本株が久しぶりにアウトパフォームする年と期待されていた。しかし、4月に株価指数がピークをつけた後、大きく他国株価指数をアンダーパフォームしたことで、10月まで日本株の悲観論が強まった。期待が裏切られたことで、日本株の長期パフォーマンスの悪さが改めてクローズアップされた。数年に1回しかアウトパフォームせず、中長期見通しも暗い日本株ならば、保有する必要がないとの意見が出た。

 2010年3月期上期の企業業績が好調だったにもかかわらず、日本株が他国より下落したのは、日本株のバリュエーションが低下傾向にあるためと解釈される。企業業績のモーメンタムがピークアウトしたのは他主要国も同様だったが、他国では株価が回復した市場が多かった。日本の他国より高い2011年3月期の予想増益率は、全く評価されなかった。過去のバリュエーションに比べて、日本株のバリュエーションが低いとの議論は、外国人投資家に通じない。

2011年2月15日 (火)

「企業戦略白書Ⅸ 日本企業の戦略分析2009」

Hakysyo ほぼ毎年、楽しみに読んでいるものです。白書といっても官公庁が出しているわけではなく、一橋大学MBA大学院が作成しているもので、昨年はメインの執筆者(多分、担当教授)が代わり、内容に変化の兆しがあったので心配していたのですが、今年のを読んでみると、その心配は杞憂でした。戦略論とか、分析とかいう著作は多いのですが、具体的なケースをボリューム感を感じさせて、読ませてくれるものは、極めて少ない。以前に紹介した、ハーバードのテキストのような会社の紹介に毛の生えた程度なら、買ってしまったことを後悔するのみですが、こちらは、実際に戦略分析は、このようにやるのか、というお手本というのか、読みながら、自分で経験する作業を追体験できる、という読み方ができます。私の場合は、IR担当という仕事柄、会社の事業展開について外部にどのように説明するかということに頭を痛めていますが。ここで、実際に分析されているケースはとても役に立ちます。実際のところ、会社内での事業を進めていく際には、外部に対する説明をすることを想定していないので、IRの現場では、そこで翻訳作業を行わなくてはなりません。それも直訳ではなく、かなりの意訳になります。そんなとき、この本で分析されているケースは一種のプラットフォームとしても使用できると思います。

2011年2月14日 (月)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(21)

これを用いてI型交響モデルの定式化を試みる。モデルの構成要素は、トップの交響的および即興的戦略行動と、ミドルの交響的および即興的行動の4つが基本的構成単位となる。これらの構成単位の関係から戦略形成スパイラル・モデルを得ることができる。このモデルから即興の基本パターンを考えることができる。これらを前提とすると、I型交響モデルは次のように定義できる。トップは交響的行動を基本としつつ、必要に応じて、ミドルの即興的行動の追認を基本としつつ、必要に応じて即興的行動をとらなくてはならない。交響のテーマは、以上のようなトップとミドルによる即興的交響の結果として形成される。このようなI型交響モデルは、これまで見てきたモデルの基本的構成要素や基本パターンの多様な組み合わせから成るものであり、トップが交響のテーマを示し、その実現に向けてミドルが交響的行動をとるのが基本だが、必要に応じてトップもミドルも即興的行動をとり、それが他方の即興的行動を誘い、それにさらにほかのメンバーが呼応する、といった形で進展し、多様なパターンを生み出すことになる。このモデルについて重要な点として、次の2点があげられる。すなわた、第1の点は、このモデルのパフォーマンスとして戦略形成におけるスピードとともに戦略内容における創造性が期待でき、したがってタービュラントな環境で有効なプロアクティヴ型戦略を生み出す可能性が極めて高いことである。第2の点は、これまで見た諸モデルに対する一般モデルとしての位置を占め、それらの間の関係を明らかにしてくれること、したがって環境に応じたそれらの使い分けを可能にしてくれることである。

前章で導入したS型およびW型交響モデルはI型の変数を固定することによってI型から導出することができる。しかし、各モデルには、それぞれが有効に機能する環境があり、その環境で必要とされる機能を備えたもっとも単純なモデルとして理解しやすいメリットを備えている。そのメリットを生かし、環境タイプごとにそれに適したモデルを機能させれはせよぃ。しかし、環境不確実性のもっとも高いタービュラントな環境についてはI型モデルが不可欠と言える。

以上で、本論といえるものは終わり、この後は補論として、ポジショニング理論について、スタティック・ポジショニングからダイナミック・ポジショニングへの転換が説明されます。ここでは、付録的なものとみて、メモはしていません。また、核心であるI型交響理論のスパイラルについては立ち入ったメモはしていません。このブログを読んで興味を持った方は、ぜひ本書を手に取って核心部を豊富な事例を参照しながら吟味することをお勧めします。本種を読んでいて、ここで展開されている即興的交響理論は、先行の各理論を吟味したうえで参考としながら、日本企業の事例を参照しながら考察を加えているものです。その点で、包括性というのか、たしかに慥かに漏れのすくない網羅性の高いモデルになっていると思います。しかし、それは、これまでの事例を説明する限りにおいて、著者のいう記述的戦略論として、優れたモデルであるとは思います。では、実際の企業活動の場で、このモデルをツールとして使えるかというと、包括的であるということは、実は何でもOKということ、つまりは、何も言っていないと同じ事ではないかと思います。実際の実務の場においては、多方面から種々の情報が時々刻々と入って、それぞれに対応が瞬時に迫られているときに、オールマイティで何でも説明できるけれど、切り口が定まっていない(複眼的というメリットもあるでしょぅが、それはあくまで観察するのにより適しているということではないでしょぅか)と、自身の拠って立つところも不明確になってしまいます。その点で、コンサルタント向きと言わざるを得ないように思います。

2011年2月13日 (日)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(20)

第8章 即興的交響理論(2)

ここでは、一般モデルとしてI型交響モデルを構築し、前章で提示したS型、W型交響モデル、および即興モデルを特殊モデルとして含むものとして定式化される。

ここで考えるI型(即興的)交響モデルは、ミドルが個性的でプロアクティヴな戦略を打ち出すと共に、トップも全体代表として組織を指揮しつつ一プレイヤーとしてもプロアクティヴな戦略をとり、互いにリードしリードされつつ新しい企業戦略を創造していくモデルである。より厳密に考えると、指揮者の指揮に従って一糸乱れずに自己に割り振られた役割を遂行する“交響”をベースに、各メンバーが役割にとらわれずに、自らよいと思われる創発的戦略行動にでる“即興”を加味したモデルと言うことができる。前章で検討したバーゲルマンモデルの次のような問題を克服することにより、I型交響モデルの構築を図る。そこで、克服すべき問題点として3点があげられる。第1点は、弱いトップしか想定されておらず、彼は即興の担い手とはされていないこと、第2点は、ミドルの即興パターンが単純であること、第3点は、トップとミドルの即興的インタラクションが含まれていないことである。

まず、第2の点について検討する。まず、ミドルの戦略行動は大きく2つのタイプに分けられる。1つは基本戦略に対応した“役割戦略行動”であり、基本戦略を受けてそれを具体化し実行していく行動である。これは“交響的戦略行動”といえる。そして、もう1つは役割戦略行動とは別に自己の信ずる戦略を打ち出してその実現をめざしていく“即興的戦略行動”である。ここでは、この第2の即興的戦略行動をより体系的に考えていく。ミドルの即興的戦略行動が意味あるものとなるためには、単にミドルの自律的行動のみに止まらず、企業の基本戦略の一部を生み出すものでなくてはならない。そこで取られる行動には2つのタイプが考えられる。ミドルが自己の案をトップを説得して受け入れさせることができる場合が“説得型”であり、説得できずに、それにもかかわらず自己の案に踏み切って追認をえる場合が“独走型”である。次に、第1の問題点について検討する。ミドルの戦略行動には2つのタイプがあるように、トップも同じように2つに分けることができる。第1のタイプはトップの交響的戦略行動で、企業のもっとも基本となる戦略形成プロセスである。第2のタイプは、トップが自己の信ずる戦略を打ち出し、その実現をめざす即興的行動を意味するトップの即興的戦略行動である。後者は次の2つのタイプにさらに分けられる。第1はミドルの場合と同様の独走型である。トップが通常の確立された手続きに則って決定するのが交響的プロセスであり、それに反して決定・実現に持ち込む戦略的行動が独走型である。第2は、ミドルの即興的行動に対応するものであり、追認型と呼べるものである。これらのようなトップの即興的行動について注意すべき点は、公式のルールを否定するもので、トップ自らが行うということは組織を混乱させかねないこと、そしてトップは結果に対して責任をとることであり、これがあってはじめて適用が許されるということであり、自身にとってきわめてリスキーであるということである。

2011年2月12日 (土)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(19)

即興モデルとしてバーゲルマンモデルを検討したが、戦略形成プロセスについて、ブラウンとアイゼンハートのモデルを検討してみる。コンピュータ関連などの企業において連続的な新製品開発を意味する多製品イノベーションを実現する組織のモデルとして、次の3つの条件が充足されていることを明らかにした。第1の条件は当面のプロジェクトを即興的に処理していくことであり、このためにひつようなのは、プロ弱との優先順位や各プレイヤーの責任をはっきりさせた上で、各プレイヤーに自由を与え、広汎な相互作用を行わせることである。第2の条件は未来を様々の低コストの手法で探索することで、例えば、実験的な製品の導入、未来予測家の利用、先端的消費者・企業とのパートナーシップ、トップレベルでの戦略の集中討議などである。第3の条件は、現在のプロジェクトから将来のプロジェクトへとリズミカルに移行していくことであり、そのための方法としては、一定のペースで製品を開発すること、プロジェクト・マネージャーが新旧プロジェクト間での移行プロセスを柔軟に振付けることなどがある。このうち、即興の部分について、突っ込んで見てみる。ブラウン=アイゼンハートらによれば、成功している組織とは純粋に有機的な組織ではなく、プロジェクト・マネージャーが事故の明確な責任とプロジェクトの優先順位とを広汎なコミュニケーションによって結び付け、有機的な側面と機械的な側面とのバランスをとっている組織である。このような組織が望ましい理由は、メンバーを動機付ける上で有効であり、急速に変化していく環境の理解に役立つことに加え、即興を可能にするからである。つまり、少数のルールの下での広汎なコミュニケーションが、マーケットや技術の変化と同時的に製品を開発していくことを可能にするのである。このようなブラウン=アイゼンハートの即興もでるについて、次のような点を指摘できる。第1に、特定個人の活動に、また、創造性よりもスピードに焦点が当てられている点。第2に、一般的な即興のようなリーダーの存在しない中で、実質的なリーダーがプレイヤーとの2役をこなすようなことが想定されていない点。第3に、各プレイヤーの不確実性削減努力とともにリスクを負って独創的な新しい試みに挑戦する勇気を要するとこが考慮されていない点。これらの点を考慮した即興モデルとして、次のようなものが考えられる。

各メンバーはグループ全体のアウトプットとしての革新的・創造的な製品の開発に貢献するように独創的なアイディアをリスクを賭して提起しなくてはならず、またリーダーは代表としての役割と共に、一メンバーとしての役割も果たさなくてはならない。なお、交響モデルの交響のテーマに相当するものはなく、各メンバーの行動を律する少数のルールがあるだけである。

2011年2月11日 (金)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(18)

バーゲルマンは、多角化した大企業における社内起業、すなわち製品開発プロジェクトの段階から新規ビジネスになるまでのプロセスに関するものであったが、DRAMからMPUへのインテルの戦略転換についての研究をもとに、“戦略形成と組織適応についての組織内生態学モデル”を提唱した。バーゲルマンによれば、長期的に成功している企業には、[変異─選択─保持]という進化論的プロセスによって説明でくる2つの戦略形成プロセスがある。1つは“誘導されたプロセス”であり、トップのビジョンの実現のプロセスである。ここでは、現場レベルでの現行の戦略の遂行のために様々な改善や工夫の試みがなされ、これが“変異”を発生させる。しかし、そのままでは混乱するので、戦略実現のための様々な管理メカニズムによって“選択”がなされる。これが“構造的コンテクスト”である。もう1つの戦略形成プロセスは“自律的プロセス”であり、現行の戦略やトップのビジョンの範囲外での、現場レベルでのイニシアティブである。これが“変異”の源泉になり、次いで、ミドルにより資源獲得のためのトップへの売り込みがなされ、その中から選択がなされることになる。こうして選択されたものが実行されるが、これによって新しい組織学習が進展する。これまで企業内になかった新しい技術、知識、コンピタンスなどの獲得を意味する。また重要なのは、トップが新しいビジョンを形成することである。これらの戦略プロセスの区別を踏まえてバーゲルマンは次の3つの命題を導き出している。第1の命題は、長期的に成功している企業のトップは、戦略そのものの内容とともに2つの戦略形成プロセスの質を高めることに関心を持っている。第2の命題は、長期的に成功している企業のトップは、既存の戦略について自己のビジョンを持っているが、同時にボトムアップの実験と選択の内部的プロセスをも維持している。第3の命題は、リオリエンテイションに成功した企業では、失敗した企業よりも、それ以前に実験と選択の内部的プロセスを経ている企業の比率が高いということである。このようなバーゲルマンのモデルに対しては、次の諸点を指摘できる。第1に、場帆ゲルマンのモデルから、タシュマン=オーライリのモデルによるW型交響モデルを導くことができることである。ただし注意すべきは、トップの役割が弱い理由が両モデルでは異なることだ。タシュマンらのモデルでは強い指揮者が必要なはずのリオリエンティション期の認識が不十分なために、結果的に弱い指揮者しか想定しなかったためであった。これに対して、バーゲルマンの場合は、リオリエンティションしされる現象の多くは自律的プロセスによって発生自体を未然に防げるので、それだけ強い指揮者の必要性は低下すると考えているためである。第2に、バーゲルマンモデルは大企業での新規戦略の形成におけるミドルの役割を重視し、それがトップの追認を経て企業のプロアクティヴな適応を可能にする点をとらえ、ダイナミック戦略論として、タシュマンらのモデルより一歩進んだものになっている。第3に、バーゲルマンモデルは“即興”の舞台設定に成功している。ミドル自律的な戦略行為は、どちらかというと突然に、つまり即興的に生ずるものとされ、これをトップが企業のフォーマルな戦略に取り込んでいくという連係プレーが考えられていることが重要である。しかし、あくまでも舞台設定にとどまっていることが限界ともいえる。

2011年2月10日 (木)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(17)

次に、ミラーの手がかりをもとに、もう一つの異なるモデルを検討する。タシュマンやオーライリらの中断均衡理論、すなわち、組織進化のパターンとは、比較的長い連続的でインクリメントな変化のプロセスが短い革命的な変化によって中断されるプロセスの繰り返しであるというもので、インクリメントな変化のプロセスとは、戦略、組織、構造、メンバー、および文化間の調和が増大する期間であり、革命的変化とは、それらが同時期に大きく不連続に変化する時期である。そして、企業の長期的な存続のためには、そのいずれの時期においても成功しなくてはならない。革命的な変化における成功は当然必要だが、効率の絶えざる改善のためのインクリメンタルな変かなおける成功も、短期的には業績にとって重要だからである。このような2つのタイプの変化を共に実現できる能力をもつ組織は“両刀使い(アンビデクトスラス)組織”と言うことができる。この“両刀使いの組織”を実現するためには、このような2つのタイプの変化の処理を可能にするような文化の形成が必要になる。組織そのものに関しても、基本的には複数の相互に矛盾するような組織構造、プロセス、文化を企業内に持つことが求められる。具体的には、例えば、メンバーがオーナーの感覚を持つことができ、また結果に対して責任を持てるように、組織単位は小さく自律的に維持する一方で、マーケティングや生産では規模の経済を享受できるようにする。また戦略面ではボトムアップで生ずるような文化が求められる。このような組織をリードするため、“両刀使いのマネージャー”として望ましいのは、“シンフォニーの指揮者”であり、控えめではあるが組織の価値を体現し、その見えるシンボルとして行動できる人々である。このようなタシュマン=オーライリをもとにW型交響モデルを定式化する。トップ・マネジメントは、革命的な変化の時期とインクリメンタルな変化の時期とで指揮の仕方を巧みに使い分けなくてはならない。また、革命的変化が生まれるようにするためには、分権的組織にしてミドルの企業家的行動を引き出してボトムアップ型の戦略形成プロセスにすべきであり、みずからはそれを促進する役割に止まるべきである。なお、“交響のテーマ”はミドルによって形成されるようになる。ここでのトップ・マネジメントは2つのタイプの異質な変化を巧みに乗り切ることを要請され、各ビジネスへの資源配分の決定を通じて企業全体の進路を決定しなくてはならない。したがってS型モデルと同じようにトップ・マネジメントを“シンフォニーの指揮者”とみなせる。しかし、S型は全権を掌握したトップ・マネジメントが自ら“交響のテーマ”を掲げてメンバーを強引に引っ張っていくという指揮者らしい指揮者が想定されているのに対して、このW型の場合は、指揮者は“交響のテーマ”の内容はメンバーの自律的行動にまかせ、わずかに資源配分を通じて影響を与えるにすぎない。S型の強い指揮者との対比では、W型は弱い指揮者となるためW型交響モデルと呼ぶ。しかし、このような“両刀使い”のモデルによる組織には一定の有効性はあるものの射程距離には限界があり、タービュラントな環境には不適切といえる。その理由は2つあり、第1の理由は、タービュラントな環境では、トップにはS型交響モデルの指揮者のような強力なリーダーシップが必要だと考えられるが、W型では弱い指揮者しか想定されていないことである。第2の理由は、タービュラントな環境では、ミドルについても環境の変化を先取りする強力なプロアクティヴ型の行動が期待されるが、W型ではそのような行動が期待されていないことである。このような限界に対して改善を試みる。第1に、上述の第1の理由に対応する改善策として、弱い指揮者を強い指揮者に置き換えることである。これは、強い指揮者が必要に応じて弱い指揮者も行えばよいだけである。第2に、第2の理由に対応するものとして、W型モデルの中の“メンバーの自律的行為”を引き出す仕組みを、より自律性のレベルの高い行動をひき出す仕組みに置き換えることである。この方向で改善されたモデル、ここで議論しているダイナミック・モデルに近いものとなる。

W型交響モデルし高いレベルのプロアクティヴ型行動を欠くためにタービュラントな環境に対しては不適切であり、そのような行動を組み込んだモデルが必要だった。個々で提起されるのが、“交響”に対置される概念としての“(複数のプレイヤーによる)即興”であり、その本質は、各プレイヤーの個性的でプロアクティヴな行動のぶつかり合いの中から新しく魅力的な旋律が生まれるところにある。以下で、このような“即興モデル”を検討する。

2011年2月 9日 (水)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(16)

第7章 即興的交響理論(1)

タービュラントな環境では戦略そのものを直接明らかにしようとするだけでは不十分であり、戦略形成プロセスを含む組織の側面から間接的に接近する方法が必要となり、記述的戦略論では、そのタイプの研究の蓄積があったといえる。この蓄積をもとに環境の変化にいかに対応すべきかについての規範的提言を行おうとする“コンフィギュレーション・スクール”がある。これから展開しようとしている“交響理論”もこれに属する。コンフィギュレーション理論として、ここで取り上げるのはミラーの理論で、彼は言う。戦略の12つの変数だけを取り出して分析することには疑問がある。変数間の関係は一定のコンテクスト(文脈)に置かれてはじめて意味を持つものであるのに、そのような方法ではコンテクストから切り離されてしまうからで、したがって、戦略と組織構造の関係を、多くの要因が関係しているコンテクストの中で分析することが必要である。非常に多くの要因が複雑に関係しているコンテクストを扱うため、彼は次のような仮説を提示する。“戦略、組織構造および環境の諸要素は、しばしば合体(凝集)し、あるいは構造的にむすびついて、限られた数のコンフィギュレーション(形態)を作り出し、高業績の組織の大半はそれらの形態によって記述できる。”これによれば、少数のコンフィギュレーションに焦点を当てることにより簡略化された分析が可能となる。彼自身は多くの記述的研究を残しているが、本格粋な規範的研究はなかった。ここでは、彼の残した手がかりをもとに交響理論を展開していく。

ミラーが残した手がかりは次のようなものだ。企業の競争優位性の源泉は、RBVの主張する組織の特定の資源ないしスキルにあるのでも戦略の特定の側面にあるのでもなく、“交響のテーマ”と企業の種々の局面─すなわち、市場ドメイン、スキル、資源とルーティン、技術、諸部門、意思決定プロセス─間の相補性を確保する統合メカニズムにある。高度のコンフィギュレーションが、シナジー、明確な方向と調整、模倣の困難性、資源と努力を集中する能力、コミットメント、スピード、経済などの優位性を企業にもたらすのである。このてがかりに基づいて、単純なモデルとしてS型交響モデルを次のように考えてみる。全権を掌握したトップ・マネジメントがタクトを振るって組織の進むべき方向性を“交響のテーマ”として常に明確に提示し、その実現に向けて組織のすべての単位や個人を統率して動員していくところにある。そこで、このモデルを“交響モデル”それも“強い(strong)指揮者”の場合のモデルという意味で“S型交響モデル”と呼ぶ。ここでは、トップは、組織と環境との適合関係を維持するために、必要とあれば、いつでも新コンフィギュレーションに移行すべきだとされている。このモデルの限界として、次のようなことが考えられる。第1に、S型交響モデルではトップ・マネジメント(の能力)にすべてがかかっているが、有能なトップが常にいるとは限らず、その意味でモデルの有効性が限られてくる。第2に、第1の点とも関連するが大規模な企業ではトップ・マネジメントが具体的ビジネスに関与するのは不可能に近く、目が届かないため一定程度の規模の範囲内で有効性に限られるのではないかということである。第3に、一挙に新コンフィギュレーションに移行するような構造的不確実性の場合の有効性に限界があると考えられる点である。

2011年2月 8日 (火)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(15)

次に、“発生メカニズム(ないしは要因)”の分析について考える。これは結局、優位性の“発生の場”において、それを実現する能力に帰着する。まず、“新規ビジネスへの進出”の能力については内部成長能力と外部成長能力に分けて検討する。内部成長能力は、研究・開発能力と事業化・推進能力に分けられる。研究・開発能力は内部成長のもっとも基本となる能力であり、産業の盛衰のある環境では、この能力抜きには長期的な存続は考えられない。また、事業化・推進能力は、開発された新製品をビジネスとして確立する段階で必要とされる能力、およびそのビジネスを維持・発展させて行く能力を意味する。次に、外部成長能力について見てみる。外部成長能力は、ビジネスの取得に関する買収能力と買収後の事業化・遂行能力が主要なメカニズムとなる。買収能力とは、M&Aのターゲットとなるビジネスは財務的に健全か、成長の可能性や持続力はどの程度か、歴史・企業文化・組織・人事システムなどの違いを乗り越えて円滑に事業を遂行出来るか、などの諸点を分析した上で買収価額を評価し、実際に買収を実現する能力を意味する。また、事業化・遂行能力とは、取得したビジネスを軌道に乗せ、さらに発展させる能力を意味し、具体的には、内部成長の場合の同能力に加え、組織文化その他の差異から生じるコンフリクトの処理能力なども含まれる。これらのような内部成長と外部成長を二者択一の戦略として論じてきたが、現実には両者の折衷的な形態がありうる。外部で確立する以前にあるビジネスを取得し、その後は内部で育成するというのは典型である。次に、“既存ビジネスからの撤退”能力については、既存のビジネスからの撤退は困難な仕事であり、この遅れが損失を拡大しリストラのチャンスを失うケースが多い。その最大の原因は、撤退の必要性についての認識の遅れと決断力の欠如であった。最後に、“新旧ビジネス間での進出と撤退のコンビネーション”能力について見ると、その中心となるのは資金調達能力である。この資金繰りは内部成長、外部成長のいずれも重要な問題である。より重要な進出と撤退の全体についての資金繰りである。その基本は既存ビジネスからの撤退によって得られる資金の新規ビジネスへの進出への投入だが、それで不足する場合には外部調達資金が必要になる。以上で狭義のダイナミック優位性分析を終了し、この分析で“あり”とされた優位性が持続的なものかどうかを分析する“ダイナミック持続性分析”について検討する。これは、さきに分析した各能力について、模倣困難性を尺度として見て行くのが一般的といえる。

このようなダイナミック・ポジショニング理論の適用上のポイントを明らかにして、その特徴と限界について検討していく。まず、適用上のポイントについて[BP+BCG]マトリックスに焦点を当てて考える。第1のポイントはBPマトリックスとBCGマトリックスの使い分けである。一般論としての使い分けは既に検討したが、実際には企業はその価値観や個性によって、自社に適した方法を選択するのが望ましい。BCGマトリックスについてはテクニカルで合理的な決定が可能だとしても、BPマトリックスでは、より主観的・価値的な判断が不可避であり、戦略形成能力が問われると言える.環境がよりダイナミックになって不確実性が高まれば高まるほど、BPマトリックスのウェイトが高まり、重要度が増す。これに関連して企業トップに特に要請されるのが、企業のあるべき姿を示す企業理念と進むべき方向性を示すビジョンの確立である。第2のポイントはBPマトリックスでの環境分析に関するものであり、ポートフォリオの決定に際しては、①産業構造の変化、②その変化のスピードの増大、のいずれに不確実性の源泉があるかを十分に考慮し、それを基礎としてミックスを決定する。これは、主観的・価値的になりがちなBP分析の客観性を高める上での重要なプロセスと言える。第3のポイントはBPマトリックスでの優位性に関するものであり、この決定に際しては、第2のポイントにおける外部環境の分析に加えて、自社の優位性の源泉を十分に理解し、それと適合的なポートフォリオを決定しなくてはならないことである。

最後に、ダイナミック・ポジニング理論の特徴と限界を検討する。ダイナミック・ポジショニング理論の特徴として、第1には、クロス・セクションではシナジー効果よりもリスク分散を、ロンジテューディナルにはコミットメントよりも柔軟性を重視する点で不確実性型理論と親和性を持っている点がある。第2に、プロアクティヴ型理論との親和性もある点である。法則的と見える環境変化も人間の働きかけを受けて様々の程度に変容しうるので、ダイナミック・ポジショニング理論の法則にも、それが当てはまるからである。このようなダイナミック・ポジショニング理論は、ダイナミックな不確実性の高い環境だけでなく、タービュラントな環境への適用可能性をもっている。しかし産業の盛衰の予測があまりにも困難な場合には、ダイナミック・ポジショニング理論は、あくまでも位置取りであり対象の何らかの規則性を前提とするため、対応不可能な場合が出てくる。このようなインタービュラントな環境については、プロアクティヴ戦略論に、その可能性を探っていく。

2011年2月 5日 (土)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(14)

最初にダイナミック・ポジショニングの意味を明らかにし、さらに戦略プロセスの一般的な形を示す。“ポジショニング”は“市場で(競争優位をもたらす)特定の位置を占めること─位置取り”の意味と考えられるが、第2章で検討したスタティック・ポジショニングでは“その位置に固定する”という意味が加えられる。これに対してダイナミック・ポジショニングでは“ある位置から別の位置へと変化させて行く”ことを意味する。したがって、ダイナミック・ポジショニング戦略は、ビジネス・ミックスを変化させて行く戦略を意味することになる。

このようなダイナミック・ポジショニングによる戦略プロセスの一般的な形は、次の4つのサブプロセスから成っている。第1が“業務目標の形成”、第2が“環境分析”、第3が“優位性分析”、第4が“具体的戦略の形成”である。この第1~4の順序はあくまでひとつの理想型であり、現実には、4つのサブプロセスを行きつ戻りつ進め、最終的に実行可能な具体的戦略を生み出すことである。これから4つのサブプロセスについて個々に検討していく。まず、第1の“業務目標の形成”について、業績目標のタイプとして、一般に社会的目標(非経済的目標)と経済的目標に大別できる。経済的目標は経済活動に直接的に対応する業績目標であり、企業にとって基本的な目標である。経済的目標はさらに、利益率や利益額のような利益目標と、利益には直接かかわらない成長率、シェア、株価などの成長率以外の目標に分けられる。各企業はそれぞれ適切と考える決定基準をつくり、それに従って決定する。このような業務目標をダイナミックな環境について考えていくと、スタティックな環境が産業の盛衰を考慮しないため成長率目標をとる必要がなく利益目標で十分で、しかも利益額より利益率、具体的には“個々のビジネスごとの平均超の利益率”をとるのが標準的であるのに対して、産業の盛衰があるため目標の幅はひろくなる。例えば利益率に関して“企業全体としての平均超の利益率”という目標が考えられるし、“企業全体としての平均超の成長率”というより積極的な目標も考えられる。次に、第2の“環境分析”について、技容積目標達成のために環境中にいかなる機会や脅威があるかを分析するもので、SWOT分析のO(機会)とT(脅威)の分析に相当するものである。前者は“ダイナミック産業ポジショニング分析”であり、魅力的な産業(市場)の発見にかかわるものである。ここでは魅力的な産業の発見が主題となるが、ダイナミックな環境では前述のように企業目標の多様化に対応して“魅力”の尺度も多様化するので、現時点での高利益率もしくは高成長率が基本的な尺度として考えられる。また、後者は“ダイナミック・マーケット・ポジショニング分析”であり、“ダイナミック産業ポジショニング分析”による決定を受けて市場でのポジションの形成にかかわるもので、ここで中心的な役割を果たすのがBPマトリックスに他ならない。そして、第3の“優位性分析”で、第2の環境分析が企業外部に関するものであるのに対して企業内部の資源に関する分析が中心となり、SWOT分析のS(強み)とW(弱み)の分析に相当する。これは、個々のビジネスの優位性に関する分析とビジネスの組替能力の分析に大別される。このうち、後者ばダイナミックな環境に固有のものといえ、ダイナミック・ポジショニング戦略の中核となる能力であり、戦略の成否を左右するものと考えられるため、これを検討する。ビジネス組替能力に関する優位性分析は、“狭義の優位性分析”と“持続性分析”に分けられる。このうち、まず“狭義の優位性分析”を検討する。これは優位性の“発生の場”の分析と“発生メカニズム(ないしは要因)”の分析とからなる。まず、ダイナミック優位性の“発生の場”について考えると、基本的に“新旧ビジネスの組み替え”に求められるが、それはさらに、“新規ビジネスへの進出”と“既存ビジネスからの撤退”、およびそれらには還元できない“新旧ビジネス間での進出と撤退のコンビネーション”に関する部分に分けることが出来る。例えば、新旧ビジネス間での進出と撤退のコンビネーション”では中心となるのは資金の循環と言える。新規事業への投資の多くは既存ビジネスからの撤退によって得られる資金で賄われるので、現実的には重要なポイントとなる。

2011年2月 4日 (金)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(13)

第6章 ダイナミック・ポジショニング理論

ここから、ダイナミック戦略論の構築作業に入る。作業は2段階で行い第1段階として、「法則型」のBCGマトリックスの一般化による、よりダイナミックな戦略論の構築を行う。次章で、第2段階として「プロアクティヴ型」のダイナミックな一般理論の構築を行う。

BCGマトリックスは第2章で見たように、ダイナミック理論ではあるものの、次の3つの理由で高度に不確実な(タービュラントな)環境に対応できるものではなかった。その第1は、企業がすでに持っている製品及びM&Aによって取得可能な製品については適用可能だが、これから生まれるまったくの新製品については適用困難であり、したがって“高度に不確実な環境が提供する機会に乗じて新規ビジネスに挑戦する”と言うような状況に関してはム略であること。第2に、BCGマトリックスが有効なのはある製品が有効なのはある製品がどのセルに属するか、したがってどの戦略が適しているかを“安定的なものとして”決定できる場合だが、それが可能なのは成長率が比較的安定的な場合に限られ、高度に不確実な環境では不可能であること。第3に、BCGマトリックスでは有望な製品は自社内で育成するいわゆる“内部成長方式”が想定されているが、変化のスピードが速い環境では、それでは間に合わない可能性があること。このようなBCGマトリックスの限界を克服するため、スタティック理論の一般化によってダイナミック理論を構築する方法にならい、元の理論で前提とされていた要因を変数としてモデル内に取り込む。ここでは、上記限界の克服のために、どのような変数を取り込めばよいかを、限界をもたらした原因に即して考える。第1の原因は既存の製品しか考慮していないことであるが、これは事業分野を変数として扱っていなかったことを意味する。したがって、この克服には既存ビジネスだけでなく新規ビジネスへの進出も考慮すればよい。第2の原因は成長率が不安定な場合には使えないことであるが、これは成長率の安定性を変数として扱っていなかったことである。したがって、この克服には成長率の安定性を変数として扱う。第3の原因は、成長方式を変数として扱っていなかったことである。したがって、この克服には内部成長と外部成長とをその変数の値とする。このように限界をもたらしている原因に対応して取り込む変数のいずれを取り込むかは、限界をもたらす原因として、どの要因のウェイトが大きいと見るかに依存することとなる。

では、実際に上記の3つの変数候補のうち2つを次元としたマトリックスを作成する。このマトリックスの第1の次元は[既存ビジネス─新規ビジネス]で第1の原因に対応するもの、第2の次元は[内部成長─外部成長]であり第3の次元に対応するものである。ここで得られるマトリックスをBP(ビジネス・ポートフォリオ)マトリックスと呼ぶ。BCGマトリックスはすでに世の中にある製品を分析対象とするのに対して、BPマトリックスは、それに加えてまだ世の中にない全くの新製品をも分析対象に含む。このようにBPマトリックスはBCGマトリックスの上位マトリックスとしての意味を持つ。BCGマトリックスはBPマトリックスの「内部成長かつ既存ビジネス」のセルについてのみ適用可能なものと位置づけられる。ところで、BPマトリックスとBCGマトリックスでは、その客観性にかなりの違いがある。BCGマトリックスでは企業がすでに持っているビジネスと買収可能なビジネスが対象となるので、ほぼ正確なプロットが可能である。しかし、BPマトリックスの対象はマーケット成立前の新規ビジネスであり、環境変化についての洞察にもとづき自社の資源や能力を十分に勘案して決定するにしても、主観的な要素が強くならざるをえない。したがって、実際には両マトリックスを併用する場合、まずBPマトリックスによって将来のビジネスと既存のビジネスの基本的なポートフォリオを決定し、既存のビジネスについてはさらにBCGマトリックスでさらに細部を決定する。しかし、プロセスは一方向的ではなく、ある程度行きつ戻りつ相互作用的に進める。ところで、ボートフォリオの決定に際し中心的な課題となる資金配分について、BCGマトリックスの場合とは、次の点で違いが生ずる。第1に、BCGマトリックスでは、外部資金に依存せず、既存ビジネスからの利益や資金を新規ビジネスに投資することが前提であり、投資額は結果的に決まるが、BPマトリックスでは、投資額は、新規ビジネスの育成に関するトップの判断による、より戦略的なものとなる。第2に、一般にBPマトリックスではBCGマトリックスの場合よりも資金需要が大きく、したがって撤退ないし育成すべきビジネスの選別はBCGマトリックスだけの場合よりも厳しく為される必要があり、それでも足りない場合には外部資金の利用を考えなくてはならないことである。

このような[BP+BCG]マトリックスによる戦略分析だけでは、戦略形成のフレームワークとして十分ではない。それが実践的なフレームワークになるためには、どのビジネスが有望なのか、それを実現する競争優位性の源泉は社内にあるのか、などについての分析的枠組みも不可欠だからである。

2011年2月 3日 (木)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(12)

次にダイナミック理論とスタティック理論に対して統一的視点を与える2つの概念を検討する。まず、ダイナミック競争優位性について、スタティック理論では環境重視のポーター理論と資源重視のバーニーらの事業レベルRBVがあり、両者の統合が望まれるが、多少の調停作業で解決できるものではない。そこで、両者の違いを検討しつつダイナミック競争優位性の概念を提示することにする。著者はポーターとバーニーの二つの図式は見かけ上の違いにも関わらず、バーニー図式をボーター図式に組み込んで両者を統合することが可能ではないかと言う。競争優位性をもたらすものについて、バーニーは資源を、ポーターはドライバーを上げている。ポーターは資源よりもドライバー概念の方が望ましい理由として、次の2つをあげている。1つは、相対的な好業績は資源から直接生まれると言うよりは、規模、活動の共通化、対的な統合など、相互に独立の効果を持つ様々なドライバーの総合的効果として実現するからであること。もう1つは、資源から活動が生まれることは確かだが、その資源を作り出したのは過去の活動や、新しい活動形態で必要になった外部資源を獲得するための経営者の選択であり、資源に先行すると考えられること。これらの理由は、資源とドライバーが密接に関連しており、ドライバーはフローとしての資源の一種と見なせると考えられる。これによりバーニー図式のポーター図式への組み込みが可能となろう。これを競争優位性の一般モデルとする。しかし、このようなポーターの図式は市場に不確実性のないケースに当てはまるもので、ダイナミックに変化し不確実性のある市場については適用できるものでない。例えば、収益と成長のバランスをいかにとるかが業績目標を考える際に重要になるであろう。そしてこれに対応して、当然、戦略も変更を迫られる。個々の事業ごとの事業戦略と共に、それらの事業のミックスをいかなるものについての企業戦略が中心的な位置を占めなくてはならない。とらに戦略が変われば、当然、競争優位性も、したがって、資源も変わる必要があるはずである。ここで、不確実性の高い市場に対して有効なダイナミック競争優位性の概念を考える。ポーター図式のスタティック競争優位性は安定的な環境下で必要とされるもので、ダイナミック競争優位性は不確実な環境下で企業に必要とされる競争優位性と区分できる。そして、不確実な環境をダイナミックな環境とタービュラントな環境の2つに分け、それぞれに一時的な競争優位性と持続的な競争優位性に区分すると4つのタイプに分類できる。

次に、資源の不確実性対応能力について検討する。不確実性のレベルによって競争優位性にいくつかのタイプがあるとすると、どのレベルの不確実性に対応きる能力を有しているかと言う視点から資源を評価できる。プラハラッドらは競争優位性におけるコア・コンピタンスの重要性を指摘したが、ここから資源の製品からの距離が大きいほど、需要不確実性の影響を受けにくいので、その資源の不確実性対応能力は高いという仮説が考えられる。このような議論を一般化すれば、競争優位性の源泉は、ポーターように限定的にではなく、より広く、企業のストック、フローを含むすべての資源空間中の“場”として求められるべきだといえるだろう。“資源の不確実性対応能力”と“製品からの距離”とは、ダイナミック戦略を求めて資源空間を探索する際のツールに他ならない。

2011年2月 2日 (水)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(11)

第5章 ダイナミック戦略論のフレーム

ここからダイナミック理論の構築の準備作業として、方向性を明らかにして行く。そして、ダイナミック理論とスタティック理論に対して統一的視点を与えるための工夫として、“ダイナミック競争優位性”および“資源の不確実性対応能力”という2つの新たな概念を導入する。

第1章で示されたダイナミック戦略論の3つの構築方法に対応して、ダイナミック戦略論は「法則型」「不確実性型」「プロアクティヴ型」の3つのタイプに分けられる。まず、このタイプごとの方向性を考える。「法則型」戦略論について見ると、今まで見てきた理論の中で基本形としてこの型の戦略論はBCGマトリックスだけであり、それなりにダイナミック理論になっているが、完全な新製品や成長率の不安定な製品に対しては適用できず、不確実性の高いタービュラントな環境には適用できないのが問題といえる。そのためにBCGマトリックスの一般化による、よりダイナミックな利分の構築が考えられる。次いで「不確実性型」について見ると、マッキンゼー理論とアイゼンハートらの理論が第一義的にこの型に属する。マッキンゼー理論は利用可能な多くの手法を不確実性のレベルに応じて使い分け、不確実性のすべてのレベルをカバーできる。また、アイゼンハートらの理論は高不確実性下でのひとつの手法として位置づけることができる。最後に、「プロアクティヴ型」について見ると、この型に第一義的に属するのは、プラハラッドらおよびストークらのRBV、サンチェスの戦略的柔軟性+RBV、及び複雑系スクールのチャクラバシとハメルの理論だが、それぞれが対応できる不確実性のレベルが前二者は低、サンチェスは低~中、後二者は高となっている。この型についてもタービュラントな環境についてのより優れた理論が求められ、複雑適応系パラダイムに基づく、より一般的な理論の構築が考えられる。このような整理についての注意点として次の3点があげられる。第1に、「法則型」と「プロアクティヴ型」では共に既存理論の一般化が方向性となるが、両者で、その性質がことなること、第二にも「法則型」の一般理論と「プロアクティヴ型」の一般理論とでは射程距離が異なり、後者がタービュラントな環境の全域をカバーするのに対して、前者はタービュラントな環境に対する適用領域が狭いこと、第3に「不確実性型」では4つの理論が並列的に並べられているだけで、各理論がバラバラに、必要に応じて使い分けられていることを示している。このようなタイプごとの方向性の次に、これらを全体から見た方向性について考えてみる。ここで、まず気づくのは、マッキンゼー、アイゼンハート、サンチェス、チャクラバシの各理論は複数タイプの属性を持っていたことである。このことは3タイプ間の関連性を窺わせる。これを考慮しながら、環境変化に直面した企業がとる行動をモデル化し、3つのレベルから成る戦略レベルのモデルが考えられる。最初の行動として、不確実性(環境変化)の原因の探求はしばらく措いて、戦略代替案をできるだけ多く見つけ、それらを試して結果を予測し、その中でよさそうなものを選択するというレベル1である。このレベル1で良い成果が得られた場合、その次に、今後も、その戦略の延長線上で進むべきかを判断するために、不確実性の原因となった環境変化の性質を探索し、その法則を解明、それに基づき環境へのより良い適合が実現するだろう。これがレベル2となる。さらに、このようにして、法則が分かれば、それを先取りして、その法則自体を自己に有利なように変化させようとして、レベル2以上の成果を上げようとするだろう。これがレベル3となる。このそれぞれのレベルと戦略論のタイプとの間に対応関係が認められ、レベル1には「不確実性型」、レベル2にし「法則型」、レベル3には「プロアクティヴ型」が対応し、各レベルはそれ以前のステップを前提にして戦略を動員するのが有効と考えられる。これらのことから、全体的方向性として、次のことが言える。第1に、3つのタイプの理論のいずれか一つだけでは不十分であり、それら全体としてのダイナミック戦略論を考える必要があるということ。第2に、現時点で緊急性が高いのは「不確実型」および「法則型」の一般論の構築だが、その場合、両者の整合性を考えて行うべきであるということである。

あるIR担当者の雑感(19)~考えるということ2

考えることについての話題が続きます。前回、偉そうなことを書きましたが、だからと言って、考えてよりよい結果が出たかと言われれば、自信をもって、そうだとは、答えられないし、現に、今、第3四半期の発表に向けて、どう説明していこうかということに頭を悩ませています。独りでウジウジ考えていても、袋小路に入って答えが見つけられず、七転八倒。で、このようなときには、とりあえず、他人に話してみる、話しているうちに、何時の間にか、混乱を極めていた頭の中が整理されてくる、泥縄で新しい考えが浮かんでくる、と言うようなことがあります。このブログでも読書メモを掲載しましたが、「ザ・クォンツ」や「愚者の黄金」で金融商品を開発している人たちや、「美学VS実践」でプレイステーションを開発した人たちは頻繁にブレインストーミングをやっていることが出てきます。今、私のやっていることは、彼らのような開発の仕事とは全然違いますが、考える際には、このようなことがとても役に立つのはよく分かります。それで、私も、彼らとは違うやり方ですが、このようなことをやっています。私の場合には、彼らのようにチームでやっているわけではないし、社内では、ほぼ独りでこの仕事をやっているので、共通の基盤にある人がいません。そこで、社内ではできないことになります。ではどこで、やっているかというと、社外の人です。とくに、アナリストやファンドマネージャーとのミーティングなのです。(あの、その時、相手をして下さった方、こんなことを言ったからといって怒らないでください)実際のところ、彼らとのミーティングの席で、アイディアのヒントを得ることが多いのです。というのも、会社に対しての突っ込んだ質問をうけるということは、彼らの知識が豊富なことは言うまでもなく、彼らの視点は会社内での議論とは異なる視点であること、ミーティングの際にはテンションの高い状態でいること、ミーティングの際に彼らから新しい情報を得られることが多いこと。で、このような状態で集中した意識で質疑応答のやりとりをしている、あるいは、質問に対して、答えを組み立てていてロジックが通っていなかったりすると、追加質問を受けたりとか、そのプロセスの中で、鍛えられるということが起こってしまうわけです。このようなミーティングのやり取りの中で、無意識のうちに、自らの位置を再認識しているわけで、そのプロセスで自らの姿勢とか考え方が鍛えられるわけです。このところ、何回かミーティングの機会があって、そのことを実感しています。それを何とか、今回の決算で生かせないかと、頭を悩ませています。

2011年2月 1日 (火)

河合忠彦「ダイナミック戦略論」(10)

最後に、プロアクティヴ・スクールのもう一つのサブスクールである複雑系スクールについて2つの理論を検討する。その一つ目としてチャクラバシ理論を取り上げる。チャクラバシは“インフォコム産業”、インフォメーションとコミュニケーションにかかわる産業、に焦点を当てて“戦略のフレームワーク”を提示することを狙いとする。この理論が対象とするインフォコム産業は次の3つの特徴を備えている。第1に技術的進歩の結果、各産業を守ってきた多くの参入障壁が低くなってきていること、第2に生産規模を拡大すればするほどコストが低下し収益が増大し、均衡よりは不安定をもたらすこと、第3に、力の接近したライバルたちが互いに勝敗をつけられぬままに激しく技術革新競争を展開し、変化を加速していることである。そして、これらの特徴は、さらに単一の均衡に収斂しない点で特徴的である。他方、これらの産業の企業は均衡に達したい思いながら、どの軌道が成功につながるかの判断が困難なために退出遅れがちになり、競争を続けてしまう。こうして予測できない型で行動する競争者がタービュランスを生み出す状態が生まれる。このような状況に対しては既存の理論では対処できないと批判を加えつつ、次の3つ要素からなる新しいフレームワークを提示する。第1の要素は戦略の再構築であり、これはさらに①“イノベーションによる一番乗り”を連続的に行うこと、②ネットワーク効果を管理すること、③流れに乗ることの3つからなる。第2の要素はトップとミドルが戦略形成の責任をシェアすべきということである。第3の要素は、企業は諸資源をレバレッジし、強化し、多様化する組織能力を持たなくてはならないということである。この理論の特徴は、第1に、インフォコム産業と言う具体的産業を対象として戦略論を展開しており、このように対象を絞り込むことにより、“いかなる環境変化が生じているか”“必要とされる戦略は何か”“その戦略の実現のために必要とされているものは何か”という形で議論がシステマティックに展開されており、全体として一貫した体系を生み出していることである。第2に、この理論の“柔軟なコミットメント”の概念は、“柔軟性”と“コミットメント”という背反的な概念のパラドキシカルなブレンドを意味するものであり、重要な視点といえる。第3に、この理論は環境の変化とともに、競争優位性の源泉、それをもたらすコンピタンスは変化するので、コンピタンスを変化させていかなくてはならないという修正RBVの基本認識をクリアしているだけでなく,サンチェス理論とは異なる形でそれを具体化したものと見ることが出来るということである。この理論は新産業の創出を含む産業構造の変化に伴う構造的不確実性を問題にしている。ここで競争優位性を得るにはカオスに反応するのではなく、連続的イノベーションによってカオスを作り出し、それに乗ずる必要があるとしている。

最後に、ハメルの理論を取り上げる。ハメルによれば、今日は変化の予測が困難な革命的変化の時代であり、製品のライフサイクルが短くなるだけでなく、戦略のライフサイクルも短縮されつつある。このような革命の時代の唯一の確かな競争優位性の源泉は“ビジネス・コンセプト・イノベーション”、さらにはそれを見つけ出す洞察力である。では、ビジネス・コンセプト及びそのイノベーションとはいかなるものか。ハメルによれば、ビジネス・コンセプトとは、①コア戦略(いかに競争するかについての企業の選択にかかわるもので、ビジネシ・ミッション、製品、差別化の基礎から成る)、②戦略的資源(競争優位性の背後にあるもので、コア・コンピタンス、戦略的資産、コア・プロセスの3つが含まれる)、③顧客インターフェイス(顧客との接点に関するもの)、④バリュー・ネットワーク(企業外にあって企業の資源の不足を補いあるいはそれを増大させてくれる供給者、パートナー、協力企業などとのネットワーク)の4つの要素からなるものであり、それらの内容にイノベーションをもたらすことが、ビジネス・コンセプト・イノベーションである。ハメルによれば、このようなビジネス・コンセプト・イノベーションを実現するには“革命ないし反革命”を起こすしかない。このような革命の担い手はトップではない。トップの役割は、この場合、戦略を作ることではなく、優れた新しいビジネス・コンセプトを絶えず生み出す組織を作ることである。このようなハメルリ濾過の特徴は次の点にある。第1に、革命の時代には競争優位性の唯一の源泉はビジネス・コンセプトのイノベーション、すなわち戦略的資源を次々に転換していくことだとしている点、第2に、RBVとは系譜の異なる複雑系パダイムに依拠している点である。

あるIR担当者の雑感(18)~考えるということ

いま、3月期決算の企業の第3四半期決算が続々と発表されています。先週から今週の金曜日にかけて多くの企業の発表日が集中しているのでしょうか。私の勤務先は10日が発表予定日で、いま経理課の人たちが作業したり、監査法人の相手をしたりと忙しそうにしています。で、私の方も、決算短信の定性的情報(文章で業績の経過や決算内容などを説明する部分です)を作っています。正確には、若い人の養成の意味もあって、その人に作らせて指導しています。以前にも書きましたが、この場合、今期はどうだったかというストーリーをまず頭の中で組み上げていくのが、一番大切な作業と思っています。で、若い人はその作業に一番苦労しているようです。ストーリーと言っても雲を掴むような話で、確定した方法論のようなもの等はないもので、その要素である切り口とか視点というようなものは、その都度変わるものでもあります。(これは、企業の経営にしたってそうではないかと思いますが、絶えず変化する環境に対して、ルーティンで決まったことを繰り返していたら、その経営はどうなってしまうのか?)その企業の経営について投資家に説明するわけですから、そもそも対象が絶えず変化しているのに、ルーティンワークで決まったことを繰り返すようなことは、本来ありえないことではないかと、思います。それが、なかなか、若い人には難しいというのか、理解しにくいことのようです。その人に「どうしたらいいですか?」というように聞かれても、「まず、自分で考えてみなさい」としか答えるしかない、と今の私は思っています。先日、その人と同じようなやり取りをしていて、かなり戸惑っていたようでした。その人に言い分は「分からないから、聞いているのに、自分で考えろと言われても」というのです。さらに「考えろというが、どうやって考えればいいのか教えてほしい」とも。これは、私にとっては、カルチャー・ショックというようなものでした。まず、分からないから、とりあえず誰かに聞いてみる。これは当然のことですが、聞いたからと言って答えか返ってくるとは限らない。これは私にとっては、また、当たり前のことでした。だから考えるのであって、しかも、そのどのように考えるのか、ということは、誰かに聞くようなことではなく(せいぜいが参考程度のものならば、ありえるかもしれませんが)、自分で考えることと思っていました。その人は、「それでは、できない」と言います。これまでも、その人が作ってきた文章に対して、単に直すということはせずに、ここはどうしてこのように書いたのかと質問して、答えさせたりしていたのですが、その人は、そういうのを中途半端な責任逃れのように受け取っていたようでした。その辺りも戸惑いの原因かもしれません。

それから、経理課で作業している決算数字が出ないうちから、業績や決算内容の説明は考えられないと言うのでした。日頃から営業や倉庫の出荷などの現場とコミュニケーションしておいて、全体としての雰囲気や、受注や出荷の動向を把握しておけば、細かな決算数字が出るのを待つまでもなく、全体的な流れはつかめるはずです。それは、経営者が経理課の細かな数字を待つ前にも、経営の決断をすることもあり、同じ事のように思えるわけです。実際に、どの会社も決算発表を早めようとして作業を急いでいる中で、経理の数字が出てから、じっくり文章を考えるというような優雅な会社はないはずです。多分、ある程度のものは予め作っておいて、数字が出た時点で細かな点を確認したり、修正して発表という段取りのところが多いのではないでしょうか。

このような、実務日程上の制約もあり、IRというもの自体にある経営に通じるところなんかを考えると、毎回、雲をつかむような“考える”という作業をしていかなくてはならない、と私は思っています。だから面白い仕事であるのだけれど。これを若い人に、どのようにして理解してもらえるか、と悩んでいます。

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