大竹文雄「経済学的思考のセンス」(4)
賃金の結果というわけでもないが、所得格差の拡大がよく言われる。各種の調査では、格差を実感する人が増えているというデータがある。このような実感は、所得格差の統計と整合的なのだろうかと著者は投げかける。まず、その原因として考えられるのが、世帯形態の変化だ。日本における世帯規模の変化は近年著しい。1980年代には、四人世帯が最も普通の世帯だった。90年代では二人世帯が最も多く、次に単身世帯が多くなっている。世帯規模が変化すると、世帯所得の不平等度と人々の生活水準の格差の間に乖離が生じてくる。例えば、75歳で年収300万円の親、50歳で年収1000万円の子、20歳で年収400万円の孫という3世代同居の世帯が全部なら、世帯としての年収は1700万円で、個人の収入格差はあっても世帯間の格差はない。これが、各世代が別居した場合、300万の世帯、1000万円の世帯と400万円の3種類の世帯が発生し格差が大きくなる。このように、世帯形態が
所得の状況に応じて変化しやすい社会になってくると、それぞれの個人レベルでみると豊かになっているにもかかわらず、世帯で測った所得では低所得世帯が増加して見える場合がある。また、女性の働き方の変化も世帯間所得格差に与えた影響が大きい。以前は、低所得男性の配偶者は、生活水準を高めるために共稼ぎをし、高所得男性の配偶者は専業主婦になるというのが一般的だった。しかし、現在では男女の賃金獲得能力差が小さくなり、優秀な女性が能力を発揮する機会が増え、高所得男性の配偶者が専業主婦でなく高所得を得て働くケースが増えている。こうなると、世帯間での所得格差は拡大する。
また、人口の高齢化の影響も統計と実態を見る必要がある。筆者は、人口の高齢化の影響を給与の支払い形態の変化と同じ性質のものと見る。例えば、平均寿命が50歳で、人々は、十分に働ける間だけを生きている世界から、寿命が80歳になって、引退後20年間は貯蓄を取り崩して生きていかなければならない世界になったとすると、寿命50歳の時代は平等度が高く、80歳の時代は引退後所得のない人が出てきて不平等度が増すように見える。しかし、引退した人たちは、最初から人生80年の人生設計をしているはずで、きちんと貯蓄して引退後の生活に備えているので、別に勤労所得がなくても、実際に貧困になるわけではない。
つまり、所得の不平等度は、その時点の所得だけの格差を示している。そうでなくて、現在時点の所得の格差が小さくても、生涯所得の格差が大きいのであれば、その社会は平等であるとは言えない。場合によっては、一時点の所得の不平等度が高くても、所得階層間の移動率が非常に大きい場合、つまり、ある時点で低所得であった人が次の時点で高所得になるということが頻繁にある場合には、一時点で見た所得格差が大きくても、生涯の所得格差は小さくなる可能性がある。例えば、アメリカのような転職が比較的容易な社会では、現在の賃金水準が低くても、転職により将来よい条件の仕事に就く可能性があり、生涯賃金で見た賃金格差は一時点での賃金格差に比べると小さくなる。
このように所得の不平等度は、所得の一時的変動の影響を受けるため、必ずしも真の所得格差を反映しないという問題点がある。また、現時点で賃金所得はなくても、多額の資産を保有していたり、将来遺産をもらうことが確実な人もいる。そういう人たちは、所得は低くても高い水準の消費生活を楽しむことができる。だから、貧困や生活水準の格差を知るうえで、最もすぐれた指標は、消費水準の格差と言える。これらの統計で見てみると、日本の年間所得の不平等度よりも消費の不平等度が小さいことを示している。このことから、一時的な所得変動の拡大が日本の所得不平等を高めたわけではないことが分かる。所得格差の拡大は消費格差の拡大と同時に発生している。筆者は、日本の所得不平等度の上昇の原因を高齢化と世帯構造の変化にあるとみている。
ただし、90年代後半から更に変化が生じている。若年層で所得格差が拡大する傾向である。これは、現在の所得不平等度に現れない将来所得の格差拡大を反映したものである可能性がある。具体的には、遺産相続を通じた所得格差や将来賃金の格差拡大を反映していると考えられる。低成長・少子化社会では、遺産相続が生涯所得に大きな影響を与える。少子化社会では子供の数が少ない分、子供一人当たりの相続の受け取り額が大きくなる。経済成長が低くなれば、子供世代が自ら稼ぐフローの所得は親から受け取る相続資産に比べて小さくなる。また、成果主義賃金制度が導入から数年を経過すると運用が本格化し、格差をもたらす可能性がある。さらに若年層の失業率の上昇は、一度失業すると、なかなか賃金の高い仕事を見つけるのが難しい日本の状況が変わらなければ、生涯賃金の大きな格差を招いてしまう。
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