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2011年3月24日 (木)

ウラディーミル・ホロヴィッツのピアノ、ジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィル「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」

Photo 誰かから聞いた話では、本番前にホロヴィッツとセルが喧嘩をして険悪になっていたとか。それにしても…。ここで聴かれるのは協奏曲ではなく競奏曲あるいは闘奏曲といった演奏ではないかと思います。ジャズやポップスでいうバトルを連想させます。それだけにホロヴィッツのソロは鬼気迫るほど迫力があり、気力が漲っています。例えば第3楽章でリズミカルな軽快な舞曲的な入りから、左手のバスの飛び上るほど強打で、いったい何事が起ったのかと、聴く人を驚かせると、この後も、バスの強打が時に触れてアクセントのように、聴く人の耳に楔を打ち込むかのようにかき鳴らされる。それが、ホロヴィッツの、あの磨き抜かれたタッチで弾かれている中に、突然、乱入してくるかのように音が汚くなるなどお構いなしのように荒々しく、入り込んでくるので。印象が強烈です。そして、オーケストラをグイグイ煽るのです。驚異的な指回りなのでしょうか、速い複雑なパッセージをだんだん音量を上げながら、どんどんスピードを上げていくと、オーケストラも必死です。そこでは両者のスピード競争が展開されます。ずっと、以前、蓮実重彦がジョン・フォード監督の「駅馬車」という映画で駅馬車をアパッチが襲うシーンを、逃げる駅馬車と追いかけるアパッチが、まるで互いに協力してスピードの世界を演出しているように見える、と言っていたのを思い出させるものでした。

それだけでなく、ピアノの音が鋭角的に尖がっているのに対して、オーケストラも絶叫するように鳴らしていて、全体として、異常なほどの躁状態にはいっているような、緊張感の張りつめていて。

そして、このままでも圧倒的にすごい演奏であるのに、最後のコーダにはいったところで、ホロヴィッツはトップギアをさらにギア・チェンジさせ、信じられないような加速をしてみせるのです。これはホント、圧倒的で、その手際の鮮やかさは、まるで、まわりのオーケストラの高速演奏が静止して、取り残されるように感じられるほどです。最後に、オーケストラを置き去りにして、ホロヴィッツは先に勝手に終わってしまう。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲は名だたるピアニストが録音していますが、これほど異様な緊張感にあふれた演奏というのは、おそらく空前絶後のものではないかと思います。ホロヴィッツもスタジオ録音の正規盤では、ここまで行っていません。この他にも、若いシャイーを翻弄するアルゲリッチのライブ録音やポゴレリッチのクリスタルのような、そして第3楽章が猛スピードの演奏など、興味深いものがありますが、どれもこの録音と比べると、正面突破ではなく搦め手という感じになってしまうのです。

また、録音状態はモノラルで雑音も多いのですが、気になりません。むしろ、雑音があることで、却って臨場感を高めています。

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