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2011年3月19日 (土)

シャーリイ・ジャクソン「ずっとお城で暮らしてる」

Osiro 通称メリキャットという少女が一人称で語る小説。彼女は姉のコンスタンスと共に立派なお屋敷(お城)で暮らしているが、そのお屋敷では数年前に、彼女の両親、弟、伯母がブラックベリーにかけた砂糖に砒素が混じっていたことにより毒殺されるという怪事件が起こっている。メリキャットは父にお仕置きのため部屋に追いやられ、食堂におらず、その料理をしたのは姉のコンスタンスで、そのコンスタンスは家族殺しの犯人扱いされて以来、お屋敷から出ることができずにいる。メリキャットは、その姉の変わりに、週に二度、村に食料品を買いに出かけては、村人からいじめを受ける。これに、伯父との三人暮らしは、周囲から隔絶されたもので、メリキャットは少し頭がおかしくなっているのか、子供のままなのか、魔法を信じ、魔法で姉を守っているつもりでいる。そこに、姉妹の従兄弟を名乗るチャールズという若い男が現れる。メリキャットは彼を拒絶しようとするが、コンスタンスは彼を受け入れてしまう。その闖入者の出現により、これまでの三人の静かな生活がだんだん崩れ始める。

このあと、屋敷がチャールズの煙草の火の不始末から、火事を起こし、消火に来た村人たちに、屋敷をめちゃくちゃに破壊されてしまうというクライマックスがあって、伯父が死んでしまい、残された姉妹は崩れかけた屋敷に閉じこもるというストーリーです。

ストーリーだけを取り出せば、そうかという感じでしょうが、最初にもいったように、少し頭がおかしくなっているメリキャットの一人称で語られているので、これらのどこまでが事実なのか、彼女の妄想なのか良くわかりません。そういう閉じた空間の、そのまた一人の視点に限った語られ方で、語る少女がおかしいという点で、読み進めるにしたがって、なんかおかしいという感じが、喉元にひっかかるような感じにつきまとわれました。

しかも、一人称の語り口というのは、だいたいにおいて、その主人公に感情移入して、視点を共有するような作品が多いのですが、たとえば、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」とか、太宰治の「人間失格」とか、これは、主人公がとんじゃってて、読み手の感情移入を許さないので、読み手に違和感を感じさせます。この小説を面白いと思うかどうかは、その違和感から、不気味さとか怖さといったものを感じて引き込まれるかどうかだと思います。実際、のこの小説は恐怖小説に分類されているようです。スティービー・キングからも絶賛されている作家らしいです。帯には「人間心理にひそむ邪悪をえがいた」と書かれていますが、私には具体的に感じることはありませんでした。何か、それらしいものが、チラチラするのですが、それがチラチラで終わってしまって、それが大きくなるとも、変貌するとも、実体化するでもない、クライマックスにしても、そこで一気にというドラマではないということでした。

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