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2011年3月 8日 (火)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2010(5)

ガイコ

さて、皆さんが事業の本質的価値がどのようにすれば帳簿価格を遥かに上回ることができるかを理解するのに役立つ話をしましょう。この話をすることに関連して、いくつかの良い思い出を追体験することになるでしょう。

60年前の先月、ガイコは私の人生の中に入ってきました。それは、大きな方向に私の運命づけるものでした。私は、その時、20歳でコロンビアの大学院生でした。それは、私のヒーローであるベン・グラハムが週に1度教えていたため、そこへ行くのを選んだためです。

ある日、私は図書館でベンの紳士録のエントリーを調べているうちに、彼が政府公務員の保険会社(現在、ガイコと呼ばれている)の会長であることが分かりました。私は、保険について何も知っていなくて、この会社のことは一度も聞いたことがありませんでした。しかし、図書館の司書は保険業者の大きな解説へ導いてくれ、そこにあるガイコのページを読んで、私はこの会社を訪問すると決めました。次の土曜日、私はワシントン行の早朝の電車に乗りました。

悲しいかな、私が会社の本部に到着したとき、建物には鍵がかけられていました。それから、私は管理人が現れるまで、やや半狂乱のようにドアを連打し続けました。私は管理人に、オフィスには誰か私と話すことができような人物がいるかどうか尋ねました。そして、彼は、オフィスにいる唯一の人物であるロリマー・デビットソンに案内しました。

私にとって、これはラッキーにことでした。それから4時間のあいだ、“デイビー”は私に保険とガイコについてくわしく教えてくれました。それは、素晴らしい友情の始まりでした。その後すぐ、私はコロンビアを卒業して、オマハで株式のセールスマンになりました。ガイコは、もちろん、私の第一の推薦銘柄でした、そしてそのおかげで私は多数の顧客と順調なスタートを切ることができたのです。デイビーに会ったすぐ後、私は9800ドルの投資ポートフォリオの75%をこれに充てたので、ガイコもまた私の自己資本の活性化しました。(それでも、私はやり過ぎたと感じました)

その後、デイビーはガイコのCEOになりました。彼が引退して数年後の1970年代中ごろトラブルに巻き込まれるまで、この会社の株価を思いがけない高所に引き上げました。その時、株価が95%以上落ち込み、バークシャーは市場で3分の1の株式を取得し、ガイコの自己株式の買戻しのため数年にわたり50%までポジション積み増しました。(我々は、これだけの大きいポジションを持っていたにも関わらず、事業には口出ししませんでした)

その後、我々は1996年の初めにガイコの残りの50%を取得しました。95歳のデイビーに最愛のガイコが永久にバークシャーの一員であり続けることに満足しているビデオテープを作ってもらいました。(彼は、おどけて「ウォーレン、次回は、ちゃんとアポイントを事前にとるように」といって締めくくったものです)

多くのことが、この60年間にガイコで起こりましたが、中心となる目標、つまり、アメリカ人が自動車保険に加入する際にかなり金額の節約になること、は変わっていません。(1-800-847-7536に電話するかwww.GEICO.comにアクセスしてみてください)言い換えれば、そのビジネス目標に値することによって保険契約を得るということです。この目標に集中することにより、この会社は8.8%のシェアで全米の3番目の自動車保険会社に成長しました。

トニー・ニースが1993年にガイコのCEOを引き継いだとき、そのシェアは10年間の間2%にとどまっていました。ガイコはトニーの下で、保険引き受けの規律を維持し、経費を低く抑えることを同時に行うことという一貫した成長の経路を見出し、違う会社に変貌しました。

トニーの業績を定量化させてみましょう。1996年に我々がガイコの残りの50%の株式を取得するのに、およそ23億ドルを費やしました。その価格は、100%なら46億ドルとなります。その時、ガイコは19億ドルの自己資本を持っていました。

計上されない価値として自己資本の超過は27億ドルとし、我々はガイコに対する“好意”にそれだけの価値があると見積もりました。その好意は、その時、ガイコと取引していた保険契約者の経済的価値を表しています。1995年に、それらの顧客は28億ドルのプレミアを会社に払いました。その結果、我々はガイコの顧客を、彼らが会社に毎年払っていたものの97%と評価していました。業界標準に照らしてみれば、これは非常に高い価格でした。しかし、ガイコは普通の保険会社ではありませんでした。会社がコストを低く抑えていたため、保険契約者には一貫して利益をもたらし、会社に対して忠実でした。

今日、プレミアムは143億ドルまで成長しました。それでも、我々はガイコの価値がいかに増加しても不変のまである帳簿価格はわずか14億ドルだけで好意をもたらします。(会計規則上は、経済価値が減少する場合には好意の繰越価値を計上しますが、経済価値が増加する場合には、そのまま変わりません)我々が1996年のガイコ取得の際に用いた97%のプレミアム・ボリュームの物差しを使うと、現在のガイコの好意の実際の価値はおよそ140億ドルになります。そして、この価値は今から10、20年と経っていくと、はるかに高くなっていくでしょう。2011年の力強いスタートから、ガイコは贈り物を与えてくれています。

それほど小さくない脚注:トニーの下でのガイコは国内最大の個人向け保険代理店を育成しました。それは主として、ガイコの自動車保険顧客に住宅所有者向け保険を販売します。このビジネスでは、我々は加入していない保険業者を代表しています。彼らはリスクをおかし、我々は顧客に売り込みます。昨年、我々はこの代理店の活動で769,898口の新しい保険を販売し、これは前年に比べて34%の増加となりました。この活動が我々にとって益となるのは、それが手数料収入を生み出すということで、同じように重要なのは、それが保険契約者との関係を強化し、それを保持するのを助けるという事実です。

私はトニーとデイビーに(そして、考えてみれば、その管理人にも)大きな負債を負っています。

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