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2011年3月30日 (水)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(1)

Bi 著者は、最初に専門的な美学の本ではないとことわっています。

その根本的な問いは人生にとって、美や芸術は必要なのか。必要ならばなぜなのかということだと言います。例えば音楽について、作曲家や演奏家は、一瞬で消えてしまうような音を創り出すのに、なぜ自分の一生を捧げるのか。その一連の音のイメージに、彼らの人生の意味が込められているからだと思うほかないと言います。なぜ他の音でなくこの音なのか。「美しいから」という答えが出てくるにしても、その美しいということの背後あるものを追求していくと、生き方の込められた感覚的なイメージを美と考えれば、美について考えることは、生き方について考えることは重なってくる。

美学をこのように考えていくと、専門的な学問ではなくて、人々の毎日の生活にかかわるものとなる。つまり、人は誰でも毎日の生活を生きていかなければならず、人生をいかに生きるかという問いはすべての人にかかわる基本的な問題です。この著者が言っているような美について考えることは、よりよく生きるということが感覚に具体的にイメージとして示されるものということになり、美について考えることは、毎日の生活について考えることにつながります。

著者は言います。実効性をもった思想は、単に抽象的な理論ではなく、必ず日々の暮らしのなかに浸透していく。そうして、日々の暮らしのなかで、色や形や音などのイメージで具体的に表現されることによって維持される。そうやって維持していかないと、純粋に抽象的なものとして思想を維持するのは不可能である。いや、かりに可能だとしても何の意味もないだろう。思想とは抽象的な理論ではない。思想は絶えず現実とのかかわりあいのなかで試され、深められなければならない。そしてさらに私は次の点を強調したいのだが、思想は毎日の生活の中で味わわれなくてはならない。本当の思想とはこういった一連の活動なのだ。こう考えると、思想がイメージを必要とし、イメージが思想を必要とすることになる。この両者の響き合いのなかに美や芸術の意味を問う鍵がある。

第1章     日本古代の「タマフリ(魂振り)」の思想

著者は、最初に日本人の万物に魂が宿るという考え方に遡ります。魂とは思想の産物です。例えば、西洋思想では肉体と区別された精神的な統一体と考えられ、「実体」と言われます。肉体は滅ぶが魂は不滅だというのは、ここあります。これに対して、日本古代の思想は魂を実体的なものとは見ずに、一種の生命力として捉えます。それ故に、増えたり減ったり、なくなったりする。他人からもらったり、他人に与えることも可能で、どこからとこまで区切れるようなものではない。このように西洋の魂と日本古代の魂とは、かなり性格の異なるものですが、この魂がなくなると死んでしまうという点で共通しているのです。

さて、このような魂を生命力と捉えることは、力はエネルギーに置き換えられ、例えば光もエネルギーであり太陽に象徴されます。よりよく生きるとは、この力を活性化させ増大させることです。そのために魂を状態(活性化された状態)に向けて方向づけることが人生の目的となり、この目的に適った生き方こそが幸福とされ、そのために「魂振り」という考え方が現れたといいます。「振る」ということは、生き生きしているものはよく動くという事実に基づく連想ではないかと著者は言います。その方法論は光エネルギー、具体的には太陽エネルギーによって、魂を活性化されようというものです。例えば、古代神話の天照大御神に象徴的なように、日本歴史の中で「魂振り」の思想に基づいて日本の文化が形成されてきたといいます。

このような「魂振り」の具体例として御幣があります。よく神社の軒にぶら下がっている紙で、白い和紙で作られていることが多く、しかるべく切り込みをいれて、折り曲げて長方形の短冊がつながったようなものが2本で一組になっているものです。この御幣の重要な点は、これが風に吹かれたりして、ヒラヒラと揺れること、つまり「振れる」ことにあります。前述のように「振れる」ことにより魂という生命エネルギーを増幅させるのが「魂振り」ですから、御幣が「振れる」ことにより、その場所のエネルギーが増大する。するとその場所は神聖な場所となるわけです。よく神社の境内にある大きな木にしめ縄が結んであってそこに御幣が垂らされているのを目にしますが、もともと大木にまで育つという生命力の強いものが、普通の木ではなく、とくに活性化された濃密なエネルギーを宿す神聖な木として神木となっていることを示しています。もともと生命力の強い木を「魂振り」により活性化を促し、神聖な神木しなっていった。

ではなぜ、エネルギーの活性化がなぜ神聖という考えに結び付くかというと、古代の神々の頂点は太陽神である天照大御神であって、いわば神はエネルギーの源と考えられます。つまり、生命力というエネルギーが高い場所はエネルギーの源泉である紙に、より近い場所と言うことができるのです。

このような神聖なものが、同時に美的なものであると著者は言います。

その一例として、装飾はもともとは「魂振り」の方法として呪術的な手段だった言います。化粧やネックレス・イヤリングなどの装身具などは、もとは呪術の道具だったものが、その信仰が失われたために美的装飾の側面だけが残ってしまったものだと言います。

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