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2011年4月

2011年4月30日 (土)

山口瞳「血族」

Ketu_2  戦災や戦後のドサクサを凌いで、手許に残った古いアルバム。ここに父母の結婚写真がないことに主人公が気づく。父親の大学卒業の記念写真はあるのに、なぜか。という物語の発端から、大いに期待をもたせる。ここで、謎の探求が始まるのかと、一転して、作者の思い出が断片的に語られていく。それも、時系列に物語的に語られるのではなく、エピソードごとに、時間は行ったり来たりする。そこで、鮮やかに浮かび上がってくるのは、母親。文庫本の表紙カバーにあるように美しい女性、粋で、豪放磊落ともいえるのは、ある面で純粋性の現われでもある。その母親が、父の事業の成功により羽振りの良かった時も、どん底のような生活の時も、生き生きと動き回る。なんと魅力的なひとなのだろうか。というのが、前半。これはこれで、ひとつの小説(か随筆かは分からないが)

後半になり、作者は重い腰をあげて、冒頭の謎の答えを探し始める。作者自身、不吉な予感におののきながら、なかなか踏ん切りがつかず、躊躇していたのを50歳を過ぎて、その母親の過去を探し始める。そこで、徐々に明かされる母親とその兄弟の過去、親戚だと思っていた人々が実は赤の他人でも、その過去から、この題名にも表われる血族として浮かび上がってくる。前半のエピソードで、ほんの些細な点で仄めかされていたことが、後になって伏線としてあったのに、初めて気がつかされる。

冒頭の謎の提示から、徐々に母親の過去が明かされるに従って、その謎が解かれていく、というスタイルはミステリー仕立てと言える。しかし、母親を知る関係者の大半が亡くなってしまったことや、過去を明かす痕跡の大半が失われてしまったことや、作者自身、もうこれ以上知りたくないとの思いから、探求を途中で放棄してしまう。このあたりの事情は、作者と同世代のひとなら通じるであろうが、私のような、作者の年代と半世紀以上はなれた世代の人間には、リアリティーが感じられない。どこか中途半端の感を否めない。作者にとって、身を切られるような切実なことなのだが、それが作者とその同時代のような文化を同じうするところにとどまり、世代の異なる若干異質な文化にいる私には伝わらず、欲求不満を感じることになる。

世評の高い作品のようだが、私には、サービス不足としか言えない。

2011年4月29日 (金)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(5)

第四章 セカイが終わり、物語の終わりが始まった? 2007~09年

2006年までには、セカイ系の終わりが認識されていた。そこに宇野常寛による『ゼロ年代の想像力』という強力なセカイ系批判が登場することで、延命していると著者は言います。この中では、宇野は、基本的には古い想像力(1995年後半の想像力)と新しい想像力(ゼロ年代の想像力)という二項対立を中心に議論を進める。古い想像力とは『エヴァ』を代表とする大きな物語(社会全体に共有される価値観)が崩壊し正しいことが何か分からなくなり、何かを成そうとすれば必然的に誰かを傷つけるという時代の空気から生まれた、「引きこもり/心理主義」的傾向とその結果出力された「~しないという倫理」が、その特徴である。一方、2000年代に入ると、引きこもっていては殺されてしまう「サヴァイヴ感」が社会に広く共有され始める。そんななかで、何も選択しないことの不可能性が明らかになる。そのなかで、その時代性を反映した作品が生まれている。このような作品には「決断主義」的傾向があり、これに対して、ゼロ年代初頭に花開いたセカイ系は、登場した時点ですでに時代遅れだったと宇野は言う。宇野のセカイ系に対する批判は2種類ある。ひとつは古い想像力であるという点、もうひとつはレイプ・ファンタジーであるという点です。「本当は女の子になんて戦ってほしくはないけれど」とか「本当は女の子を傷つけたくないけれど」と言った反省を間に挟み、にもかかわらず、仕方なく「戦ってもらう」「セックスする」ことで、罪悪感や責任感を軽減し、欲望を強化する構造を言っている。このような批判は、オタクたちの自己反省という欲望を正確に捉えたものではあるものの、この正しさは言説の内容ではなく、話者の立ち位置によって担保される性格のものであるため、外をめぐる終わらないメタゲームへと繋がる可能性を孕んでいると著者は言います。

このような宇野の批判の根拠にあるのは、オタクたちの反省への欲望にあり、その原因は『エヴァ』にあると著者は指摘します。しかし、『エヴァ』の主人公碇シンジは登場人物のアスカ「キモチワルイ」と拒絶されてしまう。著者はこれは監督である庵野のアニメの外に出よというメッセージではなかったかと言う。しかし、オタクたちは未だにアニメの内にこもり美少女に耽溺している自分と言う罪悪感こそが、まるで原罪のように自己反省の身振りを呼び、セカイ系という内省と自己言及の物語を生んだと、著書は分析している。

これでは、『エヴァ』の最後のメッセージに応えていない、自己反省に淫しているという批判もないわけではない。けれど、“自己反省がいけないと言うのなら、己の欲望のおもむくままに美少女に萌えればいいし、あるいは美少女ゲームをやめればいい。戦争批判などやめて、思う存分戦争を楽しめばいい。あるいはロボットアニメを見るのをやるればいい。しかしながら、それでは物語から葛藤や内省という重要な要素を奪い、あるいは物語自身がなくなってしまうように思える。それは、やっぱり残念だ。アスカは萌えるし、リアルな戦争はカッコイイのである。いくら批判されようと、人間はそう簡単に自意識を捨てることも、自己正当化をやめることも、自己反省をやめることもできない。そのような自意識、自己批判によって自己肯定する自己批判をする自己肯定をする自己批判をする自己肯定をする自己─という懊悩があればこそ、作品や批評も生まれてくるのであるのはないか。そのような自意識の運動の果てに、これまで見てきたようなセカイ系という文化が生まれてきたのなら、アスカに拒絶され、オタクをやめろと言われ、それでもオタクのままだった我々も、半分だけ、肯定されてもいいと思うのだ。”と著者は言います。

さて、セカイ系という言葉は『ゼロ年代の想像力』を経てオタク文化から、文芸へ、社会批評へと越境を果たします。それに伴い、その定義内容も拡散していきました。例えば『エヴァ』に対して、ロボットに乗って戦うことを拒否しようとする主人公の内向的な姿勢が批判の対象となる一方で、無差別テロを起こしたオウム真理教との類似において批判されるというように、ひとつの作品が全く正反対の批判を受けるという事態も起こりました。

この時期、オタク文化としてのセカイ系は終息していきました。その理由は、セカイ系自体に内包するもので、次のようなことが考えられます。ひとつは、『エヴァ』では衝撃的だったアニメ等のエンターテイメントで自意識の問題を赤裸々に一人語りを始めるというのは、同じような作品を他に何本も見たいとは思われない、言ってみれば娯楽の本分からの逸脱であり、最終的には出来損ないのエンターテイメントとしてしか成立しない宿命にあると言える。ふたつめは、これに関連するが、そもそも商売に向いていない。セカイ系の作品は、明確な構造によって支えられることになるため引き延ばしによる長期化には向かないし、戦闘シーンのような映像的に映えるシーンを排除してしまいがちのためアニメ化のようなメディアミックスにも不向きだし、そもそも一人語りは映像化を難しくしている。また、関連商品の展開も難しい。このような点で商品としての欠点が大きいことが、その原因と考えられる。セカイ系はサブジャンルのひとつとして定着しつつあるといっていい。筆者は、最後にポスト・セカイ系について、いくつかの可能性を提示していますが、それは、もはやセカイ系とは別物でしょう。

で、全体的な感想は、著者はオタク史といっても、冷静に概観するというよりは、渦中にあって、悪戦苦闘する現場実況に近い。だから、時折、分析を逸脱して思いを語り始めるところが、セカイ系的とも言える。そして、直前に取り上げた岡田斗司夫と続けたことにもよるのだろうが、岡田の言うオタク第三世代というのが、ここで語られていることに、ほとんど丸ごと当てはまってしまっている。だから、オタク文化の流れに通じていない人は、岡田の著作を読んでから、本作を読むと大きな流れの中でのセカイ系に位置を捉えられると思う。ただし、岡田も指摘しているように、趣味から自分語りというアイデンテテイーの問題になり、差異に重点が置かれると定義が拡散し、「オタク」とか「セカイ系」といった定義づけ自体が困難なのではないか。セカイ系の定義自体がもともと拡散していたのは、受容のされ方とか、受容するオタクのあり方の性格に起因する点もあるのではないか。むしろ、私には、そこにセカイ系の独自性があるように思える。というのは、本書で著者が言及しているセカイ系の定義や特徴について、セカイ系でない作品が次々と思い浮かんでしまうのだ。セカイ系と、それらがどのように違うのか、著者の議論では、いまいち説得的ではない。例えば自己言及に淫しているものとして、太宰治の『人間失格』や夢野久作の作品、あるいは世界を限定してしまうものなら少女マンガ、例えば紡木たくの『みんなで卒業をうたおう』や『ホットロード』、ループものなら萩尾望都の『ポーの一族』などとの違いは、と突っ込みたくなる。多分、そういう突っ込みを許してしまうような構造がセカイ系にあるのではないか。

2011年4月28日 (木)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(4)

第三章 セカイはガラクタの中に横たわる 2004~06年

2003年以降、セカイ系という語は文芸批評を中心に、活字の分野に進出し、そのなかで「エヴァっぽい」あるいは「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」といった歴史的側面が抜け落ち、抽象化されて定義づけられていく。そして、この定義自体が、新たなセカイ系を作り出していくのが、この時期であると著者は言います。この変容に併行して、「エヴァっぽい(=一人語りの激しい)作品」から「主人公とヒロインの恋愛によって世界の運命が決定してしまう作品」という定義の移り変わりが起こっていた。

これは提唱者であった“ぷるにえ”の定義にあった『エヴァ』によるパラダイム・シフトという視点が欠け落ちていく。その理由としては、“ぷるにえ”の定義がネット特有の口語的なもので評論等に馴染まなかったことや、当初の揶揄的に使われていたのが、後の論者たちはこの言葉や作品を肯定的に捉えていたために、意味合いの「脱臭」と「更新」が必要となったと、著者は言います。その結果として、セカイ系は、それぞれが自身の肯定したい作品につける

マジックワードと化し、そしてまた各々の論者がその意味の定義づけをめぐって独自の論を立て合う言葉となってしまったと指摘します。そのなかで、セカイ系ということばは広く流通し、さらに概念の混乱を深めて行きました。

このような状況の中で、オタク文化においてセカイ系と名指されたのは大雑把に次の二つのグループに分けられると著者は言います。ひとつはループもの、もうひとつはセカイ系への応答作品です。

まずループものの作品とは、時間SFの一種で、登場人物が何らかの原因によって、同じ1週間やある時点から自分が死ぬまでの時などのような特定の時を繰り返す物語です。1984年の押井守監督による『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が嚆矢とされますが、学園祭1日前をずっと繰り返す主人公たちを描くことで、連載が何年続いても時間の経過しない原作のラブコメ世界の姿を自己言及的に描き出し、その実験的な映像とともに問題作とされたものです。ゼロ年代のループものは、主人公が巻き込まれた何らかの事情が解決されない限り、基本的に、世界は同一時間を繰り返し続ける。しかも、これらの作品において、しばしばループを脱出するカギは、恋愛など、個人的な人間関係に求められる。このような構造が「きみとぼくの関係性と世界の運命の直結」というセカイ系定義に合致する。さらに、これらの作品においてはループの記憶を保持するのは主人公ひとりだけという設定が頻繁に導入されることから、ループ者は、認識を共有する他者を失い内省的に(=一人語りが激しく)なる。

また、ふたつめとしてセカイ系が、そう名指され、定義されたことを受けて書かれた作品も多数現われました。例えば2005年の風見周の『殺×愛─きるらぶ─』は、相思相愛になった女性に殺してもらわなければ、世界が滅亡してしまう運命を背負わされた主人公を描いた物語で、明らかに「きみとぼくの二者関係と世界の運命の直結」というセカイ系の定義を意識して書かれた作品と言えます。この作品はセカイ系がセカイ系として批判される所以たる「世界の終りと男女の恋愛が直結する」という荒唐無稽な構造を、意図的に導入し、その上で真摯な恋愛物語を描いたものです。これは、セカイ系と名指され批判され定義されることで却って、セカイ系的構造を意図的に内側に取り込んだメタ・セカイ系とでも言えます。このような事態がなぜ起こったのか、ということに対しては自己言及的な構造こそがセカイ系の本質ではなかったかと著者は指摘します。

著者はセカイ系について、「一人語りの激しい」から「きみとぼくの世界の直結」へと定義が変わっても、自意識という共通点は保持され続けたと指摘して、自己言及性をセカイ系のコアに求めます。もともと90年代以降のオタク文化において自己言及的な表現がしばしば目につく。例えば。ループものは同じ時間を繰り返すという点で、必然的に自己言及性を孕むが、そのような意識的、主題的な自己言及まで行かなくても、90年代中盤には、ロボットアニメのなかの登場人物が「ロボットアニメみたいだ」と発言する、というような場面がしばしば見られた。この登場人物たちは巨大ロボットを既知のものとして出会う。そこで描かれているのは、日常的にロボットアニメを見て育った少年が、現実にロボット出会ったらどうなるかという表現です。そして、セカイ系応答ものでは、ほとんど過剰なまでに、自分たちの出合うロボットなどの事態が、フィクショナルでチープなものでしかないと作中で指摘し続ける。しかし、それらを茶化したり笑いものにするのではなく、極めて深刻な自意識の悩みという主題を展開させていくのです。

東浩紀は『ケーム的リアリズムの誕生』のなかで、このようなセカイ系の構造を支えるものとして半透明な文体という概念を提示しています。現実をありのままに描き出そうとする自然主義リアリズム(透明な言葉)に対して、アニメやコミックという世界のなかに存在するのが、まんが・アニメ的リアリズムである。この二つのリアリズムの対比に大塚のいう「アトムの命題」を結びつける。大塚は、日本のマンガ史のターニングポイントを手塚治虫の『勝利の日まで』という作品で、主人公のフクちゃんが米軍の戦闘機に撃たれて血を流す場面に求める。大塚によれば、このとき、本来、平面的な身体、死なない身体と傷付かない心しか持たないはずだったマンガのキャラクターが、しかし、傷付く身体を手にしてしまったのだという。それ以来、日本のマンガ表現の中で描かれるキャラクターたちには、記号的な傷付かない身体と、生身の傷付く身体という二重性が宿り、それが手塚治虫作品の主題となっていったのだという。『鉄腕アトム』の主人公アトムが内面を持ちつつも成長できないロボットとして描かれるのは、まさにこの二重性があるがゆえであり、大塚は、これをアトムの命題と呼んだ。そして、これを享けて、東の議論は、日本のマンガに宿るこのような傷付く身体と傷付かない身体の二重性は、そのまま、マンガ・アニメ的リアリズムの中に流れているという。そして、マンガ・アニメ的リアリズムは、自然主義的リアリズム(透明な言葉)とは異なるが、かといって自然主義以前、前近代の不透明な言葉とも異なった半透明の言葉である、と東は言う。と、セカイ系の根拠を、文体そのものに求める。

しかし、と著者は言う。文体だけでは、あくまでセカイ系の立つ土台を指し示したに止まるという。文体だけでは内に秘めた「アトムの命題」=半透明性という問題系を呼び覚ますことはできない。セカイ系の諸作品は、読者と同じ現代に生きる若者を登場させて、過剰なまでの自己言及を行い、巨大ロボットや最終兵器、名探偵や宇宙人、そしてセカイ系などがマンガチックな、虚構の存在にすぎないことを示そうとする。近代的な自意識と、傷付く身体を持つ生身の人間、いわば透明な文体で描かれるべき存在であることを明らかにする。そのうえで、彼らを、まさに彼ら自身が虚構であると名指した不透明な世界=宇宙戦争、密室殺人、セカイ系の中へと投げ込むのである。東が言うセカイ系の半透明性は、このような自己言及の運動によって成立している。

さらに、著者は続ける。実は、幼いころからマンガやアニメに親しんできた人間にとって、これらが荒唐無稽だと認識するのは、難しいことだ。『エヴァ』の後半において、主人公である碇シンジという薄いセル画の上の絵が、庵野秀明という一個の自意識の受け皿となり、作品を完全に破綻させるほどの勢いで「アイを叫ぶ」という事件が起こるまで、オタクたちはマンガやアニメのキャラクターたちが、生身の人間と同じような身体や切り口を持つということの、あるいはそこにみずからの自己を投影することの不自然さを認識していなかったと言います。そして、『エヴァ』という事件によって芽生えた不自然さへの驚きと問いが、セカイ系の自己言及の運動となるのではないか。

2011年4月27日 (水)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(3)

第二章 セカイっていう言葉がある 2000~03年

後半の『エヴァ』的な要素を受け継いだ作品は、空前の『エヴァ』ブームが終わり、忘れられ始めたゼロ年代に入ってからと著者は言います。そうした作品としては、マンガ『最終兵器彼女』、美少女ゲーム『AIR』、小説『イリヤの空』、舞城王太郎、佐藤友哉、西尾維新といった作家たち、あにめ『ほしのこえ』など、これらは、オタク文化が『エヴァ』という特異なヒット作を咀嚼していく軌跡と著者は言います。

ポストエヴァからゼロ年代前半のオタク文化をけん引したのは「萌え」と美少女ゲームだったと著者は言います。ポルノメディアから始まった美少女ゲームは、性的なシーンを見るための手段でしかなかった恋人になるための過程が次第にケームプレイの目的に変容します。プレイヤーが快楽として見出したのは、美少女キャラクターとの日常での他愛無いやり取りだった。この動きから物語の揺れ戻しがおこり「泣きゲー」と呼ばれる作品で、プレイヤーは美少女キャラクターとの他愛無い日常を送りながら、やがて彼女が悲劇的な背景を持つことに気づき、そして少女の苦悩やトラウマを主人公が癒すことで、最後に添い遂げるというパターンです。この中から、美少女キャラクターとの掛け合いが続く日常世界に対比的に幻想的世界が導入され、何らかのきっかけにふたつの世界が直結するというパターンが現れます。その頂点が『AIR』だと著者は言います。

『最終兵器彼女』。奇妙な恋マンガ。画北海道の高校に通うシュウジとちせは、ラブコメというよりも少女マンガ的、さらにいえばリアリスティックにに描かれていて、シュウジの、ちせを求めようとする一方で、彼女を傷つけることへの恐れ、あるいは最終兵器となって傷ついていく彼女に何もできない自身の無力さへの嘆きが、モノローグの形式でしばしばページを埋め尽くすように描かれている。しかし、『最終兵器彼女』をセカイ系と名指す人々は、その理由として戦争描写のリアリティの欠如と設定の欠落をあげている。著者は、このようなの戦争描写のリアリティの欠如に返って10代や20代の皮膚感覚としてのリアリティを獲得しているといい、ここには『エヴァ』の影響を指摘しています。例えば、『エヴァ』の主人公は使途という敵が現れたときだけパイロットとなり、戦いが終わると、また中学生に戻り、悪友たちと遊んだり、同級生の少女たちとラブコメを繰り広げる。戦争により日常が破壊されるということに至らず、学園生活という日常と使途迎撃戦という非日常が同居する。さらに、使途という敵の所得たいが不明で、なぜ敵が襲ってくるか、戦う理由が明らかにされない。結果的に思考は空転し、抽象化し、自分の問題に行き着いてしまう。このような点は『最終兵器彼女』に通じる。いわば、最終兵器という題材を用いて描かれた難病ものという言うことができる。

このような『最終兵器彼女』がセカイ系として受け入れられているのは、それ以前のアニメ等と比べてみると「世界設定」を排除していることを著者は指摘します。『最終兵器彼女』の世界では、ちせは何と戦い、その兵器はどのような原理で稼動しているのかはまったく分からない。そして、読者はそのような設定などまったく気にせず、青少年の自意識に、あるいは恋愛に、ベタに感情移入する。これは『エヴァ』が「人類保管計画」「汎用人型決戦兵器」「使途」といった謎めいた単語を頻出させ、散々、視聴者の興味をひいておきながら、路線変更によりそれらの解説を一切放棄し、主人公の自意識をクローズアップしたが、『最終兵器彼女』では、最初から存在していない。

もうひとつ『エヴァ』以前の作品受容の態度の典型として、大塚英志の言う「物語消費」。例えば、『機動戦士ガンダム』を例にとってみると、大塚のいう「物語消費」は、極論をいうと『ガンダム』の物語、少なくとも、アムロやシャアたちの物語を見るのではなく、ガンダムの舞台である宇宙世紀という世界観にアクセスするためにアニメを見るというものだ。その意味において、アニメ本編も、アニメ誌や関連書籍に書かれた公式情報も「宇宙世紀」という世界観を理解する道具としては等価であり、アニメ本編=物語には特権的価値が置かれていない。このような見方からすると、『エヴァ』の前半は、そのニーズに応えるものだったと言えます。「人類補完計画」「セカンドインパクト」といった謎めいた単語が序盤から、何の説明もなしに提示され、物語消費を煽ったとも言える。しかし、終盤で『エヴァ』の物語は、突如として登場人物の心理へと焦点を狭めていき、世界設定の謎は一切明かされないまま終わってしまう。このようにして、『エヴァ』は、視聴者の物語を受容する態度そのものの変更を迫ったと著者は言います。だからこそ、『最終兵器彼女』は最終兵器というガジェットを持ちつつも、以前であれば、当然存在するはずの設定群を欠いていたことで、何かが欠落している、と捉えられたと言える。

だからといって、少年の自意識に焦点を当てた作品はセカイ系に限らず、むしろ、普遍的とも言える。ではなぜ、このような普遍的なテーマが、なぜ新しいものとして捉えられたのか。それは、『エヴァ』以前の作品受容の態度を参照しないかぎり見えてこない。即ち、『エヴァ』以前のオタクたちは物語から世界観を読み解く「物語消費」をはじめ、岡田斗司夫の言う暗号を読み解く態度など、作品受容の態度がきわめて奇形化していた。そのため『最終兵器彼女』などのような素朴な物語への回帰、あるいは普通に物語を楽しむ、普通に登場人物に感情移入するという作品受容の態度が、かえって奇異なものに捉えられたと著者は言います。

このような近年のオタクたちの作品受容態度を論じたものに、東浩紀のいう「物語消費」から「データベース消費」への移行という分析がある。これは物語への回帰を促すと著者は言います。「物語消費」で対象となるのは、大きな物語、つまり世界観であり、「データベース消費」では各要素としてのひとつひとつのストーリーに解体され、少年の自意識を描いたドラマや、男女の恋愛を描いたドラマが求められるようになったと著者は言います。

ここまで見てきたとおり、ゼロ年代初頭には、90年代後半の『エヴァ』ブームと、そのもたらしたパラダイムシフト後の混乱が収束し、『エヴァ』という作品を十分に咀嚼した上で、新たな作品が送り出されていった時代と言えます。そのような作品を呼ぶ言葉としてセカイ系という言葉が生まれてきたと著者は言います。

2011年4月26日 (火)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(2)

第一章 セカイ系の中心でアイを叫んだけもの 1995~99年

セカイ系という言葉を最初に提唱したとされる“ぷるにえ”が最初に定義したのは

・エヴァっぽい(=一人語りの激しい)作品に対して、わずかな揶揄を込めつつ用いる

・これらの作品の特徴として、たかだか語り手自身の了見を「世界」という誇大な言葉で表したがる傾向があり、そこから「セカイ系」という名称になった

というように、作品の構造ではなく、「エヴァっぽい」作品を示すものが起源だったようだ。

『新世紀エヴァンゲリオン(以下、エヴァと略す)』は1995年にテレビ東京系で放送されたテレビアニメで、大きな商業的成功をおさめ、大きな話題となった。しかし、『エヴァ』がオタク文化史、あるいは日本の文化史の中で特筆すべき作品としての影響力の大きさは、商業的な成功だけによるものでない。ちょうど、『エヴァ』がテレビ放映された1995年の社会は平成不況が長期化し、経済大国日本という神話に陰りが生じ、阪神大震災や地下鉄サリン事件が起こり時代の閉塞感が表面化する。そのような不安な時代の中で、アダルトチルドレンに代表される心理学ブームが起こり、人々の関心も「内面」「本当の自分」といった内省的なテーマに向かう。『エヴァ』はそんな時代を鏡のように写しとった作品と著者は言います。心に傷を抱え人との距離感が分からない少年少女の心理面に重点を置いたストーリー、ロボットアニメでありながら、自閉的な主人公がロボットに乗って戦い成長する、というドラマツルギーを拒否する展開。そしてまた、聖書をはじめ様々な宗教、神話の引用からなるカルト的ともよばれる世界観。そのような自閉的で、終末的で、カルト的な90年代の空気を見事に捉えた同時代性により、『エヴァ』はアニメでありながら、オタク層以外からも大きな支持を得ました。

しかし、このような『エヴァ』の同時代性、普遍性は、必ずしも意図的なものではなかったと著者は言います。少なくとも放送開始時は、むしろ、正反対のきわめて狭い客層に照準した、もっと率直にいえば、究極のオタク向けアニメとして作られていた。そして、この試みの失敗により、かえって普遍性を獲得した=大ヒット作となった逆説的作品だと言える。

例えば、『エヴァ』のオープニングアニメは、カット割りがとにかく早い。わずか数コマしか登場せず、録画した映像をスローモーションでも見なければとても判別できないような絵が混ざっている。これを十全に鑑賞するためには、そのようなカットに気付く鑑賞力が必要だし、場合によって録画して繰り返し鑑賞する熱意を求められる。さらには様々に工夫された趣向、先行作品からの膨大な引用や参照。このような引用の群は、しばしばオタクたちに作品試聴態度の分裂を要求する。このような究極のオタク向けアニメとしての『エヴァ』は放送開始時から、オタクたちから歓迎されたと言います。

ところが『エヴァ』はそのような作品として完結することができなかった。製作体制上の問題からスケジュールが破たんしたと一般にはいわれているが、第19話あたりをピークに映像の質はどんどん下がり、ハイクオリティな映像は見る影もなくなり、物語の視点は、どんどん登場人物の内面へと移り、謎への回答は一切放棄され、最終話では、物語を完結するのを放棄したようにも見えるものとなった。

しかし、このような終盤における崩壊、失敗にもかかわらず、否、それ故に、『エヴァ』は単なるオタク向けアニメを越えた社会的大ヒット作になってしまう。著者は『エヴァ』終盤で描かれたのは、監督庵野秀明の内面、自意識の悩みそのものだったと言います。観客へのサービス精神を放棄し、自分の内面に目を向けたことで、かえって幅ひろい共感を呼び、外に開かれてしまうという皮肉な事態は、内省の時代、自分探しの時代だった90年代を象徴する出来事だったと著者は言います。このような『エヴァ』は激しい毀誉褒貶に晒されることになった。作品の受容態度を巡っての感情的な対立まで引き起こしていく。マニアとしてのオタクの態度には、作品を一歩引いて客観的にシニカルに眺める視点が不可欠で、『エヴァ』終盤の展開は破綻したものとして笑うべきもので、同時に一般大衆がトレンディドラマの主人公に没入するのと殆ど変らない理由で『エヴァ』の主人公に感情移入する視聴者は批判の対象となった。しかし、『エヴァ』終盤は、そのようなオタク的姿勢を観客に放棄させ、劇中で苦悩する主人公の姿に素朴に感情移入させるだけの内実を、切実さを、同時代性を獲得していたのも事実だ。そのような受け手からみれば、これを批判する態度は冷笑的に映る。それゆえにそれは作品の価値ではなく、作品を評価する個人の人格へと及ぶ。このような形で『エヴァ』をめぐる論争が激化したと言える。

最初に“ぷるにえ”が指摘したセカイ系の定義として「『エヴァ』っぽい」というのは、とくに後半の『エヴァ』のことであり、自意識というテーマで、これを受け継いだ作品こそが、セカイ系として名指されたと、著者は言います。

このような『エヴァ』後半につづくような作品は、低調であまり作られなかった。むしろ、ポスト・エヴァを狙ったアニメよりもライトノベルや美少女ゲームというメディアに自意識というテーマを正確に受け継いでいると著者は指摘します。

この二つのジャンルは、『エヴァ』ブームの渦中に変動期を迎え、決して大手とは言えない会社から送り出された作品が口コミで大ヒットにつながり、ジャンルのトレンドが大きく変わっていきました。実際にはゼロ年代はブームに沸くアニメよりもライトノベルと美少女ケームの時代になったと著者は言います。それには「萌え」というキーワード、美少女キャラクターを消費する「萌え」という作品受容態度に最も適していたのはアニメではなくライトノベルと美少女ゲームだった。さらに、『エヴァ』後半のオタクの文学としての側面、つまり内面を描くメディアとして発達した小説、活字こそが適していた。

2011年4月25日 (月)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(1)

Swkai 乱暴な言い方をすれば、昨日取り上げた岡田斗司夫がオタク第三世代と言っていた人たちを中心としたオタクに関するものです。(本書の中で、岡田の「オタクはすでに死んでいる」は批判的に取り上げられていますから、あながち全く異なる視点ということはないかもしれません。)

序章 セカイ系という亡霊

2000年から2009年をゼロ年代という時代とし(この世界では、既にそのように呼ばれているようです)、この時代を通じ、オタク文化コンテンツ(例えば、マンガ、アニメ、ゲーム。ライトノベルあるいは秋葉原やネット)をめぐる言説空間の中でさかんに取りざたされたのが「セカイ系」というものです。

この「セカイ系」なるものはどのようなものか、一応の定義として次のような要素を持つ作品が当てはまるとされているといいます。

・少女と少年の恋愛が世界の運命に直結する

・少女のみが戦い、少年は戦場から疎外されている

・社会の描写が排除されている

しかし、実際にはセカイ系を代表するといわれる作品には、これにすべての要素が該当するとは限らないし、ある作品がセカイ系の典型ともアンチ・セカイ系とも呼ばれることがある。そのため、セカイ系なるものは単なるバズワード(明確な定義や含意がないまま、特定のグループ内で流通する言葉)であって実体は存在しないとも言われる。そこで、著者は、そもそもセカイ系という言葉のもとには「一人語りの激しい」作品を名指すものとします。しかし、それだけでは広すぎることになりかねない。

さらにセカイ系を巡る議論をややこしくしている原因として次の2点をあげています。

・定義が曖昧にもかかわらず少なからぬ作家たちが、セカイ系を意識した作品を後追いで次々と発表したこと。つまり、セカイ系という言葉が生まれた結果、セカイ系の作品がうまれるという逆説的事態が起こったこと

・セカイ系という言葉は元来、批判的、揶揄的な意味合いで、セカイ系と定義された作品が賛否を巡る激しい論争に晒されてきたこと

著者は、結局、「セカイ系は存在しない」という議論と「セカイ系は是か非か」という議論に挟まれ、「セカイ系とは何か」は問われなかったのが原因と言います。そこで、本書は、この問題を追求しようというのが目的です。

結論を先取りして言えば、『新世紀エヴァンゲリオン』と、その影響とは何だったのか、というオタクたちの問いかけから生まれたものと著者は言います。

2011年4月24日 (日)

岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」

Otaku 身近な体験から、かつてのオタクは「何かを『好き』といった気持ちを抑えきれずに人に伝えてしまう人」だったが、今オタクを自称しているひとは「自分が楽しいのが大事」に変わってきている。

最近のオタクのキーワードとも言える「萌え」が分からないと言います。もちろん、「萌え」が最近使われている意味内容や用法は分かるのだけれども、著者によれば、そもそもオタクであることと本質的には関係があるとは思えないと言います。そして、萌えオタクの人たちは、そのような著者をオタクとは認めないという反応を示す。かつてのオタクの世界では、ジャンルが異なるオタク知識を知らなくても互いにオタクとして認め合っていた。前者のオタクとは認めないというような差別化のメンタリティはかつてのオタクを差別していた普通の人々のメンタリティだといいます。つまり、自分が真ん中にいると信じて疑わない感覚です。かつてのオタクというのは、そういう中心からズレたところにいるという感覚があり、差別されていたため、オタクの間で細かな差別をしても仕方がなかった。そこには、「俺たちはオタクだから」と思っている人たちが共通して持っていた意識、共通基盤のようなものが急激に崩れてきている、と著者は言います。「俺たちは同じだ」という共感よりも、「俺たちはあいつらとは違う」という差異の方がどんどん気になりだしてきた。という人が増えてしまった。

そして、オタクの定義を試み、最近の常識のようになっている、オタク=秋葉原にいる人、オタク=社会性がない人、オタク=萌える人、という等号をひとつひとつ反証を上げていきます。もともと、アニメやマンガ、SFにはそれぞれファンがいました。それを、まとめてオタクと呼びだしたのは外側の人々です。著者は「強制収容所に入れられた」といいますが、彼らの意思とは別に周囲に決めつけられた。当時の彼らは、そういう事情を敢えて引き受けた。当時の彼らオタクたちに共通していたのは、「自分が好きなものは自分で決める」という強烈な意志と知性の表れがあったと言います。テレビや雑誌で今流行しているもの等に流される世間に対して、自分で好きなものは自分で決めるというのは、一つの対決姿勢ともいえ、世間が自分のことが分からないのは当たり前、だから差別されても気にしない。差別する世間を軽蔑している。このようなオタクを世代別に分けると、40代の人が第一世代、後に比べると世間の目が厳しくなかったことから、普通との差異も悩まずに受け入れてしまう。これに対して30代の第二世代は宮崎勤事件を同時代に持ち世間からの差別を強く意識せざるを得なかった世代で、オタクとしての自意識が強い。そして、20代前半中心の第三世代は、いわゆる萌えオタクが中心で、オタクの数が増え、世間の評価も好転し、子供のころからオタク商品に囲まれ、これを当然と受け入れてきた世代といえます。この世代はオタク趣味をある種の純粋でいられる逃避場所と受け取る傾向が強いといいます。この下に第四世代、「働きたくない=オトナになるのは損=だから子供でいられるオタク文化を好む」という人たちが存在する。

ここで視点を変え、著者は日本全体に起きている変化に目を向けます。例えば少年マンガ雑誌の表紙の変遷です。例えば少年マガジン創刊号の表紙は当時の横綱朝潮です。それからは、戦記イラスト、科学や宇宙へと拡がり、サンダーバードのようなキャラクターから黒沢明と変遷します。それが1972年当時のアイドル南沙織を表紙に取り上げて以来、一貫してアイドル路線をとりました。この路線が続いたのは部数が伸びたからです。これに他のマンガ雑誌が追随します。この傾向が一般紙にまで広がるのです。1980年代あたりから、日本は美少女好きになっていったといいます。このなかで、アニメには美少女を扱う、ひいては性的な要素が前面に出るようになっていきました。その結果、アニメファンの中で美少女という性的なものをどこまで自分の趣味の中に取り込むかということにより、アニメファンの中で断絶が生まれてきたと著者は言います。このような状況で便利な言葉として注目されだしたのが「萌え」という言葉です。2000年代に入ってから、オタク・ブームが起こり「萌え」の独り歩きが起こる。その結果、かつてのオタクの共通文化が徐々に崩れ始めた。

「萌え」というのは感覚的で、一見分かり易い。それが浸透していくに従って、それが次第には、「わかりやすい=萌え」以外の作品や感性を排除し始める。それは、オタクである以上、マンガ好きだとは言っても、多少はミリタリーや鉄道の事情も知っておきたい。もちろん自分が一番好きなマンガにおいては、少女マンガから劇画まで一通り押さえておかなくてはからない。そのようなかつてあった「オタクとしての必要な教養」をどんどん排除して、「俺が今好きなものがいい」という短絡的な価値観のみになってきている。

いわゆる第三世代のオタクたちは分かる作品だけ、好きな作品だけ見たいと考えてしまう。これは、この人たちにとってオタクとは自分の弱さを認めて、現実を忘れて逃避する場所になっているからです。オタクであることがアイデンティティーの問題になっている。つまり、オタクであるということが第一世代のように人生をかけた趣味の問題でもなければ、第二世代のように社会性の問題でもなく、第三世代では「わたし」の問題になっている。だからこそ、第三世代には、「これがオタクだ」とう中心概念が存在しない。中心にあるのは「わたし」なのです。第三世代のオタク同士で共有できる思想がなく、そこにあるのは「萌え」という感覚だけで、感覚だから言葉は共通していても共有はできない。アイデンティティーというのは「私はみんなと違う」という場所探しだから、「オタクとはこういうものだ」と言われると、「当たっている部分」ではなく、「違っている部分」を探してしまう。だから、中心概念を認めてしまったら、自分が疎外されることになってしまう。このような違う部分を探していれば、違う部分が気になって、自分がオタクではないことになってしまうからです。だらか、「わたし」の好きな作品以外には、ほとんど価値を認めない。だから第一世代や第二世代にあった共通文化や相互理解のようなものはなくなっていった。

実は、このような「自分気持ち至上主義」はオタクに限らず、今の日本社会全体に広がっていると著者は言います。「自分の気持ち至上主義」は、我慢や協調を強いる共同体の縛りつけを解きますが、共同体の結びつきによってかろうじて維持されている同族意識や共同幻想、すなわち「文化」自体も破壊してしまう。

オタク文化というのは、極論すれば大人になっても子供時代の趣味をやめない、ということだけれど、この前提として、ふたつの要素が見えてくる。それは、日本の大人は子供っぽいのでオタクになる、ということと、日本の子供文化は大人っぽいので卒業する必要がない、というふたつの要素の両立が前提となっている。

しかし、90年代以降日本が不景気の時代に突入すると、不景気は長期化し将来への希望がしぼんで行くにしたがい、現実の生活は「明日は今日より苦しいかもしれない」という兆候しか見えず、子供は大人になりたがらず、大人は子供に戻りたがるようになる。今、急激にオタクが増えているのは、オタク・ブームのためだけでなく、このような「大人になるのは損」という判断が行きわたってしまったことにもよる。「大人の品格」とか「大人の見識」とかいうような大人の属性。あえて苦労を引き受け、常に向上を求める大人の姿勢は、短絡的に見るとあきらかに「損」としか見えません。短期的な感情=「今の気持ち」だけで判断することは「自分の気持ち至上主義」です。

だからと言って、「今の若い者は…」というのも違う。なぜなら時代は人の上に次々とOSのように新しい思想をインストールしているから、例えば、今の70代は40年前の70代に比べれば明らかに幼稚です。だから、「自分の気持ち至上主義」は私たち自身の価値観にインストール済みなのです。今の日本に生きている証しなのです。この価値観を不快に思っても、共存を考えずに排除だけを考えると時代を否定し「昔はよかった」と嘆くだけになりかねない。だからと言って時代に迎合する必要もない。周囲が幼稚化しても、自分自身が幼稚化する言い訳にはならないはずです。日本全体としての共同幻想の大人というのはなくなってしまったかもしれませんが、個人の中では生き残れるのです。

2011年4月23日 (土)

熊野純彦「和辻哲郎─文人哲学者の軌跡」(4)

満州事変を契機に日本は戦争に傾斜していくことになる。「現代日本と町人根性」を発表する。和辻は資本主義の精神はブルジョワ精神であり、まさしく町人根性であるといいます。そして、まず帝国主義国家による帝国主義的な戦争を人倫に悖るものという。そして、注目すべきことは、町人根性への批判は、『倫理学』における経済的組織論の根底に流れる発想と通底していることです。まず、和辻はマリノウスキーに依拠しながら西太平洋の人類学的観察から、次の点を指摘します。まず、未開民族において労働は価値を持っている。次に経済学の教科書が指摘するような原始的経済人を否定します。西太平洋の島民にとって労働は飢えのような直接の需要を満たすためではなく、非常に複雑な社会的・文化的動機によって労働するといいます。目指されているのは、利益ではなく、伝統的な部族の価値基準にしたがった価値付けなのだといいます。さらに、必要に駆られた物々交換という商業の始原も否定します。交換は部族間の交際のために行われるといいます。これに対して、近代以降の経済活動の目指すのは欲望を満足させるものの生産であり、人々がこの活動において取り結ぶ関係は生産のための手段に過ぎない。そこで、そもそも経済活動において結ばれる人間関係は、欲望を目的としたものではなく、人倫的組織としてそれ自身の意義を保っていた。それが欲望充足と人間関係の地位が逆転したのが近代なのだ。これはヨーロッパ近代における特殊な現象であって、まさに欲望の体系として人倫の喪失感に他ならないといいます。

2011年4月22日 (金)

熊野純彦「和辻哲郎─文人哲学者の軌跡」(3)

1927年、博士論文を提出し、最初で最後の欧州留学に出発します。この果実が有名な『風土』としつ結実します。和辻は帰国後、「日本語における存在の理解」という論文を発表します。この中で、日本語は、たしかに分節能力に限界があるものの、かえって真実の存在の了解を保存するに適しているとも言います。「しる」とは、単に認識や知識と関係していたばかりでなく、「道」を知るという単に知的な問題だけではなくして実践と密接に結合したものとして実践哲学的に捉えられていた。さらに、「しる」はまた「いちじるしい」という意味をもつ「しるし」という形容詞とも関連し、存在の所有とも関連することが指摘される。「ものがある」ということは人間が有つのであるとして、「がある」や「である」は人間の存在に属し、「である」はその存在の仕方の限定を表現したものとして、「存在」という哲学一般の基礎的問題が、「所有」という論点に収斂していき、理論哲学の問いが、実践哲学なそれへ変容していくことになります。このように和辻倫理学は、単なる倫理学の体系から、近代日本における哲学体系となっていくのです。

京都帝大に招かれ、『人間の学としての倫理学』を発表します。第1章では人間観の変遷を追いかけますが、そこにマルクスの影響が見えています。和辻はマルクスの言を用いて、“孤立せる人などというものはどこにもない。人は常に社会的関係において有るのである。だから人の本質は社会的関係の総体に他ならない。”このように和辻はマルクスの唯物史観の根本テーゼは人間存在を人の意識の根底に考えであると見ます。この場合の人間存在とは、「間柄」であると著者は指摘します。つまり、和辻はマルクスの言う存在が、その実質においては関係であると見て、内容的には自らの言う「間柄」といっちするものだと考えていた。さらには、マルクスの説く自然のなかに風土を見ていた。

この後、倫理の意味を問います。この問いは言葉によって表現されます。言葉によって表現される限り、問われているのは共通化されています。言葉とは、歴史的・社会的な生の表現であり、客観的に存しているものです。そして、倫理の倫とは人間関係そのものであると同時に、その秩序、あり方のことで、これを倫理と置き換えても意味内容は変わらない。理とはことわりでありすじ道だからです。つまり、倫理とは人間関係であり、そのすじ道です。それでは人間とは、もとは世間のことで、人のあいだで、人間とは社会であると共にまた個人なのだといいます。そのように考えると「ひと」という言葉もヨーロッパとは別の含意がある。人間はひとりのひとであるとともに、ひととひととの関係であった。人間が一人である側面は人間の個人性といっていいし、人間が同時に人間関係であるという半面については、人間の世間性とよべる。人間関係はこの両性格の統一であり、行為的連関として共同態であり、しかも個人の行為として行われると言います。このような統一が倫理であるから、倫理学は人間存在の学であるということになります。さらに、和辻は人間存在の二重構造を規定しようとします。行為する個人は人間の全体性の否定として生起し、人間の全体性は個別性を否定しる動きです。このような二重の否定運動として、人間存在の根本構造は個と全の二重構造として解明されます。これに対して、個と個の間という図式が欠けているという根本的な批判があります。ここに和辻倫理学の社会性の欠如ともつながる側面があると著者は言います。また、和辻はさらに進めて、哲学的立場が表明され、言葉を書くのは共に生き、語る相手を待ってのもので、他者との関係を前提としている。学問も同様であり、問いは公共的な、人間の問いであると説く。つまり、問うことを共同のことへ収斂させて行こうとする。だから問うということは他者と共に問うことだ。そうであるにせよ、他者と私は、それぞれに身体を備えている。そこで隔てられている。身体を携えていることにおいても、人はなお人間であり。ひととひととは間身体的に存在し、関わり合い、他者との関係から、ことばもまた誕生する。日常の実践的な連関において意識するとは他者との関係からといえる。ひとは関係の中で、関係として存在している。他者との関係そのものが、私が私であることにとって不可避であって、私はつねに他者と関係している。このことこそが倫理の始原的意味である。この限りで、倫理学は第一哲学となるわけです。

2011年4月20日 (水)

熊野純彦「和辻哲郎─文人哲学者の軌跡」(2)

和辻は東京大学に入学します。地方の農村から東京という都会に出てくるわけです。当時の大都会の風景に和辻は目を見張ったのでしょう。このような農村を後にして都会に学んだ知識人の思考が、和辻の人間存在の空間性を「交通」と「通信」という現象から解き明かそうとする思考の源になっていると言います。和辻によれば、交通機関は本質的に「道」、つまり、人々がその上を動いて互いに交わり結合するところ、です。交通は人間関係の空間的表現であり、交通の仕方の固定したものが道です。交通とは人間と人間とが関係しあう具体的な姿であり、その交通を可能にするのが主体的な意味での空間です。交通が作り出し、交通をつくりだし、交通によって維持されているのが道です。その道を人が移動し、行き交う。このような道は、さまざまな人間の交わりのなかで、歴史的につくられてきたものです。道の延長や広がりは人間同士、集落、共同体の関係の延長に重なります。そして、和辻は交通論の中で、大都会の四つ辻の光景に触れ、多様に分化を遂げた経済的組織の中で、忙しく立ち働く都会の人々の群れを、“人間関係の動的な構造”と表現します。それは、地方の寒村から上京した学生の見た光景だったと思われます。

和辻は大学卒業と時を同じくして、結婚し、東洋大学で講座を持ちます。当時『日本古代文化』を刊行します。これは、当時の考古学的な研究を踏まえながら、なお、古事記や日本書紀の記述に価値を見出したことで広く知られるものです。しかし、単純に日本回帰とも言い切れないと著者は言います。例えば、日本民族が混合民族であることを強調している点。また、倫理学体系との関連では、「清明なる心」が、上代人の価値意識から取り出されてくる論脈です。和辻は、神話を「自然児の神化」と捉えて、「道徳的評価においても自然の無条件的肯定が見られる」ことに注目していました。上代人たちは「善悪の彼岸」に存在していたと言います。キヨアカキ心への注目も自然児としての上代人を評価する文脈のうちにあったといいます。「清明心」は、『倫理学』の中では「信頼」論の文脈で援用され、さらに『尊皇思想とその伝統』にいたり、「全体性の権威」という視点と、「清明心」を強く結合して論じ、「私」を保つことは、その見通されない点においてすでに清澄でなく濁っており、従ってキタナキ心クラキ心に他ならないが、さらにはそれは全体性の権威に背くものとして、当人自身にも後ろ暗い、気の引ける、曇った心境とならざるを得ない。と言っています。これは信頼を重んじる和辻の基本的な倫理観が出ています。

2011年4月19日 (火)

熊野純彦「和辻哲郎─文人哲学者の軌跡」(1)

Watuji 和辻哲郎の倫理学を軸に据えて、この文人哲学者の軌跡を追いかけた物。まず、晩年のエッセイをとりあげ、引退の静かな生活の中で日の出の太陽がまっすぐ上に上がっていかないことに気付いたという、注意しなければ読み飛ばしてしまうような掌編。ここで著者は注目すべきこととして、次の2点を挙げる。一つ目は、老境に入った和辻が朝日が真っ直ぐに昇らないということに対して子供のように驚き、素直にその驚きを書き綴っていること。もう一つは和辻のこの驚きが「黄道十二宮の知識」へと思いを馳せ、世界に対する驚嘆の感情が、はるか古代の知に対する驚愕の念を呼び起こしていること。和辻にあっては、哲学的な思考は何よりもまず、問題となる事柄の始原と原型を探り当てることを動機としていた、と著者は言います。

まず著者は、そんな和辻の哲学者としては珍しい自叙伝をたよりに軌跡を遡ります。和辻は、関西地方の小さな農村の医科に生まれた。と言うことは、農作業に直接かかわることはなく、といっても地主のような搾取する側にもなかったといっていい。和辻の父は医師として、医は仁術を実践するような人だったらしい。また、母親は、そのような職業事情から、農家のように農作業を手伝う必要もなく、地主のように奉公人を差配するというわけでもない、現在の専業主婦のような、当時としては珍しい存在のようだったという。著者は、和辻の家族論は、共同体論の基調からするとひどく異質なほどに近代家族像の影響が強いと指摘します。近代の成人女性は生産現場から排除され、家庭の中に収容されて「主婦」となっていく側面もありますが、和辻の家族論には、それだけに収斂しきれない二重性があると言います。家族は、二人共同体としての夫婦、三人共同体としての親子、あるいは兄弟姉妹などの各々の部分から構成されている。ここに、共同体の体系の一環で家族を見る姿勢が見られる。一方、これらが「家」という外から区切られた空間で、生活し、生命そのものを再生産する。この生命の再生産を共同するものが家族に他ならない。この空間の内部で生起するのが消費の、あるいは愛用の共同で、その共同の背後には、生産の共同の労働の共同がある。かつての農村共同体であれば、家政は生産と消費の両面でエコノミーの末端だった。和辻は、同じ竈で飯を食うことに家族の特徴を示している。というように伝統的なイエの姿を見ながらも、総体として近代的なものと言えた。そこに出ている屈折のひとつとして、主婦の問題の他に、マリノウスキーの性衝動の調査レポートの反映も指摘し、貞操の義務なども近代的なバックボーンによるものと著者は指摘しています。

和辻の家族論が、生家のあり方を負荷された思考であったと同じように、地縁共同体を巡る和辻倫理学の所論は、少年期の記憶と深く結びついていると著者は言います。和辻は地縁共同体を論じるに当たり、まず土地の意味から、論を起こします。ひとは家の外で労働すると同時に、隣と同じ道具によって労働を開始する。道具ばかりではない。耕作にとって不可欠な灌漑装置等の生産手段もまた、隣人たちと共用される。“ここに土地から見出される道具の社会性があり、そうしてその社会的な道具を見出す過程が「労働」なのである”この場である地縁共同体は、“文字通りに隣近所の共同存在、すなわち土地の共同としての共同存在”にあって、“土地の共同が同時に技術の共同や労働の共同を意味する”。ここで、エコノミーは家政から離れて人間存在の経済となります。また、このような共同体の歴史性について、ひとつの村の成員は、かつてはみななお幼い子供として隣の児の言葉や身振りをまねた。彼らは長じて遊び仲間となって、遊びの仕方を学び、そのことで共同体の生活での技術に習熟していく、このような子供から大人へのいとなみと、その背後にある蓄積され、また共有されたわざである、という彼の少年期の記憶と結び合っているが、彼自身は共有することはなかった。著者は、和辻は、かつての友とともに歳月を身に刻み込んだわけではないと言います。“今のこの村のかつての姿”を知ってはいても、かつての村の今の姿を和辻は知らない。そこで、和辻が倫理学構想において志向し、反復しようとした“始原的なるもの”は。たんに夢見られて、決して与えられることのなかった始原であって、それゆえにこそ痛切に求められたものだった、と一種の憧れのようなものと著者は指摘します。

2011年4月15日 (金)

三品和弘+三品ゼミ「総合スーパーの興亡」(5)

総合スーパー本体としては、これで三社の比較が凡そ見えてきたと思います。ザックリと言えば、ダイエーは戦略でジャスコに負け、マネジメントでイトーヨーカ堂に負けていたということになります。しかし、ここ10年から20年は総合スーパー事業で三社とも等しく苦戦を強いられてきました。それは、総合スーパーそのものに寿命がやって来たとも言えます。1990年代以降、売上は伸びても営業利益はむしろ落ち込んでいます。その理由は、もともと総合スーパーは食料品で客を呼び込み、衣料品や家庭用品、日用品で利益を確保していました。しかし、90年代初頭のカテゴリーキラーの台頭により、総合スーパーの利益構造に変化が生じたのです。衣料品はユニクロ、家具はニトリ、家電はヤマダ電機というように。これにより総合スーパーに残ったのは最も利益を稼げない、客を惹きつけるための手段であった食料品だけなのです。これまで総合スーパー主体の話でしたが、総合スーパーは実は事業そのものが曲がり角にある。だから、潰れてしまったダイエーと生き残ったイトーヨーカ堂、ジャスコを分けたのは転地が成功したかどうかだったのです。つまり、三社が総合スーパー以外に何をしていたかを見る必要があります。具体的には、単体決算から連結決算に指標を広げて見るわけです。まず、ダイエーは三社の中で多角化にもっとも力を入れてきたと言えます。総合スーパーの限界を感じ、これに次ぐ新たな事業の開拓に力を入れていました。しかし、総合スーパーに代わる柱の事業を生み出せず、加えてバブル崩壊後の不況によって収益源の総合スーパーの利益も悪化した結果、資産収支が悪化し、負債返済のために多角化した事業を売却せざるを得なくなりました。これに対して、イトーヨーカ堂は、ダイエーの無秩序な多角化とは違いグループでの方向性がはっきり見て取れます。総合スーパーに加えて、コンビニのセブンイレブン、百貨店のそごうや西武などを傘下にというように、多角化はすべて小売業絡みと芯が通っており、売り場あるビジネスで勝負していくという意志がうかがえます。そして、ジャスコは、売上の大部分は小売業が占めますが、営業利益に占める小売業の割合は3分の1です。残りの利益を稼いでいるのはデベロッパー業とサービス業です。スクラップ&ビルドで手に入れたノウハウを活用して店舗開発を自ら主導し、ショッピングセンター内に出店してもらった店舗からテナント収入を得ています。今やジャスコのライバルは、アウトレットを展開する三井不動産や三菱地所に代わってきています。そして、サービス業は主に金融業と卸売業です。金融業は小売りの補完、卸売業はトップバリュというプライベートブランドです。このようにジャスコはグループとしては不動産開発や卸売業といった小売業の前段階に進出し、垂直統合を目指してきました。これらの結果は、イトーヨーカ堂とジャスコは転地に成功したと言えます。さらに、海外に目を向けてみると、日本より発展が遅れている中国やタイなど海外では総合スーパーは多くの利益を獲得できるチャンスを秘めています。三社の中で海外展開に最も力を入れているのがジャスコです。海外店舗数は三社の中でずば抜けて多い。しかし、ジャスコの海外展開は着手は遅かったと言えます。しかし、90年代に各社が慎重になる中でジャスコのみが積極的でした。また、イトーヨーカ堂の海外店舗は中国のみです。しかも地域で密集して出店しており、日本から中国という違うフィールドに場所を移そうとも、狭い範囲に集中して出店する戦略に変化はありません。このように、視野を広げてグループ全体を見ても、海外を見ても、各社の特徴は変わらないということでした。それは、自分たちの総合スーパーとしての手口を他でも活かそうとしているからです。そして、その他が総合スーパーとしての元を超えていくこと、それが転地と言えます。では、このような転地は誰が決めるかといえば、本社ではありません、経営者です。つまり、各社の転地の差は各経営者の決断、行動の差ということになってきます。ここから、分析は佳境に入り各社の経営者の分析に入ります。

では、各経営者はと行きたいのですが、ここからは、ここまでのような精彩に欠けるように思います。ダイエーの中内さんは個人ですし、それぞれの経営者を前にして少し竦んでいるように思えます。具体的に実行された戦略的施策についての分析はこれまでのものに追加するほどのものはなく、経営者の伝記的事実から、発想の裏付けを確認するにとどまっているようにも思えます。ただ一つ、興味深かったのは、三人の経営者がそれぞれのアメリカの実情を視察し、それぞれにインパクトを受け、インパクトの受け方がその後の経営の個性に反映しているという点です。アメリカというお手本を三人の経営者がそれぞれ自分なりに咀嚼して、どのように経営を行っていったかという視点は、とても興味深かったです。

また、本書では直接何も書かれていなかったのですが、また、潰れてしまったということでダイエーについては、良くは書かれていませんでしたが、イトーヨーカ堂もジャスコも実はダイエーあっての二社だったのではないかということが、ここでは読み取れるように思います。というのは、二社が成功している戦略は彼らが独自に考えているというよりは、(実際には、当時は、彼らは彼らで必死に考えていたわけですが)ダイエーをメルクマークとして、言うならば参考として、反面教師として、考えていたとか思えない。極端なことをいえば、彼らの特徴的な戦略についても、結果的にこうなったもので、彼らが生き残るためにはダイエーのやらないことを模索しているうちに、こうなったというようなダイエーの影が二社の戦略にチラついてくるのです。とはいっても、ここで分析された二社の戦略は見事ですし、結果として生き残っているのでしょうけれど。そこで、経営者の分析のところで、学生たちの分析で抜けているのは、競争している三社の戦略の相互作用というのか、相互連関なのです。当然、競争しているわけですから、ライバルに勝つにはどうしたらいいのか、ということは戦略の中の重要なポイントです。それがここでの分析では抜け落ちているように思います。本書でん印象は三社が別個に独自に戦略を立てて別々に事業を進めてきたように見えます。言うなれば、100m競争をそれぞれがコースを決められたセパレートコースで競争しているようなものです。しかし、実際のビジネスの現場は、長距離のオープンコースのようなコースの取り合いのような場合が多いのです。事業戦略が他社の戦略と交錯し、鍔迫り合いが合ったりします、そこで戦略を修正したり、無理を通したりします。そのようなプロセスが見えなかったのが残念です。とくに、私が感じたようなダイエーの良くも悪くもリーディングカンパニーとして、他の二社の戦略の選択に影響を与えたかどうかのようなことは、分析してほしかったと思いました。

あるIR担当者の雑感(24)~IR支援ツール作成支援の必要性

先日、少し話したIRツール作成支援についてです。何のことかというと、IR支援をしてくれる業者というのがあり、例えば、決算説明会の会場手配や案内状の作成と送付、当日の運営をお手伝いしますとか、また、説明会で使用する説明資料(ほとんどの会社はパワーポイントで作成する。これに対しては、私は以前に懐疑的な考えを述べたことがあります)の作成をお手伝いします、というか作成を請け負いますというのとか、個人投資家向けの説明会をアレンジしますとか、前回の記事のようにシステムを提供しますということをするサービスです。

私も、この仕事に携わった当初は、とくに、私の勤め先はそれまでIR活動を行っておらず、何をどうやっていいのか、全く分からず手探りで資料をつくり説明会を始めたときには、このような支援というのは、とてもありがたいものだったと思います。しかし、このような説明会の運営とかツールの作成とかいうようなものは、2~3回やってみれば、だんだん慣れてきて基本的なことは自分でできるようになってしまうものです。だから、こういう支援は、必要なくなってしまうのです。それで、新規上場したというような場合には、最初、このような支援会社のお世話になって、その後暫くするとお払い箱ということになるのが、お決まりのルートのように思います。それでは、成長性がないではないかということになります。しかし、これまでは、日本企業がIRに慣れていなかったとか、今まで全然やっていなくてIRを始めるという会社が結構あったので、新規需要が絶えることがなかったという状況があったと思います。それで、商売として成り立っていた、伸びていたわけです。

でも、今では、新規上場はほとんどないし、IRから撤退する会社も出てきている状況で新規獲得が難しくなってきている。それで不思議なのは、既存の支援先で、もう自分でできるからもういいや、ということで切り捨てられないでいるということです。ひとつ考えられるのは、IR担当者、あるいは担当部署が契約を打ち切ることを契機にしてIR予算を削られてしまうことを恐れて、契約をズルズル伸ばしているケース、もうひとつは、支援会社による支援を当然のことと考え自分でやろうとしない会社があることくらいでしょうか。もし、こういうことが現実にあるとしたら、残念なことですが。

なぜ残念なのかというと、IRというのは投資家との関係づくりというのは、私が、この場で何回も繰り返し申し述べてきたことですが、このことから、当然出てくるものです。つまり、初対面で話していることと、段々会う機会が増えて会話を重ねてくると、初対面のときのような話の内容では、お互いに満足できなくなるということです。IRの場に即して言えば、仮に最初は支援会社にたすけてもらって資料をつくり、説明会を行ったとしても、回を重ねていくうちに、ずっと出席している人にとっても、毎回話している内容が変わらないのであれば、つまり、進歩がないのであれば、次の説明会に出席しようという考えが起こらなくなるということです。そんなことを言っても、毎年の決算は違うのだから、それだけで前回と全く同じということはありえないだろうという指摘はあります。もっともなことです。確かにそうです。しかし、それは毎年著しく成長しているような会社や有名な大企業のような、黙っていても説明会に多数の参加者が集まるような会社です。私の勤め先のような会社は、何度も言いますが、市場でパッとしない会社は、説明会のレベルが変わり映えしなければ、次は来てくれない危険が高いのです。前回に比べて何か改善点が見られるようでないといけないというのは、私にとっては強迫観念のようになっています。単なる説明会かもしれませんが、そこで課題があるのに、それを放置して毎回同じことを繰り返しているような会社は、本業でも課題を先送りして現状に甘んじているのではないか、そう受け取られても仕方がない、一事が万事ということもあります。投資家に対してはIRが会社の最前線ですから。

それから、ここで以前にも何回も述べたことだと思いますが、定量的情報として決算数値やそのベースとなるデータを明らかにすることは大切ですが、その数値が実績として出てくる前に、会社は何をしようとしたのか、その動機としてどのような姿勢で、どのような考えでいるのか、ということを経営者が語るのが説明会の主なポイントと思っています。定量的情報に関しては投資家の人たちは分析のプロですから、ある程度のデータがあれば、プロの力で分析すると思います。しかし、その数字の背後にあるものについては、いくらでも深堀ができるものですが、外部の人間に丸投げでは、その表面をなぞるだけで終わってしまうでしょう。視点を変えて見ると、このような作業というのは企業のアイデンテティでもあるわけです。投資家という外部とのコミニュケィションのプロセスで、自己認識を深めていくというダイナミックなものでもあるのです。というのは、説明会では会社が一方的に説明するだけということはありません。必ず質疑応答があって、そのような会社の説明に対する質問や意見が出席者から出てくることになるわけで、説明した自己認識に対するフィードバックがあるわけで、そこで認識について鍛えられることにもなるわけです。このような場合、ツール作りを手伝いますというような業者では、単にツール作りの手法だけでは追いつけなくなる、実際には、表面的な手法ではたりず、その内容について、何を、どのように、考えていくかという作業が中心になっていくわけですから。

実は、企業活動というのも、これと同じで、資本主義社会にいる限りは、企業は生き残っていくためには成長していかなければならない。だから、毎年の企業活動は同じようなことをやっているようでも、何かしらの進歩、あるいは拡大が進んでいっているわけで、IR活動についても同じなのです。では、ツール作りを手伝うとか、ツールを提供するという支援業者がこれについていく、あるいは、クライアントをリードして導いてあげるためには、クライアントの会社の実情に担当者以上に首を突っ込むことがないと理論的には難しい。それが、実際にできるか、あるいは、やろうとしているか、というと難しいでしょうね。

私のような考えのIR担当者が全てとは言えませんが。多かれ少なかれ、IRとはそういうものではないか、とすれば、このような支援業者というのはIRが全体的に進歩すれば、新規上場企業やIRに熱心でない企業以外には、ニーズがなくなっていくように思えるのです。

2011年4月14日 (木)

三品和弘+三品ゼミ「総合スーパーの興亡」(4)

次に、組織について分析を進めます。企業がどれだけ出店と管理について政策をたてても、それを実際に動かす組織がうまく機能しないと良い業績は出せない。そこで、組織図と役員人事という二つのルートから探求します。まず、ダイエーを見ると社長がすべての部門を管理する形態となっています。「中内さんのワンマン経営」というのが組織に表れています。すばやい意思決定を可能にし、一元管理できるという意味で、必ずしもワンマン経営が悪いわけではありません。しかし、当時、売上高第一位だった大きな組織では、一人の人間が管理できる範囲に限界があり、それによる弊害があったのではないかと考えられます。イトーヨーカ堂は管理本部と営業本部を対置させ、商品カテゴリーごとの事業部とし、利益責任を明確にしていることが分かります。最後に、ジャスコは、商品カテゴリと地域カテゴリのマトリックス型組織で管理している、また新規出店にかかわる開発担当を管理担当や営業担当と並列的にして比較強い権力を持たせているといえます。これが10年後には、ダイエーは地域本部がつくられ店長と社長の間に入ることにより、店長の権限が強化されたようです。イトーヨーカ堂は変化なく、ジャスコは業態ごとの小売管理がされている点で変化しています。ここから見えるのは、ダイエーの多角化戦略が10年後縮小化に転じたこと、イトーヨーカ堂は管理を徹底して利益が上がるように組織を整え、その結果が健全な財務体質の実現でした。また、ジャスコはスクラップ&ビルドで成長してきたことを反映し開発部門を一貫して重要なポジションに置いていたことが分かります。このように各社の方向性の違いに応じて、組織も違うことが分かります。次に、役員の在任年数と人数を見るのは、次のよう点を見たいからです。第一に、役員の在任年数とその人数を見ることで、各企業がどの方向に向かって経営を行っていることが分かるということ。第二に、企業の方向性を決める担い手である役員も2、3年で異動となると状況の把握だけで終わり、長期的な視点で戦略を考えることが難しくなることです。まず、商品仕入れ部門について、ダイエーは本部一括仕入れを行うことで規模の経済を活用し、低価格で商品を仕入れてきました。しかし、この方針により全国画一的な品揃えということになってしまいました。一方イトーヨーカ堂チームマーチャダイジングと言われるメーカーや卸売業との組織を横断したプロジェクトチームによる活動を本格的に始めました。消費者情報を集め分析し、その情報を生産者にオープンに伝えることで顧客ニーズ合った品揃えすることを目指したものです。このようなことから、イトーヨーカ堂が他の二社より担当役員の任期は長期になっています。いかにイトーヨーカ堂が商品仕入れに尽力しているかが分かります。また、新店舗開発の役員については、イトーヨーカ堂がダントツで長期の役員ですが他の二社は比較的短期の任期で、長期的なスパンで出店計画を考えているとは言いにくい。これらのことからダイエーとジャスコが多く短く、イトーヨーカ堂が少なく長くという傾向が存在することが見て取れました。つまり、ダイエーとジャスコでは数年間で異動となっているケースが多く存在し、対して、イトーヨーカ堂では少人数で長期間同じ業務に携わり、経営政策を練っているということです。そして、イトーヨーカ堂は新業態であるセブンイレブンと、総合スーパーの本業に徹していることが役員の分析からも分かります。

2011年4月13日 (水)

三品和弘+三品ゼミ「総合スーパーの興亡」(3)

これを次に経営管理の点から見ていきます。まず、三社の売上高の推移を見て、その後営業利益率の推移を見てみると、ダイエーの凋落に対して、イトーヨーカ堂は売り上げが安定していた一方で営業利益率がダントツに高いことが分かります。ダイエーの全盛期でも営業利益率ではイトーヨーカ堂が遥かに勝っていたのです。さらに、売上原価率を比べて見ると、イトーヨーカ堂の粗利益率は他の二社に比べて6ポイント近く高いというデパート並の高さだったのです。では、イトーヨーカ堂はデパートのように、比較的利益を大きく取る厚利少売というようなスタイルだったのでしょうか。これを確かめるため商品回転率を見ます。これを見るとイトーヨーカ堂は他の二社に対して商品回転率でも非常に優れ、上回っています。これらことから、イトーヨーカ堂が単に、商品を高い利幅で売っていたわけでも、安売りで商品をたくさん売っていたわけでもないことが分かります。そして、販売・一般管理費を三社で比べて見ると、明確な差は見られません。しかし、その内訳に各社の特徴が現れます。それは「従業員重視のジャスコ」「顧客とのコミュニケーション重視のイトーヨーカ堂」「削りまくるしかなかったダイエー」です。この中で、特徴的なのはイトーヨーカ堂です。販管費の増加傾向の中で、他の費用は抑えることに成功していながら、宣伝装飾費の割合は逆に増加しています。これは顧客とのコミュニケーションに関するコスト大切なものだとしては安易に削らなかったと言えます。そして、分析はさらに進み、営業利益の中のその他の営業利益に着目します。これが特徴的に多いのはジャスコです。原価率や商品回転率、販管比率を見てもパッとしなかったジャスコですが、ここで8%近い数値を稼いでいます。ジャスコは、ここで勝負していたといっても過言ではありません。その中身は主に不動産賃貸収入などです。端的に言えば、テナントから得られる収入です。一方、貸借対照表に目を転じて、新規出店のための資本調達方針を探っていきます。イトーヨーカ堂の自己資本比率が一貫して高い水準にあり、他の二社に比べて財務的な安定性を重視した慎重な経営方針を持っていることがよみとれます。人にたくさん借りてでも商品をたくさん仕入れてたくさん売るのではなく、なるべく人に頼らず、自分のお金で買える範囲で利益を上げていこうという方針です。この内訳を見てみると各社とも資本金部分に大きな差異はありません。次に利益の内部留保による自己資本の増加については、配当性向についてみると、注目すべきは、イトーヨーカ堂の配当性向の低さで、利益を内部留保し自己資本の強化に努めていることになるというわけです。目先の配当より将来のために利益のために資金を蓄えるという方針です。かつてのダイエーが手厚い配当政策を行っていたのと好対照といえます。一方、負債額を見てみると、イトーヨーカ堂が一貫して低い水準にあります。これらから、三社の違いを次のように言うことができます。理恵区立などの「質」ではなく、売上高という「量」の成長を目的として、負債を利用してでも拡大路線をとってきたダイエー、逆に、負債の利用は抑え自己資本比率を高めるといった堅実路線を取り、効率良く利益を出してきたイトーヨーカ堂、小売業だけで勝負するのではなく、デベロッパー事業などにも力を入れ、時代に合わせて様々な方向から利益を得ることを目指したジャスコといった各社の方針の違いを見ることができます。

2011年4月12日 (火)

あるIR担当者の雑感(23)~ある売り込み、後日談

ある売り込みということで、ここに、感心した話を載せましたが、その後日談です。端的にいえば、がっかりしたということです。続きから話すと、前回感心したと申し上げた代理店の若い担当者と開発会社の社長さんが見えられました。最初のあいさつと、お詫びの後、少し話した後で、その社長さん、私の勤め先は機関投資家が1社しか投資していないから個人投資家に対するIRを行うべきだと仰り、ついては個人投資家や個人株主のテータベースのいいツールがあると製品説明を始めたのでした。

たしかに、営業的には、売り込みに行った先が何も反応がないよりは、今回の私のように真正面から反応した先の方が見込み先としては、無視した先よりも見込みがあるというので、ここをプッシュしようというのは正しい。だから、売り込みをするというのは納得できないことではありません。

しかし、今回は、その会社の姿勢に対して、私の場合は真正面から信頼できないということで、その理由をメールで送り断ったわけです。それに対して、お詫び、その内容について話をしたいとのことでした。私は、そこで誤解をしてしまったのでしたが、株式市場に対する議論とか、IR活動に関する議論などをするものと思っていたのでした。というのは、これまで私が出会ったファンドマネージャーやアナリストのような市場関係者は、それぞれに利益を追求する厳しい環境で勝負している人たちですが、市場とか市場に上場している上場会社を盛り立てていこうという考えを根底に持っている人が多かったからです。彼らとしては、上場会社が元気で市場が盛り上がらなければ、自身の商売も厳しくなるわけですが、それだけにとどまらず、日本の市場を何とかとしようとか、日本の企業を応援しようというような思いのようなもの、市場で商売をしているからこそ、市場に対する敬意のようなものが感じられたわけです。私の場合も、端くれとは言え上場している会社のIR担当として、最低限の市場に対する敬意とか、それだけにそういう人々に対しては根本的な信頼感を持っているわけです。でなければ、積極的に企業情報を伝えようなどということはできません。そこには、暗黙の信頼関係というのか、お互いに敬意を持つような関係が前提されていると思っています。それで、今回は、その社長さんもIRコンサルとしてのキャリアが長いということもあって、さっき書いたような話ができると思っていました。残念ながら期待外れでした。

しかも、前回の売り込みに対して私が言ったことは、考慮されていないような売り込みで、話を聞いているうちに残念は失望に変わりました。以前、このブログに書いたように、私の考え方では、広く無制限な対象に向けるよりは、差別化を図りある程度対象を絞って、まずは知名度の低い小さな企業でも有効なところからIR活動をしていこう、それで徐々に対象を広げていきたいという考えでした。それを少しお話したら、趣旨はよく分からないようでしたが、マーケティングではターゲティングに当たるとして、個人株主のデータベースがあるから、そこから地域別、年齢別、投資目的別の検索が可能だ、というような売り込みでした。とりあえず、私の基本的姿勢としては、個人投資家に向けて会社を売り込みましょうということよりも、どのようにしてIRをしていくか、売り込むというよりも関係づくりをどのようにしていくかが大切で、このようにただ売り込むというのは、そもそも姿勢が違うということなのです。それは、個人投資家ではありませんが、機関投資家のファンドマネージャーやアナリストの人たちとのミーティングなどを通じた実感などから考えてきたことです。そして、個人投資家といってひとつの枠に括るのも考えものですが、勉強している人はプロの投資家にも引けを取らない人も増えていると聞きます。だから、基本的には、個人投資家の人には(全部ではないでしょうが)、私の考えていることは有効ではないかと考えるのです。さて、ここで売り込まれているツールというのは、そのような私の考えでは、役に立たないのです。私の考えているような手法では、それこそ口コミのような一人ひとりとの対話を積み上げようというものですから。だから、そういうツールを売り込むのなら、しかも、IRコンサルが長いというキャリアがあるのなら、私の姿勢は正しくないということを説明してくれても、いいものです。(むしろ、私はそういう議論ができるものと期待していました)それで、ツールを売り込むということをしてほしかったと思いました。

また、百歩譲って、私が自分の姿勢に固執しないとしても、データベースの内容に対しては疑問が多いです。まず、個人投資家のデータベースと言いますが、母集団が疑わしい、この会社は株式ナビという個人投資家向けのサイトを持っているのですが、その登録者が母集団なのでしょうが、その傾向性が分からない。だから、その中でターゲティングしても元々の母集団そのものがターゲティングの対象から漏れてしまう可能性もあるわけです。で、地域や年齢、性別で絞り込むのはいいとして、投資目的で本当に絞り込めるのか。例えば、この会社は投資目的を、投資先の安定性、成長性、配当性向というように分類していたようですが、成長性といっても短期的なものか長期的なものかによって違いますし、仮に配当性向で投資していても成長を望まないわけがない。また、分散投資をしている人は、それぞれの投資銘柄で目的を分けているはずです。だから単純に絞り込めないのです。

そもそも、私の考えでは、いわゆるIR支援会社として、説明会の支援をしますとか、会社説明のツール作成しますとか、この売り込みのようにシステムを売り込むというような、ツール商売というのは、もうこれ以上の将来性はないのではないかと思っています。(これは、後日、別に書きたいです)

というわけで、今回はとても後味の苦い結果となってしまいました。今回の記事は、かなり個人的な事情もあり、読んでも理解しにくいところがあるかもしれません。なかなか整理がつきにくいまま、アップしたことについてはお詫びします。

三品和弘+三品ゼミ「総合スーパーの興亡」(2)

そこで、さらに探した結果、意外なところに要因が見つかりました。彼らが見出した決定因は開店年度だったのです。つまり、開店年度が遅ければ遅いほど、店舗が新しいと店舗の売上において競合店より勝っている、ということになったのです。

ということは、最初の「良い店長さんがいると、店舗の売上も良い」という仮説は成り立たなくなります。店舗が新しい方が勝つということなら、新店舗を出すことを決めるのは本社の企画ということになります。そこで、彼らは視点を本社に移します。かれらは、各社の有価証券報告書や財務諸表を読み砕き、ビックスリーの出店政策を焙り出していきました。そこで、ビッグ・スリーの特徴は「規模のダイエー」「集中のイトーヨーカ堂」「転換のジャスコ」と特徴づけます。このような特徴が現れる原因として、次の3点が考えられます。まず、新規出店といっても、多大なコストがかかるため、限られた出店数で最大限の効果を発揮する政策が求められる。また、新しい店を出店しても、数年後、その近郊に他社が新たに出店すると、客を奪われてしまう。そのためには出店されない工夫も必要になる。そして第三に、古くなった店舗への対応です。新しい店舗を出す攻めの姿勢も大切ですが、古くなった店舗をどうするのかという守りの政策も同じように重要といえます。このような難しい課題に対して、三社は三様の解答をつくり、真正面から取り組んだことを焙り出します。分析の切り口は、新しい店舗の数と立地から見ていきます。

まずは、出店5年以内の店舗数の推移を比較してみると、ジャスコが新しい店の割合を増やしているのが一目瞭然です。ジャスコが多くの店舗を出店できるのは土地をリースしているからです。また、閉店店舗数を比べて見ると、ジャスコは毎年平均5店舗を閉店させており、古くなり競争力を失った店舗を閉店し、新しい店舗を出す、いわゆるスクラップ&ビルドの手法をとっていることが分かります。また、ダイエーも一時的に閉店をまとめて行っていますが、合併によって受け入れた店舗が自社の規格に合わないため、閉店したもので、競争力の低下した古い店舗を閉店させるという考えはなかったものと考えられます。これらに比べてイトーヨーカ堂は閉店店舗数が極端に少ないことが分かります。これは一度作った店は潰さないという考えがあるようです。その理由は、別に考えます。

次に立地の点から見ています。ミクロの視点により駅から距離によって店舗分布を見ていくと、ダイエーとイトーヨーカ堂は駅から近い店舗が多いのですが、ジャスコの店舗は、とくに新規出店の大半は郊外にあります。あきらかに、他の二社とは異なる政策で、これはSC(ショッピング・センター)といえます。つまり、従来の駅前総合スーパーというビジネスモデルからいち早く脱皮し、SCのテナントの一つとして総合スーパーを出店させるしすえ姿へと転換しているのが分かります。今度は、マクロな視点で日本のどの地域に出店しているかを見ていきます。ここには三社の特徴がよく出ています。まず、イトーヨーカ堂は、関東に集中的に出店しています。ドミナント出店と呼ばれる出店方法です。関東に集中して出店しているため、狭い範囲に多数のイトーヨーカ堂の店舗が存在します。そのため、他社の店舗が出店する隙間がないと言えます。そのため競合店の新たな出店を防ぎ、古い店舗でも競争力を保てるという仕組みです。これが、イトーヨーカ堂が店舗を閉鎖させない理由と考えられます。赤字店舗を一店閉店させることで、そのテンポの赤字が解消されるとしても、結果的には、競合店が出店してしまい、影響が他の店舗に及ぶことになります。その影響を考え、店舗を閉鎖することがなかったのです。これに対して、ダイエーは拡大志向が強いと言えます。店舗を合併により多数の店舗に拡大しました。ここに、新しい店舗が強いということに対しての対応策は見られません。ジャスコは広く分散して出店しています。これは、新しい店舗を増加させることと、いかにうまくSCを利用するかということの二つが出店政策の軸だからです。

2011年4月11日 (月)

三品和弘+三品ゼミ「総合スーパーの興亡」(1)

Super 「競争戦略を問い直す」なんかで割合著名な三品先生の神戸大学のゼミ生による、ダイエー、イトーヨーカー堂、ジャスコという3大総合スーパーの戦略の分析と、ダイエーはなぜ破たんしたかという分析を、学生たちの追跡をドキュメントのように学生たち自身が記した本。文章はたどたどしいところがあり、分析は一面的なところはあるかもしれませんが、筋は通っており、説得的で、読みやすさもあって一気に読了してしまいました。

日本の総合スーパーは1960年代アメリカのGMSと呼ばれるワンストップ・ショッピングの形態、食料品を除く日用品雑貨から家具などの買回り品まで、幅広い品揃えを実現した小売り業態、を参考に作られて行ったものです。しかし、日本の総合スーパーは、アメリカのGMSという業態をありのまま取入れるのではなく、日本の土地や消費者に適した形で発展します。例えば、食料品と衣料品を中心として取扱い、来店者の頻度は高く、立地でも駅前が主です。このような総合スーパーの代表的な3社、ダイエー、イトーヨーカ堂、ジャスコは、他を売上で大きく上回りビッグ・スリーと呼ばれました。これら3社を比較研究することで、総合スーパー業界の戦略が見えてくるのではないかというのが、この研究の意図です。

で、最初にかれらが着目したのが各店舗の店長です。総合スーパーでは店長が大事だという表現が一般的です。店長は総合スーパーの要とも言える現場の意思決定を全て行っているところに着目します。来店客の心をつかむ現場を大事にしなければ、客は店から離れてしまう。「カスタマーサティスファクション(顧客満足)は現場の頑張りに依存する」というテーゼを立て、そり現場を指示一つで良くも悪くもできる「店長」の存在は総合スーパーにおいて要であると仮定する。そこから「良い店長さんがいると、店舗の売上も良い」という仮説を立て、それを検証しようとします。そのため、ビッグ・スリーが競合しているところをピックアップして、実際に現場に調査に出向きます。調査の客観性を確保するためチェックシートを予め作成し、項目ごとにポイントを付けて競合する店舗を比較しようというものでした。しかし、残念ながら、この仮説は立証されませんでした。つまり、チェックシートでの調査や来店客の聞き取り調査などから評価した店舗の優劣と売上が一致していなかったことが明らかになったわけです。

では、売上の優劣はどこで別れるのか、彼らは考えます。次に考えたのは、「価格が低ければ店舗の売上も良い」でした。そして、競合する店舗の勝敗と価格の相関関係を調べます。全部の価格は無理ですから、どの店舗にもおいているような商品を選び、それらの値段を調査しました。しかし、これも連動性は見られませんでした。

そして、さらに仮説を立てます。それが「駅から近ければ、店舗の売上も良い」です。そこで、駅からの所要時間の差と店舗の勝敗の相関関係を見ようとしました。しかし、これも関係が見つかりませんでした。

では、競合する店舗の勝負は、いったいどこで決まるのか?

2011年4月10日 (日)

あるIR担当者の雑感(22)~ある売り込み

先日、ある売り込みを受けました。

IRは関係づくりだという面もあり、情報を得ることもあるので、この関係のアポイントには、できる限り応じることにしています。しかし、今回のアポイントの電話は、ちょうど打ち合わせ中にありました。その打ち合わせがちょうど佳境にあり、お座なりに断りを入れようとしたところ、相手が熱意をもって話してきたので、断りきれず応じることになりました。

で、実際に会ってみると、中身としてはデータベースシステムの開発会社の人を同道してのプレゼンで、電話でアポをとってきたのは、代理店のような会社で、若い営業担当者でしたが、その商品そのものに対しては、特にここでコメントすべきことはありません。しかし、その後の対応には、教えられました。

少し、些末な議論が入り込むことになりますが、こういうことです。プレゼンに対して、私は断り旨をメールで送りました。売り込まれたのは、IR活動の対象となる機関投資家などの状況、どういうところに投資しているかとか、所属するファンドマネージャーの動向などをデータベース化して、専用のウェブサイトを設け、そこに登録したIDでログインして、ミーティングや説明会のセッティング等に役立てようというものでした。発想としては(プレゼンでも売り文句になっていましたが)IR活動を会社を売り込む行為と位置づけ、そのためのマーケティング・ツールとして活用するというものでした。

しかし、この会社は以前にも売り込みに来たことがありました。どうやら、プレゼンの際には、そのことは情報として持っていなかったようでした。私としては、マーケティング・ツールを売り込む会社が、自社の営業活動をデータ化してマーケティングしていなかったということで、信頼できず、私はプレゼンに対して興味を持てず、断りました。

で、話を戻すと、断りのメールには、以上で述べたようなことを理由として書き添えました。ふつうなら、そこで終わりです。ところが、この会社、というか、この担当者は、私が送ったメールの趣旨を上司に伝え、(どうやら、社長にも伝わったらしい)、プレゼンに同道した開発元に、意見として伝え、改善を求めたということを、後日、私に連絡してきました。

飛び込みでアポをとり、1度しかあったことのない会社の担当者で、しかも、その会社は売り込みを断ったところです。また、私の勤め先は、ここで何度も書いているように、投資の対象としては、パッとした会社ではありません。市場では、取るに足らないところでしょう。強いて言えば、売り込みに対して興味が湧かなければ、無視すればいいところを、とりあえず理由を付した断りのメールを送ったことぐらいでしょう。これに対して、真正面から応えるような動き、多分、担当者や会社にとっては、契約が取れるわけではないので、当面、一文の得にもならない行為でしょう。それを敢えてした、ということに感心しました。

しかも、担当者が動く、ということにとどまらず、製品の開発会社にも連絡したということは、社長も通して、会社として連絡したはずです。ということは、会社として動いたことになるでしょう。代理店と開発会社の力関係からいえば、あまり気軽にできることではないはずです。それも、使用しているユーザーからの意見ではなくて、単に一度売り込んだ先からの意見です。そこに、その会社の姿勢というのか、誠意というのか。また、営業の若い担当者の意見が社長まで、しかも、どちらかというと会社に対して良くない意見が迅速に伝わるという風通しのよさ、というものを非常に感じました。誠意を感じるとか信頼するとか、こういう効率的な活動というようなことには反するような、言ってみれば、余計なことから伝わることなのかもしれません。

とくに、私が関わっているIRというのは、言うなれば会社を売り込むようなものです。いま、業績がよくて伸びている。それはそれでいいのでしょうけれど、必ず、企業活動にはいい時もあり、悪い時もある。投資家は企業の状況が悪ければ株を売ってしまえばいいという見方もあるでしょう、ある程度中長期的に投資しようという場合には、目先だけではなくて、いい時、悪い時、その会社がどうなのか、投資先として信頼できるのか、ということも大切なことになると思います。その時に、投資家と会社との間をつなぐのがIRの仕事だと思っています。そう考えると、今回の売り込みに関するやり取りは、たいへん教えられました。

そして、開発会社の社長より、私のところに直接電話がありました。お詫びかたがた、話をしたいとのことで、社長自らが連絡し訪問してくるということで、なおさら感心したわけです。

2011年4月 9日 (土)

あるIR担当者の雑感(21)~トップが語る

日立製作所の中西社長さんが記者会見を行ったことが報道されていました。日立製作所と言えば、福島の原子力発電所の製作にもかかわった渦中の企業です。原子力発電所の状態は終息に向かっているとは言えず、未だに予断が許されないという緊急事態が続いている状況下での記者会見で、このような時に、よくやったものだと思いました。感心しました。内容は報道されているので、ご存知かと思いますが、福島の原発に対しては、3月11日の時点で対策室を設置し態勢をとっていたとのことで、現在は300人が原発に入って作業に当たっている、原発事業について今後どうするか(訊く方としては、一番ききたいことですが、現に、今、事態の収拾に向けての真っ最中の側としては、こんな時に、答えたくない質問だと思います)ということに対しては、安全性を加味して事業は継続させていく、と答えたそうです。今、こんなことは言いにくいと思いますが、この社長は、記者会見をすれば、こういう質問が出てくることは、当然予想できることで、その覚悟の上で、敢えて言ったのだと思います。そのプレッシャーは、私には想像できませんが、すごいものだと思います。とくに、このことは、福島原発の現場で作業している原子力事業関係の日立の社員には、大きな力づけとなったのではないかと思います。彼らの今やっていることは、単に事態の収拾だけでなく、将来に向けたものという位置づけができることになるわけですから。

トップが力強く、語るということは、社内に向けては、もとより、IRとしても、投資家の人たちには、素晴らしい情報発信になるのではないでしょうか。一番知りたいときに、一番知りたい情報をトップ自らが発信してくれる。このことは、もちろんですが。それ以上に、この状況でトップが力強く語る、ということは、そのトップの覚悟やリーダーシップが鮮明に印象づけられるものではないかと思います。中西社長は記者会見の中で、数か月かかると考えていた生産体制の復旧は9割がた進んでいるとのことで、日立製作所の本拠地の日立市は被災していて、原発対処もしながら、ここまで進んでいる日立の底力というのはすごいと思ってしまうわけです。

で、こういうすごい会社のIR態勢はどうかというと、ホームページは東日本大震災体制の専用ページがつくられ、ニュースリリースがたびたび出され、CSRのページは震災対策とつながるなど、それなりのことが為されているようです。しかし、惜しむらくは、今般の社長の会見の概要だけでも出しておいてほしい。

でも、こういうのを目の当たりにすると、トップが語るべき時に語るべきことを力強く語る、これ以上のIRはないですね。と思います。これがなかなか、できないものではあるのですが。

2011年4月 8日 (金)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(9)

このような実存の文脈で美学を考える時に欠かせないのが、解釈学なのだと著者は言います。科学が研究者の主観をゼロにして客観的に語らせようとするのに対して、歴史研究は研究者と歴史との対話と言えます。こういう事態を歴史は解釈だと表明して、その構造を明らかにしようとしたのが解釈学です。これは歴史学のみならず、美学にとっても重要な視点を提供します。例えばねクラシック音楽の演奏は作曲者の作品を解釈するという性格を含んでいるし、これを聴く鑑賞者との対話という面も無視できないからです。ポール・リクールという解釈学者は、構造主義の批判の中から解釈学を主張しました。構造主義とは、部分的な物事の意味は、それら部分の属している全体の構造によって決定されるという考え方です。このベースにはソシュールの言語学理論があります。言語の意味は社会的な習慣で決まっていて、その決まり方はまず全体があって、その全体システムが部分の価値(意味)を決定する。全体がどのように区切られ、そしてその区切られ部分が関係づけられているかよって部分の意味が決まるというものです。

この考えは、概念(意味)がそれを表わす記号としての音のまとまりに先立って存在しているという、イデア論にまでさかのぼれる観念論の否定です。概念が先に頭の中にあって、それを表わすために言語ができたのではなく、全体の構造化としての言語の成立とその意味としての概念の確定とは同時なのだというのが、構造主義の主張です。このように考えると、言語と思考は一体のものであり、言語から切り離された思考は存在しないことになります。ところで、言語の意味は社会的な慣習によって決まっているものでした。だから、思考も社会的なものということになってしまいます。もしそうなら、個人的な思考ができなくなることになる。試行は全て社会的なものになってしまうことになるわけです。

これに対して、リクールは、メタファー論を展開します。メタファーとは、簡単に定義すれば、主語と述語の関係として本来の規則では結びつけてはいけないものを結び付けて成立する表現のことを言います。たとえば、「あなたは私の太陽だ」というようなものです。これは文法的には違反の表現で訂正されるか、意味不明とされるかするものです。このとき、このような文章の読み手が、本来なら捨て去るべきものに対して、何らかの意味があるかもしれないとして保持されるのです。このときの読み手は何をしているのでしょうか。一方書き手は、社会慣習的に成立している言語を、本来の能力を超えたきわめて個人的な体験を言葉の具体的イメージをそのまま提示することで、読み手の解釈により慣習を超えた何かを伝達することを期待する試みです。この背後にあるのは、慣習に収まりきれないと感じた個人的な体験と言えますが、この個人とは、これまで考えてきた実存に重なるものと言えます。実存とは唯一かけがえのない存在としての自己であり、常に今ある自己を乗り越えて新たな自己になろうとする存在です。このような唯一の存在、他の存在と共通の尺度を持たないものとなります。共通の尺度を持たないものは、社会慣習的に定められた言語とは相容れない。さらに、実存の絶えず今ある自己を乗り越えるという性格から解釈について考えてみると、作品の意味をあれこれ考えることが解釈ですが、作品の意味として正しいもの、つまり正解が得られるものではない、ということは最初から分かっている。それでも、あれこれ考える。その理由は、作品解釈は作品の意味を確定することではなくて、解釈者自身が逆に照らし出されることが重要なことだからです。そして、最後に、解釈するということは作者の実存と読者の実存との対話となるからです。読者はこの対話によって、自己自身を知り、知ることによって、その自己を乗り越えて新たな自己となる可能性が開けてくる。そこでは、実存の絶えざる前進のための条件として、芸術作品との出会いがあるのです。

最後に、著者は思想を維持し完成するためにはイメージが必要であり、イメージは美となるために思想を必要とする。思想とイメージの相互補完関係の問題として美学を考えてきたといいます。ここでの考察の導きの糸としたのは人生観の問題です。「人生をいかに生きたらよいのか」ということです。

それで、読んでいて、これは教科書なのだなという感じが強くしました。それぞれの項目は噛み砕いてあり、分かり易くて、ここまで著者がリスクを負ってまで噛み砕いた勇気には敬服します。独善的と言われること、説明の理解に誤解を生んでしまうことも覚悟の上のことで、それでも言い切ってしまう潔さを感じました。しかし、ここで説明されていることが、羅列にしか感じられないこともじじつです。それぞれ章立てしてありますが、それが何のためなのか、なぜ、これらのものが取り上げられたのかが、肝心なことがよくわかりません。それは、実践の場でという著者のいとからすれば、一番大切なことではないのか、おもうのです。最初、お寿司の技術書と日常の料理に噛み砕いておそうざいの本で、おそうざいの視点で考えるとう姿勢ですが。それぞれの美学思想について噛み砕いてくれたものの、あくまでもすし技術をわかりやすく解説したということにとどまり、おそうざいになっていないと思いました。すし技術からおそうざいになるには、決定的な転換が必要だと思うのですが、それがなされていない。それはおそうざいの視点ですし技術を作り直すという作業です。思うに、著者はおそうざいの視点の美学とか思想というものへの変換をする前に、それがどういうものかという考察をしていないのではないかという気がしてなりません。おそうざいの視点で求められるのは何かということです。だから、人生いかに生きるべきかというという人生観で思想を見てきたといいますが、では、今、ここで生きることはどうこうことか、という著者の現実の実践が見えてこないのです。あくまでも、著者は解説者で、悪く言うと、要領よく説明していると言われてしまいそうな危険があります。そういう意味で、学者さんが書いたものという限界がよく見えると思います。著者には悪いけれど、この本を読んで、考察を始めようとは思えない。

2011年4月 7日 (木)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(8)

第7章     実存主義と解釈学

東洋の思想と西洋の思想の基本的な違いとして、東洋の「この世主義」と西洋の「あの世主義」を著者は指摘します。西洋の思想は、イデアや神などこの世を越えたものを想定し、そこから逆算してこの世のことを考える。「本質」探究の姿勢は典型的な現れといえる。これに対して、現実の存在、つまり「この世」に目を向けようとしたのが実存主義です。

本質を探究するという立場からは、人間とは何かという本質(定義)が分かれば、人間はそのように生きるのが正しいということになります。こうして人生の目的が定まり、生きるべく生きていくことが人間にとり最高の幸せであるなら、哲学の最終の目的は幸福とは何かを考えることになる。これが西洋哲学の伝統です。しかし、実存哲学は、この問いそのものを問題視します。人間は何であるかと言う問いに対して、本質に記優秀されてしまわずに、絶えず本質からはみ出ようとする存在、そういうものとして人間を捉えようとしたのが実存主義で、「人間とは定義できない存在」という否定的な答えにより、人間とは何かという問いを無効にしてしまおうとする。実際に、人間とは何かという問いを立ててみて、様々な答えが用意できるし、これまで、様々な答えが出されました。答えの内容は様々であっても「人間とは何々である」と定義すると、それと同時に、「何々ではないものは人間ではない」という命題が論理的に成立してしまうことになります。そうすると、現実の存在としては人間であっても、この定義に外れるから人間ではないという存在が出てきます。定義には、このような排除が必ず含まれてきます。人間であって人間でないものが存在するのは、あってはいけないことだ。現に人間として存在している以上、どんな人間でも人間としての存在価値がある。すべての定義を取り去って、何はなくとも私を人間として認めよ、というのが実存主義の基本的な背景といえます。

著者は、ここでハイデッガーを取り上げます。ハイデッガーはまずSeinというドイツ語から出発します。「~がある」「~である」の両方の意味を持つ動詞です。Seinについて考えることは「ある」とはどういうことかを考えることでもあります。ハイデッガー自身も言っていますが、これを問うことは伝統的な哲学の問いです。ギリシャ哲学であればイデアという答えに行きつきましたが、イデアに代表される「本質」とは、言い換えれば定義のことで、ここでの言葉づかいでいえば「~である」ということになります。「~である」がすなわち、「~がある」ということになるわけです。しかし、「~である」に吸収されない「~がある」があるのではないか、と言う問題意識が出発点です。

そこで、ハイデッガーは、先の問いで問われるものを自分に置き換えます。「自分とは何か」という問いに対しては様々な答えが返ってきます。人間、男、会社員、その他、これらの答えは全て正しいものですが、どれをとってもそれだけでは物足りないものです。このような答えをどれだけ積み上げても「自分とは何か」への答えになるとは言えず、これらの定義のような答えをすり抜けたところに答えられない本当の自分があるように思える。ハイデッガーは、このように定義的な答えを共存在と呼び、本当の自分とは区別します。共存在とは、他人と共にいるという視点から規定されたもので、社会的な役割を負った存在と言えます。普段の我々は自分とは何かなどとは考えずにこのような共存在として生きています。でも、ある時、何かのきっかけがあって「自分とは何か」と考え始めてしまうことがあるのです。ハイデッガーはそのきっかけは「不安」だと言います。「不安」とは漠然とした気分ですが、これは人間存在に深く根差したものだといいます。平たく言えば「自分はいったいどこからやって来たのか、そして、これからどこへいくのか」という問いに対して、答えを持っていないところから生じるものだと言います。さらに言えば、このような問いを発することこそが人間と言うものなのだ、と言います。結局のところ、この問いには答えられない。人間は理由なく生まれ、死んでいく。これは、人間に関する本質論の排除で、人間は定義できないとするもので、これを肯定的に受け容れようとするのが実存主義です。

ハイデッガーは、実存としての自分に気が付くためには、自らが死に向かう存在であることの認識が重要だと言います。人間は理由なく生まれ、理由なく死ぬ。だからこそ、いつ生まれ、どれだけの時間を生き、いつ死ぬかと言う観点で人を見たときには、誰一人として同じ人間はいません。自分は、絶対に他人に代わってもらうことのできないかけがえのない存在だということ。自分の人生を生きることは誰にも代わってもらえない。自分でやるしかない。これが実存として生きることです。

ここで問題になるのは、実存としての自分は定義不可能な自分であるから、どう生きるべきかという指針を全く失っていることです。例えば、人間が理性的であることが本質ならば理性を鍛えることが人生の目的となるでしょう。そうして、そのような生きるべき仕方で生きることが至福の人生として用意されていることになります。しかし、本質から解き放たれた人間は、このような「べき」をもはや失い、路頭に迷うのです。

では、どうしたらよいか。ハイデッガーは実存としての自分に深く思いを致したときに、どのように生きるかが自ずと分かってくると言います。これを「先駆的覚悟性」といいます。これを著者は、実存として決断を説明する比喩的な表現だと解釈します。つまり、誰に訊いても自分の生き方を教えてくれる人はいない、それは、自分がどの人間とも異なる唯一の時間を生きる実存だから。このことが心底から分かれば、絶対にダレル自分を助けてくれない、いや、助けることがそもそもできないのだ、ということが分かる。そうなったら、自分で決めるしかないし、決められるはずだ。だから、決めろということだ、といいます。もともと。決断と言うのはそういうものです。「えいやっ」という勇気でとにかく決めることです。むろん、決断の前に考えたかったらいくらでも考えてもいいですが、その考えが最後の決断に自ずと移行することなどないのです。両者の間には断絶があるのです。ハイデッガーは跳び込むという意味合いの表現をしますが、まさにそういうことなのです。

ハイデッガーは実存としての自分に気づくために「不安」をきっかけに「死に向かう存在」であることに深く思いを致すことでしたが、ガブリエル・マルセルは違う方法をとります。マルセルは、実存としての存在に気付くために必要なのは「愛」だと言います。実存があって愛があるのではなく、愛があって実存がある。実存に目覚めるためには、自分一人ではダメで、他者との引き合う関係において初めて明らかになるものだといいます。これは、絶対的な孤立の中で死に思いを致すというハイデッガーとは正反対ともいえます。

人を愛するのは勇気のいることです。なぜか。自己を開かなくてはならないからです。扉を開けば、自分の家の中に他人が土足で入ってくるかもしれない。そういうことから身を守れるのかどうかは分からない、全く無防備な状態になるのです。そこには何がしかの自己の崩壊の不安が付きまとうはずです。他者を受け入れるのは怖いことでもあります。しかし、こういった自己崩壊の危機を受け入れなければ、そして、ある程度、自分を壊して見なければ、本当の自己創造はできない。自分と言う狭い殻の中に閉じ籠っていてはダメなのだ。デカルトは「我思うゆえに我あり」と言って自己の存在を確認しましたが、マルセルは実存としての自己は「ある」ではなくて「(超えて)ある」と規定すべきだと言います。実存は、絶えず今ある自己を超えた自己になろうとする意志として存在する。「ある」で人間を規定するのは本質論であり、定義して人間を固定しようとする。「超えてある」は、その固定的な定義を絶えず否定し、別のものになろうとし、また実際になっていく動きとして捉えます。実存とはこのような自己創造の過程として捉えられるのです。

2011年4月 6日 (水)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(7)

第6章     仏教思想と日本の美意識

日本の文化形成には仏教、とくに大乗仏教と密教の多大な影響があります。仏教という思想の特徴として重要なものが「諸法無我」の考えであると筆者は言います。「諸法」とは一切の現象の法のことをいい、「無我」とは実体、本体と言われるような永遠不滅の存在はないということです。西洋思想でいうイデアや神のようなものは認めない、正確に言えば、あるかどうか人間には分からない、だから人間存在に関する確実で現実的な思想を展開しようとするかぎり、実体はないということか出発するということです。このような「無我」の考え方を肯定的に展開すれば、あらゆるものは生成消滅変化するということになります。これを人生最大の問題である死をどうやって乗り越えるかという問題で考えると、死を人間存在の真理の表れとして、心安らかに受け入れようということになります。つまり、実体的なものに縋るようことをしないで、死を心安らかに受け入れることが仏教の求める悟りの境地です。

「無我」の思想と関連して「縁起」という世界観も重要です。すべては縁によって決まるという、この世には関係性のみがあるという世界観です。普通、関係性といっても二つ以上のものがまずあって、それらの間に成立すると関係と考えますが、縁起とは、ものがあるというのは間違いで、本当は関係しかないということです。とすれば、世界は実体の集まりではなくて、縁によって起こる出来事の総体だということになります。出来事とは始まり終わるという運動のことで、本当はその運動しかないのに、運動する何かがあると思うのが迷妄ということです。例えば、仏教からきた無常観は、ふつう、人の命ははかないものだという説明されますが、このような仏教の考え方に照らし合わせれば、自分の命があってそれがはかないというのではなくて、そもそも自分の命があると思うことが迷妄なのであって、そう考えれば、自己の死もたいしたことでないと心安らかに受け入れられることになります。それが悟りの境地だということです。

このような悟りに至るには、どうしたらよいか。その違いが仏教の様々な宗派を生み出しました。おおきな流派として大乗と小乗に分けられます。小乗では悟りを開くためには出家しなくてはならず、しかも実際に悟りを開いたのは釈迦だけであり、「仏性」は釈迦のみにあるという考えでした。これに対して大乗は、すべてのひとが仏性を持ち、必ずしも出家を要しない、大乗は釈迦との時代的な隔たりが大きく、思想が釈迦個人偉大さを離れ、より一般的な論理性により考えられるようになった結果ともいえます。小乗の修業は自己完結したものでしたが、大乗では他社との関係も修行の対象となります、そのため仏教に思想的基礎をおいて国家を統一しようという聖徳太子のような者が出てくることになります。さらに、密教では釈迦を超えたものとして大日如来をつくりました。釈迦は心理を発見したから偉いのであり、論理的に考えれば真理の方が尊い、その真理をイメージ化したのが大日如来で、密教の悟りとは大日如来との一体化を指します。大日如来は、すべてのものでありつつまた何ものでもなく絶えず変化し続ける動きそのものです。それゆえ、あらゆるものは大日如来の化身であって、自分すらももとをただせば大日如来の化身であるから、そのままで大日如来と一体化する可能性があるというわけです。これを即身成仏と言い、密教の修業の目的である悟りの内実です。こう考えると、釈迦を悟りの手本とすることが無くなるわけです。極端なことを言えば、悟りを開くための経典を読んで勉強する必要もなくなります。では何をするかというと、呪術的な実践に傾いていくのです。

この呪術的な実践として儀式のための法具が、いわゆる密教美術です。その中心となるのが曼荼羅です。現代の人間から見れば美術品なのでしょぅが、当時では悟りだけでなく現世的なものをも包摂した欲望のイメージ化だったと言えます。すべてが大日如来の化身だとすれば、現世的な欲望も、それが大日如来であることが分かれば、そのことにより大日如来との一体化も可能なはずです。だから、どんな欲望も感覚的な喜びもすべて肯定するところから曼荼羅のような豊かな密教美術が花開いたと考えられます。

このような密教思想の影響により、日本ではふるくから「芸道」と言う言葉が使われてきました。西洋起源の「芸術」と対比的に考えてみると、芸術はartの翻訳ですが、これは技術と言う意味があります。古代ギリシャでは芸術はミメシス(模倣、再現)の技術というのが起源にあります。これに対して芸道の道は修行の道です。修行の道ですから、そこで目指されたのは人格形成です。だから、端的に言えば、道の実践によってできたものは副産物でしかないのです。一番重要なことは作り手がどれほど悟りの境地に近づいたかと言うことなのです。作品のよさは作り手の境地の高低によって左右されるものなのです。日本では中世に、密教の影響を受け、徹底した現世肯定の本覚思想が一般にまで広がりました。現世の全てを本覚(悟りの智慧)の現れとし、修行の道は何かを否定して禁欲することではなく、すべてを肯定することだ。だから仏教のことを知らなくても、芸により悟りに近づくこともできる。

著者は、茶の道を取り上げます。茶の精神を端的に示す言葉として、有名なのが「一期一会」で、一生に一度限りであることを意味します。お茶会での人の出会いは一期一会のものと思ってすべてが執り行われなくてはならず、今ここで一緒にお茶を飲んでいるこの人とは、これで別れたらもう二度と会えない。そういう状況で一緒にお茶を飲むにはどうしたらよいか。すべてが、例えば動作、場所や道具がこの点から考えられています。茶室の広さの標準は四畳半で狭く、みすぼらしく建てられています。これは存在を示す建物でなく、無を示す建物でなければならないためです。このような性格のものを「侘び」「寂び」といわれますが、それは一期一会の観点で見えてくるものの姿と言うことができます。茶道の大成者である千利休が活躍したのは戦国時代です。戦国の武将は出陣を明日に控えたとき、いったい何をしたらいいか、という問いが現実にあったわけです。それはむしろ、いざという時にあわてないように日頃から鍛錬しておく、それが茶道の目的だったと言えます。日常茶飯事というように、お茶を飲むことは全くありふれた日常的な行為です。もうこれが今生の別れだというときに、平常心を保って淡々と茶を入れ、飲むことができるようにしておく。戦国の世でなくても、普通誰かと別れる時、何の根拠もなくまた会えると思いがちです。しかし、それは迷妄といえ、縁起の世界観からすれば、すべては絶えざる生成消滅の運動の中にあるから、別れはいつでも今生の別れと言うことになるのです。逆に言えば、今生の別れは、お茶を飲むのと同じくらい普通の日常的な出来事ともいえます。この真理を全身全霊で納得すれば、心安らかに死を受け入れることができる。これが悟りの境地です。

これは、第1章で触れたギリシャ哲学の「死の練習」という点で、共通点があるように思われます。

2011年4月 5日 (火)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(6)

第5章     イスラム教

イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じ創造主を信仰する一神教の系譜に属している宗教です。だから、イスラム教の世界観か、前章のキリスト教の世界観と同じものです。創造主である神がこの世を無から創造し、そうして始まった世界はやはり神の手による最後の審判で終わることになるというものです。こうした共通性を持ちながらも、キリスト教と決定機に異なる点は、イスラム教ではキリストが神の子であることを認めないことです。そして、イスラム教の独自な点は、ムハンマドが人間だということの強調です。ムハンマドの権威は、唯一、彼が「真の」預言者ということで、神の言葉がムハンマドを通じて人間に伝えられる、いわば、通り道のようなものです。問題は、ムハンマドを通じて伝えられた言葉が本当に神の言葉かどうかです。それを保証するのは、言葉そのものと言うことになります。それは神の言葉である「コーラン」を読んでみれば分かるということになるわけです。こんなに美しく、立派な言葉は神によるものとしか思えない。人間にはとうてい無理だという理屈です。神の言葉がそのまま書かれている聖典というのは、ユニークなもので、キリスト教の新約聖書はキリストの弟子が実際に自分の見聞したことを書いた形をとっているのと大きく異なるものです。このような聖典の違いは、それぞれの思想の考え方の違いと深くかかわっていると言えます。前章の通り、キリスト教はできるかぎり事実になろうとする思想であることから、神性を持ったキリスト、神と人との仲介者としてのキリストが事実存在するということで、神と人との距離を縮める。これに対してイスラム教には、神と人との距離を可能な限り遠くしようという傾向があります。神と人との関係は主人と奴隷の関係としてイメージされています。絶対的な言葉を介して神から人に命令が下る。神と人の両者は絶対的な断絶という関係にあります。この「絶対的な断絶」を強調することから、イスラム教では「偶像崇拝の禁止」という掟がとりわけ重視されます。人間の力の及びもつかない神について、何かをイメージすることさえ原理的に不可能なことであり、それをしようとすることは神に対する冒涜である。人間から神に向かうあらゆる道は閉ざされている。ただ、服従あるのみ。ということになるわけです。

このようなイスラム教と芸術との関係を考える上で最初に問題となるのは「偶像崇拝の禁止」の掟です。宗教的な活動のなかで具体的なイメージを描くことを禁止していることから、キリスト教のような描写的な絵画がないのです。その代わりに、イスラム教の宗教美術は、一般に「アラベスク」と呼ばれるデザイン化された文様が中心となります。ちなみに、西洋文化の中では、「アラベスク」という言葉は一般化されて、アラビアの文様以外のものを指すこともあり、その場合は、具体的な意味を持たないデザイン化された形象という意味で捉えられています。例えば、音楽の楽曲の標題に「アラベスク」とついていれば、悲しみや喜びなどを表現した曲ではなく音の戯れを楽しむための曲ということになります。イスラム教では、原則的に宗教儀式において音楽を使うことも禁じられています。なぜなら、音楽はあくまで人間の感覚にとってすばらしかったり、美しかったり、喜ばしかったりするものだから、それによって神を賛美すれば神も喜ぶだろうというのは傲慢な考えなのです。だから、それもやはり神への冒涜となり「偶像崇拝の禁止」の原理で否定されます。

2011年4月 4日 (月)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(5)

第4章     キリスト教

 キリスト教もギリシャ哲学と同じように「人間の救済はいかにして可能か」という問いを重要な問題のひとつとして持っていたと筆者は言います。救済とは死からの救済に他なりません。この観点でのキリスト教とギリシャ哲学との大きな違いは次の2点です。第1は、キリスト教の場合には、魂だけでなく肉体も救われることです。ギリシャ哲学は、不死の魂が限界ある肉体から切り離されることによって不死となるというものでしたが、キリスト教では、魂は最終的には肉体と再会し救済されることになります。肉体は現実の死によっていったんは滅びるように見えるのだが、最終的には魂といっしょになって永遠の生命を得る。これがキリスト教による「復活」の意味です。そして、第2に、救済のための条件として、ギリシャ哲学において魂が不死となるための条件は、純粋に魂だけが持っている理性を活用してロゴスによる対話を行うことで、これに対してキリスト教で救いを得るためには「理性」は問題とならず、唯一の条件は神を信じるという「信仰」です。ここで救いの条件が「理性」から「信仰」に転換したわけです。このようなキリスト教の特徴は救済される対象となる人々の拡大を促します。ギリシャ哲学の場合には、自由人とか貴族と呼ばれるエリート層の人間は、哲学にうつつを抜かす暇(自由な時間)を持っていました。さらに、ギリシャ哲学の理性至上主義は、現実の生活の中では貫くということは大変なことです。たとえば「わかっちゃいるけどやめられない」という弁解はありえず、「わかっているなら、やめろ」ということを機要請されるわけです。キリスト教の信じるということは、この「わかっちゃいるけど、やめられない」人にも救済の門戸を開けたというわけです。キリスト教はこのように神を信じるという信仰を中心として考え方ですが、同じように神を信仰するものとして、ユダヤ教やイスラム教があります。これらと、キリスト教との大きな違いとは何でしょうか。その大きな違いはキリストを信じるということです。それは、どのような意味があるのかというと。キリストがこの世に生まれ、生き、死に、復活したことを、人間と神との「契約」によって神が約束してくれたことの現実的な証拠として信じることなのです。最後の審判を経て、魂と肉体の両方が合わさって復活し、神のもとにおいて永遠の生命を得る。これが神との「契約」です。この「契約」はキリストの出現によって、それ以前の言葉による「契約」(旧約と言われます)から、死後の復活も含めたキリストの生涯を神がキリストを遣わし、その契約を行動で示したものとなりました、これを新約といいます。つまり、キリスト教はことばの力だけでは信を得ることが難しいため、行動との関わり合いによって信を得ようとするものです。だから新約聖書の大事な特徴は、キリストの生涯を弟子たちが事実として語ったものだということです。こう考えてくると、端的に言えば、キリスト教は思想ではなく事実なのだと、著者は言います。事実と密接に関係するのは、「理性」でなく、感覚や記憶です。事実として見たり聞いたりしたキリストに関することがらを語ることがキリスト教の教えにとって最も重要なことなのです。だから、この思想がイメージ制作と結びつきやすい性格のものなのです。この事実を言葉で語れば物語になり、視覚的に描けば絵画になります。ユダヤ教もイスラム教も協議で偶像崇拝を禁止し、具体的に視覚的イメージを排します。これに対して、キリスト教ではキリストの姿を具体的に示すことには抵抗がありません。これはキリストが神の子であると同時に人間であるという思想の構造に由来します。キリストのイメージは崇拝するものではなく、キリストが実在したという証拠として捉えられている。もうひとつ、具体的なイメージ制作を促す考え方として重要なことは、もう一つある。神は人間を愛して下さったから、人間はそれに応え、神を愛し返さなくてはいけないということである。それで、生身の人間ならともかく神などどのように愛してよいのか、これに答えるために、愛することは「思う」ことだということ、そして、「思う」とは具体的なイメージを思い浮かべることだ。だから、キリスト教の儀式では神を愛するために神を思う。神を思うとは、神にまつわる様々な出来事、聖書に書かれている事柄をはっきりと思い浮かべることだ。これを援けるものとして、絵画、音楽、彫刻などあらゆる芸術が生まれてくることになる。

2011年4月 3日 (日)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(4)

第3章     中国の思想と東洋世界の美意識

ギリシャ世界と同じころ、東洋では中国で文明が発達していました。代表的な思想としては儒教があげられます。儒教は徹底した現実主義に立ち、ギリシャ哲学のように現実に存在するかしないか分からない魂のようなものを語ることはしません。儒教が人間の幸福とは何かと問う時、戦国の混乱した社会という現実の環境もあり、国家の安定が必要不可欠で、思想はそのために現実に向いていかなければならないというものでした。孔子は秩序の基本単位として家族を考えました。この家族のなかでは封建的な秩序関係がつくられるわけですが、この家族の維持が確保されれば家族を構成要素とする国家の安定は保証されます。これを維持するために秩序意識の植え付けとして「仁」つまり上位のもの、最終的には年上の男性を敬うという気持ちと、それを行動に移す「礼」が生まれました。こうした儒教の思想は、今日の我々から見れば支配階級のための思想と言うことができます。これが人々に受け入れられた理由は、どこにあるのか。儒教は国家の構成単位である家族の維持をも目的としています。つまり、儒教に従っていれば家族は維持され、たとえ自分が死んでも家族は永遠に続くことになり、結果的に自分も家族の連鎖に関わる、共同体としての不死に与ることができるわけです。こう考えると、儒教も死を乗り越えるための思想としても位置付けられることになります。どうやって人生を無意味な消滅に終わらせないかという課題について、ギリシャ哲学は魂の不死を説きました。これに対して儒教はもっと現実的に家族の永遠の存続に貢献することで個人の人生を意義づけたのでした。このような儒教は、美をどのように捉えていたのか。

儒教思想における「美」は「仁」の表れであると作者は言います。孔子にとって一番重要なのは「仁」の習得で、その段階として、まず「仁」とは何か、なぜ大切かを理解させる、次に毎日の「礼」の実践を通じて「仁」を身につけさせる、まだそれだけでは不十分で「仁」を行うことが楽しくなるまで教育しなくてはならない。全員が自発的に「仁」を実践するようにしないと、全体としての国家の秩序が安定しない。「美」という漢字は「羊」が「大きい」ということで、羊は生贄の動物で、美とは犠牲が大きいということで、個人を犠牲にして、家族や国家という全体のために生きられるということが根本にある。これを端的に示しているのが、音楽だ。音楽が目指しているのは音の調和だが、それは単に音の問題だけに止まらない。音の調和は、その音を出している人々、また、その音に耳を傾け聴いている人々の心の調和の結果と言える。いま自分がどんな音を出したらよいか、それは、それまでに出された音を受け継ぎ、次に出される音を予感するという連続の中で決まってくる自分の役割を認識した心の声でなくてはならない。すべての音が全体の調和を乱すことなく適切に奏でられたとき、最も美しい音楽が実現する。その美しい音楽を聴いて感動する人々、その感動のもとになっているのは、そこに集う人々の連帯感なのであり、このような状態の実現が自発的な喜びとともに行われるとき人々の調和が完成するというわけです。

このような儒教と全く反対のような老荘思想は、儒教とは、いわば車の両輪のようなもので。結果的に相互で補完関係にあるようです。老子が説いたのは無為自然ということで、人為的な儒教を批判し、人間は自然の一部で、もともと自然なのが、教育によって自然から遠ざかり、忘れてしまった赤子の心を取り戻すことが人生の目標となるわけです。老子の後の時代の荘子は、より個人的な視点で考察を進めました。荘子は、西洋で言う魂の救済をテーマとして取り上げたのです。しかし、現実的な中国思想の性格から、西洋の場合の来世というのではなく、あくまでも現世での救済を考えます。だから魂の救済というよりは心の平安と言い換えるべきかもしれません。荘子は、心の平安は真実のもののあり方を知ることによって、それは得られると言います。その荘子が真実のもののあり方として提示するのが「万物斎同」です。これは老荘思想で説くあらゆるものの根源である「道(タオ)」のことをさし、混沌の状態にあることをさします。混沌とは、あらゆるものがあるのだが、それらが皆同じ状態で、区別されない状態のことです。生まれてすぐのときは人もこういう世界に生きている、と荘子は言います。しかし、成長して分別がつく大人となると、つまり、周りの大人からああだこうだと分けて教えられてくると、かえって本当のもののあり方が見えなくなり、そこから悩みや不安が生まれてくるというのです。だから、真実のもののあり方を曇らせている分別を取り除いて「万物斎同」を悟ることが荘子の思想のテーマとなります。これを荘子は鏡に譬えます。鏡の表面には何もありません。だからこそ何でも映すことができる。鏡をそちらに向けさえすればいいのです。何もないからこそ無限のものを含むことができる。映すものを選ぶようなことはしないのです。こういう鏡のような心を獲得することが無為自然に環ることなのです。このような考え方と美というものが、どのように結びつくのかというと。例えば、中国の絵画で山水画と言うのがあります。西洋絵画では風景画最初に出てくるのが16世紀オランダで、実際の風景を描くということに、これだけ大きな時代の隔たりがあるのは、自然の捉え方が異なることが要因していると考えられます。これには自然にポジティブに性格が付与されることにより描かれる可能性が出てくるわけで、自然に環ることを人生の目的とする老荘の思想が自然の風景を描く山水画の成立に重要な役割を果たしたと考えられます。山水画を描くことは、このような理想をイメージ化するための重要な手段であり、それゆえに価値が認められるわけです。ただし、山水画は忠実な風景の写実を目指したものではなく、省略や誇張が見られるのは、老荘思想で目指された自然が人間の外の自然と内なる自然が一体化した自然だったからです。この場合の表現には、作為的なものは避けられます。無為自然の理想を表現技術では無心ということになる。さらに、荘子のところで根源であるタオを混沌ととらえ、分別することの愚かさを荘子は説きましたが、真実と言う観点から見れば、現実と非現実の区分もしないことにもなります。豊かなイマジネーションによる創造が成立する根底にあるのは、このような現実と非現実の境界に真実があるという考えです。

この章の最後では、儒教や老荘思想以前に起源をもつ陰陽五行思想について考えていますが、あまり美との関連は触れられておらず、章の最後のところでこう著者は言います。“さらに重要な点は、陰陽五行思想を支えているのが普遍的な合理性ではないというまさにその点である。五行配当、相生の関係、相剋の関係で見たように、この思想の論理性を支えているのはイメージの連鎖なのである。これは言ってみれば想像力の「論理」とも言えるものである。想像力は理性のように普遍的な合理性を持つものでない。だからと言ってまったくのでたらめでもない。青と言う色は論理的・必然的に木に結びつくものではないけれど、木、火、土、金、水のどれに関連が深いかとえば多くの人が木に結びつけることに納得するだろう。この結びつきが文化的に定着し継承されればさらに確かなものとなり、人々を動かす思想としての力を獲得する。そして人間にとって理性と同じく想像力は大切なものである。想像力の「論理」が主導する思想はほかにあまりないし、その意味でも陰陽五行思想は大事な例である。そして、特に、豊かなイメージ形成の力になった点では無視することのできない思想である。”

2011年4月 2日 (土)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(3)

プラトンの弟子にあたるアリストテレスは、イデアをダイナミックに捉えようとしました。彼は、本質の探究方法をソクラテスのように二元論に基づき本質と現象を切り離すのではなく、本質は現象に内在していると考えました。ソクラテスやプラトンが本質をイデアから本質を想起するという方法をとったのに対して、アリストテレスは現象をよく観察し、そこから発見される本質をエイドス(形相)と呼びました。具体的には数多くの現象を観察して共通の性質探し出し、それにより定義するという近代科学にも通じる思考方法がここで生まれたと言えます。このような本質と現象が不可分と考えられるようになると、魂と肉体は不可分となり、ソクラテスの死の練習という哲学とは袂を分かつことなるわけです。しかし、一方で現象の地位が上がることになり、芸術の美が肯定されることになります。アリストテレスもプラトンと同じように芸術をミメシスだとしますが、このミメシスを肯定的に捉えます。人間は現物を見れば怖いものでも、上手くミメシスされているものを見ると喜びを感じます。食欲は生命維持に、性欲は子孫の繁栄に役立つように、ミメシスの喜びは学ぶ喜びにつながるとアリストテレスは言います。これは哲学に向かいための入り口となります。芸術はこのような上に成り立ち、哲学に人を導くものとして存在意義が認められることになったのです。アリストテレスは『詩学』の中で、悲劇を取り上げ芸術について論及しています。悲劇は筋によって決定され、アリストテレスは“われわれより優れた人間である主人公が、何らかの過失によって幸福から不幸に転じる”ものと言っていますが、このことにより観客の心に主人公に対する同情の気持ちを引き起こすのが悲劇です。アリストテレスは悲劇が観客に与えるべき効果を同情(エレオス)と恐れ(フォボス)という二つの用語で示しています。これらの二つの感情はどちらも主人公にふりかかる不幸に起因する。この不幸を目の当たりにして、「なぜ何も悪くないあんなに良い人にこんな不幸が」と、主人公に肯定的に感情移入するところから「同情」が生じ、どうしてもこの不幸が避けられなかった人間の無力さを痛感し、運命の力の大きさに圧倒されるところから「恐れ」が生じる。プラトンは、これをパトスを引き出すものとして否定しようとしましたが、アリストテレスは、「カタルシス」という概念を持ち出して説明しました。悲劇の目的は観客にエレオスとフォボスを引き起こすことであり、これらを引き起こすのがミメシスの技術だということになります。ミメシスが成功すれば、これらの感情は生き生きと現実性を持ったものとして感じられるでしょう。しかし、観客はこれらの感情が決して本当のものでないことは知っています。だからこそ、どんなに恐ろしい悲劇であろうとも、観客は安心して、どこか喜びを感じながら見ることができるわけです。逆に言えば、ミメシスによって引き起こされた感情は、いわば、知性によってからめとられた感情であり、感情は魂によって統御可能なものとなるわけです。いわばロゴス化させることになるわけです。これを「カタルシス」と呼びます。さらに、アリストテレスは、このような「カタルシス」を引き起こすものとして優れた芸術の条件を論じています。まず適度な「大きさ」で、一度に全体が見渡せて、同時にその部分の判別ができるような大きさと言います。これは「完結性」につながります。完結性は多様の統一性につながります。統一性があるといことは、そこに存在する部分が、一つの目的に向かっているということです。そのために無駄があってはいけないし、不足があってもいけない、あるべきものがあり、あるべきでないものは何もないという状態にあるということです。このような統一性のある完結体を美とする根底には、理性によって感覚の世界を支配することを目的とするギリシャ哲学の思想があります。

プロティノスは、ギリシャ哲学の伝統から出発します。本質とは何かという問いです。ここで、プロティノスは、このような問いが可能となるのは、「あるもの」の本質を問う場合には、問われるべき「あるもの」が「あるもの」としてとらえられているからだ、と言います。様々に椅子が周囲にあって、そこから椅子とは何かと問われるべき椅子のイメージがあるように、感覚的なデータしては、我々を取り巻く世界はバラバラであり、その中から一定のデータをまとめて一つのものと見なすことによってはじめて「あるもの」が存在する。このようなことを、プロティノスは世界のあらゆる存在を一者から「流出」したものととらえます。そして、あらゆる存在を可能にする根拠としての一者それ自身では存在ではない。そして、一者から流出したあらゆる存在は一者からの近さにより秩序づけ、つまり階層づけられます。このことは、あらゆるものが一者からの連続性として捉えられることと、一者から遠ざかるにつれ秩序から離れ無秩序に向かうということになります。そして、人間は理性によって無秩序から秩序に向かう努力をするものだと言います。プロティノスはこれを「帰還」と呼びますが、論理的な思考を駆使して、秩序を与え、より統一的な一体性を求めるということ、これは、これまで紹介されてきたギリシャの哲学者たちと同じ姿勢です。プロティノスは、ここからさらに、最終段階で一者そのものをどのように知るのかという時に、一者との合体、脱我という、いわば理性を超えた、一種のエロス的な働きを考えます。このような思想を反映して、プロティノスは単一なるものの美を強調します。多様の統一といったアリストテレス的な美はここでは否定されます。多様な部分の統一を把握するのは知性であって、感覚ではとらえきれないものです。アリストテレスにはギリシャ哲学の知性尊重主義が底流にあります。しかし、プロティノスはどうでしょうか。アリストテレスらとの大きな違いはミメシスの考え方の違いにあります。それ以前は現象を模倣するということが中心だったのに対して、プロティノスはミメシスの対象の現象ではなく、それらのものの背後にあって存在を可能にしている形成原理なのだと言います。ここまでくると芸術の目的は写実ではなくて理想化された美しい形象を創ることになります。だから重要なのは外観ではなくて、内面なのです。芸術家がよりどころにするのは魂にある理想像になります。だから、実際にない架空の人物や見ることのできない神々を描くこともできるわけです。理想像との接触によって感覚的なものが魂の方に引っ張り上げられることによって美的形成が行われる。プロティノスは、この上位に引っ張り上げられるものに接することにより輝き出てくるのか美なのです。つまり、美が「帰還」の原動力となるのです。では、この美に触れるためにはどうすればいいのか。美をみようとする自分はもともと「一者」であった。だから自分と「一者」は論理的には同一で、美に触れるということは、美である「一者」と同じになるということだ。美を見たいのであれば、自分自身が美しくならなくてはならないということになる。ここでプロティノスの言う自分とは魂のことです。魂の美しさを彼は問題としているのです。このためには自分の内側を見つめ不純なものを取り去って、言うならば純粋の本当の自分との出会いを求めるということになる。ギリシャの哲学には不死の追求という目標があり、ソクラテス以来普遍性への憧れにつながっていました。それは、いつでも、どこでも変わらないロゴスの探求でした。これに対して、プロティノスは一者をすべての存在の根拠に求めて唯一性を強調しました。これは後のキリスト教的な考え方への橋渡しにもなったと言えます。

2011年4月 1日 (金)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(2)

第2     ギリシャの哲学

著者は、日本とはことなるけれど、古代ギリシャ哲学においても魂の働きの強化が人生の目的とされたと言います。

ギリシャの哲学は、魂と肉体の二元論で、人間は魂と肉体の二つの部分から成っていて、それぞれが異なった役割をもち、魂の能力は理性であり、肉体の能力は理性で、肉体の能力は感覚である。理性とは論理的にものを考える能力で、感覚は人間持つ五感です。そして、感覚が捉えるのが現象で、理性が捉えるのが本質とされます。この本質が「イデア」と呼ばれます。

さて、このような哲学について、ソクラテスは「死の練習」だと言います。どういうことかと言うと、魂は不死でありうる、肉体は滅びるもので、どうしたら魂が不死になるのかが、いうなれば哲学の目的でした。これに対する答えは次のようになります。魂を死で脅かす肉体の束縛から自由になれ、つまり、生きている間は、魂と肉体は結び付いているが、肉体の死によって魂は肉体から切り離され、不死になる可能性がある。その際に、魂が完全に肉体から切り離され不死になるために、生きている間になるべく魂を肉体から遠ざける。具体的には、魂だけに属する本来の能力を使う生活、理性を使って本質について考える生活をする。これは哲学をすることに他なりません。だなら、哲学は死の練習なのです。しかし、哲学は宗教とは違います。それは、魂の不死を得るために論理的な思考が重視されたためです。その方法は、ディアレクティケーと言われる対話による議論です。ここで重視されるのは「ロゴス」、いうなれば、言語と論理です。こういう考え方には、そもそも論理によって追求されるものがものの本質であったということに本質的に結びついています。

そして、美学とは、このような哲学の一部として始まったものです。哲学は価値を追求することで本質に行きつきました。どういうことかというと、例えば、今ここに椅子に座っている人がいるとします。この人は、今何をするかについて無限の選択が可能だったはずです。その中で、ここで椅子にすわるという行動を選択したからには、それが自分にとって、現時点でもっとも「良い」ことだと思ったからです。その「良い」とは何か、つまり価値について考察するすると、椅子の本質追求になるわけです。本質とはイデアです。

このような哲学が追求する「良さ」、つまり、価値は、「真」「善」「美」とされてきました。これらの価値は、それ自体が目的となるような価値で、それを得ることにより、別のものが求められるという手段になりうるものではありません。「真」「善」「美」は、これを求める自体が、人生の目的ということにもなるものです。このためには、どう生きるかが分かってなければならないし、分かったとしても「分かっちゃいるけど、やめられない」というのが人間の常ですから、それができるということが難しい。だからこそ、それができたといのうが幸福につながるわけです。思想と現実の一致です。

しかし、ソクラテスは魂と肉体を切り離すために理性と感覚をも決定的に切り離してしまいました。美のイデアは具体的な美のイメージの関係が置き去りにされた感があり、ソクラテスの弟子にあたるプラトンは、ソクラテスの徹底した二元論の構図に修正を加える中で考えられていきます。後期の対話編『饗宴』でエロスに対する考察を進めますが、エロスと美の関係について、エロスとは、今、自分の持っていないものを欲しいという気持ちで、この気持ちは美しさによって掻き立てられ、この関係は、それによって何かが生み出される元になると考えられ、このことにより階層分けされます。例えば、美しい肉体に出会い、エロスをかきたてれる生殖行為にいたり、子供が生まれる。次の段階では肉体だけではなく魂の美に引かれる、ここで生み出されるのは徳です。以後、美しい職業活動、美しい学問、美のイデアと段階を駆け上がります。ここで、一番低次に見られた性欲に関してみてみると、ソクラテスの二元論では、肉体に属することになり、ひたすら排除されるべきものとなります。しかし、プラトンは、一面では肉体的ではあるものの、エロスの向かう方向をコントロールすることにより魂の領域に関わることが許されるという、二元論の図式が崩されます。プラトンは人間を何らかの行動に駆り立てるモチベーションとしてのエロスを無視できなかったためと、著者は言います。このため、哲学が価値について考え、よりよき人生に向かっていくものであれば、エロスの方向づけについても、考えさせざるを得なくなります。プラトンは、魂がイデアに向かうのを助けるもとしての美を肯定しました。ここでの美はエロスと相互補完的に関係にあります。例えば、少年は素晴らしい師に出会い、エロスを掻き立てられ、そのことにより愛する師にふさわしい素晴らしい人間になろうとする。つまり、美はエロスをかきたてると同時に、エロスのおかげでみにつけられるものでもあるわけです。しかし、プラトンは、詩、演劇、絵画、音楽などの芸術に対しては、現実のものを模倣(ミメーシス)しているためイデアから遠ざかることになり、人間の低劣な部分に関係するため、ロゴスではなくパトスに働きかけることになる。プラトンは理性以外で人間の行動を起こさせることは危険だとして、芸術の危険性を指摘しました。

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