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2011年4月 1日 (金)

小穴晶子「なぜ人は美を求めるのか─生き方としての美学入門─」(2)

第2     ギリシャの哲学

著者は、日本とはことなるけれど、古代ギリシャ哲学においても魂の働きの強化が人生の目的とされたと言います。

ギリシャの哲学は、魂と肉体の二元論で、人間は魂と肉体の二つの部分から成っていて、それぞれが異なった役割をもち、魂の能力は理性であり、肉体の能力は理性で、肉体の能力は感覚である。理性とは論理的にものを考える能力で、感覚は人間持つ五感です。そして、感覚が捉えるのが現象で、理性が捉えるのが本質とされます。この本質が「イデア」と呼ばれます。

さて、このような哲学について、ソクラテスは「死の練習」だと言います。どういうことかと言うと、魂は不死でありうる、肉体は滅びるもので、どうしたら魂が不死になるのかが、いうなれば哲学の目的でした。これに対する答えは次のようになります。魂を死で脅かす肉体の束縛から自由になれ、つまり、生きている間は、魂と肉体は結び付いているが、肉体の死によって魂は肉体から切り離され、不死になる可能性がある。その際に、魂が完全に肉体から切り離され不死になるために、生きている間になるべく魂を肉体から遠ざける。具体的には、魂だけに属する本来の能力を使う生活、理性を使って本質について考える生活をする。これは哲学をすることに他なりません。だなら、哲学は死の練習なのです。しかし、哲学は宗教とは違います。それは、魂の不死を得るために論理的な思考が重視されたためです。その方法は、ディアレクティケーと言われる対話による議論です。ここで重視されるのは「ロゴス」、いうなれば、言語と論理です。こういう考え方には、そもそも論理によって追求されるものがものの本質であったということに本質的に結びついています。

そして、美学とは、このような哲学の一部として始まったものです。哲学は価値を追求することで本質に行きつきました。どういうことかというと、例えば、今ここに椅子に座っている人がいるとします。この人は、今何をするかについて無限の選択が可能だったはずです。その中で、ここで椅子にすわるという行動を選択したからには、それが自分にとって、現時点でもっとも「良い」ことだと思ったからです。その「良い」とは何か、つまり価値について考察するすると、椅子の本質追求になるわけです。本質とはイデアです。

このような哲学が追求する「良さ」、つまり、価値は、「真」「善」「美」とされてきました。これらの価値は、それ自体が目的となるような価値で、それを得ることにより、別のものが求められるという手段になりうるものではありません。「真」「善」「美」は、これを求める自体が、人生の目的ということにもなるものです。このためには、どう生きるかが分かってなければならないし、分かったとしても「分かっちゃいるけど、やめられない」というのが人間の常ですから、それができるということが難しい。だからこそ、それができたといのうが幸福につながるわけです。思想と現実の一致です。

しかし、ソクラテスは魂と肉体を切り離すために理性と感覚をも決定的に切り離してしまいました。美のイデアは具体的な美のイメージの関係が置き去りにされた感があり、ソクラテスの弟子にあたるプラトンは、ソクラテスの徹底した二元論の構図に修正を加える中で考えられていきます。後期の対話編『饗宴』でエロスに対する考察を進めますが、エロスと美の関係について、エロスとは、今、自分の持っていないものを欲しいという気持ちで、この気持ちは美しさによって掻き立てられ、この関係は、それによって何かが生み出される元になると考えられ、このことにより階層分けされます。例えば、美しい肉体に出会い、エロスをかきたてれる生殖行為にいたり、子供が生まれる。次の段階では肉体だけではなく魂の美に引かれる、ここで生み出されるのは徳です。以後、美しい職業活動、美しい学問、美のイデアと段階を駆け上がります。ここで、一番低次に見られた性欲に関してみてみると、ソクラテスの二元論では、肉体に属することになり、ひたすら排除されるべきものとなります。しかし、プラトンは、一面では肉体的ではあるものの、エロスの向かう方向をコントロールすることにより魂の領域に関わることが許されるという、二元論の図式が崩されます。プラトンは人間を何らかの行動に駆り立てるモチベーションとしてのエロスを無視できなかったためと、著者は言います。このため、哲学が価値について考え、よりよき人生に向かっていくものであれば、エロスの方向づけについても、考えさせざるを得なくなります。プラトンは、魂がイデアに向かうのを助けるもとしての美を肯定しました。ここでの美はエロスと相互補完的に関係にあります。例えば、少年は素晴らしい師に出会い、エロスを掻き立てられ、そのことにより愛する師にふさわしい素晴らしい人間になろうとする。つまり、美はエロスをかきたてると同時に、エロスのおかげでみにつけられるものでもあるわけです。しかし、プラトンは、詩、演劇、絵画、音楽などの芸術に対しては、現実のものを模倣(ミメーシス)しているためイデアから遠ざかることになり、人間の低劣な部分に関係するため、ロゴスではなくパトスに働きかけることになる。プラトンは理性以外で人間の行動を起こさせることは危険だとして、芸術の危険性を指摘しました。

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