無料ブログはココログ

« 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(2) | トップページ | 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(4) »

2011年4月27日 (水)

前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(3)

第二章 セカイっていう言葉がある 2000~03年

後半の『エヴァ』的な要素を受け継いだ作品は、空前の『エヴァ』ブームが終わり、忘れられ始めたゼロ年代に入ってからと著者は言います。そうした作品としては、マンガ『最終兵器彼女』、美少女ゲーム『AIR』、小説『イリヤの空』、舞城王太郎、佐藤友哉、西尾維新といった作家たち、あにめ『ほしのこえ』など、これらは、オタク文化が『エヴァ』という特異なヒット作を咀嚼していく軌跡と著者は言います。

ポストエヴァからゼロ年代前半のオタク文化をけん引したのは「萌え」と美少女ゲームだったと著者は言います。ポルノメディアから始まった美少女ゲームは、性的なシーンを見るための手段でしかなかった恋人になるための過程が次第にケームプレイの目的に変容します。プレイヤーが快楽として見出したのは、美少女キャラクターとの日常での他愛無いやり取りだった。この動きから物語の揺れ戻しがおこり「泣きゲー」と呼ばれる作品で、プレイヤーは美少女キャラクターとの他愛無い日常を送りながら、やがて彼女が悲劇的な背景を持つことに気づき、そして少女の苦悩やトラウマを主人公が癒すことで、最後に添い遂げるというパターンです。この中から、美少女キャラクターとの掛け合いが続く日常世界に対比的に幻想的世界が導入され、何らかのきっかけにふたつの世界が直結するというパターンが現れます。その頂点が『AIR』だと著者は言います。

『最終兵器彼女』。奇妙な恋マンガ。画北海道の高校に通うシュウジとちせは、ラブコメというよりも少女マンガ的、さらにいえばリアリスティックにに描かれていて、シュウジの、ちせを求めようとする一方で、彼女を傷つけることへの恐れ、あるいは最終兵器となって傷ついていく彼女に何もできない自身の無力さへの嘆きが、モノローグの形式でしばしばページを埋め尽くすように描かれている。しかし、『最終兵器彼女』をセカイ系と名指す人々は、その理由として戦争描写のリアリティの欠如と設定の欠落をあげている。著者は、このようなの戦争描写のリアリティの欠如に返って10代や20代の皮膚感覚としてのリアリティを獲得しているといい、ここには『エヴァ』の影響を指摘しています。例えば、『エヴァ』の主人公は使途という敵が現れたときだけパイロットとなり、戦いが終わると、また中学生に戻り、悪友たちと遊んだり、同級生の少女たちとラブコメを繰り広げる。戦争により日常が破壊されるということに至らず、学園生活という日常と使途迎撃戦という非日常が同居する。さらに、使途という敵の所得たいが不明で、なぜ敵が襲ってくるか、戦う理由が明らかにされない。結果的に思考は空転し、抽象化し、自分の問題に行き着いてしまう。このような点は『最終兵器彼女』に通じる。いわば、最終兵器という題材を用いて描かれた難病ものという言うことができる。

このような『最終兵器彼女』がセカイ系として受け入れられているのは、それ以前のアニメ等と比べてみると「世界設定」を排除していることを著者は指摘します。『最終兵器彼女』の世界では、ちせは何と戦い、その兵器はどのような原理で稼動しているのかはまったく分からない。そして、読者はそのような設定などまったく気にせず、青少年の自意識に、あるいは恋愛に、ベタに感情移入する。これは『エヴァ』が「人類保管計画」「汎用人型決戦兵器」「使途」といった謎めいた単語を頻出させ、散々、視聴者の興味をひいておきながら、路線変更によりそれらの解説を一切放棄し、主人公の自意識をクローズアップしたが、『最終兵器彼女』では、最初から存在していない。

もうひとつ『エヴァ』以前の作品受容の態度の典型として、大塚英志の言う「物語消費」。例えば、『機動戦士ガンダム』を例にとってみると、大塚のいう「物語消費」は、極論をいうと『ガンダム』の物語、少なくとも、アムロやシャアたちの物語を見るのではなく、ガンダムの舞台である宇宙世紀という世界観にアクセスするためにアニメを見るというものだ。その意味において、アニメ本編も、アニメ誌や関連書籍に書かれた公式情報も「宇宙世紀」という世界観を理解する道具としては等価であり、アニメ本編=物語には特権的価値が置かれていない。このような見方からすると、『エヴァ』の前半は、そのニーズに応えるものだったと言えます。「人類補完計画」「セカンドインパクト」といった謎めいた単語が序盤から、何の説明もなしに提示され、物語消費を煽ったとも言える。しかし、終盤で『エヴァ』の物語は、突如として登場人物の心理へと焦点を狭めていき、世界設定の謎は一切明かされないまま終わってしまう。このようにして、『エヴァ』は、視聴者の物語を受容する態度そのものの変更を迫ったと著者は言います。だからこそ、『最終兵器彼女』は最終兵器というガジェットを持ちつつも、以前であれば、当然存在するはずの設定群を欠いていたことで、何かが欠落している、と捉えられたと言える。

だからといって、少年の自意識に焦点を当てた作品はセカイ系に限らず、むしろ、普遍的とも言える。ではなぜ、このような普遍的なテーマが、なぜ新しいものとして捉えられたのか。それは、『エヴァ』以前の作品受容の態度を参照しないかぎり見えてこない。即ち、『エヴァ』以前のオタクたちは物語から世界観を読み解く「物語消費」をはじめ、岡田斗司夫の言う暗号を読み解く態度など、作品受容の態度がきわめて奇形化していた。そのため『最終兵器彼女』などのような素朴な物語への回帰、あるいは普通に物語を楽しむ、普通に登場人物に感情移入するという作品受容の態度が、かえって奇異なものに捉えられたと著者は言います。

このような近年のオタクたちの作品受容態度を論じたものに、東浩紀のいう「物語消費」から「データベース消費」への移行という分析がある。これは物語への回帰を促すと著者は言います。「物語消費」で対象となるのは、大きな物語、つまり世界観であり、「データベース消費」では各要素としてのひとつひとつのストーリーに解体され、少年の自意識を描いたドラマや、男女の恋愛を描いたドラマが求められるようになったと著者は言います。

ここまで見てきたとおり、ゼロ年代初頭には、90年代後半の『エヴァ』ブームと、そのもたらしたパラダイムシフト後の混乱が収束し、『エヴァ』という作品を十分に咀嚼した上で、新たな作品が送り出されていった時代と言えます。そのような作品を呼ぶ言葉としてセカイ系という言葉が生まれてきたと著者は言います。

« 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(2) | トップページ | 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(4) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(3):

« 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(2) | トップページ | 前島賢「セカイ系とは何か~ポスト・エヴァのオタク史」(4) »