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2011年5月 6日 (金)

三品和広「戦略不全の論理」(5)

第三章 ケースに見る戦略不全

日本のコマツと米国のキャタピラーの間の攻防をケースとして見る。TQC(総合的商品管理)を武器にして快進撃を続けたコマツは、1980年代半ばにキャタピラーを追い詰めたかに見えた。ところが、1990年代に入ってからは再び攻守が逆転するに至っている。コマツとキャタピラーのそれぞれの攻防の打ち手は逐一追跡されていくが、ここでは、攻防の全体像の外観と戦略の相違を見てみる。

利益率については、コマツは長期的なジリ貧傾向にあり、これに対してキャタピラーは高収益を確保している。最終利益の累計では両者間に大きな差が開いている。また、コマツは本義用の建機ではキャタピラーに水を開けられ、脱建機もならず戦略不全に陥ったと言える。

ここで、両社の違いを見てみる。両社の決定的な差の一つは建機事業に対して抱く事業観である。米国では1960年代に高速道路網の建設が一巡し、日本でも石油危機を境に高度成長が終焉を迎えている。母国における建機事業の春は過ぎ去ったという認識では両社ともおなじであろう。問題は発展途上国の市場をどう見るかにあった。コマツは悲観論を貫いている。中南米政府の過剰債務問題に敏感に反応したからである。これに対し、キャタピラーは、発展途上国が世界人口の81%と地上面積の74%を占めることを見据えていた。しかるに同社の途上国売上比率が23%にとどまることから、ここに未来の事業があると喝破したのである。キャタピラーは「21世紀の最初の10年はグローバルな競争力が企業を選別する」との認識の下に着々とオペレーションをグローバルに拡充し、他方で一時的な景気後退に備えるために、製品ラインや事業地域の多様化と、コストや資産の管理強化を怠らなかった。同時に開発途上国の市場を開拓するために、中古建機のグローバルな流通や購入資金のファイナンスを司るサービス事業を自ら整備していったのである。

これに対して、コマツの年次報告書を見てみると事業に対する大局観が見当たらず、基本的には今期の業績を分析して、来期の方針を確認するというだけである。その意味で、期待値に基づいて長い未来を最適化するというよりも、t期の出力に反応してt+1期の制御をするという印象がある。日本企業は長期的視野から経営にあたると言われてきたが、実態は異なると思わせるものである。たしかに、t期の業績が悪いからと言って、製造や研究開発に対する投資を絞ったり、人件費に手を付けるということはしていない。

意思決定のアルゴリズムという点では、両社の間には別の差がある。キャタピラーは農機から建機に転進したり、工場を大胆に閉鎖したり、過去にこだわるそぶりを見せない企業である。これに対して、コマツには、「すでにあるものは生かす」という発想が根づいている。建機事業で世界第2位の地位を手に入れた時点では、創業時の多角化に着手した時点とは状況が大きく異なったはずであるにもかかわらず、「今まで蓄積した技術があるから」というように理由で、非建機事業を投資対象とし続け、そこには非建機事業のプレーリアップ・バリューを検討した痕跡はない。同様に、新規成長事業の育成を図るときも、種をいろいろまいてみて、芽が出たところに水をやるというのがコマツのスタイルになっている。すなわちコマツが将来どういう企業になるのかは、種まきの結果次第、お天道様次第なのである。自らの意志の力で自らなりたい企業になるという強固な姿勢を貫くキャタピラーとは、根元的な違いがある。

両社の対比でもう一つ目立つのは、企業と経営者の関係である。日本の企業はボトムアップとよく言われるが、トップの「個性」が意外と大きな影響力を持っているようである。実際にコマツでは社長が変わるたびに新社長の「思い(または意思)」が前面に押し出され、それがコマツという企業のカラーを染め上げている。その意味で、コマツをどういう企業にしたいのかという意思は、コマツにも存在した。意思というのは、それぞれの社長の心の中に存在したからである。さらに歴代社長が「なりたい企業像」を語るときは、「良い会社」に代表されるような、きわめて抽象的な言語が使われる。その点でも「思い」という言葉がぴったりであろう。

他方のキャタピラーでは、価値判断を含む言語は見当たらない。歴代の経営者が理想とする企業を語るときは、あくまでも事業のポートフォリオと各々の事業における市場地位というきわめて具体的な戦略の言語が用いられているのである。経営者の語り口には、企業は先達から受け継いだ公の人為機関、経営者といっても一個人が好き勝手にしてよいものではない、企業は株主に買ってもらう商品として磨かねばならない、という基本認識がにじみ出ている。

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